紅茶をどうぞ
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[祭] 焦る (付きまとう焦燥感) 後編
高い空に浮かぶ白い雲が一面に見渡せる、爽やかな風の吹く丘をのぼれば、そこには大きなセコイアの木があった。
樹齢は1000年をゆうに越え、幹は太く青々茂った葉はまるで屋根のように広がっている。
その木は、晴れの日は強い日差しを遮って優しい木陰を作り出してくれていたし、雨の日は傘となって雨宿りに最適な場所を提供してくれていた。
幼いアメリカはいつもその木の下で昼寝をするのが楽しみで、遊び疲れたあとは必ずと言って良いほどそこにいた。
小さな動物たちと一緒にうとうとしていると、やがて自分を探しに来たイギリスが隣に座り、優しく髪を梳いてくれる。温かくて大きな手のひらに包み込まれ、時折小さな歌声が耳をくすぐり、陽が落ちる頃にはそっと抱きあげられ揺り籠のような振動に身を委ねて家路につくのだった。
そんなある日、アメリカはいつもと同じように昼寝をしていたが、誰かの話し声で目を覚ました。
ぼんやりとしたままゆっくりと瞳を開けると、目の前にはイギリスの姿。彼はアメリカの髪に優しく指を通しながら、穏やかな表情で空中に向かって何か話しかけていた。
「イギリス、誰とお話してるの……?」
寝ぼけまなこでそう問いかけてみれば、彼は「お、起きたか」と言いながら静かにアメリカの身体を抱き上げ、そっと頬に口吻けを落としてくれる。
その甘くてくすぐったい感触に思わず笑みをこぼしていると、イギリスは明るい表情で楽しげに続けた。
「こいつらがお前に会いたいって言うから連れて来たんだ」
「こいつら……ってだあれ?」
「ほら、ここにいるだろ。こっちにも。みんなお前を祝福してくれているんだぞ」
そう言って彼が指し示した先には何もなかった。
目の前にはどこまでもどこまでも広がる茜色の空と、夕暮れ時の大地と、影を背負った大きな木があるだけで、どんなに首を廻らせても何ひとつ見つけることは出来なかった。
アメリカはイギリスが冗談を言ってからかっているのだと思い、しょうがない人だなぁと思いながら正直に感想を告げる。
『なにも見えないよ、イギリス』
『え? ほら、ここにいるだろ? こっちにも、ほらあっちにも』
『嘘はいけないんだぞ!』
『嘘じゃねぇって。エリーが挨拶してるじゃないか』
メアリも、アンナも、ほらスーザンだって。
そんなふうに名前をいくつも挙げながら、必死になってイギリスが両手を振るうのを、アメリカはただ怪訝そうに見つめることしか出来ない。
彼が何をいわんとしているのかさっぱり分からなかったのだ。
そういったことが幾度か続くうちに、アメリカもイギリスも、いつしかお互いが見ている世界はまったく違うものなのだと気付くようになった。
同じようでいて異なる眼差しを持つ自分達。
はじめの方こそ、イギリスが何度も何度も同じ嘘をつくとも思えず、アメリカもなんとか彼の言葉を理解しようと努力したこともある。ここだと示された指先にいるのであろう何かの姿を、頑張って目を皿にして見据えたこともあった。だが一度としてアメリカの瞳に『彼女たち』の姿は映ることはなく、かすかな声さえも聞こえやしない。
そのうちアメリカは無視をするようになった。イギリスのことは大好きだったけれど、彼の妄想に付き合う気は微塵も起きなくなり、何を言われても適当に流すことだけを覚えた。
だって仕方が無いじゃないか。何も見えないし聞こえないんだもの。
それなのにどうやって信じろって言うのさ?
アメリカはとにかくもう一度、邸宅内を隅から隅まで探し回ったが、やはりどうしても彼の姿を見つけることは出来なかった。
イギリスの持ち物がこの家にあることは確認済みの為、たとえば軍の追跡システムを使うことは出来ない。何かあった時の為に携帯電話のGPSを利用出来るようにしておいてあるが、これでは意味がなかった。
誰か知り合いのところにでも行っているのだろうかと思い、近場のフランスやドイツに電話をしてみても、彼らはイギリスの行方を知らなかった。
もちろんそれより先にテムズハウスやバッキンガムにも問い合わせは済ませているが、誰もアメリカの望む答えはくれず落胆するだけで終わった。
隣家の顔馴染みの老夫婦も今日はイギリスの姿を見ていないそうで、本当に一体彼はどこへ消えてしまったと言うのだろう。
疲れたようにリビングのソファに腰をおろして時間を確認すれば、すでに23時を回っている。食事は機内で済ませて来ていたが、ここへ来るたびいつも必ずと言ってよいほど出されるスコーンと紅茶を当てにしていたので、小腹がすいて仕方がない。
キッチンに行けば何かあるだろうと予想はされたが、さすがに今はそういう気分にはなれなかった。
「イギリス……」
部屋の明かりはつけっぱなし、荷物は全部置きっぱなし、ついでに花瓶もひっくり返された状態でイギリスだけがいない。
こんな不自然な状態、未だかつてなかった。
脳裏に思い浮かぶのは『行方不明』や『誘拐』『拉致』『監禁』などの犯罪用語の数々。事故という可能性も考えられたが、それらしい騒ぎは起きている様子はないし、英国内の株価も市場もすべて安定しているので危害が加えられている可能性はほとんどないといって良かった。
となると、あとは思い当たることはひとつしかない。
「…………」
アメリカは無意識に親指の爪をかじると、何も映っていない電源の落とされたテレビをじっと睨みつけた。
うっすらと反射しているのは部屋の風景と、自分自身の影。それらの中に異質なものはなにもなく、ただのっぺりとした暗い画面のみがあるだけだ。
どんなに耳を澄ませても物音ひとつ聞こえない。静まり返ったこの家には自分だけしかいない……はずである。
けれどここには別の生き物がいるのだという。そうイギリスは主張し続けていて、この国に住む人間たちもおかしな幻覚を見ることが多いのだ。
たとえば妖精だったり幻獣だったり、はたまた幽霊だったり。そういう非科学的な存在が実在することを信じているのである。
それはアメリカが幼い頃から変わらない、イギリスの一番おかしなところだったが、最近はあまりこの話題に触れるようなことはなくなっていた。
イギリスは、ふとした拍子に何か物言いたげな顔をするものの、アメリカに理解してもらうことは諦めてしまったようで、すぐに溜息をついて話題を逸らす。繰り返されて来た押し問答の数々は、彼を必要以上に頑なにしてしまったようだった。
そしてそれはアメリカにとっても願ったり叶ったりである。わけのわからない妄言に付き合わされるのは勘弁して欲しかったし、いくら説明されても、自分が彼と同じものを見て理解することは出来ないのだからしょうがない。(そもそも存在しないに決っているのだ)
けれど、アメリカの記憶には幼い頃から彼が語り続けて来た物語が、しっかりと刻み込まれている。忘れようとしても忘れられない、夢物語の数々だ。
彼が話してくれたさまざまな出来事は、眠りにつく前のアメリカの楽しみの一つであったし、空想劇としてはとても楽しいものだった。
そんな話のひとつに、妖精の世界につれていかれてしまう人間の話があった。子守歌代わりに聞くには少しだけ怖かったけれど、その分はっきりと……それこそこの年になっても記憶に残っているくらい印象深い物語だ。
細かいところまでは覚えていないが、それでも結末だけは何世紀経っても忘れず心に残っていた。
『妖精を愛し、妖精に愛されたその人間は、彼女たちの世界に行ったまま二度とこっちには戻ってこなかったんだ』
その言葉は子供心に深く深くトゲのように刺さり、またどうしようもない不安を募らせることになった。
日頃イギリスが、あまりに楽しそうに妖精のことを語るものだから、いつしかイギリス自身も物語の中の人間のようにいなくなってしまうのではないだろうか、と。
一番の友達なんだと言った彼の言葉を信じれば、イギリスもどこか遠い、アメリカの手の届かない世界に行ってしまうんじゃないかと思わずにはいられなかった。
そしてそんな時、妖精の姿を見ることが出来ない自分は、彼をきっと探しに行くことは出来ない……イギリスの姿を追いかけることは出来ないんだと、そう思ってひどく哀しくなってしまったことを覚えている。
あぁそうだ。
もしもいたずら好きな彼女達が、イギリスを攫っていってしまっとしたら?
「下らない。そんなのバカバカしすぎるじゃないか」
思わず吐き捨てるようにそう呟いて、アメリカは一人きり、暗がりの中で深く深くうなだれた。
頭が痛い。
ガンガンと割れるように痛んでイギリスはそろそろと起き上がった。
ソファで寝ていたのが仇になったようで、体の節々が痛んで仕方が無い。どうやらかなり無理のある体勢で寝てしまっていたようだ。
電気の消えたうす暗い部屋の中、かすんだ眼差しで周囲を見回してみるとそこには誰も居なかった。
確か眠りに落ちる前、アメリカが居たような気がしたが……そう思ってしばらくぼーっとしていたが、すぐに酷い喉の渇きを覚えて立ち上がった。
そして水を取りに行こうとして、ふと気付く。
自分はいつこの部屋の明かりを消したのだろう。電気のスイッチはドア付近にある。すっと視線をそちらに向けるとだらしなく扉は全開にしてあった。
そう言えばカーテンも開けっ放しで白い月明かりが室内に遠慮なく差し込んでいる。自分は余程疲れきっていたのだろうかと溜息をつき、暗闇に慣れてきた目でデスクの上を見遣れば、倒してそのままにしておいた花瓶が元通りにされていた。
首を捻りながらテーブルを見れば汚れたグラスも失せている。妖精たちが片付けておいてくれたのだろうか。
「なぁ、誰かいるか?」
宙に向かって呼びかけてみる。だが返事は無かった。
もう夜も遅いので、彼女達は暗闇を嫌って妖精の国に帰ってしまったのだろう。明日の朝、礼を言って温かいミルクに砂糖をたっぷり入れてあげようと、そんなことをつれづれ思いながらイギリスは廊下へ出た。
そして階段を下りてそのままキッチンに向かおうとリビングを横切りかけ……足を止める。
「……?」
ぴりっと肌に感じるのは人の気配。
人一倍敏感なのは幼い頃から戦場に身を置いてきたためだ。
軽く息を呑んで視線を廻らせれば、テレビの前のソファに人影があることが見て取れた。神経を集中させてじっと伺っていれば、相手からは殺気はなく、それどころがよく知った気配だと言うことに気付いてイギリスは思わず肩の力を抜いた。
まったく、驚かせるな。
ふーっと短く息を吐くと、勝手に我が家に侵入している(合鍵を渡してあるのであながち無断とは言いがたいが)アメリカの傍まで足を進めた。
「こんなところで寝て……しょうがない奴だな」
電気もつけずやけに静かなので、転寝でもしてしまっているのだろうかと思いながら、前に回りこんでそっと顔を覗き込む。
そしてぎょっとした。
「アメリカ?」
眼鏡を外した状態で、アメリカはまるで礼拝堂にいるかのようにしっかりと両手を組み合わせ、親指の当るその位置に額を押し付けるようにして祈りを捧げていた。
閉じられた瞳、秀でた額をこぼれる金色の髪。引き結ばれた形の良い唇はまるで何かを耐えているかのようにも見える。
「お、おい……どうしたんだお前」
あまりにも静謐で真摯なそれに、場違いながらも気圧されてしまい、イギリスは恐る恐るアメリカの足元に膝をついた。
アメリカはイギリスの気配に気付くことはなく祈り続けている。眼鏡を外したその顔は子供のころから変わらない整ったもので、月明かりを浴びてどこか白っぽく光って見える。
思わず息を呑んで見惚れていると、そっと彼の瞼が開かれた。空色の瞳は今は暗闇を反射して夜の色をしている。
深く深く感情の読み取れない眼差しは、下から覗きこんでいるイギリスとまっすぐ合わさっているが、何も映し出してはいない。睫がゆるやかに震えているだけで、アメリカはすぐ間近にいるこちらには何の関心も示してはいなかった。
「見えて、いないのか?」
もしかして。
嫌な予感がして咄嗟に手のひらをかざしてみるが、やはり反応はない。
そう言えば二階の執務室で急速な睡魔に襲われてしまう前、確かアメリカが来ていたはずだ。さきほどは寝ぼけて都合のいい夢でも見ていたのかと思ったが、実に不可思議な状況が思い出される。
アメリカはイギリスを探していた。すぐ近くにいることにも気付かず、何度も名前を呼んでは探してくれていたのだ。
けれど彼に自分の姿は見えず、張り上げた声も届かなかった。すれ違ったままアメリカは外に出てしまい、イギリスもそのまま意識を失ってしまったのでその後のことは分からなかったが、推測するに恐らく彼はここで一晩中、自分が帰って来るのを待っているに違いない。
―――― いつまで待っても『帰って』くるはずもないのに。
「イギリス……」
アメリカの唇からぽつりと落とされたのは自分の名前。イギリスは両目をめいっぱい見開いて、それからなんだか酷く切ない気分にさせられた。
今自分は、こうやって彼の目の前にいるというのにまったく認識されていない。
いるのにいない。そんな不安定な状況はまるで自分が妖精や幽霊になってしまったかのようだ。
妖精……?
あぁそうか、きっとこれはまた妖精たちのいたずらなのだろう。そうに違いない、それならば合点がいく。彼女たちが何か変わった『魔法』で遊ぶことは珍しくない。
そしてそういう現象は、絶対と言ってよいほどアメリカには見えないのだ。
何故かはわからない。米入植者はヨーロッパから渡った人間たちばかりだったし、中核となる国づくりをしたのはイングランド人なのだから、妖精が見えて当り前だと思っていた。
それなのにアメリカには幼い頃から彼女たちや、ユニコーンなどの幻獣の姿を見る力が備わってはいなかった。本国から連れて行った妖精も、大陸で生まれた子供たちも、みんなみんな彼には見えなかった。
初めの頃はアメリカも見ようと頑張っていたようだったが、そのうちイギリスの幻覚だと思い込むようになり、そんな彼に対してイギリス自身も諦めることを覚えるようになった。
見えないものは見えない。これはもう変えようのない事実だ。
現に今もこうしてイギリスはアメリカのすぐ目の前にいるというのに、まったく見えておらず、声すら聞こえていない。
それはなんて哀しいことだろう。
「イギリス……」
再びアメリカの唇が自分の名前を紡ぐ。落とされた視線は確かにイギリスに向けられてはいるが、しかしその焦点は何も捉えてはいない。
「アメリカ」
「どこいっちゃったんだよ、イギリス」
「俺はここにいるよ、アメリカ」
「折角来てあげたのに」
「うん、ありがとうな」
「君の手作りのまずいスコーン、食べるのを楽しみにしていたのに」
「そうなのか」
「君の紅茶、すごくすごく飲みたかったのに」
「元に戻ったら淹れてやるからな」
「……君に、会いたかったのに」
ぎゅっと両目を閉ざしてアメリカは、まるで泣くのを我慢しているかのような表情で眉を寄せ唇を噛んだ。
その顔ははるか昔、「帰っちゃダメだぞ」と言ってはイギリスの服の裾を掴んで離さなかった、小さなアメリカの姿を思い出させる。
暗い所が怖くて外の風にさえ怯えていたような子供だったのに、今では随分強く大きくなった。決して他人に弱みを見せるようなことはなく、いつだって自信に満ち溢れた顔で真っ直ぐ前を向き、自分の力で立ち、後ろを振り返ることもない。
そうやってイギリスから離れていってしまったアメリカだけれど。
「お前、泣き虫だったもんなぁ」
強がりで意地っ張りで、でも本当は涙もろくて寂しがり屋。まったく、こういうところばかりは自分にそっくりでどうしようもないなぁと、イギリスはうっすら苦笑を浮かべながらゆっくりと両腕を伸ばした。
そして、かつて泣いている子供を抱き締めた時と同じように、優しくアメリカの首に手を回す。
目に映らず、耳に届かない存在が果たして触れることが出来るのだろうかと疑問に思いながらも、そうしなければならないような気がして手を伸ばした。
だってさ、昔から泣いているアメリカを抱き締めるのは俺の役目だろ?
樹齢は1000年をゆうに越え、幹は太く青々茂った葉はまるで屋根のように広がっている。
その木は、晴れの日は強い日差しを遮って優しい木陰を作り出してくれていたし、雨の日は傘となって雨宿りに最適な場所を提供してくれていた。
幼いアメリカはいつもその木の下で昼寝をするのが楽しみで、遊び疲れたあとは必ずと言って良いほどそこにいた。
小さな動物たちと一緒にうとうとしていると、やがて自分を探しに来たイギリスが隣に座り、優しく髪を梳いてくれる。温かくて大きな手のひらに包み込まれ、時折小さな歌声が耳をくすぐり、陽が落ちる頃にはそっと抱きあげられ揺り籠のような振動に身を委ねて家路につくのだった。
そんなある日、アメリカはいつもと同じように昼寝をしていたが、誰かの話し声で目を覚ました。
ぼんやりとしたままゆっくりと瞳を開けると、目の前にはイギリスの姿。彼はアメリカの髪に優しく指を通しながら、穏やかな表情で空中に向かって何か話しかけていた。
「イギリス、誰とお話してるの……?」
寝ぼけまなこでそう問いかけてみれば、彼は「お、起きたか」と言いながら静かにアメリカの身体を抱き上げ、そっと頬に口吻けを落としてくれる。
その甘くてくすぐったい感触に思わず笑みをこぼしていると、イギリスは明るい表情で楽しげに続けた。
「こいつらがお前に会いたいって言うから連れて来たんだ」
「こいつら……ってだあれ?」
「ほら、ここにいるだろ。こっちにも。みんなお前を祝福してくれているんだぞ」
そう言って彼が指し示した先には何もなかった。
目の前にはどこまでもどこまでも広がる茜色の空と、夕暮れ時の大地と、影を背負った大きな木があるだけで、どんなに首を廻らせても何ひとつ見つけることは出来なかった。
アメリカはイギリスが冗談を言ってからかっているのだと思い、しょうがない人だなぁと思いながら正直に感想を告げる。
『なにも見えないよ、イギリス』
『え? ほら、ここにいるだろ? こっちにも、ほらあっちにも』
『嘘はいけないんだぞ!』
『嘘じゃねぇって。エリーが挨拶してるじゃないか』
メアリも、アンナも、ほらスーザンだって。
そんなふうに名前をいくつも挙げながら、必死になってイギリスが両手を振るうのを、アメリカはただ怪訝そうに見つめることしか出来ない。
彼が何をいわんとしているのかさっぱり分からなかったのだ。
そういったことが幾度か続くうちに、アメリカもイギリスも、いつしかお互いが見ている世界はまったく違うものなのだと気付くようになった。
同じようでいて異なる眼差しを持つ自分達。
はじめの方こそ、イギリスが何度も何度も同じ嘘をつくとも思えず、アメリカもなんとか彼の言葉を理解しようと努力したこともある。ここだと示された指先にいるのであろう何かの姿を、頑張って目を皿にして見据えたこともあった。だが一度としてアメリカの瞳に『彼女たち』の姿は映ることはなく、かすかな声さえも聞こえやしない。
そのうちアメリカは無視をするようになった。イギリスのことは大好きだったけれど、彼の妄想に付き合う気は微塵も起きなくなり、何を言われても適当に流すことだけを覚えた。
だって仕方が無いじゃないか。何も見えないし聞こえないんだもの。
それなのにどうやって信じろって言うのさ?
* * * * * * * * * * * * * * *
アメリカはとにかくもう一度、邸宅内を隅から隅まで探し回ったが、やはりどうしても彼の姿を見つけることは出来なかった。
イギリスの持ち物がこの家にあることは確認済みの為、たとえば軍の追跡システムを使うことは出来ない。何かあった時の為に携帯電話のGPSを利用出来るようにしておいてあるが、これでは意味がなかった。
誰か知り合いのところにでも行っているのだろうかと思い、近場のフランスやドイツに電話をしてみても、彼らはイギリスの行方を知らなかった。
もちろんそれより先にテムズハウスやバッキンガムにも問い合わせは済ませているが、誰もアメリカの望む答えはくれず落胆するだけで終わった。
隣家の顔馴染みの老夫婦も今日はイギリスの姿を見ていないそうで、本当に一体彼はどこへ消えてしまったと言うのだろう。
疲れたようにリビングのソファに腰をおろして時間を確認すれば、すでに23時を回っている。食事は機内で済ませて来ていたが、ここへ来るたびいつも必ずと言ってよいほど出されるスコーンと紅茶を当てにしていたので、小腹がすいて仕方がない。
キッチンに行けば何かあるだろうと予想はされたが、さすがに今はそういう気分にはなれなかった。
「イギリス……」
部屋の明かりはつけっぱなし、荷物は全部置きっぱなし、ついでに花瓶もひっくり返された状態でイギリスだけがいない。
こんな不自然な状態、未だかつてなかった。
脳裏に思い浮かぶのは『行方不明』や『誘拐』『拉致』『監禁』などの犯罪用語の数々。事故という可能性も考えられたが、それらしい騒ぎは起きている様子はないし、英国内の株価も市場もすべて安定しているので危害が加えられている可能性はほとんどないといって良かった。
となると、あとは思い当たることはひとつしかない。
「…………」
アメリカは無意識に親指の爪をかじると、何も映っていない電源の落とされたテレビをじっと睨みつけた。
うっすらと反射しているのは部屋の風景と、自分自身の影。それらの中に異質なものはなにもなく、ただのっぺりとした暗い画面のみがあるだけだ。
どんなに耳を澄ませても物音ひとつ聞こえない。静まり返ったこの家には自分だけしかいない……はずである。
けれどここには別の生き物がいるのだという。そうイギリスは主張し続けていて、この国に住む人間たちもおかしな幻覚を見ることが多いのだ。
たとえば妖精だったり幻獣だったり、はたまた幽霊だったり。そういう非科学的な存在が実在することを信じているのである。
それはアメリカが幼い頃から変わらない、イギリスの一番おかしなところだったが、最近はあまりこの話題に触れるようなことはなくなっていた。
イギリスは、ふとした拍子に何か物言いたげな顔をするものの、アメリカに理解してもらうことは諦めてしまったようで、すぐに溜息をついて話題を逸らす。繰り返されて来た押し問答の数々は、彼を必要以上に頑なにしてしまったようだった。
そしてそれはアメリカにとっても願ったり叶ったりである。わけのわからない妄言に付き合わされるのは勘弁して欲しかったし、いくら説明されても、自分が彼と同じものを見て理解することは出来ないのだからしょうがない。(そもそも存在しないに決っているのだ)
けれど、アメリカの記憶には幼い頃から彼が語り続けて来た物語が、しっかりと刻み込まれている。忘れようとしても忘れられない、夢物語の数々だ。
彼が話してくれたさまざまな出来事は、眠りにつく前のアメリカの楽しみの一つであったし、空想劇としてはとても楽しいものだった。
そんな話のひとつに、妖精の世界につれていかれてしまう人間の話があった。子守歌代わりに聞くには少しだけ怖かったけれど、その分はっきりと……それこそこの年になっても記憶に残っているくらい印象深い物語だ。
細かいところまでは覚えていないが、それでも結末だけは何世紀経っても忘れず心に残っていた。
『妖精を愛し、妖精に愛されたその人間は、彼女たちの世界に行ったまま二度とこっちには戻ってこなかったんだ』
その言葉は子供心に深く深くトゲのように刺さり、またどうしようもない不安を募らせることになった。
日頃イギリスが、あまりに楽しそうに妖精のことを語るものだから、いつしかイギリス自身も物語の中の人間のようにいなくなってしまうのではないだろうか、と。
一番の友達なんだと言った彼の言葉を信じれば、イギリスもどこか遠い、アメリカの手の届かない世界に行ってしまうんじゃないかと思わずにはいられなかった。
そしてそんな時、妖精の姿を見ることが出来ない自分は、彼をきっと探しに行くことは出来ない……イギリスの姿を追いかけることは出来ないんだと、そう思ってひどく哀しくなってしまったことを覚えている。
あぁそうだ。
もしもいたずら好きな彼女達が、イギリスを攫っていってしまっとしたら?
「下らない。そんなのバカバカしすぎるじゃないか」
思わず吐き捨てるようにそう呟いて、アメリカは一人きり、暗がりの中で深く深くうなだれた。
* * * * * * * * * * * * * * *
頭が痛い。
ガンガンと割れるように痛んでイギリスはそろそろと起き上がった。
ソファで寝ていたのが仇になったようで、体の節々が痛んで仕方が無い。どうやらかなり無理のある体勢で寝てしまっていたようだ。
電気の消えたうす暗い部屋の中、かすんだ眼差しで周囲を見回してみるとそこには誰も居なかった。
確か眠りに落ちる前、アメリカが居たような気がしたが……そう思ってしばらくぼーっとしていたが、すぐに酷い喉の渇きを覚えて立ち上がった。
そして水を取りに行こうとして、ふと気付く。
自分はいつこの部屋の明かりを消したのだろう。電気のスイッチはドア付近にある。すっと視線をそちらに向けるとだらしなく扉は全開にしてあった。
そう言えばカーテンも開けっ放しで白い月明かりが室内に遠慮なく差し込んでいる。自分は余程疲れきっていたのだろうかと溜息をつき、暗闇に慣れてきた目でデスクの上を見遣れば、倒してそのままにしておいた花瓶が元通りにされていた。
首を捻りながらテーブルを見れば汚れたグラスも失せている。妖精たちが片付けておいてくれたのだろうか。
「なぁ、誰かいるか?」
宙に向かって呼びかけてみる。だが返事は無かった。
もう夜も遅いので、彼女達は暗闇を嫌って妖精の国に帰ってしまったのだろう。明日の朝、礼を言って温かいミルクに砂糖をたっぷり入れてあげようと、そんなことをつれづれ思いながらイギリスは廊下へ出た。
そして階段を下りてそのままキッチンに向かおうとリビングを横切りかけ……足を止める。
「……?」
ぴりっと肌に感じるのは人の気配。
人一倍敏感なのは幼い頃から戦場に身を置いてきたためだ。
軽く息を呑んで視線を廻らせれば、テレビの前のソファに人影があることが見て取れた。神経を集中させてじっと伺っていれば、相手からは殺気はなく、それどころがよく知った気配だと言うことに気付いてイギリスは思わず肩の力を抜いた。
まったく、驚かせるな。
ふーっと短く息を吐くと、勝手に我が家に侵入している(合鍵を渡してあるのであながち無断とは言いがたいが)アメリカの傍まで足を進めた。
「こんなところで寝て……しょうがない奴だな」
電気もつけずやけに静かなので、転寝でもしてしまっているのだろうかと思いながら、前に回りこんでそっと顔を覗き込む。
そしてぎょっとした。
「アメリカ?」
眼鏡を外した状態で、アメリカはまるで礼拝堂にいるかのようにしっかりと両手を組み合わせ、親指の当るその位置に額を押し付けるようにして祈りを捧げていた。
閉じられた瞳、秀でた額をこぼれる金色の髪。引き結ばれた形の良い唇はまるで何かを耐えているかのようにも見える。
「お、おい……どうしたんだお前」
あまりにも静謐で真摯なそれに、場違いながらも気圧されてしまい、イギリスは恐る恐るアメリカの足元に膝をついた。
アメリカはイギリスの気配に気付くことはなく祈り続けている。眼鏡を外したその顔は子供のころから変わらない整ったもので、月明かりを浴びてどこか白っぽく光って見える。
思わず息を呑んで見惚れていると、そっと彼の瞼が開かれた。空色の瞳は今は暗闇を反射して夜の色をしている。
深く深く感情の読み取れない眼差しは、下から覗きこんでいるイギリスとまっすぐ合わさっているが、何も映し出してはいない。睫がゆるやかに震えているだけで、アメリカはすぐ間近にいるこちらには何の関心も示してはいなかった。
「見えて、いないのか?」
もしかして。
嫌な予感がして咄嗟に手のひらをかざしてみるが、やはり反応はない。
そう言えば二階の執務室で急速な睡魔に襲われてしまう前、確かアメリカが来ていたはずだ。さきほどは寝ぼけて都合のいい夢でも見ていたのかと思ったが、実に不可思議な状況が思い出される。
アメリカはイギリスを探していた。すぐ近くにいることにも気付かず、何度も名前を呼んでは探してくれていたのだ。
けれど彼に自分の姿は見えず、張り上げた声も届かなかった。すれ違ったままアメリカは外に出てしまい、イギリスもそのまま意識を失ってしまったのでその後のことは分からなかったが、推測するに恐らく彼はここで一晩中、自分が帰って来るのを待っているに違いない。
―――― いつまで待っても『帰って』くるはずもないのに。
「イギリス……」
アメリカの唇からぽつりと落とされたのは自分の名前。イギリスは両目をめいっぱい見開いて、それからなんだか酷く切ない気分にさせられた。
今自分は、こうやって彼の目の前にいるというのにまったく認識されていない。
いるのにいない。そんな不安定な状況はまるで自分が妖精や幽霊になってしまったかのようだ。
妖精……?
あぁそうか、きっとこれはまた妖精たちのいたずらなのだろう。そうに違いない、それならば合点がいく。彼女たちが何か変わった『魔法』で遊ぶことは珍しくない。
そしてそういう現象は、絶対と言ってよいほどアメリカには見えないのだ。
何故かはわからない。米入植者はヨーロッパから渡った人間たちばかりだったし、中核となる国づくりをしたのはイングランド人なのだから、妖精が見えて当り前だと思っていた。
それなのにアメリカには幼い頃から彼女たちや、ユニコーンなどの幻獣の姿を見る力が備わってはいなかった。本国から連れて行った妖精も、大陸で生まれた子供たちも、みんなみんな彼には見えなかった。
初めの頃はアメリカも見ようと頑張っていたようだったが、そのうちイギリスの幻覚だと思い込むようになり、そんな彼に対してイギリス自身も諦めることを覚えるようになった。
見えないものは見えない。これはもう変えようのない事実だ。
現に今もこうしてイギリスはアメリカのすぐ目の前にいるというのに、まったく見えておらず、声すら聞こえていない。
それはなんて哀しいことだろう。
「イギリス……」
再びアメリカの唇が自分の名前を紡ぐ。落とされた視線は確かにイギリスに向けられてはいるが、しかしその焦点は何も捉えてはいない。
「アメリカ」
「どこいっちゃったんだよ、イギリス」
「俺はここにいるよ、アメリカ」
「折角来てあげたのに」
「うん、ありがとうな」
「君の手作りのまずいスコーン、食べるのを楽しみにしていたのに」
「そうなのか」
「君の紅茶、すごくすごく飲みたかったのに」
「元に戻ったら淹れてやるからな」
「……君に、会いたかったのに」
ぎゅっと両目を閉ざしてアメリカは、まるで泣くのを我慢しているかのような表情で眉を寄せ唇を噛んだ。
その顔ははるか昔、「帰っちゃダメだぞ」と言ってはイギリスの服の裾を掴んで離さなかった、小さなアメリカの姿を思い出させる。
暗い所が怖くて外の風にさえ怯えていたような子供だったのに、今では随分強く大きくなった。決して他人に弱みを見せるようなことはなく、いつだって自信に満ち溢れた顔で真っ直ぐ前を向き、自分の力で立ち、後ろを振り返ることもない。
そうやってイギリスから離れていってしまったアメリカだけれど。
「お前、泣き虫だったもんなぁ」
強がりで意地っ張りで、でも本当は涙もろくて寂しがり屋。まったく、こういうところばかりは自分にそっくりでどうしようもないなぁと、イギリスはうっすら苦笑を浮かべながらゆっくりと両腕を伸ばした。
そして、かつて泣いている子供を抱き締めた時と同じように、優しくアメリカの首に手を回す。
目に映らず、耳に届かない存在が果たして触れることが出来るのだろうかと疑問に思いながらも、そうしなければならないような気がして手を伸ばした。
だってさ、昔から泣いているアメリカを抱き締めるのは俺の役目だろ?
七夕企画へのご参加、どうもありがとうございました!
気付いたら思った以上に長くなってしまって、どこで切ればいいのか分からず続けてしまいました。
本当はいろんな人の目があるところで、アメリカだけがイギリスに気付かない話を書こうと思ったんですが、なんだかイギリスが可哀相で途中で路線変更してしまいました。
日頃からもやもやっとしているイギリスが、アメリカに無視されたらショックの余り閉じこもっちゃいそうなので(苦笑)
なにはともあれ、本当に素敵なリクエストをどうもありがとうございました!
自分では思いつかないネタだったのですごく書いていて楽しかったです。
少しでもお気に召していただければ幸いですv
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