紅茶をどうぞ
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夏色時間
ナンタケットにあるアメリカの別荘は、海の見えるのどかな田舎町のひっそりとした住宅街の中にある。
観光地であり有名なリゾート地でもあるこの島だが、かなり奥まった所にあるせいか閑静な雰囲気を漂わせる落ち着いた場所だった。
車の通りの少ない道路は緑の木立ちが美しく、ひろびろと取られた庭を囲む白い柵や緑の芝生は日の光を浴びて眩しいくらいだ。
一年の数日しか過ごせないため、軋むドアを開けて久々に立ち入れば埃がふわりと宙を舞う。窓を全開にして空気の入れ替えをして、最初の数時間は掃除に費やしてしまうのはいつものことだった。
それなりに近所の人が面倒を見てくれているとはいえ、やはり快適に過ごすには足りない。しまいこんでいたベッドカバーやシーツ、タオルの一枚にいたるまで徹底的に洗濯をしていけば、近所に住む気のいい老夫婦や壮年の夫婦が、どこからともなく集まって来る。
まるでそれが恒例行事だとでも言うかのように、彼らは口々に再会を喜びながら、たった一週間のためにあれこれ世話を焼いてくれるのだ。
彼らはこの家の住人が何者であるかを、恐らく知っているのではないだろうかと思う。無論はっきりと告げたことはない。だがはるか昔から、何世紀を隔ててもこの家はここにあり続けた。そしてその主人もまた、よほどのことがなければ(それこそ戦火の激しい時でさえ)一年に一度、必ず訪れる。不思議とそのことに対して気味悪がったり敬遠したりする者はいなかった。
ファンタジーの故郷であり「There once was a man from Nantucket」というフレーズで有名なこの島らしいと言えばそうなのだろうか。
ナンタケットは南北戦争以前の古い建物の多くが残る歴史地区だが、その中でもこの家は特に古い歴史を持つ。何度か手を入れられてはいるが基本構造に変わりのない建物は、数年ごとにペンキが塗り替えられ、こうやって長い年月を隔てた今も愛用されているのだった。
スカイブルーの屋根にまっしろな壁。
ゆるやかなスロープの先には、落ち着いた緑の縁のドア。
ただひとつ他の家と違うところはポストがないことだろうか。
見上げれば抜けるように高い空が広がり、視線を転じればコバルトブルーに輝く海が見渡せる。鳥のさえずりや船の汽笛が遠くに聞こえ、吸い込む空気も澄みきっていて、まさしく楽園を思わせた。
「アーサー! ちょっとこっちを手伝ってくれないかい?」
裏庭からアメリカの声が聞こえて、イギリスは洗濯物を取り入れる手を一旦止めると、首を巡らせて声を張り上げた。
「ちょっと待て、このシーツを畳んだら行くから!」
「早くしてくれよ!!」
急いで竿にかかったシーツを引いて腕に抱え込むと、端と端を合わせて綺麗に畳む。そのままベランダの階段を駆け上がってリビングのソファに置くと、再び急ぎ足で庭へと戻った。
アメリカがいるであろうガレージの方へ向かえば、彼が木の上にいるのが見えた。
「どうした?」
「あぁ、君、ハンモックを持ち上げておいてくれないかい? こっちで縛り付けるから」
「分かった」
木と木の間に垂れ下がる大型のハンモックを手に取ると、ぐいっとロープを引いてアメリカが吊るし上げていく。かなりの重量のそれをしっかりと固定させれば、身軽に木の上から飛び降りた彼は、両端につっかえ棒をして安定させた。
「いいな、これ」
「耐加重一トンハンモックだよ。二人乗っても大丈夫!」
アメリカは上機嫌な笑顔でそう言って、早速とばかりにその上に乗り上げた。そして手を差し出してイギリスの身体を抱き上げる。
丁度良くしなって二人分の重みを受け止めるネットは、手触りの良いリネンを敷けば快適に過ごせるだろう。
「今日から一週間、君は俺だけのものだ」
アメリカが楽しそうにそんな恥ずかしい台詞を言って、イギリスの全身を両腕で包み込むようにしっかりと抱き締めてきた。
間近で感じる彼からは潮の匂いがしていて、さきほどこの島にクルーザーで来た時の事を思い出す。
誰にも邪魔されず、夏期はこの別荘で過ごすというプランは、もう100年以上も前から(それこそ独立したての頃から)アメリカが勝手に決めている恒例行事のようなものだ。
そのうちの何度かを共に過ごしたことのあるイギリスだったが、いつもはなんの前触れもなく拉致される事が多かったのに、今回は一ヶ月前から打診があったことは、普段の彼からは考えられないほどきちんと計画していたことを窺わせる。
まぁ、去年はそれが原因で派手な喧嘩をし合ったわけだから、改善されていてしかるべき問題ではあったのだが。
イギリスにしてみれば、なかなか自分から切り出せない二人きりの時間を、こうやってアメリカが作ってくれることが嬉しくてたまらない。それでも相手の都合を無視した行動にこれまで散々酷い目に合って来た。
だからこそ今年は仕事を綺麗に片づけて、人間関係も良好な状態で過ごせるように、だいぶ前から準備を怠ることはなく用意していた。
今日から一週間。
イギリスはアメリカだけのものであり、アメリカはイギリスだけのものである。二人ともが互いを独占し合える短くも特別な日々。
もちろん仕事が最優先なので本国で何かあればイギリスは帰国を余儀なくされるだろうし、アメリカもホワイトハウスへ戻らなければならないだろう。
それでも休暇は休暇だ。何か重大な事件が起きるまではここに二人でいられる。心行くまで夏を謳歌しながら、今はただこのまま平和が続くことだけを祈ればいい。
「そろそろお腹すいたね」
ハンモックの上でしばらくじゃれ合ったのち、アメリカがずれた眼鏡を直しながら思い出したように言った。
そう言えば到着してから一度も休憩していない。ずっと休みなく動き回っていたので、確かにこの辺でティータイムといきたいところだ。
「じゃあランチにするか」
「やった!」
ここへ来る途中、マーケットで食材は仕入れて来た。すぐ食べられるバーガー系も用意したので昼は簡単にそれで済ませようと思う。日が落ち切る前にマットレスも干しておきたかったし、室内の水拭きも済ませておきたかった。
ハンモックから先にアメリカが降り、そのまま彼は振り向くと大きく両手を広げ差し伸べて来る。イギリスは逡巡したのち、周囲に誰もいないことを確認してから思いきりその胸の中へとダイブした。
容易く受け止められて少々悔しくもあるが、なんの心配もせずに全部を相手に委ねてしまえると言うのもたまには悪くない。すぐに地面に下ろされるが、イギリスは楽しそうに笑ったままその腕にしばらくしがみついていた。
「今日の君は随分と素直だね」
アメリカが面映ゆい表情でそっと屈んで唇を寄せて来る。
まずは額、それから頬から鼻先に移動して、最後に唇同士を触れ合わせれば、くすぐったい気持ちに自然と笑いが込み上げて来て仕方がない。
真夏の照りつける太陽の下で、いつもよりも気分が開放的になっているのだろう。そうだ、こういう天気の良い日は鬱屈した気持ちはすべて捨ててしまうに限る。
「掃除が終わったら海に行こう。今夜は隣の家族が浜辺でバーベキューするみたいだし、せっかくだから俺達も混ざろうよ」
「いいなそれ。肉いっぱい持ってかないとお前が食べ尽くすだろうから、先に買い物しないとな」
「君はもっと太った方がいいぞ!」
思いきり抱きあげられれば、アメリカの肩越しに真っ青な海が広がって見える。高台にあるここからの眺めは本当に最高だ。
肺いっぱいに吸い込んだ潮風が気持ちいい。
イギリスはアメリカの首に両腕を回してその頭に頬を寄せながら、柔らかな金色の髪がきらきらと輝くのを見つめた。
掃除を終え、太陽の匂いのするシーツを取り入れてベッドメイクをし、干していたカーテンを吊るして埃を払ったカーペットを敷く。
本当はこういう雑事は業者に頼んで休み前に終わらせるべきなのだが、イギリスがこの家に来る時はいつも彼が全てそれらを行うことになっていた。
ありきたりの、あたりまえの、そんな休日を願う。二人で過ごす家を最初から整えていける楽しさを、イギリスは誰よりも大切にしていた。
遠い遠い昔に小さなアメリカと暮らした短い日々。一緒に洗濯をして一緒に干して、一緒に取り込んで一緒にたたむ。そんなささいな日常の一コマは今も昔も変わらずにイギリスを幸福にする。
アメリカも、はじめのうちは面倒臭いだの懐古趣味だのさんざん文句を言っていたが、最近ではすっかり習慣化して手慣れたものだ。
洗いたての白いレースのカーテンがひるがえるその内側で、鼻歌交じりにグラスを磨く彼は、その隣でシャツにアイロンをかけているイギリスともども馬鹿みたいに楽しそうに見えた。
「そう言えばアーサー」
「んー?」
「今年は何を約束しようか?」
「あぁ! そうだな……」
相槌を打ちながらイギリスはしばし考えるように上目遣いをした。
ここでのルールは至極簡単。仕事の話はご法度。そして『国』であることも今は忘れよう。
また、この家ではほとんどエアコンはつけない。全開の窓から入り込んでくる風の心地よさは都会では決して味わえないすがすがしいもので、それを遮断してしまうのは勿体なかった。
耳を澄ませば室外機の音はせず、かわりにウミネコの鳴く声が涼やかに届く。それがなんとも気持ちが良いのだ。
それから二人は毎回必ず、ちょっとした遊びに興じる。この一週間、お互い決して破らないという誓いを立ててひとつの「約束」を交わすのだ。それはどんな単純なことでも良かったが、その代わり破ってしまった方には罰則が用意されている。
たとえば、朝起きたら必ずキスをすること。破ってしまったらテレビ一晩禁止。
たとえば、先に寝ないこと。もし破ってしまったら翌日のお酒は禁止。
そんな下らない実に子供っぽいことをこの休暇中だけ、二人の間で取り交わすのだ。
最初はささいな言い合いからはじまったこの「約束」は、今やちょっとしたゲーム感覚で定着しつつあった。飽きっぽいアメリカも何故か毎年楽しみにしているようなところがあるが、それは恐らくどんなに小さくても「二人だけの特別」があることが嬉しいのだろう。
イギリスもまたアメリカと何かを共有出来るこの遊びは、願ってもないことなので快く了承している。
「今回はお前が決めろよ」
「う~ん、そうだね……じゃあさ、こういうのはどうかな?」
「なんだ? あまり無茶なものは駄目だぞ」
「分かってるよ。あのさ、寝る前に一曲歌を歌ってよ」
アメリカの提案に、アイロンの手を止めてイギリスは意外な顔をした。鸚鵡返しに「歌?」と聞き返せばソファでシャンパングラスを磨いていたアメリカは、力強く頷いて見せる。
「なんでまたそんな酔狂な」
「駄目かい?」
「……まぁ別にいいけどな。なんだ、子守歌でも欲しいのか?」
「そんなとこだね」
「へぇ。じゃあ罰ゲームはどうする?」
「踊ろう!」
「はぁ?」
「踊るんだよ、いいだろ?」
アメリカは上機嫌にそう言って明るく笑った。
イギリスもはじめは驚いたように目を見開いていたが、すぐに楽しそうに笑顔を見せて小さく頷く。
「いいぜ。歌い忘れたら踊るんだな」
「歌いながら踊るんだよ」
「結局歌うのか」
「そ。歌いながら踊って、踊りながら歌おう」
なんだか陽気なその言葉につられて、思わず楽器もあればいいのになと思う。どうせならとことん明るくいきたい。昔から、それこそ文明がまともになかった時代から、歌と踊りは人々の間で深く深く親しまれて来たコミュニケーションツールだ。
これ以上楽しいものなど他にはない。
あぁそうだ。どれだけ夏を満喫出来るかが、結局はここで過ごす時間のすべてになるだろう。
「ギターは?」
「持って来たよ!」
「そりゃいい。用意周到だな」
「まかせてくれよ」
そうして二人は子供のように笑い合いながら、以前日本から教えてもらった「ゆびきり」とやらをしてみた。小指と小指を絡めるのが、彼の国では約束をする時のちょっとした決めごとらしい。面白いので二人だけの時限定で数年前からこっそり取り入れていた。
傍から見ればなんて馬鹿馬鹿しいことをと言われてしまうような、そんなやり取りでも大切なことのように思える。紆余曲折を経てようやく辿り着いた安寧の地、と言えば大袈裟だろうか。
振り返れば過去の傷跡は生々しく未だ消えずに残っているし、別離の時に感じた絶望や悲しみは忘れず心に刻まれている。
それでもここにこうしていられるのは、きっと代えがたいほどの僥倖に違いない。だからイギリスは、いつだってアメリカの差し出した手を握り返さずにはいられなかった。
さまざまなしがらみを今だけは忘れて、自由を謳うこの国で。
それは夏色に染まった七日間の楽園生活。
観光地であり有名なリゾート地でもあるこの島だが、かなり奥まった所にあるせいか閑静な雰囲気を漂わせる落ち着いた場所だった。
車の通りの少ない道路は緑の木立ちが美しく、ひろびろと取られた庭を囲む白い柵や緑の芝生は日の光を浴びて眩しいくらいだ。
一年の数日しか過ごせないため、軋むドアを開けて久々に立ち入れば埃がふわりと宙を舞う。窓を全開にして空気の入れ替えをして、最初の数時間は掃除に費やしてしまうのはいつものことだった。
それなりに近所の人が面倒を見てくれているとはいえ、やはり快適に過ごすには足りない。しまいこんでいたベッドカバーやシーツ、タオルの一枚にいたるまで徹底的に洗濯をしていけば、近所に住む気のいい老夫婦や壮年の夫婦が、どこからともなく集まって来る。
まるでそれが恒例行事だとでも言うかのように、彼らは口々に再会を喜びながら、たった一週間のためにあれこれ世話を焼いてくれるのだ。
彼らはこの家の住人が何者であるかを、恐らく知っているのではないだろうかと思う。無論はっきりと告げたことはない。だがはるか昔から、何世紀を隔ててもこの家はここにあり続けた。そしてその主人もまた、よほどのことがなければ(それこそ戦火の激しい時でさえ)一年に一度、必ず訪れる。不思議とそのことに対して気味悪がったり敬遠したりする者はいなかった。
ファンタジーの故郷であり「There once was a man from Nantucket」というフレーズで有名なこの島らしいと言えばそうなのだろうか。
ナンタケットは南北戦争以前の古い建物の多くが残る歴史地区だが、その中でもこの家は特に古い歴史を持つ。何度か手を入れられてはいるが基本構造に変わりのない建物は、数年ごとにペンキが塗り替えられ、こうやって長い年月を隔てた今も愛用されているのだった。
スカイブルーの屋根にまっしろな壁。
ゆるやかなスロープの先には、落ち着いた緑の縁のドア。
ただひとつ他の家と違うところはポストがないことだろうか。
見上げれば抜けるように高い空が広がり、視線を転じればコバルトブルーに輝く海が見渡せる。鳥のさえずりや船の汽笛が遠くに聞こえ、吸い込む空気も澄みきっていて、まさしく楽園を思わせた。
* * * * * * * * * * *
「アーサー! ちょっとこっちを手伝ってくれないかい?」
裏庭からアメリカの声が聞こえて、イギリスは洗濯物を取り入れる手を一旦止めると、首を巡らせて声を張り上げた。
「ちょっと待て、このシーツを畳んだら行くから!」
「早くしてくれよ!!」
急いで竿にかかったシーツを引いて腕に抱え込むと、端と端を合わせて綺麗に畳む。そのままベランダの階段を駆け上がってリビングのソファに置くと、再び急ぎ足で庭へと戻った。
アメリカがいるであろうガレージの方へ向かえば、彼が木の上にいるのが見えた。
「どうした?」
「あぁ、君、ハンモックを持ち上げておいてくれないかい? こっちで縛り付けるから」
「分かった」
木と木の間に垂れ下がる大型のハンモックを手に取ると、ぐいっとロープを引いてアメリカが吊るし上げていく。かなりの重量のそれをしっかりと固定させれば、身軽に木の上から飛び降りた彼は、両端につっかえ棒をして安定させた。
「いいな、これ」
「耐加重一トンハンモックだよ。二人乗っても大丈夫!」
アメリカは上機嫌な笑顔でそう言って、早速とばかりにその上に乗り上げた。そして手を差し出してイギリスの身体を抱き上げる。
丁度良くしなって二人分の重みを受け止めるネットは、手触りの良いリネンを敷けば快適に過ごせるだろう。
「今日から一週間、君は俺だけのものだ」
アメリカが楽しそうにそんな恥ずかしい台詞を言って、イギリスの全身を両腕で包み込むようにしっかりと抱き締めてきた。
間近で感じる彼からは潮の匂いがしていて、さきほどこの島にクルーザーで来た時の事を思い出す。
誰にも邪魔されず、夏期はこの別荘で過ごすというプランは、もう100年以上も前から(それこそ独立したての頃から)アメリカが勝手に決めている恒例行事のようなものだ。
そのうちの何度かを共に過ごしたことのあるイギリスだったが、いつもはなんの前触れもなく拉致される事が多かったのに、今回は一ヶ月前から打診があったことは、普段の彼からは考えられないほどきちんと計画していたことを窺わせる。
まぁ、去年はそれが原因で派手な喧嘩をし合ったわけだから、改善されていてしかるべき問題ではあったのだが。
イギリスにしてみれば、なかなか自分から切り出せない二人きりの時間を、こうやってアメリカが作ってくれることが嬉しくてたまらない。それでも相手の都合を無視した行動にこれまで散々酷い目に合って来た。
だからこそ今年は仕事を綺麗に片づけて、人間関係も良好な状態で過ごせるように、だいぶ前から準備を怠ることはなく用意していた。
今日から一週間。
イギリスはアメリカだけのものであり、アメリカはイギリスだけのものである。二人ともが互いを独占し合える短くも特別な日々。
もちろん仕事が最優先なので本国で何かあればイギリスは帰国を余儀なくされるだろうし、アメリカもホワイトハウスへ戻らなければならないだろう。
それでも休暇は休暇だ。何か重大な事件が起きるまではここに二人でいられる。心行くまで夏を謳歌しながら、今はただこのまま平和が続くことだけを祈ればいい。
「そろそろお腹すいたね」
ハンモックの上でしばらくじゃれ合ったのち、アメリカがずれた眼鏡を直しながら思い出したように言った。
そう言えば到着してから一度も休憩していない。ずっと休みなく動き回っていたので、確かにこの辺でティータイムといきたいところだ。
「じゃあランチにするか」
「やった!」
ここへ来る途中、マーケットで食材は仕入れて来た。すぐ食べられるバーガー系も用意したので昼は簡単にそれで済ませようと思う。日が落ち切る前にマットレスも干しておきたかったし、室内の水拭きも済ませておきたかった。
ハンモックから先にアメリカが降り、そのまま彼は振り向くと大きく両手を広げ差し伸べて来る。イギリスは逡巡したのち、周囲に誰もいないことを確認してから思いきりその胸の中へとダイブした。
容易く受け止められて少々悔しくもあるが、なんの心配もせずに全部を相手に委ねてしまえると言うのもたまには悪くない。すぐに地面に下ろされるが、イギリスは楽しそうに笑ったままその腕にしばらくしがみついていた。
「今日の君は随分と素直だね」
アメリカが面映ゆい表情でそっと屈んで唇を寄せて来る。
まずは額、それから頬から鼻先に移動して、最後に唇同士を触れ合わせれば、くすぐったい気持ちに自然と笑いが込み上げて来て仕方がない。
真夏の照りつける太陽の下で、いつもよりも気分が開放的になっているのだろう。そうだ、こういう天気の良い日は鬱屈した気持ちはすべて捨ててしまうに限る。
「掃除が終わったら海に行こう。今夜は隣の家族が浜辺でバーベキューするみたいだし、せっかくだから俺達も混ざろうよ」
「いいなそれ。肉いっぱい持ってかないとお前が食べ尽くすだろうから、先に買い物しないとな」
「君はもっと太った方がいいぞ!」
思いきり抱きあげられれば、アメリカの肩越しに真っ青な海が広がって見える。高台にあるここからの眺めは本当に最高だ。
肺いっぱいに吸い込んだ潮風が気持ちいい。
イギリスはアメリカの首に両腕を回してその頭に頬を寄せながら、柔らかな金色の髪がきらきらと輝くのを見つめた。
* * * * * * * * * * *
掃除を終え、太陽の匂いのするシーツを取り入れてベッドメイクをし、干していたカーテンを吊るして埃を払ったカーペットを敷く。
本当はこういう雑事は業者に頼んで休み前に終わらせるべきなのだが、イギリスがこの家に来る時はいつも彼が全てそれらを行うことになっていた。
ありきたりの、あたりまえの、そんな休日を願う。二人で過ごす家を最初から整えていける楽しさを、イギリスは誰よりも大切にしていた。
遠い遠い昔に小さなアメリカと暮らした短い日々。一緒に洗濯をして一緒に干して、一緒に取り込んで一緒にたたむ。そんなささいな日常の一コマは今も昔も変わらずにイギリスを幸福にする。
アメリカも、はじめのうちは面倒臭いだの懐古趣味だのさんざん文句を言っていたが、最近ではすっかり習慣化して手慣れたものだ。
洗いたての白いレースのカーテンがひるがえるその内側で、鼻歌交じりにグラスを磨く彼は、その隣でシャツにアイロンをかけているイギリスともども馬鹿みたいに楽しそうに見えた。
「そう言えばアーサー」
「んー?」
「今年は何を約束しようか?」
「あぁ! そうだな……」
相槌を打ちながらイギリスはしばし考えるように上目遣いをした。
ここでのルールは至極簡単。仕事の話はご法度。そして『国』であることも今は忘れよう。
また、この家ではほとんどエアコンはつけない。全開の窓から入り込んでくる風の心地よさは都会では決して味わえないすがすがしいもので、それを遮断してしまうのは勿体なかった。
耳を澄ませば室外機の音はせず、かわりにウミネコの鳴く声が涼やかに届く。それがなんとも気持ちが良いのだ。
それから二人は毎回必ず、ちょっとした遊びに興じる。この一週間、お互い決して破らないという誓いを立ててひとつの「約束」を交わすのだ。それはどんな単純なことでも良かったが、その代わり破ってしまった方には罰則が用意されている。
たとえば、朝起きたら必ずキスをすること。破ってしまったらテレビ一晩禁止。
たとえば、先に寝ないこと。もし破ってしまったら翌日のお酒は禁止。
そんな下らない実に子供っぽいことをこの休暇中だけ、二人の間で取り交わすのだ。
最初はささいな言い合いからはじまったこの「約束」は、今やちょっとしたゲーム感覚で定着しつつあった。飽きっぽいアメリカも何故か毎年楽しみにしているようなところがあるが、それは恐らくどんなに小さくても「二人だけの特別」があることが嬉しいのだろう。
イギリスもまたアメリカと何かを共有出来るこの遊びは、願ってもないことなので快く了承している。
「今回はお前が決めろよ」
「う~ん、そうだね……じゃあさ、こういうのはどうかな?」
「なんだ? あまり無茶なものは駄目だぞ」
「分かってるよ。あのさ、寝る前に一曲歌を歌ってよ」
アメリカの提案に、アイロンの手を止めてイギリスは意外な顔をした。鸚鵡返しに「歌?」と聞き返せばソファでシャンパングラスを磨いていたアメリカは、力強く頷いて見せる。
「なんでまたそんな酔狂な」
「駄目かい?」
「……まぁ別にいいけどな。なんだ、子守歌でも欲しいのか?」
「そんなとこだね」
「へぇ。じゃあ罰ゲームはどうする?」
「踊ろう!」
「はぁ?」
「踊るんだよ、いいだろ?」
アメリカは上機嫌にそう言って明るく笑った。
イギリスもはじめは驚いたように目を見開いていたが、すぐに楽しそうに笑顔を見せて小さく頷く。
「いいぜ。歌い忘れたら踊るんだな」
「歌いながら踊るんだよ」
「結局歌うのか」
「そ。歌いながら踊って、踊りながら歌おう」
なんだか陽気なその言葉につられて、思わず楽器もあればいいのになと思う。どうせならとことん明るくいきたい。昔から、それこそ文明がまともになかった時代から、歌と踊りは人々の間で深く深く親しまれて来たコミュニケーションツールだ。
これ以上楽しいものなど他にはない。
あぁそうだ。どれだけ夏を満喫出来るかが、結局はここで過ごす時間のすべてになるだろう。
「ギターは?」
「持って来たよ!」
「そりゃいい。用意周到だな」
「まかせてくれよ」
そうして二人は子供のように笑い合いながら、以前日本から教えてもらった「ゆびきり」とやらをしてみた。小指と小指を絡めるのが、彼の国では約束をする時のちょっとした決めごとらしい。面白いので二人だけの時限定で数年前からこっそり取り入れていた。
傍から見ればなんて馬鹿馬鹿しいことをと言われてしまうような、そんなやり取りでも大切なことのように思える。紆余曲折を経てようやく辿り着いた安寧の地、と言えば大袈裟だろうか。
振り返れば過去の傷跡は生々しく未だ消えずに残っているし、別離の時に感じた絶望や悲しみは忘れず心に刻まれている。
それでもここにこうしていられるのは、きっと代えがたいほどの僥倖に違いない。だからイギリスは、いつだってアメリカの差し出した手を握り返さずにはいられなかった。
さまざまなしがらみを今だけは忘れて、自由を謳うこの国で。
それは夏色に染まった七日間の楽園生活。
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