紅茶をどうぞ
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[祭] 笑う (最高の笑顔、君に)
その日の会議に、イギリスは珍しく遅刻をしてきた。
欧米のルーズな時間感覚もビジネスの場では正確をモットーとしているので、一部を除いて遅刻者はそれほどいない。その中でものんびり気質のイタリアは遅刻が多く、毎回集まるのもおなじみのメンバーだからという甘えもあってか、すっかり常習犯となっていた。
アメリカも「ヒーローは最後に登場するものだよ!」という自分勝手なルールを振りかざして、やはり遅刻は当たり前のようになっていたので、放っておいて先に始めてしまっている事も一度や二度ではなかった。
厳格なドイツや時間に煩い日本などは15分前の着席は当たり前で、フランスやカナダ、ロシアもおおよそ開始時刻ぴったりに席についている。イギリスも同じで、だいたい彼らと足並みをそろえるように会場に顔を出しているので、遅刻をすることは滅多になかった。
だが、その日は朝からちょっとしたアクシデントがあったのだ。
「済まない、遅くなった」
会議場のドアを開くとイギリスは申し訳なさそうに一言断ってから、そそくさと自分の席へと着いた。
フランスが嫌な笑顔で「どうした坊ちゃん」と声を掛ければ、人も殺せそうな眼差しで一瞥を食らわせ、イギリスは無視を決め込んで配布資料を手に取る。
アメリカが「まったく君はしょうがないな!」と言えば、日本が用意されていたペットボトルの水を手渡してきた。軽く礼を言ってキャップを開け、中身を一口飲みながらイギリスの目がつっと斜め前に流れる。
その眼差しの先には肩肘をついてぼんやりとした表情のロシアがいた。彼は開いた資料に目線を落としながらも、ちっとも集中していない顔でつまらなそうにペンをいじっている。退屈なのだろう、かなり気が散っているように見えた。
その目がイギリスの視線を感じてふっと上がった。そして数秒後、驚いたようにかすかに見開かれ丸くなる。
「あ」
小さな声が洩れるのと同時に、イギリスが唇に人差し指を当ててその発言を押しとどめるが、ロシアは思わず呟くように言った。
「あれ、どうしたの?」
「え?」
小さな声だったが隣に座っていた中国が気付き、顔を向ける。「どうしたアルか?」と問い掛けるものの、ロシアの目はイギリスの方を凝視したまま動かなかった。
彼の目は正確にはイギリス本人ではなく、彼のすぐ横……と言うよりもむしろ肩の部分を注視している。
「珍しい子がいるね。中国君、見える?」
「……あぁ、英国の妖精アルか?」
「うん。どうしたんだろ、いつもはお留守番してるのに」
そんなことを小声で話していれば、ドイツに「私語は慎め」と一睨みされてしまう。首を竦めて興味を失ったかのように中国はすぐに前を向くが、ロシアは無言でそちらを見ていた。
イギリスの肩にちょこんと座るのは小さな小さな妖精だった。透明の羽根が光に透けてきらきらしている。
あどけない少女の顔をしている彼女は、珍しそうにきょろきょろと会議場を見渡し、ぐるりとテーブルを囲む見たことのない顔ぶれにやや怖気づきながらも、好奇心旺盛に目を輝かせていた。
その宝石のように綺麗な瞳がぴたりとロシアの前で止まる。
『ロシア!』
小さな口が可愛らしい声を発した。
気まぐれな妖精が果たして自分のことを覚えているだろうかと、毎回イギリスの家に行くたびに思うのだが、どうやら運よくロシアは覚えがめでたいようだ。
しかも嬉しいことに彼女達は素直に好意を寄せてくれている。『国』に対して妖精が何か出来るわけではなかったが、イギリスとの今後の付き合いを鑑みても嫌われていないという事はかなり重要である。
なにより彼が昔から国民の次に大切にしている存在なのだ。ロシアとしてもそんな彼女達と争う必要性は皆無であった。
「あ、こら」
イギリスの肩からふわりと飛び立って、妖精はロシアの方へと移動する。他国からは見えていないので、会議テーブルを堂々と横切っても誰も気には留めなかった。
むしろ急に声を上げたイギリスをいぶかしむ視線が彼に集中するだけだ。
『最近来てくれないから、会いに来ちゃった』
そう言ってロシアの鼻先でふわふわと浮ぶ彼女の名前は確か、アイリスと言ったように記憶している。
楽しげに笑うその後ろから、イギリスが『無視をしろ』という無言の圧力をかけて来るが、ロシアは苦笑を浮かべながらそっと手を差し出した。
その手の平の上にふわりと足を乗せ、アイリスは機嫌良さそうにスカートの裾を指先でつまんで、優雅に一礼して見せる。
『こんにちは、ロシア』
「うん、こんにちはアイリス」
つい応じてしまえば、隣の中国が呆れた顔でこちらを睨んだ。
だが「今は会議中アル」と言われても、ドイツに再び咎められても、アメリカに胡乱気な顔をされても気にしない。ロシアは自分の手に乗る妖精ににっこりと笑いかけると、ばら色に頬を染めるアイリスの茜色の髪をそっと撫でた。
「会いに来てくれて嬉しいよ。でもごめんね、今お仕事中なんだ」
『残念だわ。でもあとでお茶に付き合ってくれるわよね?』
「うん、いいよ」
にっこりと笑いかければ怪訝そうにこちらを見ていた日本が、「ロ、ロシアさん…?」と恐る恐る声を掛けて来る。その様子にはじめて、ロシアは会議に参加している全員がこちらを見ていることに気付いた。
一部の国を除いて今現在、妖精が見える国はほとんどいないので、この場にいる多くがロシアが突然独り言を言い出したとしか思えないのだろう。
事実中国と、あとはフランスあたりがちょっと物言いたげに眉を寄せてこちらを見たきり、誰も何も言わない。イギリスが気まずそうに頑張って目配せをするのだが、妖精は悪戯っぽい笑みを浮かべたままそっぽを向いて、ロシアの指に両腕を絡めてくる。
――――どうやら言うことを聞く気はないらしい。
「なるべく早く終わらせるね」
『じゃなければ退屈すぎていたずらしちゃうかも』
「誰に?」
『アメリカとか?』
「それはいいかも。でもきっとイギリス君が怒るよ?」
『そうなのよねぇ。残念!』
そんなふうに楽しそうに会話をしている二人(一国と一匹?)に対し、中国が実に迷惑そうに、「我は何も見えないし聞こえないアル」と言って耳をふさいで無視を決め込んでいた。
「ロシア。発言したいのならば挙手を願おう」
ドイツが咳払いと共にそう促せば、アメリカが「君までイギリスみたいに頭がおかしくなっちゃったのかい?」と遠慮の欠片もない言葉を放ってきた。
案の定イギリスがムッとして彼を睨めば、飄々とした態度でアメリカは「だってそうだろう?」と言い返す。
そんな二人の間に慌てて止めに入るカナダは相変わらず影が薄く、ロシアの視界にはかすりもしなかったので綺麗にスルーすると、彼はアイリスに小さく囁きかけた。
「ちょっと待っててね」
『ええ』
こくりと頷いた彼女に再び穏やかに笑いかけ、ロシアは言われた通り手を上げるとゆっくり立ち上がったのだった。
波乱万丈という言葉が実に似合いそうな会議を終え、それぞれが疲れきった様子で議場をあとにすれば、そこには数カ国が残されることとなった。
その中でも真っ先にロシアに駆け寄ってきたのはイギリスである。彼は始終そわそわした態度でこちらを窺い、早く妖精を連れ戻したくて仕方がないという感じだった。
「お前! 仕事の邪魔はするなとあれほど……!」
『別に邪魔なんてしてないわ。ねぇ、ロシア?』
「うん。うざいなぁって思ったのはアメリカ君の存在だけだし」
「お前らなぁ……。だいたいアイリス、お前が駄々をこねるから今日だって遅刻する羽目になったんだぞ」
我侭自己中が声を揃えて意見を述べれば、イギリスはこめかみを押さえて思わずよろめく。この状態は何気に最強ペア誕生なのだろうか……そう思いながらも、ロシアと妖精の仲の良さに少なからず嬉しさを感じて、彼もまた口元にうっすらと笑みを浮かべて見せた。なんだかんだでこうやって妖精を挟んで会話出来るのは悪くない。
「君達、今日は随分仲がいいんだね?」
ふと、割り込むようにアメリカが声を差し挟んで来る。彼には妖精の姿はまったく見えないので、話題の中心が何か分らないでいるのだろう。揶揄するような物言いの中に不機嫌さが滲んでいるのを、イギリスは勿論のことロシアも感じ取っていた。
当然、妖精であるアイリスもそれは同じだ。
『私、アメリカ大嫌い』
「奇遇だね。僕も同じだよ」
『いっつもイギリスに酷いことばかり言うし、ロシアにも意地悪するもの』
「僕の味方もしてくれるんだ?」
『当たり前じゃない。だってロシアは私たちをちゃんと愛してくれているもの』
真っ向から存在を否定して、イギリスの言葉を妄言扱いするようなアメリカのことを、実は嫌いな妖精は案外多かった。
イギリスが一番可愛がっていた子供なので甘く見る妖精もいるが、逆に裏切りをなじる者も多くいる。イギリスが悲しむからはっきりとは言わないが、そのイギリスを一番泣かせているアメリカを彼女達がそもそも好きになるわけがないのだ。妖精たちの中でも意見は割れているようだったが、アイリスはそんな反アメリカ的な妖精たちの一人と言えた。
『アメリカなんて最低よ!』
「うん、そうだね」
明け透けのない意見にくすっと笑って相槌を打てば、アメリカが心底馬鹿にしきった目を向けてくる。
「何を一人でブツブツ言っているんだい? イギリスの傍にいるからロシアまでおかしくなっちゃったんだね。かわいそうに」
「お前、何さりげに失礼な事言ってんだよ!」
「そうですよアメリカさん。さすがにちょっと言い過ぎでは……」
怒鳴るイギリスのすぐ後ろから、傍に控えていた日本がアメリカの腕をそっと引く。
思わず不本意そうに頬を膨らませるアメリカだったが、別にロシアと会話したいわけではないのですぐに顔を背けた。イギリスもまた深く刻まれた眉間の皺は消えることなかったが、日本が間に入ったことにより幾分それも和らぐ。こういう時の彼の存在は本当にありがたいと思う。
当のロシアは自分の頭の上で激怒する妖精をちらりと見上げ、苦笑を浮かべたまま何も言わなかった。
『なによなによ! ロシアのこと馬鹿にするなんて許さないんだからー!』
見えもしない相手に怒鳴って、アイリスはぽかぽかとアメリカの頭を叩くが、無論その攻撃はまったく効いてはいない。けれど余りに一生懸命な姿に、さすがのイギリスも遣る瀬無さそうに溜息をつき、そっと手を伸ばして彼女を引き寄せようとした。
すると自分の頭上に手を伸ばされたと勘違いしたアメリカが、「セクハラは厳禁だぞ!」などと言うものだから大変だ。
今にも泣き出しそうに顔をゆがめると、アイリスはいつの間にか手にしたステッキを大きく振りかぶってアメリカに向けて何か呪文のようなものを唱え始める。ハッと気付いてイギリスが何か言いかけたが、それよりも早くロシアはそっと手を伸ばしてアイリスを優しく手の平に乗せた。そしてイギリスをからかってばかりいるアメリカの後頭部を、ゴツンと音が出るほど強烈に殴りつける。
妖精の彼女が本当はやりたかったように。
「……なっ……!」
突然のことにアメリカは頭を押さえたまま硬直し、イギリスは目を丸くして口をぽかんと開き、日本も茫然とした表情でロシアを見つめる。
直ぐ近くに居たフランスとカナダも唖然とした眼差しを向けてきた。おいおいこの後どうなっちゃうんだ?という好奇心と不安が入り交ざった、それぞれの視線がそのままロシアを捉えている。
「き、君ねぇ……傷害罪で訴えるよ!」
くるりと振り返ったアメリカの罵声に、ロシアは飄々とした顔つきのまま『やった!』と大喜びの妖精を肩に乗せて、面白そうに言う。
「あ、ごめん。ちょっと虫が飛んたから邪魔でさ。ええともしかしてアメリカ君、僕がかるーくコツンて叩いただけで、そんな狼狽しちゃうほど痛かったの? 大丈夫? 君って見かけによらず随分と軟弱なんだねぇ」
「今のはコツンなんていう可愛らしいものじゃなかったぞ!」
「そう? あぁまぁほら、僕って君と違ってとても大きい国でしょ? ちっちゃなアメリカ君には分からないくらい力も強くてさ。少し手加減しきれなかったみたい。ごめんね、貧弱なアメリカ君」
「…………」
「まぁでもたまたま当っちゃっただけなのに、小さな子供が駄々をこねるみたいに訴訟だ賠償だなんて騒いだりしないよね? そんな正義の味方にあるまじきみっともない苛めなんて、君は当然しないよね?」
にっこりとこれ以上はないほど極上の笑顔を浮かべて小首をかしげるロシアを、きつく睨みつけたまま、アメリカは引きつった表情で押し黙った。
その腕を再び日本が引っ張って、「今日は是非アメリカさんと夕食をご一緒したいんですが」などと話題逸らしに必死になっている。フランスとカナダもやって来て「おにーさんがうまい料理作ってやるから、そろそろ移動しようぜ」などと実に空気を読んだ発言をしていた。
こういう時の彼らの連係プレーはたいしたものである。あっという間にアメリカは彼らに連れられて部屋の外へと出されてしまう。呆れたようにイギリスが見送る中、見る見るうちに四人は騒がしいまま遠ざかっていってしまった。
「……なんだったんだ今のは」
随分鮮やかな撤退だったな、と呟けばおかしくてたまらないと言ったようにロシアが吹き出した。
「アメリカ君のあの顔ったら……ないよねっ……!」
きょとんとした顔のままずるずると引きずられていった時のアメリカは、実に見ものだった。なかなか見られるものではない。え?え?え?という疑問符が、頭上いっぱいに並んでいるのが目に浮ぶようだった。
こういう時の日本とフランスは本当に鮮やか過ぎて文句のつけようがない。さすが年上なだけはある。
「お前、笑いすぎだろ」
はぁと溜息をつきながらもイギリスは、ひらりと宙を舞う妖精を見上げて同じように顔を綻ばせた。
ロシアがあの時止めに入ってくれなければ、何が起こっていたかわからない。妖精の気まぐれな魔法は『国』を左右するにはいたらないが、『アルフレッド』個人へのたわいない嫌がらせには事欠かないだろう。
自業自得とはいえ、あまり可哀想な結果になるのも気の毒だ。そう思いながらもそれなりに溜飲が下ったのも事実だった。
『ねぇイギリス、お茶にしましょう』
「そうだな」
問い掛けに頷けば、妖精は喜びに溢れた笑顔でロシアの肩に止まった。まるでそこが自分の定位置だとでも言うように。
警戒心の強い彼女達が、イギリスの他に心を許したのははじめではないだろうか。そしてそれは、これまでずっと馬鹿にされ続けた大切な『友人』を受け入れてくれたロシアにも言えることだった。
他の誰とも共有できなかった時間を、こうやって穏やかに過ごす事が出来るのだ。それを何より嬉しく思う。
アイリスを見上げて、それからゆっくりとイギリスの方を振り返ったロシアの目が柔らかく細められる。
その瞳に魅せられたようにイギリスもまた、柔らかな笑顔で応じた。
欧米のルーズな時間感覚もビジネスの場では正確をモットーとしているので、一部を除いて遅刻者はそれほどいない。その中でものんびり気質のイタリアは遅刻が多く、毎回集まるのもおなじみのメンバーだからという甘えもあってか、すっかり常習犯となっていた。
アメリカも「ヒーローは最後に登場するものだよ!」という自分勝手なルールを振りかざして、やはり遅刻は当たり前のようになっていたので、放っておいて先に始めてしまっている事も一度や二度ではなかった。
厳格なドイツや時間に煩い日本などは15分前の着席は当たり前で、フランスやカナダ、ロシアもおおよそ開始時刻ぴったりに席についている。イギリスも同じで、だいたい彼らと足並みをそろえるように会場に顔を出しているので、遅刻をすることは滅多になかった。
だが、その日は朝からちょっとしたアクシデントがあったのだ。
* * * * * * * * * * *
「済まない、遅くなった」
会議場のドアを開くとイギリスは申し訳なさそうに一言断ってから、そそくさと自分の席へと着いた。
フランスが嫌な笑顔で「どうした坊ちゃん」と声を掛ければ、人も殺せそうな眼差しで一瞥を食らわせ、イギリスは無視を決め込んで配布資料を手に取る。
アメリカが「まったく君はしょうがないな!」と言えば、日本が用意されていたペットボトルの水を手渡してきた。軽く礼を言ってキャップを開け、中身を一口飲みながらイギリスの目がつっと斜め前に流れる。
その眼差しの先には肩肘をついてぼんやりとした表情のロシアがいた。彼は開いた資料に目線を落としながらも、ちっとも集中していない顔でつまらなそうにペンをいじっている。退屈なのだろう、かなり気が散っているように見えた。
その目がイギリスの視線を感じてふっと上がった。そして数秒後、驚いたようにかすかに見開かれ丸くなる。
「あ」
小さな声が洩れるのと同時に、イギリスが唇に人差し指を当ててその発言を押しとどめるが、ロシアは思わず呟くように言った。
「あれ、どうしたの?」
「え?」
小さな声だったが隣に座っていた中国が気付き、顔を向ける。「どうしたアルか?」と問い掛けるものの、ロシアの目はイギリスの方を凝視したまま動かなかった。
彼の目は正確にはイギリス本人ではなく、彼のすぐ横……と言うよりもむしろ肩の部分を注視している。
「珍しい子がいるね。中国君、見える?」
「……あぁ、英国の妖精アルか?」
「うん。どうしたんだろ、いつもはお留守番してるのに」
そんなことを小声で話していれば、ドイツに「私語は慎め」と一睨みされてしまう。首を竦めて興味を失ったかのように中国はすぐに前を向くが、ロシアは無言でそちらを見ていた。
イギリスの肩にちょこんと座るのは小さな小さな妖精だった。透明の羽根が光に透けてきらきらしている。
あどけない少女の顔をしている彼女は、珍しそうにきょろきょろと会議場を見渡し、ぐるりとテーブルを囲む見たことのない顔ぶれにやや怖気づきながらも、好奇心旺盛に目を輝かせていた。
その宝石のように綺麗な瞳がぴたりとロシアの前で止まる。
『ロシア!』
小さな口が可愛らしい声を発した。
気まぐれな妖精が果たして自分のことを覚えているだろうかと、毎回イギリスの家に行くたびに思うのだが、どうやら運よくロシアは覚えがめでたいようだ。
しかも嬉しいことに彼女達は素直に好意を寄せてくれている。『国』に対して妖精が何か出来るわけではなかったが、イギリスとの今後の付き合いを鑑みても嫌われていないという事はかなり重要である。
なにより彼が昔から国民の次に大切にしている存在なのだ。ロシアとしてもそんな彼女達と争う必要性は皆無であった。
「あ、こら」
イギリスの肩からふわりと飛び立って、妖精はロシアの方へと移動する。他国からは見えていないので、会議テーブルを堂々と横切っても誰も気には留めなかった。
むしろ急に声を上げたイギリスをいぶかしむ視線が彼に集中するだけだ。
『最近来てくれないから、会いに来ちゃった』
そう言ってロシアの鼻先でふわふわと浮ぶ彼女の名前は確か、アイリスと言ったように記憶している。
楽しげに笑うその後ろから、イギリスが『無視をしろ』という無言の圧力をかけて来るが、ロシアは苦笑を浮かべながらそっと手を差し出した。
その手の平の上にふわりと足を乗せ、アイリスは機嫌良さそうにスカートの裾を指先でつまんで、優雅に一礼して見せる。
『こんにちは、ロシア』
「うん、こんにちはアイリス」
つい応じてしまえば、隣の中国が呆れた顔でこちらを睨んだ。
だが「今は会議中アル」と言われても、ドイツに再び咎められても、アメリカに胡乱気な顔をされても気にしない。ロシアは自分の手に乗る妖精ににっこりと笑いかけると、ばら色に頬を染めるアイリスの茜色の髪をそっと撫でた。
「会いに来てくれて嬉しいよ。でもごめんね、今お仕事中なんだ」
『残念だわ。でもあとでお茶に付き合ってくれるわよね?』
「うん、いいよ」
にっこりと笑いかければ怪訝そうにこちらを見ていた日本が、「ロ、ロシアさん…?」と恐る恐る声を掛けて来る。その様子にはじめて、ロシアは会議に参加している全員がこちらを見ていることに気付いた。
一部の国を除いて今現在、妖精が見える国はほとんどいないので、この場にいる多くがロシアが突然独り言を言い出したとしか思えないのだろう。
事実中国と、あとはフランスあたりがちょっと物言いたげに眉を寄せてこちらを見たきり、誰も何も言わない。イギリスが気まずそうに頑張って目配せをするのだが、妖精は悪戯っぽい笑みを浮かべたままそっぽを向いて、ロシアの指に両腕を絡めてくる。
――――どうやら言うことを聞く気はないらしい。
「なるべく早く終わらせるね」
『じゃなければ退屈すぎていたずらしちゃうかも』
「誰に?」
『アメリカとか?』
「それはいいかも。でもきっとイギリス君が怒るよ?」
『そうなのよねぇ。残念!』
そんなふうに楽しそうに会話をしている二人(一国と一匹?)に対し、中国が実に迷惑そうに、「我は何も見えないし聞こえないアル」と言って耳をふさいで無視を決め込んでいた。
「ロシア。発言したいのならば挙手を願おう」
ドイツが咳払いと共にそう促せば、アメリカが「君までイギリスみたいに頭がおかしくなっちゃったのかい?」と遠慮の欠片もない言葉を放ってきた。
案の定イギリスがムッとして彼を睨めば、飄々とした態度でアメリカは「だってそうだろう?」と言い返す。
そんな二人の間に慌てて止めに入るカナダは相変わらず影が薄く、ロシアの視界にはかすりもしなかったので綺麗にスルーすると、彼はアイリスに小さく囁きかけた。
「ちょっと待っててね」
『ええ』
こくりと頷いた彼女に再び穏やかに笑いかけ、ロシアは言われた通り手を上げるとゆっくり立ち上がったのだった。
* * * * * * * * * * *
波乱万丈という言葉が実に似合いそうな会議を終え、それぞれが疲れきった様子で議場をあとにすれば、そこには数カ国が残されることとなった。
その中でも真っ先にロシアに駆け寄ってきたのはイギリスである。彼は始終そわそわした態度でこちらを窺い、早く妖精を連れ戻したくて仕方がないという感じだった。
「お前! 仕事の邪魔はするなとあれほど……!」
『別に邪魔なんてしてないわ。ねぇ、ロシア?』
「うん。うざいなぁって思ったのはアメリカ君の存在だけだし」
「お前らなぁ……。だいたいアイリス、お前が駄々をこねるから今日だって遅刻する羽目になったんだぞ」
我侭自己中が声を揃えて意見を述べれば、イギリスはこめかみを押さえて思わずよろめく。この状態は何気に最強ペア誕生なのだろうか……そう思いながらも、ロシアと妖精の仲の良さに少なからず嬉しさを感じて、彼もまた口元にうっすらと笑みを浮かべて見せた。なんだかんだでこうやって妖精を挟んで会話出来るのは悪くない。
「君達、今日は随分仲がいいんだね?」
ふと、割り込むようにアメリカが声を差し挟んで来る。彼には妖精の姿はまったく見えないので、話題の中心が何か分らないでいるのだろう。揶揄するような物言いの中に不機嫌さが滲んでいるのを、イギリスは勿論のことロシアも感じ取っていた。
当然、妖精であるアイリスもそれは同じだ。
『私、アメリカ大嫌い』
「奇遇だね。僕も同じだよ」
『いっつもイギリスに酷いことばかり言うし、ロシアにも意地悪するもの』
「僕の味方もしてくれるんだ?」
『当たり前じゃない。だってロシアは私たちをちゃんと愛してくれているもの』
真っ向から存在を否定して、イギリスの言葉を妄言扱いするようなアメリカのことを、実は嫌いな妖精は案外多かった。
イギリスが一番可愛がっていた子供なので甘く見る妖精もいるが、逆に裏切りをなじる者も多くいる。イギリスが悲しむからはっきりとは言わないが、そのイギリスを一番泣かせているアメリカを彼女達がそもそも好きになるわけがないのだ。妖精たちの中でも意見は割れているようだったが、アイリスはそんな反アメリカ的な妖精たちの一人と言えた。
『アメリカなんて最低よ!』
「うん、そうだね」
明け透けのない意見にくすっと笑って相槌を打てば、アメリカが心底馬鹿にしきった目を向けてくる。
「何を一人でブツブツ言っているんだい? イギリスの傍にいるからロシアまでおかしくなっちゃったんだね。かわいそうに」
「お前、何さりげに失礼な事言ってんだよ!」
「そうですよアメリカさん。さすがにちょっと言い過ぎでは……」
怒鳴るイギリスのすぐ後ろから、傍に控えていた日本がアメリカの腕をそっと引く。
思わず不本意そうに頬を膨らませるアメリカだったが、別にロシアと会話したいわけではないのですぐに顔を背けた。イギリスもまた深く刻まれた眉間の皺は消えることなかったが、日本が間に入ったことにより幾分それも和らぐ。こういう時の彼の存在は本当にありがたいと思う。
当のロシアは自分の頭の上で激怒する妖精をちらりと見上げ、苦笑を浮かべたまま何も言わなかった。
『なによなによ! ロシアのこと馬鹿にするなんて許さないんだからー!』
見えもしない相手に怒鳴って、アイリスはぽかぽかとアメリカの頭を叩くが、無論その攻撃はまったく効いてはいない。けれど余りに一生懸命な姿に、さすがのイギリスも遣る瀬無さそうに溜息をつき、そっと手を伸ばして彼女を引き寄せようとした。
すると自分の頭上に手を伸ばされたと勘違いしたアメリカが、「セクハラは厳禁だぞ!」などと言うものだから大変だ。
今にも泣き出しそうに顔をゆがめると、アイリスはいつの間にか手にしたステッキを大きく振りかぶってアメリカに向けて何か呪文のようなものを唱え始める。ハッと気付いてイギリスが何か言いかけたが、それよりも早くロシアはそっと手を伸ばしてアイリスを優しく手の平に乗せた。そしてイギリスをからかってばかりいるアメリカの後頭部を、ゴツンと音が出るほど強烈に殴りつける。
妖精の彼女が本当はやりたかったように。
「……なっ……!」
突然のことにアメリカは頭を押さえたまま硬直し、イギリスは目を丸くして口をぽかんと開き、日本も茫然とした表情でロシアを見つめる。
直ぐ近くに居たフランスとカナダも唖然とした眼差しを向けてきた。おいおいこの後どうなっちゃうんだ?という好奇心と不安が入り交ざった、それぞれの視線がそのままロシアを捉えている。
「き、君ねぇ……傷害罪で訴えるよ!」
くるりと振り返ったアメリカの罵声に、ロシアは飄々とした顔つきのまま『やった!』と大喜びの妖精を肩に乗せて、面白そうに言う。
「あ、ごめん。ちょっと虫が飛んたから邪魔でさ。ええともしかしてアメリカ君、僕がかるーくコツンて叩いただけで、そんな狼狽しちゃうほど痛かったの? 大丈夫? 君って見かけによらず随分と軟弱なんだねぇ」
「今のはコツンなんていう可愛らしいものじゃなかったぞ!」
「そう? あぁまぁほら、僕って君と違ってとても大きい国でしょ? ちっちゃなアメリカ君には分からないくらい力も強くてさ。少し手加減しきれなかったみたい。ごめんね、貧弱なアメリカ君」
「…………」
「まぁでもたまたま当っちゃっただけなのに、小さな子供が駄々をこねるみたいに訴訟だ賠償だなんて騒いだりしないよね? そんな正義の味方にあるまじきみっともない苛めなんて、君は当然しないよね?」
にっこりとこれ以上はないほど極上の笑顔を浮かべて小首をかしげるロシアを、きつく睨みつけたまま、アメリカは引きつった表情で押し黙った。
その腕を再び日本が引っ張って、「今日は是非アメリカさんと夕食をご一緒したいんですが」などと話題逸らしに必死になっている。フランスとカナダもやって来て「おにーさんがうまい料理作ってやるから、そろそろ移動しようぜ」などと実に空気を読んだ発言をしていた。
こういう時の彼らの連係プレーはたいしたものである。あっという間にアメリカは彼らに連れられて部屋の外へと出されてしまう。呆れたようにイギリスが見送る中、見る見るうちに四人は騒がしいまま遠ざかっていってしまった。
「……なんだったんだ今のは」
随分鮮やかな撤退だったな、と呟けばおかしくてたまらないと言ったようにロシアが吹き出した。
「アメリカ君のあの顔ったら……ないよねっ……!」
きょとんとした顔のままずるずると引きずられていった時のアメリカは、実に見ものだった。なかなか見られるものではない。え?え?え?という疑問符が、頭上いっぱいに並んでいるのが目に浮ぶようだった。
こういう時の日本とフランスは本当に鮮やか過ぎて文句のつけようがない。さすが年上なだけはある。
「お前、笑いすぎだろ」
はぁと溜息をつきながらもイギリスは、ひらりと宙を舞う妖精を見上げて同じように顔を綻ばせた。
ロシアがあの時止めに入ってくれなければ、何が起こっていたかわからない。妖精の気まぐれな魔法は『国』を左右するにはいたらないが、『アルフレッド』個人へのたわいない嫌がらせには事欠かないだろう。
自業自得とはいえ、あまり可哀想な結果になるのも気の毒だ。そう思いながらもそれなりに溜飲が下ったのも事実だった。
『ねぇイギリス、お茶にしましょう』
「そうだな」
問い掛けに頷けば、妖精は喜びに溢れた笑顔でロシアの肩に止まった。まるでそこが自分の定位置だとでも言うように。
警戒心の強い彼女達が、イギリスの他に心を許したのははじめではないだろうか。そしてそれは、これまでずっと馬鹿にされ続けた大切な『友人』を受け入れてくれたロシアにも言えることだった。
他の誰とも共有できなかった時間を、こうやって穏やかに過ごす事が出来るのだ。それを何より嬉しく思う。
アイリスを見上げて、それからゆっくりとイギリスの方を振り返ったロシアの目が柔らかく細められる。
その瞳に魅せられたようにイギリスもまた、柔らかな笑顔で応じた。
このたびは素敵なリクエストをどうもありがとうございました!
「妖精と戯れる」というのが思ったよりも難しくて、実はちょっと難産だったのですが、少しでもお気に召していただけると何よりです。
今回は妖精が見える国ということで、勝手に中国を登場させてしまいましたが、彼ならきっと中華四千年の秘術で何でもアリかなって思ってしまって(笑)
上司が龍ですしね。きっと妖精や妖怪など人外のものを見ることが出来そうな気がしています。
これからも妖精国の話とかいろいろと書いていきたいなぁと思いました。イギリスとロシア二人で不思議体験をするとか……面白そうです。
何はともあれ、七夕企画へのご参加どうもありがとうございました! 今後もどうぞ宜しくお願いしますv
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