紅茶をどうぞ
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[祭] 俯く (もう、前も見られない)
それはなんの前触れもなく起こった。
世界会議の場で、議論が白熱することは決して珍しいことではない。
アメリカの意見に対してイギリスが文句を言うのもまた、昔から実に当り前の光景になっていて、近年では誰も彼もが「またはじまった」という顔するようになっていた。
だからその日も会議に出席したあらゆる国は、アメリカの突拍子もない提案に対してイギリスが怒鳴り声を上げていても、とくに驚きもせずやや諦観気味に事の成り行きを見守るにとどめていたのだ。
しかし、その日のアメリカはいつもの彼とは少々違っていて、議場に現れた時から不機嫌な表情を隠しもしなかった。イライラとした様子で席につけば相変わらずの傍若無人な態度で、自国の利益を前面に押し出すような意見を述べはじめる。
とうぜんイギリスは黙っておらず、彼は彼で持論を強く主張したのだった。
いつもの光景、いつものやり取り。
だがその時放ったアメリカの一言は、取り返しのつかない重大な事態を引き起こすこととなった。
「君は黙って大国である俺の言う事に従っていればいいじゃないか!」
激昂したアメリカの口から滑り落ちたその言葉に、居合わせた全ての国々が一瞬で水を打ったように静まり返った。
それぞれの視線が一斉にアメリカに向けられる。その発言に誰もが驚きを隠しきれず、中には眉を盛大に顰めて唇を引き結ぶ者もいれば、呆れたように溜息をつく者、頭が痛いと言うようにこめかみを押さえる者、そして血の気が引いて真っ青になった者もいれば、怒りのあまり小刻みに震えている者もいた。三者三様それぞれ反応は違ったが、そのどれもがアメリカを非難する色が濃いものであることに間違いはない。
確かにアメリカは誰もが認める世界の超大国だ。資本主義経済の中心であり牽引役、その仕組みに組み込まれているあらゆる国の中心でもある。科学技術の水準も世界トップクラス、またそれに合わせて軍事面でも突出した力を要し、陸海空どれもが圧倒的な強さを誇っていた。
それとは逆に、かつての宗主国イギリスの力が現在は低下し、見る影もなく劣っているのは誰の眼にも明らかだ。あらゆる面でアメリカの後塵を拝している現状は、過去の功績はさて置き現実として認めなければならないところである。
だからと言って、それがイギリスの生み出したものの恩恵をこうむる国の、侮辱的発言を許すものにはなりえない。確かにイギリスとアメリカの力関係は、かつての支配時代とは立場をまったく逆のものにしている。しかし、その影響力を一番に受けたであろう国が母国とも言えるイギリスに対して、していい発言ではない。この公の場で口にして良い言葉でないことだけは確かだった。
頭に血が上ってうっかり怒鳴ってしまった、では済まされない。重大な外交問題にも繋がりかねないアメリカの言動に、他国が顔色を一変するのも無理はなかった。
しかし、当のイギリスはまったく平然とした表情で腕組みをして、まっすぐに発言者を見つめていた。その瞳にはわずかなりとも揺らぎが見えず、冷たく感情の欠片も見えない強烈な光が灯っているだけだった。
さすがに自分の発言が完全なる失言だった事に、空気の読めないアメリカも分かっているのか、咄嗟に抑えた口元から両手を外す事も出来ずに、窺うようにイギリスを見返している。
会場全ての視線がイギリスへと向けられた。
「分かった」
その、薄い唇からは短い一言。
イギリスは一度だけゆっくりと瞬きをしてから、毅然とした態度で続けた。よく通る声が静まり返った室内に響き渡る。
「そこまで言うのであれば、わが連合王国は合衆国の意見に全面的に賛同しよう。今後大幅な情勢の変化がない限り、異論を挟む事もあるまい。この決定の変更はないものと思ってくれていい。―――― 以上だ」
温度のない声がそう告げた時、まっさきに目を見開いたのは隣国であるフランスだった。その顔にはありえないだろう、という表情がありありと浮かんでいる。そしてそれは全ての国が感じたことでもあった。彼等はてっきり、激怒したイギリスがアメリカと言い争う姿を想像していたのだ。
しかし結果はまったく違い、冷静なまま判断を下すイギリスの姿に、思わず驚きの溜息が零れるばかりである。
「ちょっと待ってくれ」
だが、そこで口を挟んだのは成り行きを見守っていたドイツだった。彼は生真面目な顔で眉間に深い皺を刻んで、今のイギリスの発言に異を唱えた。
「アメリカ合衆国の今の発言は、EU、ひいては世界規模において大いなる問題を孕んでいる。武力や経済力を背に独裁的な発言がまかり通ればそれは世界の均衡を崩すことになるだろう。我々はそれを看過することは出来ない。ましてその要求をなんの討議もなく受け入れる連合王国にも納得出来かねる」
「……そうですね。EUは今のアメリカの言動に対して、イギリスへの正式な謝罪と撤回を求めます」
ドイツの隣でいつもは大人しく控えているオーストリアも、冷めた声で賛同した。
それに倣うように次々と諸外国も賛成の意を表明し、大きく頷きはじめた。中でも英連邦に属する国々の反応は最も顕著である。
宗主国と植民地の関係はすでに消滅して久しいが、あらゆる面で経済援助、技術交換がおこなわれているそれらの国にしてみれば、アメリカの横暴な態度は見過ごす事は出来なかった。イギリスを侮辱されたのは、すなわち自分達を侮辱された事に他ならないからだ。
だが、色めき立つくそれらの国とは別に、面白そうに事の成り行きを傍観している国もある。ロシアだった。
彼にしてみればEUやアメリカの関係性などたいして重要ではないのだろう。のんびりと楽しそうに発言者たちを眺めてやっている。
アメリカは事態の悪化を感じ取り、慌てて取り繕うように言葉を重ねた。
「待ってくれ、みんな。確かに今のは俺が悪い。不用意な発言に対してはきちんと謝罪をさせてもらおう。……イギリス、失礼な事を言って本当に」
「却下する」
「…………え?」
「却下すると言っているのだ。合衆国の謝罪と訂正は必要ない」
「……それは、どういう意味か聞いてもいいかい?」
「そのままの意味だ。わが連合王国は合衆国からのあらゆる発言をもはや必要とはしていない。決定は先ほど述べた通りだ。それ以上でもなければそれ以下でもない」
「だが、イギリス。それでは示しがつかんだろう」
不満気なドイツの言葉に、イギリスはうっすらと嘲笑じみたものさえ浮かべながら、一刀両断するかのごとく言い放った。
「何度も言わせるな、異論は認めない。これはわが国と合衆国との問題以外に他ならない。それを逸脱して謝罪を求めるのであれば、EUから彼に対し改めて謝罪請求を申し入れればいいだろう」
不愉快そうに眉をひそめて冷たい視線を浴びせるイギリスに、ドイツも、何か言おうと口を開きかけていたフランスも押し黙る。
これ以上、事を大きくすべきではないと咄嗟に判断した結果だろうか。
イギリスはわずかなりとも感情の混じらない平坦な声で、宣言するように続けた。
「繰り返す。わが連合王国は合衆国の意に全面的に賛同する。そして英連邦における決定権のいかなるものも私は持たない。よって我が国が受けた発言は他国へ波及するものでない。……それで良いかな、アメリカ合衆国」
「あ、あぁ……さっきのは言葉のあやで、他意はない。誰に強制するものでもない。それだけははっきり言わせてくれ」
アメリカの言葉にもはやイギリスはなんの反応も示さなかった。腕組みしてじっと両目を閉ざすと身動きもせず黙り込んでしまう。
さらに言い掛けたアメリカを、そっと控えめに日本が制する。戸惑った表情のままアメリカは大人しく席に着いた。心なしか青褪めているようにも見える。
その後の会議はなんとなく重苦しい空気に包まれたまま進行し、たいした決定もないままに終了した。
会議終了後、手早く書類を片付けるとアメリカは、ヨーロッパの国々と共に出口へと向かうイギリスを呼び止めた。
「イギリス!」
「何か用か?」
くるりと振り向いたイギリスの目には温度がない。
一瞬ぐっと息を呑んで立ち竦んでしまえば、一緒に出ようとしていたフランスが「先に行ってるわ」と言いおいて人の流れと共にその場を後にする。
そんな彼を視界の片隅で見送りながら、アメリカはつとめて平静に、いつもと変わらない口調で話しかけた。
「さっきのことだけど……その、俺……」
「その件については敷衍することはない。失礼する」
有無を言わさぬ冷やかな声音でぴしゃりと跳ね除けられる。唖然として何も言い返せずにいると、無表情な顔で一瞥することもなくイギリスは、そのまま会議場に背を向けた。その態度は今まで見たこともないほどの拒絶感が漂っていて、咄嗟に何も言えなくなってしまう。
まっすぐに伸ばされた毅然とした背中が歩み去っていく。後には放心したような表情でその場に残されるアメリカの姿だけがあった。
―――― どうしよう……
思わず膝の力が抜けてその場に座り込んでしまいそうになる。
独立戦争でイギリスと決別して以来、彼とは何度も衝突して来た。その都度イギリスは激昂して怒鳴り散らしては、はっきりと何が原因なのかを態度で示してくれていた。だからアメリカも素直になれない中で、解決策を模索して来れたのだ。
逆鱗に触れてもイギリスは決してアメリカを見捨てたりはしない。どんな時でも最終的に折れるのは彼の方だった。
だが今回は違う。イギリスはまったくアメリカの言葉に耳を傾けることはなかった。反論せずにああやってただ静かに背を向ける彼の姿は、まるで200年前パリで交わした講和条約の場面を思い出させるもので、否応なく胸が痛くなる。
今回は、怒鳴り合う中で互いの気まずさを払拭して来たような、今までのやり方では駄目だと思った。
自分の発言のうかつさに頭を抱え込みたくなったが、アメリカはそれでもなんとか彼を追いかけて、いつものような言い合いをして元に戻らなければならないと思った。
このままでは恐らく、何かが決定的に駄目になるような気がする。確かに自分は言い過ぎた。言ってはいけないことを言ったのだ。それが分からないほど子供ではないし、言い訳が通じるような立場でもない。
甘えてはいけないのだ。イギリスの静かな怒りを受け止めて、今回は誤魔化すような真似はぜず正面からきちんと謝らなければならないだろう。
世界各国が見守る中、アメリカはかつて七つの海を支配した誇り高き大英帝国の威信に傷をつけたのだ。
追いかけなければと、そう思いながらも沈んでいく気分は浮上する気配を見せず、目線はどんどん下を向いていった。固まった足は一歩もその場を動かせない。
そんなにも自分はイギリスの無関心な態度が、ショックだったのだろうか。
―――― 駄目だ、俯いてはいけない。
そう教えられたではないか。何があっても俯いてはいけないと。
どんな時も眼差しは毅然と前を見据えなければならないのだと。
固くこぶしを握りしめて、唇を引き結んで、両足に力を入れて立たなければならないのだと教えられたではないか。
それなのに。
「アメリカ」
突然声をかけられてハッと息を呑んで顔を上げれば、そこには自分によく似た顔が心配そうに佇んでいた。
「カナダ……」
「君、ひどい顔だよ?」
ある意味幼馴染のような存在の彼はそんな事を言いながら、アメリカの気落ちした表情に驚きながら手を伸ばして来た。
カナダの指先が頬に触れれば、先程まで感じていたざわめきがすっと落ち着くような気がする。どうやら思った以上に自分は混乱していたようだ。
「さっきのイギリスさん、ちょっと怖かったね」
「怒ってた」
「うん……君に対してあんなふうに怒るとこ、今まで見たことなかったから驚いた」
カナダは当事者でもないのに溜息をついて、眉をきゅっとひそめると戸惑った視線でアメリカを見つめる。その眼を見返しながらこちらも自然と落ちた溜息は実に重かった。
「とうとう愛想つかされちゃったかな」
「アメリカ……」
「俺はさ、心のどこかで彼のことを、いつだって盲目的に信じているんだろうね。何をしても何を言っても、イギリスは俺の味方なんだって、勝手に思い込んでしまっているんだ」
結局子供の時と一緒で、自分は彼にとって唯一の存在だと、馬鹿みたいに無意識に信じ込んでしまっている。
事実、あれだけ酷い仕打ちをして独立を果たした今も、イギリスは最初の100年くらいはなんだかんだと恨み事は尽きなかったが、最終的にはアメリカを赦しその愛情を変化させながらここまで付き合ってくれていた。
世界情勢的に無視出来ない関係性を抜きにしても、彼はなんだかんだでアメリカを陰で助けており、はじめはそのお節介な部分に立てついたこともあるが、今となっては感謝することの方がずっと多かった。若い国がやっていくのに困らないだけの知恵と力は、全て彼から受け継いだものなのだ。
結局は甘えていたということなのだろう。
一人前だと言いながらも、どこかで無意識に彼に甘えていたのだ。
だからイギリスが反対意見を言うたびに、どうして賛成してくれないのかと憤り、味方してくれるのが当たり前だと思うようになっていた。
そうでなければあんな言葉が出るわけがない。
あれは明らかに、国と国との話し合いの場で無責任に、個人的な感情を優先させた言動に違いなかった。子供が親にわがままを言うような、実に情けない態度だった。
だからこそイギリスは呆れ、そして怒ったのだろう。彼も国なのだ、譲れない一線や許してはならない言葉がある。
どんなに親しくとも踏み越えてはならないものがあると言うのに。
だからこそ自分は彼を傷つけてまで独立を果たしたのではなかったか。
「……あぁもう、最低だ……」
「アメリカ、大丈夫だよ。ちゃんと謝ればイギリスさんだって許してくれるよ」
「でも、謝罪は受け付けないって……」
「そりゃあ、あの場ではああ言うしかなかったんじゃないのかな。だってあの人、君に頭を下げさせたくはなかっただろうし」
カナダの言葉にアメリカは怪訝そうな顔をした。
何が言いたいのだろうと無言で問いかければ、カナダはおっとりとした口調の中にもしっかりとした強さを滲ませて続けた。
「君があそこで謝っちゃったら、たぶん他の国も絶対に黙っちゃいないだろうしね。この件はあくまでイギリスさんとアメリカだけの問題ってことにしておきたかったんじゃないかな。君、最近ちょっと敵多いし」
「…………」
「でも、本当に怒っていたことは事実だと思うよ。君はイギリスさんが一番触れて欲しくない部分に思いきり踏み込んだんだもん」
アメリカが独立したことで一番傷ついたのはイギリスだ。
今の互いの立場を誰より苦々しく思っているのも彼である。
それが分からないはずはなかったのに。
「まぁなにはともあれ、こんなところでうだうだ言ってるのはアメリカらしくないよ。謝るなら早い方がいいでしょ。さっさと行っておいでよ」
「……そう、だよね」
「早くしないとイギリスさん、飛行機に乗っちゃうよ。今ならまだ間に合うから」
「分かった。……ありがとう、カナダ!」
確かに悩んでいるだけでは何の解決にもならない。
こんなのはまったくもって自分らしくない。
今まで何度も衝突してきたが、そのたびにうまくやってきたのだ、何を躊躇うことがあるのだろう。いつもなら落ち込むより先に行動していたはずだ。
そう思って駆け出せば、後方からカナダの「がんばってー」という明るい声が聞こえて来た。
世界会議の場で、議論が白熱することは決して珍しいことではない。
アメリカの意見に対してイギリスが文句を言うのもまた、昔から実に当り前の光景になっていて、近年では誰も彼もが「またはじまった」という顔するようになっていた。
だからその日も会議に出席したあらゆる国は、アメリカの突拍子もない提案に対してイギリスが怒鳴り声を上げていても、とくに驚きもせずやや諦観気味に事の成り行きを見守るにとどめていたのだ。
しかし、その日のアメリカはいつもの彼とは少々違っていて、議場に現れた時から不機嫌な表情を隠しもしなかった。イライラとした様子で席につけば相変わらずの傍若無人な態度で、自国の利益を前面に押し出すような意見を述べはじめる。
とうぜんイギリスは黙っておらず、彼は彼で持論を強く主張したのだった。
いつもの光景、いつものやり取り。
だがその時放ったアメリカの一言は、取り返しのつかない重大な事態を引き起こすこととなった。
* * * * * * * * * * * * * * *
「君は黙って大国である俺の言う事に従っていればいいじゃないか!」
激昂したアメリカの口から滑り落ちたその言葉に、居合わせた全ての国々が一瞬で水を打ったように静まり返った。
それぞれの視線が一斉にアメリカに向けられる。その発言に誰もが驚きを隠しきれず、中には眉を盛大に顰めて唇を引き結ぶ者もいれば、呆れたように溜息をつく者、頭が痛いと言うようにこめかみを押さえる者、そして血の気が引いて真っ青になった者もいれば、怒りのあまり小刻みに震えている者もいた。三者三様それぞれ反応は違ったが、そのどれもがアメリカを非難する色が濃いものであることに間違いはない。
確かにアメリカは誰もが認める世界の超大国だ。資本主義経済の中心であり牽引役、その仕組みに組み込まれているあらゆる国の中心でもある。科学技術の水準も世界トップクラス、またそれに合わせて軍事面でも突出した力を要し、陸海空どれもが圧倒的な強さを誇っていた。
それとは逆に、かつての宗主国イギリスの力が現在は低下し、見る影もなく劣っているのは誰の眼にも明らかだ。あらゆる面でアメリカの後塵を拝している現状は、過去の功績はさて置き現実として認めなければならないところである。
だからと言って、それがイギリスの生み出したものの恩恵をこうむる国の、侮辱的発言を許すものにはなりえない。確かにイギリスとアメリカの力関係は、かつての支配時代とは立場をまったく逆のものにしている。しかし、その影響力を一番に受けたであろう国が母国とも言えるイギリスに対して、していい発言ではない。この公の場で口にして良い言葉でないことだけは確かだった。
頭に血が上ってうっかり怒鳴ってしまった、では済まされない。重大な外交問題にも繋がりかねないアメリカの言動に、他国が顔色を一変するのも無理はなかった。
しかし、当のイギリスはまったく平然とした表情で腕組みをして、まっすぐに発言者を見つめていた。その瞳にはわずかなりとも揺らぎが見えず、冷たく感情の欠片も見えない強烈な光が灯っているだけだった。
さすがに自分の発言が完全なる失言だった事に、空気の読めないアメリカも分かっているのか、咄嗟に抑えた口元から両手を外す事も出来ずに、窺うようにイギリスを見返している。
会場全ての視線がイギリスへと向けられた。
「分かった」
その、薄い唇からは短い一言。
イギリスは一度だけゆっくりと瞬きをしてから、毅然とした態度で続けた。よく通る声が静まり返った室内に響き渡る。
「そこまで言うのであれば、わが連合王国は合衆国の意見に全面的に賛同しよう。今後大幅な情勢の変化がない限り、異論を挟む事もあるまい。この決定の変更はないものと思ってくれていい。―――― 以上だ」
温度のない声がそう告げた時、まっさきに目を見開いたのは隣国であるフランスだった。その顔にはありえないだろう、という表情がありありと浮かんでいる。そしてそれは全ての国が感じたことでもあった。彼等はてっきり、激怒したイギリスがアメリカと言い争う姿を想像していたのだ。
しかし結果はまったく違い、冷静なまま判断を下すイギリスの姿に、思わず驚きの溜息が零れるばかりである。
「ちょっと待ってくれ」
だが、そこで口を挟んだのは成り行きを見守っていたドイツだった。彼は生真面目な顔で眉間に深い皺を刻んで、今のイギリスの発言に異を唱えた。
「アメリカ合衆国の今の発言は、EU、ひいては世界規模において大いなる問題を孕んでいる。武力や経済力を背に独裁的な発言がまかり通ればそれは世界の均衡を崩すことになるだろう。我々はそれを看過することは出来ない。ましてその要求をなんの討議もなく受け入れる連合王国にも納得出来かねる」
「……そうですね。EUは今のアメリカの言動に対して、イギリスへの正式な謝罪と撤回を求めます」
ドイツの隣でいつもは大人しく控えているオーストリアも、冷めた声で賛同した。
それに倣うように次々と諸外国も賛成の意を表明し、大きく頷きはじめた。中でも英連邦に属する国々の反応は最も顕著である。
宗主国と植民地の関係はすでに消滅して久しいが、あらゆる面で経済援助、技術交換がおこなわれているそれらの国にしてみれば、アメリカの横暴な態度は見過ごす事は出来なかった。イギリスを侮辱されたのは、すなわち自分達を侮辱された事に他ならないからだ。
だが、色めき立つくそれらの国とは別に、面白そうに事の成り行きを傍観している国もある。ロシアだった。
彼にしてみればEUやアメリカの関係性などたいして重要ではないのだろう。のんびりと楽しそうに発言者たちを眺めてやっている。
アメリカは事態の悪化を感じ取り、慌てて取り繕うように言葉を重ねた。
「待ってくれ、みんな。確かに今のは俺が悪い。不用意な発言に対してはきちんと謝罪をさせてもらおう。……イギリス、失礼な事を言って本当に」
「却下する」
「…………え?」
「却下すると言っているのだ。合衆国の謝罪と訂正は必要ない」
「……それは、どういう意味か聞いてもいいかい?」
「そのままの意味だ。わが連合王国は合衆国からのあらゆる発言をもはや必要とはしていない。決定は先ほど述べた通りだ。それ以上でもなければそれ以下でもない」
「だが、イギリス。それでは示しがつかんだろう」
不満気なドイツの言葉に、イギリスはうっすらと嘲笑じみたものさえ浮かべながら、一刀両断するかのごとく言い放った。
「何度も言わせるな、異論は認めない。これはわが国と合衆国との問題以外に他ならない。それを逸脱して謝罪を求めるのであれば、EUから彼に対し改めて謝罪請求を申し入れればいいだろう」
不愉快そうに眉をひそめて冷たい視線を浴びせるイギリスに、ドイツも、何か言おうと口を開きかけていたフランスも押し黙る。
これ以上、事を大きくすべきではないと咄嗟に判断した結果だろうか。
イギリスはわずかなりとも感情の混じらない平坦な声で、宣言するように続けた。
「繰り返す。わが連合王国は合衆国の意に全面的に賛同する。そして英連邦における決定権のいかなるものも私は持たない。よって我が国が受けた発言は他国へ波及するものでない。……それで良いかな、アメリカ合衆国」
「あ、あぁ……さっきのは言葉のあやで、他意はない。誰に強制するものでもない。それだけははっきり言わせてくれ」
アメリカの言葉にもはやイギリスはなんの反応も示さなかった。腕組みしてじっと両目を閉ざすと身動きもせず黙り込んでしまう。
さらに言い掛けたアメリカを、そっと控えめに日本が制する。戸惑った表情のままアメリカは大人しく席に着いた。心なしか青褪めているようにも見える。
その後の会議はなんとなく重苦しい空気に包まれたまま進行し、たいした決定もないままに終了した。
* * * * * * * * * * * * * * *
会議終了後、手早く書類を片付けるとアメリカは、ヨーロッパの国々と共に出口へと向かうイギリスを呼び止めた。
「イギリス!」
「何か用か?」
くるりと振り向いたイギリスの目には温度がない。
一瞬ぐっと息を呑んで立ち竦んでしまえば、一緒に出ようとしていたフランスが「先に行ってるわ」と言いおいて人の流れと共にその場を後にする。
そんな彼を視界の片隅で見送りながら、アメリカはつとめて平静に、いつもと変わらない口調で話しかけた。
「さっきのことだけど……その、俺……」
「その件については敷衍することはない。失礼する」
有無を言わさぬ冷やかな声音でぴしゃりと跳ね除けられる。唖然として何も言い返せずにいると、無表情な顔で一瞥することもなくイギリスは、そのまま会議場に背を向けた。その態度は今まで見たこともないほどの拒絶感が漂っていて、咄嗟に何も言えなくなってしまう。
まっすぐに伸ばされた毅然とした背中が歩み去っていく。後には放心したような表情でその場に残されるアメリカの姿だけがあった。
―――― どうしよう……
思わず膝の力が抜けてその場に座り込んでしまいそうになる。
独立戦争でイギリスと決別して以来、彼とは何度も衝突して来た。その都度イギリスは激昂して怒鳴り散らしては、はっきりと何が原因なのかを態度で示してくれていた。だからアメリカも素直になれない中で、解決策を模索して来れたのだ。
逆鱗に触れてもイギリスは決してアメリカを見捨てたりはしない。どんな時でも最終的に折れるのは彼の方だった。
だが今回は違う。イギリスはまったくアメリカの言葉に耳を傾けることはなかった。反論せずにああやってただ静かに背を向ける彼の姿は、まるで200年前パリで交わした講和条約の場面を思い出させるもので、否応なく胸が痛くなる。
今回は、怒鳴り合う中で互いの気まずさを払拭して来たような、今までのやり方では駄目だと思った。
自分の発言のうかつさに頭を抱え込みたくなったが、アメリカはそれでもなんとか彼を追いかけて、いつものような言い合いをして元に戻らなければならないと思った。
このままでは恐らく、何かが決定的に駄目になるような気がする。確かに自分は言い過ぎた。言ってはいけないことを言ったのだ。それが分からないほど子供ではないし、言い訳が通じるような立場でもない。
甘えてはいけないのだ。イギリスの静かな怒りを受け止めて、今回は誤魔化すような真似はぜず正面からきちんと謝らなければならないだろう。
世界各国が見守る中、アメリカはかつて七つの海を支配した誇り高き大英帝国の威信に傷をつけたのだ。
追いかけなければと、そう思いながらも沈んでいく気分は浮上する気配を見せず、目線はどんどん下を向いていった。固まった足は一歩もその場を動かせない。
そんなにも自分はイギリスの無関心な態度が、ショックだったのだろうか。
―――― 駄目だ、俯いてはいけない。
そう教えられたではないか。何があっても俯いてはいけないと。
どんな時も眼差しは毅然と前を見据えなければならないのだと。
固くこぶしを握りしめて、唇を引き結んで、両足に力を入れて立たなければならないのだと教えられたではないか。
それなのに。
「アメリカ」
突然声をかけられてハッと息を呑んで顔を上げれば、そこには自分によく似た顔が心配そうに佇んでいた。
「カナダ……」
「君、ひどい顔だよ?」
ある意味幼馴染のような存在の彼はそんな事を言いながら、アメリカの気落ちした表情に驚きながら手を伸ばして来た。
カナダの指先が頬に触れれば、先程まで感じていたざわめきがすっと落ち着くような気がする。どうやら思った以上に自分は混乱していたようだ。
「さっきのイギリスさん、ちょっと怖かったね」
「怒ってた」
「うん……君に対してあんなふうに怒るとこ、今まで見たことなかったから驚いた」
カナダは当事者でもないのに溜息をついて、眉をきゅっとひそめると戸惑った視線でアメリカを見つめる。その眼を見返しながらこちらも自然と落ちた溜息は実に重かった。
「とうとう愛想つかされちゃったかな」
「アメリカ……」
「俺はさ、心のどこかで彼のことを、いつだって盲目的に信じているんだろうね。何をしても何を言っても、イギリスは俺の味方なんだって、勝手に思い込んでしまっているんだ」
結局子供の時と一緒で、自分は彼にとって唯一の存在だと、馬鹿みたいに無意識に信じ込んでしまっている。
事実、あれだけ酷い仕打ちをして独立を果たした今も、イギリスは最初の100年くらいはなんだかんだと恨み事は尽きなかったが、最終的にはアメリカを赦しその愛情を変化させながらここまで付き合ってくれていた。
世界情勢的に無視出来ない関係性を抜きにしても、彼はなんだかんだでアメリカを陰で助けており、はじめはそのお節介な部分に立てついたこともあるが、今となっては感謝することの方がずっと多かった。若い国がやっていくのに困らないだけの知恵と力は、全て彼から受け継いだものなのだ。
結局は甘えていたということなのだろう。
一人前だと言いながらも、どこかで無意識に彼に甘えていたのだ。
だからイギリスが反対意見を言うたびに、どうして賛成してくれないのかと憤り、味方してくれるのが当たり前だと思うようになっていた。
そうでなければあんな言葉が出るわけがない。
あれは明らかに、国と国との話し合いの場で無責任に、個人的な感情を優先させた言動に違いなかった。子供が親にわがままを言うような、実に情けない態度だった。
だからこそイギリスは呆れ、そして怒ったのだろう。彼も国なのだ、譲れない一線や許してはならない言葉がある。
どんなに親しくとも踏み越えてはならないものがあると言うのに。
だからこそ自分は彼を傷つけてまで独立を果たしたのではなかったか。
「……あぁもう、最低だ……」
「アメリカ、大丈夫だよ。ちゃんと謝ればイギリスさんだって許してくれるよ」
「でも、謝罪は受け付けないって……」
「そりゃあ、あの場ではああ言うしかなかったんじゃないのかな。だってあの人、君に頭を下げさせたくはなかっただろうし」
カナダの言葉にアメリカは怪訝そうな顔をした。
何が言いたいのだろうと無言で問いかければ、カナダはおっとりとした口調の中にもしっかりとした強さを滲ませて続けた。
「君があそこで謝っちゃったら、たぶん他の国も絶対に黙っちゃいないだろうしね。この件はあくまでイギリスさんとアメリカだけの問題ってことにしておきたかったんじゃないかな。君、最近ちょっと敵多いし」
「…………」
「でも、本当に怒っていたことは事実だと思うよ。君はイギリスさんが一番触れて欲しくない部分に思いきり踏み込んだんだもん」
アメリカが独立したことで一番傷ついたのはイギリスだ。
今の互いの立場を誰より苦々しく思っているのも彼である。
それが分からないはずはなかったのに。
「まぁなにはともあれ、こんなところでうだうだ言ってるのはアメリカらしくないよ。謝るなら早い方がいいでしょ。さっさと行っておいでよ」
「……そう、だよね」
「早くしないとイギリスさん、飛行機に乗っちゃうよ。今ならまだ間に合うから」
「分かった。……ありがとう、カナダ!」
確かに悩んでいるだけでは何の解決にもならない。
こんなのはまったくもって自分らしくない。
今まで何度も衝突してきたが、そのたびにうまくやってきたのだ、何を躊躇うことがあるのだろう。いつもなら落ち込むより先に行動していたはずだ。
そう思って駆け出せば、後方からカナダの「がんばってー」という明るい声が聞こえて来た。
素敵なリクエストをどうもありがとうございました!
つたない作品ではありますが、少しでもお気に召していただければ幸いです。
なんて言いますか、実は私、喧嘩シーンって本当に書くのが苦手でして。冷たいイギリスの態度というものを重点的に、どうしようどうしようと悩む青年メリカを頑張って書いてみました。
普段はポジティブなアメリカですが、イギリスのこととなると思った以上に落ち込んでしまうのも、新鮮でいいなぁと思ってみたり。
それと大変申し訳ないのですが、この話の続きは次のリクエスト作品「I.」と対にさせていただこうと思っています。勝手ながらどうかご了承下さいませ。
このたびは七夕企画へご参加下さいましてありがとうございました!
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