紅茶をどうぞ
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[お題] 向日葵 1
北アメリカからスペインを経て、フランス、ロシアへと伝わったその花は、大輪の姿から太陽の花と呼ばれた。
黄色で大きく、見上げるほどに背の高いそれは夏の象徴でもあった。
暗く寒い北の大地に、短い夏の到来を告げる。
まるで長い長い冬を乗り切るための暖かな夢のように。
「お前さぁ、最近えらくロシアに甘くね?」
ユーロ会議終了後のこと、隣に座っていたフランスが何の脈絡もなくそう問いかけて来た。
イギリスは配られた資料を鞄にしまいながら眉を顰めて無視を決め込む。煩そうに身体をやや反対側にそむけるものの、そういう態度はいつものことなので、フランスはまるで気にしたふうもなく言葉を続けた。
「この前もモスクワに行ってただろ。いつの間にそんなべったりになったんだ?」
「…………」
「お子様好きも大概にしとけよ? あんまり構いすぎると厄介な事になるぞ」
揶揄するように言いながらも、言外に多少の忠告を滲ませるフランスの声に、イギリスは片付けの手を止めてしばらく視線をさまよわせた。俯いた横顔をじっと見据えている相手の視線に気づきながらも、押し黙ったままだ。
フランスは肩を竦めてふっと溜息をつくと、まぁ最終的に決めるのはお前だからなぁと呟いてそのまま行ってしまった。
腐れ縁に心配されるのは正直余計なお世話でうんざりだったが、フランスの危惧が的を射ていることも、百も承知している。だから反論の言葉が何一つ出なかったのだ。
イギリスも今やEUの構成国のひとつだ。自分一人だけが孤立していた時代とは違う、何かあれば加盟諸国に迷惑を掛けることは十分理解していた。EUの中心国であるフランスやドイツが、不用意にロシアと親しくするイギリスを快く思わないのは当然である。アメリカとの距離でさえ快く思われていないのだ、ましてロシアともなれば尚のこと。
それでも表立って言ってこないのは各々自国の外交に口出しされるのを厭うからであって、容認しているわけでは決してない。
もとよりロシアからの天然ガス供給パイプラインは欧州をアリの巣のように走っており、過去の遺恨はよそに東欧との繋がりは深くなって来ている。それでも政治的な面では未だ腹の探り合いは続いており、突出してロシアとの接触を持つことは好ましくなかった。
そもそもイギリスは欧州連合の中でもとくにロシアとは仲が悪い事で有名だった。アメリカと共に民主主義の要である彼と、その敵であった共産主義の本山たるロシアはWW2以降は冷戦という形で争い続け、連邦崩壊後もそのわだかまりは一向に消えることなく事あるごとに意見を対立させてきた。
それがここ最近、急速に両国の距離が近づいているのを見れば他国は限りなく不審に思うのは当たり前である。もしもアメリカがロシアと不必要に接触を持っていれば、イギリスだって疑問に思うだろうし、何が目的なのか問い詰めるだろう。
それでも『国』と『個』は別のもの。
国として利益を追求し外交を円滑に進め裏で画策することと、休日にのんびり庭いじりをしたりお茶を飲んだり本を読むのは同じ『自分』でもぜんぜん別の事なのだ。
本来なら感情に流されることはあってはならないのだろう、だが、心を持つ以上少なからずそれは現実社会に影響を及ぼしてくる。
アメリカの独立戦争の時が一番酷かった。一発の銃弾で戦況が変わるはずはないのだが、それでも引き金を引くことも出来ず涙を流したあの時のイギリスは、間違いなく『国』ではなくひとつの『個』だった。
自分たちは国であると同時に感情を持った生き物なのだということを、嫌でも刻み込まれた瞬間だったと思う。
そしてそれらをすべて内包して、ここに存在しているのだということも。
胸中にもやもやと波打つ苛立ちを呑みこみながら、イギリスは上着の内ポケットに入れた携帯を取り出し電源を入れた。
着信が三件とメールが五件。電話はすべて本国からの仕事の連絡なのですぐに折り返しの電話を掛ける。その後英連邦の面々からの時間調整についての問い合わせメールを三通、読んでその場で返信をしておいた。
残りは日本とアメリカからだ。借りた本の礼や次の休日は会おうと言った彼らのメールを眺めながら、イギリスは自然と落ちた溜息に自分で驚いて表情を硬くする。続いて喉の奥に何かを詰め込まれたような息苦しさを感じてしばし両目を閉ざした。
―――― 来るはずのない連絡を待つのは馬鹿のすることだ。
そう思うが一度脳裏を掠めた記憶はフラッシュバックのようにイギリスの視界を行き過ぎる。
振り切るように携帯を閉じて顔を上げれば、ふと目に止めた窓の外で傾きかけた陽が眩しいくらいにオレンジ色の光を投げうち、あたり一面が霞がかったように染められていた。
あの日見損ねたヒマワリ畑のことを思い出して、忌々しげに舌打ちをするとイギリスは足早にその場を後にした。
そもそもの原因はなんだったのだろう。
その日はヘルシンキでちょっとした会談があった。フィンランドは相変わらず人当たりの良い穏やかな笑顔で出迎えてくれ、話も弾んで気分が良かった。
仕事も終わり軽い食事を共にしながら、花たまごという奇妙な名前の犬も懐いてくれて、ひとしきり盛り上がりを見せた頃。
なにげないフィンランドの言葉に興味をそそられた。
「そう言えばこの間南ロシアに行ったんですよ。あそこのヒマワリ畑って本当に凄いですよね! 一面黄色づくしで壮観でしたよ」
両手を広げてにっこり笑ったその顔を思わず見つめながら、イギリスは脳裏に咲き誇るヒマワリを思い描いた。
もともと北アメリカ原産のあの花は、大輪の鮮やかな色彩で人々の目を惹きつけるだけでなく、土地を選ばない強靭な性質と種子に含まれる多量の油分により植物性油の原料としても広く栽培されている。
花は一斉に同じ方向を向くのが特徴的で、同時に咲き誇ればそれは見事な眺めとなるらしい。あいにくとイギリスにはそれほど広いヒマワリ畑はないので見たことがなかったが。
「今の時期はまだ中央に種がないので黒くなく、全部黄色で綺麗なんですよね。それにロシアヒマワリは他の地域のものに比べてかなり背も高く花も大きいんです。だから本当に凄かったですよ」
その土地その土地の気候風土に合うよう改良を重ねられた花は、同じものと言っても微妙に外見が違うことはままある。バラなども多種多様で、栽培法もそれぞれ独自に変化があった。
ヒマワリか……そう呟いて真っ先に思い浮かぶのは北の大国の白い顔。大好きなんだと言って両目を細めた彼の、普段では滅多に見られない穏やかな眼差しがよぎる。
見てみたいと、素直にそう思った。彼が何より愛する太陽の花を一度この眼で見てみたいと。
こうと決めればイギリスの行動は早い。席を立ってフィンランドにそう告げれば、彼は少し驚いたように目を丸くした後、明るい笑顔を満面に浮かべて頷いてくれた。
モスクワ行きのチケット、すぐに用意しますね、と言われればイギリスも苦笑を浮かべながら頼む、と答えた。
急遽変更になったものの、ロンドン帰宅が一日遅くなることを連絡して、そのままイギリスはヒマワリ畑を見に行くはずだった。そしてあわよくばロシアの家に泊めてもらえないかとも思っていたのだ。
なんだかんだで彼とはここ最近、大変不本意ながらも日本に「茶飲み友達」と位置付けられてしまったわけで、それなりの交流を結んでいたため気軽に話を持ちかけたのだが。
―― いったい何が悪かったのだろう。
あの日。
ヘルシンキからモスクワ行きの飛行機に飛び乗り、空港に着いてゲートをくぐってからイギリスは、来訪を告げる旨をロシアの携帯に連絡した。
それがそもそもの間違いだったのだろうか。
どうして飛行機に乗る前にちゃんと確認をしなかったのかと、あとになって思ったのだが、何故かその時は一刻も早くモスクワに発ちたかったのだ。不思議な事に。
まぁなんとかなるだろうと気軽に電話をしたのだが、しかし、呼び出し音に応えて三度目のコールで電話に出たロシアは予想外の反応を見せた。これ以上はないほど冷たく、きっぱりとした態度で彼は言い放ったのだ。
「君の顔なんて見たくないから、金輪際話し掛けないで欲しいな」
ためらいなど微塵もなかった。思わずへ?と間抜けな声を出して言葉を続けることが出来なくなったイギリスに、追い打ちをかけるようにロシアは冷やかな笑いを漏らしてさらに言いつのる。
「携帯番号も消去してもらえる? 僕の方も消すから。これからは火急の用件のみ大使館を通して連絡してね。それに不用意に僕の国土に立ち入らないでよ。不愉快だから」
なんの感情も含まない平坦な声で一方的にそんなことを告げられ、二の句が継げなかったイギリスは一瞬動きを止めた。そして我に返って思わず声を荒げ電話越しに叫んだ。
なんだよ、その言い方は、もう紅茶淹れてやらないぞ、などと冷静になってから思い返せば随分と子供っぽいことを言ってしまったような気がする。だがその時はロシアの態度に腹が立っていたし、何より突然そんな事を言われる理由が分からなかったから戸惑っていたのだろう。
だがロシアは気に止めた風もなく馬鹿にしたように鼻先で笑った。
「いいよもう。あんな紅茶二度と飲みたくなんかないし。だって僕、君のこと大嫌いだからね」
冷たい手で身体の内側を撫でられたような気がした。
一瞬本気で呼吸が止まり、声が出せなかった。ロシアとはこれまで何度となく嫌みの応酬もしたし罵倒もして来た。今さら何を言われても別に痛くも痒くもないし、嘲笑ののち関係ないと流してしまえる程度のものだ。この程度の言葉でいちいち驚く必要はまるでない。
それなのにどうしてかその時、イギリスは動きが止まってしまった。ふざけるなとか、こっちだっててめえなんか大嫌いだとか、いつもなら幾らでも出てくるはずの罵詈雑言がひとつも思い浮かばず、ただ真っ白になった脳裏に嫌な感覚だけが残った。
「じゃあね、バイバイ」
あっさりとした別れのあいさつの後、ロシアは間を置かずして通話を切った。茫然とするイギリスの事などおかまいなしに。
無機質な電子音の流れる携帯を手に、しばらく佇んでいた彼に心配そうに声をかけて来たのは空港の職員だった。しかしなんと答えたのか覚えていない。
ただイギリスはぐるぐると混乱した頭で、折り返すように帰国の途についたのだった。
黄色で大きく、見上げるほどに背の高いそれは夏の象徴でもあった。
暗く寒い北の大地に、短い夏の到来を告げる。
まるで長い長い冬を乗り切るための暖かな夢のように。
* * * * * * * *
「お前さぁ、最近えらくロシアに甘くね?」
ユーロ会議終了後のこと、隣に座っていたフランスが何の脈絡もなくそう問いかけて来た。
イギリスは配られた資料を鞄にしまいながら眉を顰めて無視を決め込む。煩そうに身体をやや反対側にそむけるものの、そういう態度はいつものことなので、フランスはまるで気にしたふうもなく言葉を続けた。
「この前もモスクワに行ってただろ。いつの間にそんなべったりになったんだ?」
「…………」
「お子様好きも大概にしとけよ? あんまり構いすぎると厄介な事になるぞ」
揶揄するように言いながらも、言外に多少の忠告を滲ませるフランスの声に、イギリスは片付けの手を止めてしばらく視線をさまよわせた。俯いた横顔をじっと見据えている相手の視線に気づきながらも、押し黙ったままだ。
フランスは肩を竦めてふっと溜息をつくと、まぁ最終的に決めるのはお前だからなぁと呟いてそのまま行ってしまった。
腐れ縁に心配されるのは正直余計なお世話でうんざりだったが、フランスの危惧が的を射ていることも、百も承知している。だから反論の言葉が何一つ出なかったのだ。
イギリスも今やEUの構成国のひとつだ。自分一人だけが孤立していた時代とは違う、何かあれば加盟諸国に迷惑を掛けることは十分理解していた。EUの中心国であるフランスやドイツが、不用意にロシアと親しくするイギリスを快く思わないのは当然である。アメリカとの距離でさえ快く思われていないのだ、ましてロシアともなれば尚のこと。
それでも表立って言ってこないのは各々自国の外交に口出しされるのを厭うからであって、容認しているわけでは決してない。
もとよりロシアからの天然ガス供給パイプラインは欧州をアリの巣のように走っており、過去の遺恨はよそに東欧との繋がりは深くなって来ている。それでも政治的な面では未だ腹の探り合いは続いており、突出してロシアとの接触を持つことは好ましくなかった。
そもそもイギリスは欧州連合の中でもとくにロシアとは仲が悪い事で有名だった。アメリカと共に民主主義の要である彼と、その敵であった共産主義の本山たるロシアはWW2以降は冷戦という形で争い続け、連邦崩壊後もそのわだかまりは一向に消えることなく事あるごとに意見を対立させてきた。
それがここ最近、急速に両国の距離が近づいているのを見れば他国は限りなく不審に思うのは当たり前である。もしもアメリカがロシアと不必要に接触を持っていれば、イギリスだって疑問に思うだろうし、何が目的なのか問い詰めるだろう。
それでも『国』と『個』は別のもの。
国として利益を追求し外交を円滑に進め裏で画策することと、休日にのんびり庭いじりをしたりお茶を飲んだり本を読むのは同じ『自分』でもぜんぜん別の事なのだ。
本来なら感情に流されることはあってはならないのだろう、だが、心を持つ以上少なからずそれは現実社会に影響を及ぼしてくる。
アメリカの独立戦争の時が一番酷かった。一発の銃弾で戦況が変わるはずはないのだが、それでも引き金を引くことも出来ず涙を流したあの時のイギリスは、間違いなく『国』ではなくひとつの『個』だった。
自分たちは国であると同時に感情を持った生き物なのだということを、嫌でも刻み込まれた瞬間だったと思う。
そしてそれらをすべて内包して、ここに存在しているのだということも。
胸中にもやもやと波打つ苛立ちを呑みこみながら、イギリスは上着の内ポケットに入れた携帯を取り出し電源を入れた。
着信が三件とメールが五件。電話はすべて本国からの仕事の連絡なのですぐに折り返しの電話を掛ける。その後英連邦の面々からの時間調整についての問い合わせメールを三通、読んでその場で返信をしておいた。
残りは日本とアメリカからだ。借りた本の礼や次の休日は会おうと言った彼らのメールを眺めながら、イギリスは自然と落ちた溜息に自分で驚いて表情を硬くする。続いて喉の奥に何かを詰め込まれたような息苦しさを感じてしばし両目を閉ざした。
―――― 来るはずのない連絡を待つのは馬鹿のすることだ。
そう思うが一度脳裏を掠めた記憶はフラッシュバックのようにイギリスの視界を行き過ぎる。
振り切るように携帯を閉じて顔を上げれば、ふと目に止めた窓の外で傾きかけた陽が眩しいくらいにオレンジ色の光を投げうち、あたり一面が霞がかったように染められていた。
あの日見損ねたヒマワリ畑のことを思い出して、忌々しげに舌打ちをするとイギリスは足早にその場を後にした。
* * * * * * * *
そもそもの原因はなんだったのだろう。
その日はヘルシンキでちょっとした会談があった。フィンランドは相変わらず人当たりの良い穏やかな笑顔で出迎えてくれ、話も弾んで気分が良かった。
仕事も終わり軽い食事を共にしながら、花たまごという奇妙な名前の犬も懐いてくれて、ひとしきり盛り上がりを見せた頃。
なにげないフィンランドの言葉に興味をそそられた。
「そう言えばこの間南ロシアに行ったんですよ。あそこのヒマワリ畑って本当に凄いですよね! 一面黄色づくしで壮観でしたよ」
両手を広げてにっこり笑ったその顔を思わず見つめながら、イギリスは脳裏に咲き誇るヒマワリを思い描いた。
もともと北アメリカ原産のあの花は、大輪の鮮やかな色彩で人々の目を惹きつけるだけでなく、土地を選ばない強靭な性質と種子に含まれる多量の油分により植物性油の原料としても広く栽培されている。
花は一斉に同じ方向を向くのが特徴的で、同時に咲き誇ればそれは見事な眺めとなるらしい。あいにくとイギリスにはそれほど広いヒマワリ畑はないので見たことがなかったが。
「今の時期はまだ中央に種がないので黒くなく、全部黄色で綺麗なんですよね。それにロシアヒマワリは他の地域のものに比べてかなり背も高く花も大きいんです。だから本当に凄かったですよ」
その土地その土地の気候風土に合うよう改良を重ねられた花は、同じものと言っても微妙に外見が違うことはままある。バラなども多種多様で、栽培法もそれぞれ独自に変化があった。
ヒマワリか……そう呟いて真っ先に思い浮かぶのは北の大国の白い顔。大好きなんだと言って両目を細めた彼の、普段では滅多に見られない穏やかな眼差しがよぎる。
見てみたいと、素直にそう思った。彼が何より愛する太陽の花を一度この眼で見てみたいと。
こうと決めればイギリスの行動は早い。席を立ってフィンランドにそう告げれば、彼は少し驚いたように目を丸くした後、明るい笑顔を満面に浮かべて頷いてくれた。
モスクワ行きのチケット、すぐに用意しますね、と言われればイギリスも苦笑を浮かべながら頼む、と答えた。
急遽変更になったものの、ロンドン帰宅が一日遅くなることを連絡して、そのままイギリスはヒマワリ畑を見に行くはずだった。そしてあわよくばロシアの家に泊めてもらえないかとも思っていたのだ。
なんだかんだで彼とはここ最近、大変不本意ながらも日本に「茶飲み友達」と位置付けられてしまったわけで、それなりの交流を結んでいたため気軽に話を持ちかけたのだが。
―― いったい何が悪かったのだろう。
あの日。
ヘルシンキからモスクワ行きの飛行機に飛び乗り、空港に着いてゲートをくぐってからイギリスは、来訪を告げる旨をロシアの携帯に連絡した。
それがそもそもの間違いだったのだろうか。
どうして飛行機に乗る前にちゃんと確認をしなかったのかと、あとになって思ったのだが、何故かその時は一刻も早くモスクワに発ちたかったのだ。不思議な事に。
まぁなんとかなるだろうと気軽に電話をしたのだが、しかし、呼び出し音に応えて三度目のコールで電話に出たロシアは予想外の反応を見せた。これ以上はないほど冷たく、きっぱりとした態度で彼は言い放ったのだ。
「君の顔なんて見たくないから、金輪際話し掛けないで欲しいな」
ためらいなど微塵もなかった。思わずへ?と間抜けな声を出して言葉を続けることが出来なくなったイギリスに、追い打ちをかけるようにロシアは冷やかな笑いを漏らしてさらに言いつのる。
「携帯番号も消去してもらえる? 僕の方も消すから。これからは火急の用件のみ大使館を通して連絡してね。それに不用意に僕の国土に立ち入らないでよ。不愉快だから」
なんの感情も含まない平坦な声で一方的にそんなことを告げられ、二の句が継げなかったイギリスは一瞬動きを止めた。そして我に返って思わず声を荒げ電話越しに叫んだ。
なんだよ、その言い方は、もう紅茶淹れてやらないぞ、などと冷静になってから思い返せば随分と子供っぽいことを言ってしまったような気がする。だがその時はロシアの態度に腹が立っていたし、何より突然そんな事を言われる理由が分からなかったから戸惑っていたのだろう。
だがロシアは気に止めた風もなく馬鹿にしたように鼻先で笑った。
「いいよもう。あんな紅茶二度と飲みたくなんかないし。だって僕、君のこと大嫌いだからね」
冷たい手で身体の内側を撫でられたような気がした。
一瞬本気で呼吸が止まり、声が出せなかった。ロシアとはこれまで何度となく嫌みの応酬もしたし罵倒もして来た。今さら何を言われても別に痛くも痒くもないし、嘲笑ののち関係ないと流してしまえる程度のものだ。この程度の言葉でいちいち驚く必要はまるでない。
それなのにどうしてかその時、イギリスは動きが止まってしまった。ふざけるなとか、こっちだっててめえなんか大嫌いだとか、いつもなら幾らでも出てくるはずの罵詈雑言がひとつも思い浮かばず、ただ真っ白になった脳裏に嫌な感覚だけが残った。
「じゃあね、バイバイ」
あっさりとした別れのあいさつの後、ロシアは間を置かずして通話を切った。茫然とするイギリスの事などおかまいなしに。
無機質な電子音の流れる携帯を手に、しばらく佇んでいた彼に心配そうに声をかけて来たのは空港の職員だった。しかしなんと答えたのか覚えていない。
ただイギリスはぐるぐると混乱した頭で、折り返すように帰国の途についたのだった。
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