紅茶をどうぞ
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「昼下がりの教室」続き 『5年後』
100年に一度の体験授業。
イギリスが自国民の最高学府であるオックスフォードにて、余暇を全て傾け最新知識を収集していたあの一ヶ月から、5年の月日が流れていた。
初めてアメリカと机を並べて講義に耳を傾けた日々。会議ではなんだかんだと騒がしい彼も、さすがに授業中は静かに熱心に教授の話を聞き、出されたレポート課題にも真剣に取り組んでいた。
短い期間だったがサークル活動にも親しみ、たくさんの生徒たちと楽しく会話をした記憶が思い出される。たまにはこういうのもいいね、と外見年齢そのままの笑顔を浮かべたアメリカに、イギリスもまた眩しそうに目を細めたのだった。
なにげない毎日を二人共に過ごしていく、そんな時間が貴重であり必要だと言う事を彼も自分も学んだような気がした。
いつかまたそういう時が来ればいいと心の片隅に思いながら、イギリスは次の百年後を密やかな楽しみにしている自分に気付いて苦笑する。
本当に、我ながら随分と気の長いことだと。
仕事を終えて携帯のメールをチェックするのはここ最近馴染んだ動作だった。
帰りの車を待つ間、販売機の味気ない紅茶の紙コップを片手に、人気のない休憩室でぼんやりと液晶画面に目を落とす。着信は一通、アメリカからのものだった。
件名には絵文字が使ってあり、無駄にテンションの高さを伝えてくるものだから、イギリスは自然と口元に微笑を浮かべざるを得ない。
小さなボタンを指先で操作しながらメールの内容に目を通した。そして意外な文面にしばしまばたきを忘れて見入ってしまう。
「入学案内?」
あまり馴染みのない単語だったが、さすがに意味は分かる。戸惑いながらも先へ読み進めていくと、urlが貼ってあり詳細はこちらと書いてあった。
何の疑問も抱かずそこをクリックする。すると浮かび上がってくるのはひとつの大学の名前。
「ハーバード大学短期入学へのご案内……ってまさか、あいつ」
なんとなく嫌な予感がしてもう一度メールに戻ると、案の定、文面の下の方には実にアメリカらしい一文が添えられていた。
曰く。
『もう入学申し込みはしておいたからね! 今度は君がこっちへ来るといい。6月後半から8月半ばまではあけておいてくれよ!』
くらり、と感じた眩暈をこめかみに指を当てることでなんとか持ち直し、思わずキリキリと痛んだ胃を押さえながらイギリスは、端末を握りしめて肩を震わせた。
会議中、イタリアを相手にしたドイツの気分など味わいたくもない。そう思いながらも押し寄せる疲労感と脱力感に、抗うすべなどどこにもなかった。
青い空と爽やか風。
嫌味なほどの晴天の中、イギリスは世界最大規模を誇る合衆国最高学府、ハーバード大学のケンブリッジキャンパスに来ていた。
黒塗りの車でジョンストンゲートを抜けて敷地内へと乗り入れると、ユニバーシティーホールの前にあるジョン・ハーバードの像が見えた。そのまま正面玄関で車を降りれば、出迎えた職員にやたらと慇懃な態度で建物まで案内された。
恐らくアメリカが余計な事を言って事態を大きくしてしまったのだろう。一体どんな説明をしたのかは分からなかったが、少なくとも一般生徒という扱いではなさそうだった。
イギリスは思わずついた溜息の重さに自ら憂鬱になりながら、ちらりと横を見上げれば、アメリカは能天気な顔のまま彼の隣りを歩いていた。
連れて行かれた先はホリオキセンターと呼ばれる、ハーバード大学の運営事務局だった。中へ促されると、忙しそうに数人の男たちが何か小声で話しながら目の前を横切ってゆくのが見えた。
部屋の奥へ視線を転じれば、こちらに気付いた男がスマートな所作で応接セットから立ち上がり、ゆったりとした動きで歩み寄って来る。どうやらこのセンターにおける責任者なのだろうか。そう思って素早く胸元のプレートを確認すれば「Professor」の文字が見え、意外さに目を丸くする。
軽く会釈をされたので、イギリスは姿勢を正して丁寧に一礼をした。アメリカはすでに顔見知りなのか軽い会釈をしただけだった。
「あなたがアーサー・カークランドさんですね、お話は伺っています。当大学へようこそおいで下さいました。私はこの大学で教授をしているスミス・レガードと申します」
「よろしくお願いします、スミス教授」
握手を求められて応じれば、初老の紳士はにこやかな笑顔を浮かべた。
「カークランドさんはオックスフォードを大変優秀な成績でご卒業されたとか」
「とんでもない。若輩者ですがどうかご鞭撻のほどを」
慇懃な態度で謙遜して見せるイギリスに、隣に立つアメリカが笑いを噛み締めるように俯いた。横目で睨みつけながらこみ上げる怒りをなんとか抑え込み、つとめて穏やかな笑顔で眼前の教授に言葉を続ける。
「実は急にこちらに来ることになりまして、事情があまりよく飲み込めてはいないんです」
「そうなんですか。……ジョーンズ君、無理を言って連れて来たりしたのかな?」
スミスの目が後方に立つアメリカに向く。
イギリスもまた同じように後ろを振り返った。まったく、この青年の相変わらずの傍若無人ぶりにはほとほと呆れてしまう。
けれどアメリカは、スミスの咎めるような視線などまったく気にならない様子で、のんびりとした口調で言った。
「細かいことはいいじゃないか。教授、学生証は出来てる?」
「あぁ。急なことで私も驚いたが、希望の品は揃っているよ。今度からはもうちょっと早めに申請してくれると嬉しいが」
言いながらスミスは机の上から4枚のIDカードを渡して来た。イギリスがなんとはなしに目線を向ければ、そのカードには自分とアメリカの顔写真がはめ込まれていた。どうやらこの大学の身分証のようだ。
用意周到なことだと思っていると、アメリカは笑顔で教授の肩を叩きながら気安く続ける。
「ありがとう! このお礼は次の研究費の上乗せってことで上司に話をつけておくよ」
「ははは、彼も君の我儘に振り回されて困っているだろうね。まぁ期待せず待っているよ」
「じゃあさっそく行ってくるね。アーサー、こっちだよ」
いまいち話についていけないイギリスは、呼ばれたままアメリカの背中を追った。スミスを振り返って軽く頭を下げると、彼は「今度時間が空いたらゆっくり話をしましょう」と声を掛けてくる。
どこまで自分たちの素性を知っているのかは分からなかったが、アメリカに上司の話を持ち出されても動じないところをみれば、それなりに上に顔がきく立場の人間なのだろう。そうであればこちらとしても対応しやすい。
知的な眼差しの中に穏やかな温かみを感じ取り、咄嗟に口元をゆるめるとイギリスも「是非!」と言い残して、部屋をあとにした。
アメリカから渡されたカードは、1枚は学生証で、もう1枚は大学内の施設を全て無料で利用出来ると言う、なんとも便利なものだった。
あまり度の過ぎたVIP待遇は嫌だと言ったのだが、アメリカは派手な事が好きだし細かいことには頓着しない性格である。便利なんだからいいじゃないかの一言で全てが片付いてしまうのだから困りものだ。
イギリスはアメリカから少し遅れて廊下を歩きながら、ふと窓の外に気を取られて足を止めた。晴れ渡った空は雲ひとつなく実に良い天気だ。
ここボストンの景色はどこか懐かしい。イングランド人がはじめてこの大陸に作った町だからだろうか。
そもそも名前からしてこの辺はイギリスから受け継いだものが多すぎる。ボストンだってイングランドにあるリンカンシャー郡ボストン市から名づけられたものだ。
思い起こせば、この辺りがまだマサチューセッツ湾植民地だった頃に、一人の牧師の手によって作られたのがこの学校だった。そして総大会議で可決されて、アメリカ最古の大学となったハーバードを、最初に視察したのもイギリスだ。忘れられるはずがない。
オールドヤードと呼ばれるこの建物がある一帯は、特に当時の気配を色濃く残しており、しばし懐かしい思いに囚われる。
いい思い出も悪い思い出も、全てはこの地からはじまったんだよなぁ……とぼんやり眺めて佇んでいると、急に腕を引っ張られて思わずよろめいてしまった。
「イギリス」
「な、なんだよ。ここじゃアーサーって呼べって」
「……何見てたの」
アメリカの目がじっとこちらを探るように見ている。なんとなく先ほどまでの機嫌の良さが薄れているようで、戸惑う。
急にどうしたのかといぶかしみながらも、抜けるような晴天に目を細めながら、イギリスは呟くように言った。
「いや、いい天気だなぁって思ってさ」
「そうじゃくて」
「なんだよ? あ、お前もう腹減ったのか? ったくしょうがねーなぁ……食堂ってどっちだっけ?」
ここに来る前にプリントアウトしておいた校内の見取り図を取り出して目を落とせば、アメリカがそれを横から奪い取ってしまった。
思わず顔を上げれば空色の瞳と目が合う。
「アメリカ? どうした、気分でも悪いのか?」
「……なんでもない。レストランならこっちだよ!」
怪訝そうに首をかしげれば手を握られた。
こんなところで、と思って振り払おうとするがぎゅっと力を入れられていて無理だった。
そのまま引っ張られるようにして廊下を進んで行けば、アメリカは徐々にまとわりつかせていた不機嫌な空気を払拭させていく。ふっと顔を覗き込めば楽しそうに唇が笑みを浮かべており、意味が分からないと心中溜息をつきながらも、イギリスもまた苦笑した。
メモリアルホールの地下にある、学生達が利用するレストランへ入ると、取り敢えず軽くなにか食べようと思いサンドウィッチと紅茶のセットを頼んだ。まだ早い時間でそれほど食欲はなかったが、イギリスはつい先ほどアメリカに到着したばかりだったので、一息つきたいと思っていたところだった。
空港でゲートをくぐった直後にアメリカに捕まり、そのまま車に押し込められて現在にいたるので、正直疲れてもいる。
だがこうやって改めて大学へ入り、周囲を見回せば活気ある若者たちの賑やかな声や楽しげな雰囲気にのまれていると、自然とこちらまで気分が浮きたってくるように感じられた。
やっぱり学校という場所はいいものだと思う。なんと言ってもその国の活力の源であるのだから当然だ。
「そうだ、食べ終わったらハウスに行こう。もう荷物は全部運び入れてあるから着替えて、それからカレッジを見て回ろうよ」
「俺達は同室なのか?」
「当り前じゃないか。折角の寮生活なんだ、相部屋なんて憧れるだろう?」
アメリカは楽しそうに笑ってサンドウィッチを一切れ、つまんだ。
オックスフォードと同じで、ここハーバードも学生達は寮生活が基本である。今回はアメリカの家からは遠く離れているため、外から通うのではなく生徒達と同じように学校の敷地内で暮らすことになっていた。
あらかじめ必要なものは全部送ってあり、本国とのやりとりも可能なようにセキュリティを強化したインターネット環境も完備してある。
アメリカの勝手な行動で突然国をあけなければならなくなり、イギリスも初めはかなり怒っていたし、よっぽど拒絶しようかとも思っていた。だがワシントンから大統領直通電話で自分の上司に電話が入り、双方からなだめられては断りようがない。それに絶対嫌というわけではないのだから、最終的には渋々頷くという形で了承することにした。
当然、わがままな元弟にはとことん甘い自分を自覚している。なんとも情けないことに昔からこうなのだ。この手のことでアメリカに勝てたためしがない。
「お前ってほんと我儘だよなぁ……」
「そうだ、3時からはゼミがあるからね」
「そうなのか? 何のゼミだ?」
「生態系科学」
「あぁ、いいなそれ……って、突然ゼミかよ。勝手に行って入れるわけないだろ」
「大丈夫大丈夫」
なんとかなるさと勝手なことを言いながらアメリカは、コーラ片手に携帯電話で誰かと連絡を取り始めている。また無茶な要求を押し通す気でいるのだろうか……もっと普通に、ごくごく一般的に学生生活を送りたいと思っているイギリスにしてみれば、なんとも複雑な心境にならざるを得ない。
だが前回のオックスフォードと同様に、結局はアメリカが楽しければそれでいいかと納得してしまうのだった。
ハウスで一旦着替えを済ませた二人は、今度はゼミが行われるというカレッジに移動した。
目当ての教室には五人の生徒の姿があった。雑談をしていた彼らはずかずかと遠慮もなく入ってきたアメリカに、一瞬怪訝そうな顔をしたものの「教室を間違えているんじゃない?」と親切な言葉を投げかけて来た。
まぁ普通はそう思うだろうな……と気にしながらも、イギリスもアメリカの後に続いて遠慮がちに室内へと入る。
「今日は特別にこの講義に参加させてもらうことになったんだ。俺はアルフレッド、こっちはアーサー。スミス教授の許可はもう貰ってるよ」
スミス、という名に先ほど事務室で会った初老の教授の顔が思い浮かぶ。なるほど、彼のゼミということか。
生徒達は戸惑った顔をしたものの、すぐに気を取り直して口々に自己紹介をしてくれた。中でも一番手前に座っていたメアリという女生徒が、まっさきに立ち上がってにっこりと満面の笑顔で手を差し出してきた。
「よろしくね、アルフレッド、アーサー」
「うん、よろしく」
気軽にこたえるアメリカに、彼女は好奇心に満ち溢れた眼差しを向けて、率直に質問を浴びせてきた。
「あなたたちはどこの生徒?」
「俺達は外部から来たんだ。特別聴講生ってやつだね。彼はオックスフォードから」
「あらアーサー、貴方イギリスから来たの?」
「あぁ。メアリはどこの出身なんだ?」
「私はカナダよ。バンクーバー」
言いながら椅子を勧められたのでそのまま腰をおろす。
イギリスはカナダと聞いて、ぼんやりとした輪郭の英連邦の一員の顔を思い浮かべた。いつも目立たなくいるのかいないのか分からないと言われているカナダだが、目の前のメアリはそんな彼とは似ても似つかないほど溌剌としている。
「地球環境や生態系に興味があるの?」
「もちろんだ。俺達にも……地球上で生きる全ての生命にとって大切なことだからな」
「私もそう思う。環境問題にはもっと目を向けなくちゃね。貴方もそう思うでしょ、アルフレッド?」
話を振られてアメリカは咄嗟に返答につまり、苦笑を浮かべながら瞬きをした。
今現在、環境問題で一番槍玉に挙げられているのがこのアメリカだ。京都議定書にもサインせず、独自路線を貫きながらもCO2排出量は世界一ときている。誕生日にドイツとイタリアからエコカーを贈られるほど、注意を喚起されているというのに一向に改める気配はなかった。次のサミットでも焦点になる問題なのだがどうするつもりなのかはまだ分からない。
イギリスも基本的にはアメリカとの協調路線を取ってはいるものの、昔から環境汚染には悩まされてきた国だ。産業革命のツケは嫌というほど払わされてきたのだから、この問題に目を向けないわけがなかった。
「カナダも最近大変だよな」
さすがに何も言わないアメリカをちらりと見て、助け舟を出すようにイギリスは話題を振ってみた。メアリはそうなのよ、と頷いて形良い眉を顰める。
「松が枯れて酷いことになっていて。本当に困った問題だわ」
「確かそれは虫が原因だったよな?」
「ええ。これも温暖化の影響かしら」
溜息と共にこぼれた言葉に、次回の世界会議のことを思ってこちらもまた重い溜息をつきそうになったところで、ドアが開いた。
振り返るとスミスが中へと入ってくる。こちらに気付いて彼はにこりと人好きのする笑顔を浮かべて見せた。
「ジョーンズ君、カークランド君、ようこそ」
「無理を言って済みませんでした」
生徒達の前だからとアメリカが敬語で応対した。イギリスが思わず噴き出しそうになりながらも神妙な顔で座ってると、同じように鷹揚に頷きながら、スミスも面白そうに両目を細めて微笑を深める。恐らく思っていることは一緒なのだろう。
ともあれ、教授がホワイトボードの前に立ち、ノートパソコンの電源を入れればいよいよ授業の開始だ。
イギリスはいささか仏頂面のアメリカの表情を盗み見ながら、口元を綻ばせて筆記用具を取り出す。
嫌いだといいながらもこうやって環境系の授業を取る彼のことだ、他国にはなんだかんだ言いながらもちゃんと考えているに違いない。次のサミットや会議でどう出るか予測はつかないが、無関心でないことが大切なのだと思う。
真剣に前を向くアメリカからは、世界の超大国である責任感が垣間見えて、密かにイギリスは嬉しく思った。
そんなこんなではじまった学校生活。さぁ、明日は何をしようか?
イギリスが自国民の最高学府であるオックスフォードにて、余暇を全て傾け最新知識を収集していたあの一ヶ月から、5年の月日が流れていた。
初めてアメリカと机を並べて講義に耳を傾けた日々。会議ではなんだかんだと騒がしい彼も、さすがに授業中は静かに熱心に教授の話を聞き、出されたレポート課題にも真剣に取り組んでいた。
短い期間だったがサークル活動にも親しみ、たくさんの生徒たちと楽しく会話をした記憶が思い出される。たまにはこういうのもいいね、と外見年齢そのままの笑顔を浮かべたアメリカに、イギリスもまた眩しそうに目を細めたのだった。
なにげない毎日を二人共に過ごしていく、そんな時間が貴重であり必要だと言う事を彼も自分も学んだような気がした。
いつかまたそういう時が来ればいいと心の片隅に思いながら、イギリスは次の百年後を密やかな楽しみにしている自分に気付いて苦笑する。
本当に、我ながら随分と気の長いことだと。
仕事を終えて携帯のメールをチェックするのはここ最近馴染んだ動作だった。
帰りの車を待つ間、販売機の味気ない紅茶の紙コップを片手に、人気のない休憩室でぼんやりと液晶画面に目を落とす。着信は一通、アメリカからのものだった。
件名には絵文字が使ってあり、無駄にテンションの高さを伝えてくるものだから、イギリスは自然と口元に微笑を浮かべざるを得ない。
小さなボタンを指先で操作しながらメールの内容に目を通した。そして意外な文面にしばしまばたきを忘れて見入ってしまう。
「入学案内?」
あまり馴染みのない単語だったが、さすがに意味は分かる。戸惑いながらも先へ読み進めていくと、urlが貼ってあり詳細はこちらと書いてあった。
何の疑問も抱かずそこをクリックする。すると浮かび上がってくるのはひとつの大学の名前。
「ハーバード大学短期入学へのご案内……ってまさか、あいつ」
なんとなく嫌な予感がしてもう一度メールに戻ると、案の定、文面の下の方には実にアメリカらしい一文が添えられていた。
曰く。
『もう入学申し込みはしておいたからね! 今度は君がこっちへ来るといい。6月後半から8月半ばまではあけておいてくれよ!』
くらり、と感じた眩暈をこめかみに指を当てることでなんとか持ち直し、思わずキリキリと痛んだ胃を押さえながらイギリスは、端末を握りしめて肩を震わせた。
会議中、イタリアを相手にしたドイツの気分など味わいたくもない。そう思いながらも押し寄せる疲労感と脱力感に、抗うすべなどどこにもなかった。
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青い空と爽やか風。
嫌味なほどの晴天の中、イギリスは世界最大規模を誇る合衆国最高学府、ハーバード大学のケンブリッジキャンパスに来ていた。
黒塗りの車でジョンストンゲートを抜けて敷地内へと乗り入れると、ユニバーシティーホールの前にあるジョン・ハーバードの像が見えた。そのまま正面玄関で車を降りれば、出迎えた職員にやたらと慇懃な態度で建物まで案内された。
恐らくアメリカが余計な事を言って事態を大きくしてしまったのだろう。一体どんな説明をしたのかは分からなかったが、少なくとも一般生徒という扱いではなさそうだった。
イギリスは思わずついた溜息の重さに自ら憂鬱になりながら、ちらりと横を見上げれば、アメリカは能天気な顔のまま彼の隣りを歩いていた。
連れて行かれた先はホリオキセンターと呼ばれる、ハーバード大学の運営事務局だった。中へ促されると、忙しそうに数人の男たちが何か小声で話しながら目の前を横切ってゆくのが見えた。
部屋の奥へ視線を転じれば、こちらに気付いた男がスマートな所作で応接セットから立ち上がり、ゆったりとした動きで歩み寄って来る。どうやらこのセンターにおける責任者なのだろうか。そう思って素早く胸元のプレートを確認すれば「Professor」の文字が見え、意外さに目を丸くする。
軽く会釈をされたので、イギリスは姿勢を正して丁寧に一礼をした。アメリカはすでに顔見知りなのか軽い会釈をしただけだった。
「あなたがアーサー・カークランドさんですね、お話は伺っています。当大学へようこそおいで下さいました。私はこの大学で教授をしているスミス・レガードと申します」
「よろしくお願いします、スミス教授」
握手を求められて応じれば、初老の紳士はにこやかな笑顔を浮かべた。
「カークランドさんはオックスフォードを大変優秀な成績でご卒業されたとか」
「とんでもない。若輩者ですがどうかご鞭撻のほどを」
慇懃な態度で謙遜して見せるイギリスに、隣に立つアメリカが笑いを噛み締めるように俯いた。横目で睨みつけながらこみ上げる怒りをなんとか抑え込み、つとめて穏やかな笑顔で眼前の教授に言葉を続ける。
「実は急にこちらに来ることになりまして、事情があまりよく飲み込めてはいないんです」
「そうなんですか。……ジョーンズ君、無理を言って連れて来たりしたのかな?」
スミスの目が後方に立つアメリカに向く。
イギリスもまた同じように後ろを振り返った。まったく、この青年の相変わらずの傍若無人ぶりにはほとほと呆れてしまう。
けれどアメリカは、スミスの咎めるような視線などまったく気にならない様子で、のんびりとした口調で言った。
「細かいことはいいじゃないか。教授、学生証は出来てる?」
「あぁ。急なことで私も驚いたが、希望の品は揃っているよ。今度からはもうちょっと早めに申請してくれると嬉しいが」
言いながらスミスは机の上から4枚のIDカードを渡して来た。イギリスがなんとはなしに目線を向ければ、そのカードには自分とアメリカの顔写真がはめ込まれていた。どうやらこの大学の身分証のようだ。
用意周到なことだと思っていると、アメリカは笑顔で教授の肩を叩きながら気安く続ける。
「ありがとう! このお礼は次の研究費の上乗せってことで上司に話をつけておくよ」
「ははは、彼も君の我儘に振り回されて困っているだろうね。まぁ期待せず待っているよ」
「じゃあさっそく行ってくるね。アーサー、こっちだよ」
いまいち話についていけないイギリスは、呼ばれたままアメリカの背中を追った。スミスを振り返って軽く頭を下げると、彼は「今度時間が空いたらゆっくり話をしましょう」と声を掛けてくる。
どこまで自分たちの素性を知っているのかは分からなかったが、アメリカに上司の話を持ち出されても動じないところをみれば、それなりに上に顔がきく立場の人間なのだろう。そうであればこちらとしても対応しやすい。
知的な眼差しの中に穏やかな温かみを感じ取り、咄嗟に口元をゆるめるとイギリスも「是非!」と言い残して、部屋をあとにした。
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アメリカから渡されたカードは、1枚は学生証で、もう1枚は大学内の施設を全て無料で利用出来ると言う、なんとも便利なものだった。
あまり度の過ぎたVIP待遇は嫌だと言ったのだが、アメリカは派手な事が好きだし細かいことには頓着しない性格である。便利なんだからいいじゃないかの一言で全てが片付いてしまうのだから困りものだ。
イギリスはアメリカから少し遅れて廊下を歩きながら、ふと窓の外に気を取られて足を止めた。晴れ渡った空は雲ひとつなく実に良い天気だ。
ここボストンの景色はどこか懐かしい。イングランド人がはじめてこの大陸に作った町だからだろうか。
そもそも名前からしてこの辺はイギリスから受け継いだものが多すぎる。ボストンだってイングランドにあるリンカンシャー郡ボストン市から名づけられたものだ。
思い起こせば、この辺りがまだマサチューセッツ湾植民地だった頃に、一人の牧師の手によって作られたのがこの学校だった。そして総大会議で可決されて、アメリカ最古の大学となったハーバードを、最初に視察したのもイギリスだ。忘れられるはずがない。
オールドヤードと呼ばれるこの建物がある一帯は、特に当時の気配を色濃く残しており、しばし懐かしい思いに囚われる。
いい思い出も悪い思い出も、全てはこの地からはじまったんだよなぁ……とぼんやり眺めて佇んでいると、急に腕を引っ張られて思わずよろめいてしまった。
「イギリス」
「な、なんだよ。ここじゃアーサーって呼べって」
「……何見てたの」
アメリカの目がじっとこちらを探るように見ている。なんとなく先ほどまでの機嫌の良さが薄れているようで、戸惑う。
急にどうしたのかといぶかしみながらも、抜けるような晴天に目を細めながら、イギリスは呟くように言った。
「いや、いい天気だなぁって思ってさ」
「そうじゃくて」
「なんだよ? あ、お前もう腹減ったのか? ったくしょうがねーなぁ……食堂ってどっちだっけ?」
ここに来る前にプリントアウトしておいた校内の見取り図を取り出して目を落とせば、アメリカがそれを横から奪い取ってしまった。
思わず顔を上げれば空色の瞳と目が合う。
「アメリカ? どうした、気分でも悪いのか?」
「……なんでもない。レストランならこっちだよ!」
怪訝そうに首をかしげれば手を握られた。
こんなところで、と思って振り払おうとするがぎゅっと力を入れられていて無理だった。
そのまま引っ張られるようにして廊下を進んで行けば、アメリカは徐々にまとわりつかせていた不機嫌な空気を払拭させていく。ふっと顔を覗き込めば楽しそうに唇が笑みを浮かべており、意味が分からないと心中溜息をつきながらも、イギリスもまた苦笑した。
メモリアルホールの地下にある、学生達が利用するレストランへ入ると、取り敢えず軽くなにか食べようと思いサンドウィッチと紅茶のセットを頼んだ。まだ早い時間でそれほど食欲はなかったが、イギリスはつい先ほどアメリカに到着したばかりだったので、一息つきたいと思っていたところだった。
空港でゲートをくぐった直後にアメリカに捕まり、そのまま車に押し込められて現在にいたるので、正直疲れてもいる。
だがこうやって改めて大学へ入り、周囲を見回せば活気ある若者たちの賑やかな声や楽しげな雰囲気にのまれていると、自然とこちらまで気分が浮きたってくるように感じられた。
やっぱり学校という場所はいいものだと思う。なんと言ってもその国の活力の源であるのだから当然だ。
「そうだ、食べ終わったらハウスに行こう。もう荷物は全部運び入れてあるから着替えて、それからカレッジを見て回ろうよ」
「俺達は同室なのか?」
「当り前じゃないか。折角の寮生活なんだ、相部屋なんて憧れるだろう?」
アメリカは楽しそうに笑ってサンドウィッチを一切れ、つまんだ。
オックスフォードと同じで、ここハーバードも学生達は寮生活が基本である。今回はアメリカの家からは遠く離れているため、外から通うのではなく生徒達と同じように学校の敷地内で暮らすことになっていた。
あらかじめ必要なものは全部送ってあり、本国とのやりとりも可能なようにセキュリティを強化したインターネット環境も完備してある。
アメリカの勝手な行動で突然国をあけなければならなくなり、イギリスも初めはかなり怒っていたし、よっぽど拒絶しようかとも思っていた。だがワシントンから大統領直通電話で自分の上司に電話が入り、双方からなだめられては断りようがない。それに絶対嫌というわけではないのだから、最終的には渋々頷くという形で了承することにした。
当然、わがままな元弟にはとことん甘い自分を自覚している。なんとも情けないことに昔からこうなのだ。この手のことでアメリカに勝てたためしがない。
「お前ってほんと我儘だよなぁ……」
「そうだ、3時からはゼミがあるからね」
「そうなのか? 何のゼミだ?」
「生態系科学」
「あぁ、いいなそれ……って、突然ゼミかよ。勝手に行って入れるわけないだろ」
「大丈夫大丈夫」
なんとかなるさと勝手なことを言いながらアメリカは、コーラ片手に携帯電話で誰かと連絡を取り始めている。また無茶な要求を押し通す気でいるのだろうか……もっと普通に、ごくごく一般的に学生生活を送りたいと思っているイギリスにしてみれば、なんとも複雑な心境にならざるを得ない。
だが前回のオックスフォードと同様に、結局はアメリカが楽しければそれでいいかと納得してしまうのだった。
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ハウスで一旦着替えを済ませた二人は、今度はゼミが行われるというカレッジに移動した。
目当ての教室には五人の生徒の姿があった。雑談をしていた彼らはずかずかと遠慮もなく入ってきたアメリカに、一瞬怪訝そうな顔をしたものの「教室を間違えているんじゃない?」と親切な言葉を投げかけて来た。
まぁ普通はそう思うだろうな……と気にしながらも、イギリスもアメリカの後に続いて遠慮がちに室内へと入る。
「今日は特別にこの講義に参加させてもらうことになったんだ。俺はアルフレッド、こっちはアーサー。スミス教授の許可はもう貰ってるよ」
スミス、という名に先ほど事務室で会った初老の教授の顔が思い浮かぶ。なるほど、彼のゼミということか。
生徒達は戸惑った顔をしたものの、すぐに気を取り直して口々に自己紹介をしてくれた。中でも一番手前に座っていたメアリという女生徒が、まっさきに立ち上がってにっこりと満面の笑顔で手を差し出してきた。
「よろしくね、アルフレッド、アーサー」
「うん、よろしく」
気軽にこたえるアメリカに、彼女は好奇心に満ち溢れた眼差しを向けて、率直に質問を浴びせてきた。
「あなたたちはどこの生徒?」
「俺達は外部から来たんだ。特別聴講生ってやつだね。彼はオックスフォードから」
「あらアーサー、貴方イギリスから来たの?」
「あぁ。メアリはどこの出身なんだ?」
「私はカナダよ。バンクーバー」
言いながら椅子を勧められたのでそのまま腰をおろす。
イギリスはカナダと聞いて、ぼんやりとした輪郭の英連邦の一員の顔を思い浮かべた。いつも目立たなくいるのかいないのか分からないと言われているカナダだが、目の前のメアリはそんな彼とは似ても似つかないほど溌剌としている。
「地球環境や生態系に興味があるの?」
「もちろんだ。俺達にも……地球上で生きる全ての生命にとって大切なことだからな」
「私もそう思う。環境問題にはもっと目を向けなくちゃね。貴方もそう思うでしょ、アルフレッド?」
話を振られてアメリカは咄嗟に返答につまり、苦笑を浮かべながら瞬きをした。
今現在、環境問題で一番槍玉に挙げられているのがこのアメリカだ。京都議定書にもサインせず、独自路線を貫きながらもCO2排出量は世界一ときている。誕生日にドイツとイタリアからエコカーを贈られるほど、注意を喚起されているというのに一向に改める気配はなかった。次のサミットでも焦点になる問題なのだがどうするつもりなのかはまだ分からない。
イギリスも基本的にはアメリカとの協調路線を取ってはいるものの、昔から環境汚染には悩まされてきた国だ。産業革命のツケは嫌というほど払わされてきたのだから、この問題に目を向けないわけがなかった。
「カナダも最近大変だよな」
さすがに何も言わないアメリカをちらりと見て、助け舟を出すようにイギリスは話題を振ってみた。メアリはそうなのよ、と頷いて形良い眉を顰める。
「松が枯れて酷いことになっていて。本当に困った問題だわ」
「確かそれは虫が原因だったよな?」
「ええ。これも温暖化の影響かしら」
溜息と共にこぼれた言葉に、次回の世界会議のことを思ってこちらもまた重い溜息をつきそうになったところで、ドアが開いた。
振り返るとスミスが中へと入ってくる。こちらに気付いて彼はにこりと人好きのする笑顔を浮かべて見せた。
「ジョーンズ君、カークランド君、ようこそ」
「無理を言って済みませんでした」
生徒達の前だからとアメリカが敬語で応対した。イギリスが思わず噴き出しそうになりながらも神妙な顔で座ってると、同じように鷹揚に頷きながら、スミスも面白そうに両目を細めて微笑を深める。恐らく思っていることは一緒なのだろう。
ともあれ、教授がホワイトボードの前に立ち、ノートパソコンの電源を入れればいよいよ授業の開始だ。
イギリスはいささか仏頂面のアメリカの表情を盗み見ながら、口元を綻ばせて筆記用具を取り出す。
嫌いだといいながらもこうやって環境系の授業を取る彼のことだ、他国にはなんだかんだ言いながらもちゃんと考えているに違いない。次のサミットや会議でどう出るか予測はつかないが、無関心でないことが大切なのだと思う。
真剣に前を向くアメリカからは、世界の超大国である責任感が垣間見えて、密かにイギリスは嬉しく思った。
そんなこんなではじまった学校生活。さぁ、明日は何をしようか?
このたびは米誕祭にリクエストをお寄せ下さいまして、どうもありがとうございました。
あまりご希望に添えていないかもしれませんが、イギリスがアメリカの大学に行く話を書かせていただきました。如何でしたでしょう?
少しでもお気に召していただけると嬉しく思います。
二人とも学生にしか見えないのに、他の誰よりも年上だというところが萌えますよね! 本当はもうちょっとその辺を書きたかったんですが、能力不足でうまく表現出来ず残念です。
いつかまた書く機会がありましたら、今度こそちゃんとした「学園もの」にチャレンジしてみたいなぁと思っています。学ヘタとは違う、人間とのコミュニケーションを重点的に。
なにはともあれ今回は企画へのご参加、本当にありがとうございました!
これからもつたないサイトではありますが、遊びに来ていただけると嬉しいです。
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