紅茶をどうぞ
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[お題] 隣にいるだけで
ロシアと日本の到着を待ちながら、休憩を挟みつつ軽く打ち合いをしている間も、アメリカはとくに機嫌が下降することもなく先ほどとあまり変わらない表情でプレイを続けていた。
正直、不機嫌になって帰ってしまうかもしれないと思っていたイギリスは、ほっとするのと同時にこのまま波乱なく一日が過ぎればいいと願った。……あまり期待は出来ないが。
1時間もしないうちに入口に人の気配を感じて、ラケットを振る手を止めるとイギリスは振り返った。
クラブの人間に先導されてロシアと日本が歩いてくるのが見える。先に説明していた通り、こちらに案内される前にすでに着替えは済ませているようで、二人とも白いテニスウエアに身を包んでいた。ゆっくりとコートに向かって歩みを進める彼らに、アメリカはボールを器用に指先でくるくると回しながら、明るい声を掛ける。
「やぁ」
「お久しぶりです、アメリカさん、イギリスさん」
日本が独自のお辞儀を深々とすれば、その後ろからロシアもにっこりと笑顔を見せる。いかにも嘘くさいそれにアメリカもまた機嫌良さそうに応じた。
「待ってたんだよ。これでイギリスとつまらない打ち合いをしなくて済むからね」
「つまらなくて悪かったな!」
相変わらずの言い草に条件反射的に叫び返して、イギリスは日本の前へと走って行った。
彼と会うのは3カ月振りだろうか。黒い瞳はいつもと変わらぬ穏やかさをたたえており、イギリスの姿を映して嬉しそうに細められていた。
その少し後ろに立つロシアを見遣ると、彼はアメリカと視線を合わせたまま冷やかな笑みを浮かべている。試合が始まる前から険悪な雰囲気が漂っていて、自然と重い溜息が落ちた。
「ロシアはテニス、出来るのかい?」
近付いて来たアメリカの問い掛けにどうだろうね、と言って小首をかしげながら、ロシアは手にしたラケットの淵を長い指先でするりと撫でる。
そう言えば各国が集まった時に行われたお遊びテニスの時間でも、彼は決してコートには出てこなかった。木陰のベンチに腰掛けてただ皆の打ち合いを見ているだけで、積極的に参加しようという気配はまったくなかった気がする。何度か声を掛けても断られてばかりだったので、果たして出来るのか出来ないのか今の段階ではさっぱり分からない。
今日もあまり乗り気なようには見えず、誘った手前イギリスは少々申し訳なく思った。
「もしかして嫌だったか?」
「え? あ、ううん。別にいいけど……ダブルスでしょ? どうやって組むのかな?」
「そうだな……」
ロシアの問い掛けにイギリスは日本を振り返った。彼はいつもどおり、お任せしますよと言って特に意見は述べない。ならコイントスで決めるかと思って、先ほどアメリカに投げたコインを返してもらおうとそちらに視線を流すと、ものすごく楽しそうな顔をした彼とばちりと目が合った。
「な、なんだよアメリカ……」
「俺はイギリスと組む!」
「は? あーもう、いいからコイン寄越せ。トスで決める」
「反対意見は認めないぞ」
「お前なぁ……」
こんな所でも俺様発言かよ、と思って呆れた溜息をつけば、アメリカは素知らぬ風を装ってさっさとコートに行ってしまった。
声を掛ける気力も起きない。
「僕はいいよ。日本君、よろしくね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そつなく返答して日本がすぐにロシアの隣りに立った。そうなればイギリスとしてもアメリカと組むことに不都合はなく、四人はそれぞれ二手に分かれてネットを挟んで対峙することになった。
イギリスはアメリカからボールを受け取ると、ロシアに向かって声を掛ける。
「とりあえず練習してみよう。ロシア、そっちに打ち込むから返せ」
「うん分かった。ワンバウンドしたボールを打ち返せばいいんだよね」
「そうだ」
ルールはさすがに分かっているようで、軽く頷いた彼めがけてやや軽めのサーブを決める。コン、と乾いた音が響いて黄色のボールが飛んで行くと、それに合わせてロシアもまたラケットを振った。
ちゃんと中央に球を捉えている。
「えいっ」
お、なかなか上手いじゃないか……そう思ってイギリスがラケットを構え直したそのすぐ真横を、ふいに物凄い勢いで予期せぬ鋭い風が通り過ぎていく。まるで弾丸でも撃ち込まれたような衝撃に咄嗟に身を捩ると、テニスボールとは思えない圧力を持った何かが後方の地面にのめり込むのを感じた。
「………………」
恐る恐る振り返る。コートから白い煙が立ち上り、陥没した穴の奥の方に黄色のひしゃげた塊が見える……ような気がした。
―――― いやいやいやいや待て待て待て待てありえないから。
唖然として目を剥くイギリスと、事情が呑み込めずにうん?と首を傾げるアメリカ、そして真っ青になってぶるぶると震え出した日本が見守る中、ロシアは一人で不思議そうにラケットをぶんぶんと振り回していた。
「あれぇ? これじゃ駄目だった?」
「いや……いやいやいや! お前、それおかしいだろ!? ボール地面にめり込んでるじゃねーか!!」
「えーそうかなぁ。軽くぽんって打ち返しただけなのに」
おかしいなぁと首を捻りながらロシアは口元に微笑を浮かべて、ちらりとアメリカを見遣った。その眼は少しも笑ってはいない。むしろシベリアの寒気さながらに冷ややかだ。
そんな彼と目が合えば、アメリカもまたにっこりといい顔で笑う。実に楽しそうなその笑顔にイギリスはもちろんのこと、日本もじりじりと後じさりを始めた。
「ふふふ面白いじゃないか!」
「ア、アメリカ……」
「それでこそロシアだね。いいよ受けて立つよ! 俺は悪を滅ぼすヒーローだからね!」
「勝手に悪人認定されちゃった」
てへ、と恥ずかしそうに笑ってから、うっかり国際問題に発展しかねない発言をさらりとかわして、ロシアは手慣れた様子でラケットを構え直した。どこからでもどうぞという姿勢に、アメリカも嬉々として地面に沈んだボールを掘り出す。
ゆがんだ形のそれを彼が片手でぐいっと押すと、嫌な音を立ててボールは元に戻った。硬式だというのに柔らかな素材で出来ているかのように見えて、一瞬気が遠くなる。
俺から行くよ、と言ってアメリカが思いきりサーブを決めれば、ボールは怪しげな轟音を響かせて相手のコートに突き刺さるように飛んだ。そんな球をロシアはなんなく追いついて軽々打ち返してしまう。
バシッ、ゴスッ、ドスッ、メキッ…………どう考えてもテニスをしているとは思えない音がコート中に響きわたった。よくまぁガッドが破れないものだとかえって変な方向に感心してしまうが、とりあえずイギリスは巻き込まれまいとしてそろそろと離れていく。同じように日本もこちらへ退いてきた。
とてもじゃないがこんな二人と一緒にテニスは出来ない。
「イギリスさん」
「あぁ、もうこいつら放っておいて俺達は俺達でプレイしよう」
「賛成です」
顔色の悪い日本を伴って、よろよろと隣のコートに移動する。嫌な予感はしていたが、本当に嫌なことになった。あれほど自重しろと言ったのにロシアの奴……!!
イギリスは忌々しげに奥歯を噛み締めると、手入れの生き届いた美しいグラスコートが穴だらけにならないように、普段は滅多に祈ることのない神へと十字を切った。
なんだかんだで時間が過ぎ去り、四人はお腹がすいたという、しごくまっとうな理由で移動することになった。断じて追い出されたわけではない。
シャワーを浴びて着替えを済ませれば心地よい疲労感に包まれた。外は涼やかな風が吹きはじめ、穏やかな夕暮れ時を迎えている。
最初の方こそ火花を散らすようなエキサイティングな展開があったものの、案外アメリカはロシアとのプレイを楽しんでいたようで、騒がしくもそれなりにラリーを続けていた。恐らく本気でやりあっても問題のない相手だというところに余計満足したのだろう。
ただ、いい汗がかけたよ!と言いながらもあと50ゲームはいけるかな、という問題発言をして日本に本気で引かれていた。アメリカが言うと冗談に聞こえないところが怖い。
ロシアの方は持ち前のポーカーフェイスでありえない剛速球を打ち返していたものの、最後の方は心底嫌そうに眉を顰めているのが見えた。腕前の方は互角でも、無限の体力を誇るアメリカ相手ではさすがに付き合いきれないものを感じたのかも知れない。
「メシどうしようか」
「君の手料理以外ならなんでもいいぞ!」
イギリスの声掛けにアメリカが相変わらずな返答を寄越した。むっとして眉間に皺を刻みながらも、否が応でも手料理を振舞いたいわけではないのでとくに強く主張はしない。
日本とロシアの顔を見れば二人は何でもいいという感じだったので、どこかホテルのレストランにでも行こうと進路を変える。
そんな時、ふと人混みの先に見慣れた顔を見つけて足を止めた。
「イギリス?」
同じく立ち止まったアメリカにちょっと待ってろと声を掛けて、イギリスは荷物を押し付けるとぱっと走り出した。
その顔はまるで「いいものを見付けた」と言わんばかりだ。
「フランシス!」
人と人との間から少し強めの声で名前を呼ぶと、ゆるくウェーブのかかった長めの金髪にサングラスをさした男が、こちらの声に気がついて顔を巡らせる。
すぐにイギリスの姿を認めて口元に笑みを浮かべると、彼はよおと手を挙げてまっすぐ歩み寄って来た。
その腕の中にはロンドンで一番有名な百貨店の袋が抱えられている。
「ハロッズで買い物か?」
「まぁな。お前こそこんなところでどうした。そっちにロシアと日本が行かなかったか?」
「あそこにいる」
そう言って振り返って指差せば、アメリカ達もこちらに気付いたのか、三人で人混みをかき分けながら歩いて来るのが見えた。
「アメリカも来ていたのか。相変わらず牽制してんのかね、あの坊やは」
「それよりお前、今暇か?」
ぽつりと呟いたフランスの声などまったく聞く気もないイギリスは、さらりと無視をして尋ねた。その顔には常にない期待に満ち溢れた表情が浮いている。折角ここで会えたのだ、このまま引っ張り込んで自分達のために夕食作らせようという、いかにも彼らしい魂胆が見え見えだった。
そんな仇敵の思惑をすばやく察知して嫌な予感を覚えたのか、フランスは眉をひそめてじりっと後退しかけた。だがその腕を、イギリスは容赦なくがっちりと掴んでしまう。
「暇ならメシ作れ」
「お前ねぇ。なに唐突に亭主関白なこと言ってんのよ」
「いいから作れ」
「いやいや、今夜はちょっと」
慌ててフランスが断ろうとしたところで、アメリカ達がやって来た。
日本がまたお会いしましたね、と言って頭を下げる後ろで、ロシアもひらひらと手を振っている。その気安い感じに、そう言えば案外フランスとロシアは仲がいいんだよなぁとイギリスが思っていれば、急にずしりと頭に重みがかかった。
何事かと目線を上げればアメリカがすぐ後ろに立ち、こちらの頭に腕を乗せている。しかもご丁寧に体重まで掛けていた。
「やぁ、久し振りだね、フランス」
「ちょ……お前重い! 乗せるな!」
「イギリスは本当に貧弱だなぁ」
「う、うるせぇ! ふざけんな、さっさとどけ!」
「ははは、やなこった」
楽しそうに笑いながらアメリカは、抗議の声を上げるイギリスにぐりぐりとヘッドドロップをかましていた。だがそんな青年の、眼鏡の奥の目がまっすぐ自分に向けられていて、フランスは苦笑を浮かべながら軽く溜息をつく。
どうやらアメリカは、イギリスがフランスに声を掛けたことが気に入らないらしい。こういうところはまだまだガキなんだよなぁ、でも可愛いよなぁと、本人に知られたら経済制裁でもされそうなことを考えながら、フランスはじゃれあう二人を無視して後方に立つ日本とロシアに問いかけた。
「お前らこれから夕飯なのか?」
「はい。どこかレストランにでも行く予定でしたが……あ。もしかしてイギリスさん、フランスさんの手料理を期待なさったのですか?」
日本の言葉にイギリスがそうだと言わんばかりに大きく頷く。張り付いていたアメリカはつい一瞬前に頭突きで押しのけられていた。顎を押さえて地面に座り込む青年に誰も目を向けていないのは、まぁ仕方がないことだろう。自業自得というやつだ。
イギリスは、基本的に外食があまり好きではない。しかし自分の作るものは不評なうえ、ゲストである日本やロシアに頼むわけもいかず諦めていたところ、丁度良くフランスを見付けたのだから強引にでも頼み込まないわけがなかった。
料理好きなフランスはリクエストされればたいてい応えてくれるし、多少無理を言っても気にする必要なんて欠片もない。だから遠慮なく捕まえてみたのだが、当のフランスは残念そうに肩を竦めて見せた。
「あー……俺としても腕を振るいたいのはやまやまだが、今日は来客があってな。そのためにわざわざイギリスワインを買いに来たわけだし」
「客? 誰だ?」
「ドイツとイタリア」
「ふぅん……なら別にいいじゃない」
ロシアがのんびりした口調で問題なし、という感じにさらりと言う。
怪訝そうな顔をするフランスに彼はなんでもないことのように続けた。
「顔見知りなんだし、一緒に夕食とろうよ。それとも何か重大な会議でもあるの?」
「いや、そういうわけじゃ……あぁまぁいいだろ、あいつらだったら確かにお前と同じことを言いそうだ」
賑やかなことが大好きなイタリアの笑顔を思い浮かべ、苦笑混じりにそう答えれば、いつの間にやら立ち上がっていたアメリカがやったとばかりに楽しげに指を鳴らした。
フランスのことは気に食わないけれど料理となると話は別らしい。唯我独尊気質は相変わらずのようで、本当にイギリスといいアメリカといい、この兄弟はなんという似た者同士なのだろうか。似なくていいところばかり似すぎていて困る。
知らずにこぼしたフランスの溜息に、気付いたロシアがくすくすとおかしそうに笑えば、隣にいた日本もうっすら微笑しながらそれを小さくたしなめた。
どうやらこちらはこちらで、相変わらず喰えない性格のようだ。
何はともあれそうと決まれば話は早い。結局日本とロシアは戻ることになってしまうが、五人は揃ってフランスの家に行くことになった。
途中で人数分の食材とワインを買い増しし、ついでに飲み明かそうと別のアルコールも仕入れれば準備万端だ。
あとはパリを目指すのみ。
一同はドーヴァー海峡を越えるためユーロスターの乗り場へと向かった。
正直、不機嫌になって帰ってしまうかもしれないと思っていたイギリスは、ほっとするのと同時にこのまま波乱なく一日が過ぎればいいと願った。……あまり期待は出来ないが。
1時間もしないうちに入口に人の気配を感じて、ラケットを振る手を止めるとイギリスは振り返った。
クラブの人間に先導されてロシアと日本が歩いてくるのが見える。先に説明していた通り、こちらに案内される前にすでに着替えは済ませているようで、二人とも白いテニスウエアに身を包んでいた。ゆっくりとコートに向かって歩みを進める彼らに、アメリカはボールを器用に指先でくるくると回しながら、明るい声を掛ける。
「やぁ」
「お久しぶりです、アメリカさん、イギリスさん」
日本が独自のお辞儀を深々とすれば、その後ろからロシアもにっこりと笑顔を見せる。いかにも嘘くさいそれにアメリカもまた機嫌良さそうに応じた。
「待ってたんだよ。これでイギリスとつまらない打ち合いをしなくて済むからね」
「つまらなくて悪かったな!」
相変わらずの言い草に条件反射的に叫び返して、イギリスは日本の前へと走って行った。
彼と会うのは3カ月振りだろうか。黒い瞳はいつもと変わらぬ穏やかさをたたえており、イギリスの姿を映して嬉しそうに細められていた。
その少し後ろに立つロシアを見遣ると、彼はアメリカと視線を合わせたまま冷やかな笑みを浮かべている。試合が始まる前から険悪な雰囲気が漂っていて、自然と重い溜息が落ちた。
「ロシアはテニス、出来るのかい?」
近付いて来たアメリカの問い掛けにどうだろうね、と言って小首をかしげながら、ロシアは手にしたラケットの淵を長い指先でするりと撫でる。
そう言えば各国が集まった時に行われたお遊びテニスの時間でも、彼は決してコートには出てこなかった。木陰のベンチに腰掛けてただ皆の打ち合いを見ているだけで、積極的に参加しようという気配はまったくなかった気がする。何度か声を掛けても断られてばかりだったので、果たして出来るのか出来ないのか今の段階ではさっぱり分からない。
今日もあまり乗り気なようには見えず、誘った手前イギリスは少々申し訳なく思った。
「もしかして嫌だったか?」
「え? あ、ううん。別にいいけど……ダブルスでしょ? どうやって組むのかな?」
「そうだな……」
ロシアの問い掛けにイギリスは日本を振り返った。彼はいつもどおり、お任せしますよと言って特に意見は述べない。ならコイントスで決めるかと思って、先ほどアメリカに投げたコインを返してもらおうとそちらに視線を流すと、ものすごく楽しそうな顔をした彼とばちりと目が合った。
「な、なんだよアメリカ……」
「俺はイギリスと組む!」
「は? あーもう、いいからコイン寄越せ。トスで決める」
「反対意見は認めないぞ」
「お前なぁ……」
こんな所でも俺様発言かよ、と思って呆れた溜息をつけば、アメリカは素知らぬ風を装ってさっさとコートに行ってしまった。
声を掛ける気力も起きない。
「僕はいいよ。日本君、よろしくね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そつなく返答して日本がすぐにロシアの隣りに立った。そうなればイギリスとしてもアメリカと組むことに不都合はなく、四人はそれぞれ二手に分かれてネットを挟んで対峙することになった。
イギリスはアメリカからボールを受け取ると、ロシアに向かって声を掛ける。
「とりあえず練習してみよう。ロシア、そっちに打ち込むから返せ」
「うん分かった。ワンバウンドしたボールを打ち返せばいいんだよね」
「そうだ」
ルールはさすがに分かっているようで、軽く頷いた彼めがけてやや軽めのサーブを決める。コン、と乾いた音が響いて黄色のボールが飛んで行くと、それに合わせてロシアもまたラケットを振った。
ちゃんと中央に球を捉えている。
「えいっ」
お、なかなか上手いじゃないか……そう思ってイギリスがラケットを構え直したそのすぐ真横を、ふいに物凄い勢いで予期せぬ鋭い風が通り過ぎていく。まるで弾丸でも撃ち込まれたような衝撃に咄嗟に身を捩ると、テニスボールとは思えない圧力を持った何かが後方の地面にのめり込むのを感じた。
「………………」
恐る恐る振り返る。コートから白い煙が立ち上り、陥没した穴の奥の方に黄色のひしゃげた塊が見える……ような気がした。
―――― いやいやいやいや待て待て待て待てありえないから。
唖然として目を剥くイギリスと、事情が呑み込めずにうん?と首を傾げるアメリカ、そして真っ青になってぶるぶると震え出した日本が見守る中、ロシアは一人で不思議そうにラケットをぶんぶんと振り回していた。
「あれぇ? これじゃ駄目だった?」
「いや……いやいやいや! お前、それおかしいだろ!? ボール地面にめり込んでるじゃねーか!!」
「えーそうかなぁ。軽くぽんって打ち返しただけなのに」
おかしいなぁと首を捻りながらロシアは口元に微笑を浮かべて、ちらりとアメリカを見遣った。その眼は少しも笑ってはいない。むしろシベリアの寒気さながらに冷ややかだ。
そんな彼と目が合えば、アメリカもまたにっこりといい顔で笑う。実に楽しそうなその笑顔にイギリスはもちろんのこと、日本もじりじりと後じさりを始めた。
「ふふふ面白いじゃないか!」
「ア、アメリカ……」
「それでこそロシアだね。いいよ受けて立つよ! 俺は悪を滅ぼすヒーローだからね!」
「勝手に悪人認定されちゃった」
てへ、と恥ずかしそうに笑ってから、うっかり国際問題に発展しかねない発言をさらりとかわして、ロシアは手慣れた様子でラケットを構え直した。どこからでもどうぞという姿勢に、アメリカも嬉々として地面に沈んだボールを掘り出す。
ゆがんだ形のそれを彼が片手でぐいっと押すと、嫌な音を立ててボールは元に戻った。硬式だというのに柔らかな素材で出来ているかのように見えて、一瞬気が遠くなる。
俺から行くよ、と言ってアメリカが思いきりサーブを決めれば、ボールは怪しげな轟音を響かせて相手のコートに突き刺さるように飛んだ。そんな球をロシアはなんなく追いついて軽々打ち返してしまう。
バシッ、ゴスッ、ドスッ、メキッ…………どう考えてもテニスをしているとは思えない音がコート中に響きわたった。よくまぁガッドが破れないものだとかえって変な方向に感心してしまうが、とりあえずイギリスは巻き込まれまいとしてそろそろと離れていく。同じように日本もこちらへ退いてきた。
とてもじゃないがこんな二人と一緒にテニスは出来ない。
「イギリスさん」
「あぁ、もうこいつら放っておいて俺達は俺達でプレイしよう」
「賛成です」
顔色の悪い日本を伴って、よろよろと隣のコートに移動する。嫌な予感はしていたが、本当に嫌なことになった。あれほど自重しろと言ったのにロシアの奴……!!
イギリスは忌々しげに奥歯を噛み締めると、手入れの生き届いた美しいグラスコートが穴だらけにならないように、普段は滅多に祈ることのない神へと十字を切った。
* * * * * * * * * * * * * * *
なんだかんだで時間が過ぎ去り、四人はお腹がすいたという、しごくまっとうな理由で移動することになった。断じて追い出されたわけではない。
シャワーを浴びて着替えを済ませれば心地よい疲労感に包まれた。外は涼やかな風が吹きはじめ、穏やかな夕暮れ時を迎えている。
最初の方こそ火花を散らすようなエキサイティングな展開があったものの、案外アメリカはロシアとのプレイを楽しんでいたようで、騒がしくもそれなりにラリーを続けていた。恐らく本気でやりあっても問題のない相手だというところに余計満足したのだろう。
ただ、いい汗がかけたよ!と言いながらもあと50ゲームはいけるかな、という問題発言をして日本に本気で引かれていた。アメリカが言うと冗談に聞こえないところが怖い。
ロシアの方は持ち前のポーカーフェイスでありえない剛速球を打ち返していたものの、最後の方は心底嫌そうに眉を顰めているのが見えた。腕前の方は互角でも、無限の体力を誇るアメリカ相手ではさすがに付き合いきれないものを感じたのかも知れない。
「メシどうしようか」
「君の手料理以外ならなんでもいいぞ!」
イギリスの声掛けにアメリカが相変わらずな返答を寄越した。むっとして眉間に皺を刻みながらも、否が応でも手料理を振舞いたいわけではないのでとくに強く主張はしない。
日本とロシアの顔を見れば二人は何でもいいという感じだったので、どこかホテルのレストランにでも行こうと進路を変える。
そんな時、ふと人混みの先に見慣れた顔を見つけて足を止めた。
「イギリス?」
同じく立ち止まったアメリカにちょっと待ってろと声を掛けて、イギリスは荷物を押し付けるとぱっと走り出した。
その顔はまるで「いいものを見付けた」と言わんばかりだ。
「フランシス!」
人と人との間から少し強めの声で名前を呼ぶと、ゆるくウェーブのかかった長めの金髪にサングラスをさした男が、こちらの声に気がついて顔を巡らせる。
すぐにイギリスの姿を認めて口元に笑みを浮かべると、彼はよおと手を挙げてまっすぐ歩み寄って来た。
その腕の中にはロンドンで一番有名な百貨店の袋が抱えられている。
「ハロッズで買い物か?」
「まぁな。お前こそこんなところでどうした。そっちにロシアと日本が行かなかったか?」
「あそこにいる」
そう言って振り返って指差せば、アメリカ達もこちらに気付いたのか、三人で人混みをかき分けながら歩いて来るのが見えた。
「アメリカも来ていたのか。相変わらず牽制してんのかね、あの坊やは」
「それよりお前、今暇か?」
ぽつりと呟いたフランスの声などまったく聞く気もないイギリスは、さらりと無視をして尋ねた。その顔には常にない期待に満ち溢れた表情が浮いている。折角ここで会えたのだ、このまま引っ張り込んで自分達のために夕食作らせようという、いかにも彼らしい魂胆が見え見えだった。
そんな仇敵の思惑をすばやく察知して嫌な予感を覚えたのか、フランスは眉をひそめてじりっと後退しかけた。だがその腕を、イギリスは容赦なくがっちりと掴んでしまう。
「暇ならメシ作れ」
「お前ねぇ。なに唐突に亭主関白なこと言ってんのよ」
「いいから作れ」
「いやいや、今夜はちょっと」
慌ててフランスが断ろうとしたところで、アメリカ達がやって来た。
日本がまたお会いしましたね、と言って頭を下げる後ろで、ロシアもひらひらと手を振っている。その気安い感じに、そう言えば案外フランスとロシアは仲がいいんだよなぁとイギリスが思っていれば、急にずしりと頭に重みがかかった。
何事かと目線を上げればアメリカがすぐ後ろに立ち、こちらの頭に腕を乗せている。しかもご丁寧に体重まで掛けていた。
「やぁ、久し振りだね、フランス」
「ちょ……お前重い! 乗せるな!」
「イギリスは本当に貧弱だなぁ」
「う、うるせぇ! ふざけんな、さっさとどけ!」
「ははは、やなこった」
楽しそうに笑いながらアメリカは、抗議の声を上げるイギリスにぐりぐりとヘッドドロップをかましていた。だがそんな青年の、眼鏡の奥の目がまっすぐ自分に向けられていて、フランスは苦笑を浮かべながら軽く溜息をつく。
どうやらアメリカは、イギリスがフランスに声を掛けたことが気に入らないらしい。こういうところはまだまだガキなんだよなぁ、でも可愛いよなぁと、本人に知られたら経済制裁でもされそうなことを考えながら、フランスはじゃれあう二人を無視して後方に立つ日本とロシアに問いかけた。
「お前らこれから夕飯なのか?」
「はい。どこかレストランにでも行く予定でしたが……あ。もしかしてイギリスさん、フランスさんの手料理を期待なさったのですか?」
日本の言葉にイギリスがそうだと言わんばかりに大きく頷く。張り付いていたアメリカはつい一瞬前に頭突きで押しのけられていた。顎を押さえて地面に座り込む青年に誰も目を向けていないのは、まぁ仕方がないことだろう。自業自得というやつだ。
イギリスは、基本的に外食があまり好きではない。しかし自分の作るものは不評なうえ、ゲストである日本やロシアに頼むわけもいかず諦めていたところ、丁度良くフランスを見付けたのだから強引にでも頼み込まないわけがなかった。
料理好きなフランスはリクエストされればたいてい応えてくれるし、多少無理を言っても気にする必要なんて欠片もない。だから遠慮なく捕まえてみたのだが、当のフランスは残念そうに肩を竦めて見せた。
「あー……俺としても腕を振るいたいのはやまやまだが、今日は来客があってな。そのためにわざわざイギリスワインを買いに来たわけだし」
「客? 誰だ?」
「ドイツとイタリア」
「ふぅん……なら別にいいじゃない」
ロシアがのんびりした口調で問題なし、という感じにさらりと言う。
怪訝そうな顔をするフランスに彼はなんでもないことのように続けた。
「顔見知りなんだし、一緒に夕食とろうよ。それとも何か重大な会議でもあるの?」
「いや、そういうわけじゃ……あぁまぁいいだろ、あいつらだったら確かにお前と同じことを言いそうだ」
賑やかなことが大好きなイタリアの笑顔を思い浮かべ、苦笑混じりにそう答えれば、いつの間にやら立ち上がっていたアメリカがやったとばかりに楽しげに指を鳴らした。
フランスのことは気に食わないけれど料理となると話は別らしい。唯我独尊気質は相変わらずのようで、本当にイギリスといいアメリカといい、この兄弟はなんという似た者同士なのだろうか。似なくていいところばかり似すぎていて困る。
知らずにこぼしたフランスの溜息に、気付いたロシアがくすくすとおかしそうに笑えば、隣にいた日本もうっすら微笑しながらそれを小さくたしなめた。
どうやらこちらはこちらで、相変わらず喰えない性格のようだ。
何はともあれそうと決まれば話は早い。結局日本とロシアは戻ることになってしまうが、五人は揃ってフランスの家に行くことになった。
途中で人数分の食材とワインを買い増しし、ついでに飲み明かそうと別のアルコールも仕入れれば準備万端だ。
あとはパリを目指すのみ。
一同はドーヴァー海峡を越えるためユーロスターの乗り場へと向かった。
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