紅茶をどうぞ
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「仰ぎ見れば、無限」続き 『1時間後』
大会議室の窓から見上げた空は広く、すでに夕日の落ち切った地平線は薄暗い陰りを落としていた。
沿道に設置されたライトの明かりが人工的に周囲を照らし出し、穏やかな風に揺られた木々の影が幾重にも重なっている。
窓枠に肘を突いてロシアはぼんやりと下の光景を眺めていた。先ほど勢いよく滑り落ちたアメリカが駆け付けた警備員に取り囲まれているのが見える。全部で何人いるのだろう、だいぶ多い。
大丈夫ですか、お怪我はありませんかと口々に尋ねられ、それに対して無駄に能天気な笑顔を見せながら無事であることを証明する為か、両手をぶんぶん振り回していた。
その手の先には、戦利品とでも言うかのごとく白いマフラーがたなびいている。
そのうち建物から燕尾服姿の男たちがあらわれ、アメリカに向かって怒鳴っているのが聞こえた。確かあれはこの国の上司の側近連中だった気がする。晩餐会に合わせてそろそろ戻って来たところなのだろう、皆きちんと正装をしていた。
彼らは無鉄砲な自国に対しかなり怒っているようで、くどくどと何か言い聞かせているようだ。さしものアメリカも首を竦めて申し訳なさそうな表情をしている。まぁ彼のことだ、反省しても所詮30分も経てばすっかり忘れてしまっているに違いない。
そろそろ自分も着替えないとな、と思いながらも身体が重く億劫で、ロシアは窓から離れるとその場にずるずるとしゃがみ込んだ。固く冷たい大理石に手をつくとひんやりとした感触が心地よい。
そもそもマフラーなしで外に出るのも嫌だし、叶うことならこのままここでさぼってしまいたい。無論そんなことを上司が許すはずがないのは分かり切っていたが、下がりきったテンションは容易に上がる気配はない。
ふと視線を滑らせると、アメリカが踏みつけた煙草の残骸が目に映ったがすぐに無視をした。きっと明日の朝にでも清掃員が片づけてくれるだろう。それよりも部屋の片隅にある備え付けのゴミ箱に入っている物の方がよほど問題だ。
まったく、こんな場所でも盛れるとは大したものだと冷笑が浮かぶ。
もちろん多少乱暴に扱われたからと言ってどうなるわけでもなし、過去には山ほど痛い目に遭わされて来たのでいまさらこの程度で傷がつくわけでもない。ただ、熱いのは苦手だ。
暖かい場所に行くのが夢だと言いながらも、アメリカから与えられる高い体温は吐き気をもよおすほどの嫌悪感を与えてくる。痛みに慣れた身体も熱には弱いらしく、身体を内側から溶かされるようで背筋がぞっとして堪らない。
「ほんと、さいあく」
呟いて、立てた膝に顔を埋めると急速な眠気に襲われる。駄目だ駄目だと思いながらも身体は休息を要求し、勝手に機能を停止させようとしていた。
シャワーを浴びて着替えを済ませて、それからめいっぱいいい笑顔を浮かべて食事の席に着いて、出されたものを口に合わなくても無理やり飲み込んで、それから、それから。
頭の中でこれからの予定を順番に思い浮かべながらも、秒単位で意識は沈み込んでいってしまう。まどろみはじめた脳裏には白く霞がかかりはじめていた。
寝ては駄目。これから大事な会食があるのに。失ったものを補うには全然足りないけれど、それでも今はまだ立ち止まって呑気に休んでいる暇なんて少しもない。変わってしまった世界、亡くしてしまった大事なもの、いなくなってしまった彼ら。
取り戻さなくちゃ。もう一度やり直さなくちゃ。
その為にこうして一番嫌いで一番殺したい国に来て、彼に抱かれて、それでも笑ってこれからの為に布石を打って。
負けを認めるなんて絶対にしない。彼には、絶対に負けない。
「……アメリカ、……」
空色の瞳を思い浮かべてその名を呟けば、モニターのスクリーンが電源を落とした時のように、ロシアの意識は完全に真っ暗になった。
身体がいたい。
高いところから落ちた時のように全身が痛くて重くて、腕一本動かすのもつらくて仕方がなかった。
それでもぐらぐらと揺らされて脳が撹拌されるような衝撃に、一瞬で浮上した。
「ロシア! 目が覚めたかい?」
ぱっと眼を開けると目の前にはアメリカの顔があった。眼鏡越しにこちらを覗き込む彼の両手が、どうやらたった今まで自分の肩を掴んで前後に揺さぶっていたようだ。
身を捩るとロシアは彼の腕を退けようとしてはたと気づく。今は一体何時だろう?
「あ……ごめん、寝ちゃってたみたい。時間、過ぎちゃった?」
遅刻でもしたらあとできっと上司に小言を言われてしまうに違いない。声を出したと同時にこめかみに痛みが走って、思わず眉をひそめた。これでは先ほどのアメリカを笑えない。
「いや、まだ大丈夫だ。君も着替えるだろう? 控室に服が用意してあるから、先にシャワーを浴びた方がいいな。立てるかい?」
「うん。あとどのくらい?」
「1時間ちょっとってとこかな」
腕時計を確認しながら答えるアメリカの手を払って、ロシアはゆっくりと立ち上がった。眩暈を感じて足元がふらつくが、なんとか態勢を立て直すと会議室を出るため足を進める。
その動きがぴたりと止まった。
「……なに?」
腕を引かれて振り返ると、アメリカがはい、と言って真っ白い塊を押しつけて来た。ぱふんと顔面に当たるそれは、彼が窓から放り投げて自ら取りに行った、ロシアのマフラーだった。
木の枝に引っかかった時に出来たのであろう、小さな糸のほつれが気になると言えば気になったが、それでも目立つ汚れもなくなんとか巻いて帰れそうだ。ないと落ち着かないので正直ほっとしている。
無意識に首の噛まれた痕に指を滑らせれば、目を眇めたアメリカがするりと手を伸ばしてきた。慌てて距離を取れば面白そうにくすくすと笑われたが、これ以上触れられるのは冗談じゃない。本当に、いつかこの借りは何千倍にでもして返してやらなければ気が済まなかった。
そんなロシアの気持ちを知ってか知らずかアメリカは、笑みを浮かべたま機嫌良さそうに口笛を吹く。無駄に明るいその態度が癇に障って仕方がない。わざと空気の読めないふりをしている彼のことだ、恐らく確信犯だろう。
「お詫びに今度新しいのを贈るよ」
「いらない。君の趣味、悪いもの」
「たまには鮮やかな色をしてみるのもいいと思うんだけどなぁ」
「そういうのをね、余計なお世話って言うんだよ。知ってた?」
「そうだ、どうせなら一緒に買いに行こう!」
この男は全然まるきり人の話を聞く気がないのだろう。そう思ってロシアは痛む頭をおさえながらとりあえずシャワーを浴びる為に控室を目指した。
廊下に出るとしんと静まり返った空間に、二人の靴音だけが響き渡る。当然のように後ろから騒々しくついてくるアメリカの気配が心底鬱陶しく感じられた。
「ニューヨークに新しくメンズショップがオープンしたんだ。今度の休日、そこに行ってみよう。なんなら前日に俺の家に泊まればいいよ。うん、ナイスアイデアだ」
「あのさぁ……何が哀しくて君と二人でショッピングなんてしなきゃいけないの。そういうのは可愛い彼女でも作って一緒に行って来たらいいよ」
「ロシアは彼女、いるのかい?」
「さぁね。いたとしても君には全然関係ない話だよ」
「関係あるさ」
やけにきっぱりと断言されて思わず怪訝そうに後方を伺えば、早歩きをしてすぐにロシアの隣りに並んだアメリカは、珍しく深みのある笑顔を浮かべて見せた。
「君のことはこれからもっといっぱい知って行かなくちゃいけないからね。俺達はパートナーになるんだから」
「国際宇宙ステーションの? 分かってるよ。スペースシャトルの期限が切れたらソユーズを使わせてあげるからさ。それ以外は放っておいてくれていいよ」
「いつか一緒に行ってみたいね」
「……どこへ?」
「宇宙に。ステーションが完成したら、そこも俺達の『身体』になるんだろう? なら行くべきだ」
見上げた空のずっとずっと先、黒い無限の宇宙にいつか必ず。
昔はただ見上げるだけしか出来なかったあの空の向こう側に、果てのない世界があるだなんて、子供の時は思いもしなかった。
星に手が届けばいいと誰もが願い、月に願いを込めた過去の人々の夢がいつしか現実となり今に至る。そして次は宇宙が自らの領土になるかもしれないなんて……きっと今いる国の誰もそんなことは想像もしなかったに違いない。
壮大な夢物語に心躍らせるこの若い国の、希望がそのまま叶うと言うのか。
「……クドリャフカに、会えるかな」
ぽつりと、水面に水滴が落ちるように懐かしい出来事を思い出した。
人類初の無人人工衛星スプートニクに乗って空の彼方に消えた彼女。モスクワの街で拾われて、その賢さと可愛さゆえに『世界初の栄誉』に選ばれたサバーカ。
ロシアも何度か訪れたバイコヌール宇宙基地で彼女に会ったことがある。人懐っこくて大人しくて、とても頭のいい子だった。つぶらな瞳がひたむきにこちらを見上げて来たのを今でも覚えている。
のちに世界中でスプートニクショックと呼ばれる一大センセーションを巻き起こした、地球の生き物で一番最初に宇宙に行った小さな生命。
高く高く舞い上がった先で、彼女は何を見たのだろう。
「マットニク?」
ロシアの呟きに気付いたアメリカが、同じように懐かしむような眼差しをして寄越した。西側諸国ではそう呼べれていたっけ、と思い出しながらロシアは小さく頷く。
さすがにこの時ばかりはアメリカも余計な事を言わなかった。彼女はもうどこにもいないのだとは。
「あの子が見た景色を、僕も見てみたい……かも」
「俺と一緒に!」
「一人でいいや」
「それはつまらないぞ」
子供のように唇を尖らせて抗議をするアメリカを横目で見つめ、ロシアは深く溜息をついた。
まったく、イギリスはもっと彼をきちんと躾けるべきだったのだ。こんな傲岸不遜な若造が世界の覇者だなんて笑わせる。まぁだいぶ前に育ての親を裏切って独立を果たしたこの青年のこれまでの所業を、泣く泣く手放さなければならなかった西の島国に押しつけては可哀相かもしれない。
恐らくアメリカの性格は誰の影響でもなく、持って生まれた彼自身のものだろうから。
人の事を言えた義理ではないのだが、気にせずロシアはそんな事を思いながら辿り着いた控室に入ると、続くアメリカを追い出すように眼前で思いきりドアを閉めた。
バタンという大きな音と、えーっ!?という不満の声が広い廊下に木霊する。鍵をかければ開けてよ、一緒に入ろうよなどと世迷い事を叫んでいるのが聞こえたが気にしない。
こんなところで騒げばきっとまた上司連中に怒られるだろう……そう思って唇に笑みを刻むと、ロシアは静かに息をついた。
窓の外にはいつしか丸い月が浮かんでいる。
どこにいてもこれだけは変わらないな、と思う。アメリカにいてもロシアにいても、月はいつも同じだ。そしていつかあそこに自分は行けるのだろうかとぼんやり思う。
残り時間はあと1時間。シャワーを浴びて着替えを済ませたら、ほんの少しだけ月見を楽しむことに決めた。
沿道に設置されたライトの明かりが人工的に周囲を照らし出し、穏やかな風に揺られた木々の影が幾重にも重なっている。
窓枠に肘を突いてロシアはぼんやりと下の光景を眺めていた。先ほど勢いよく滑り落ちたアメリカが駆け付けた警備員に取り囲まれているのが見える。全部で何人いるのだろう、だいぶ多い。
大丈夫ですか、お怪我はありませんかと口々に尋ねられ、それに対して無駄に能天気な笑顔を見せながら無事であることを証明する為か、両手をぶんぶん振り回していた。
その手の先には、戦利品とでも言うかのごとく白いマフラーがたなびいている。
そのうち建物から燕尾服姿の男たちがあらわれ、アメリカに向かって怒鳴っているのが聞こえた。確かあれはこの国の上司の側近連中だった気がする。晩餐会に合わせてそろそろ戻って来たところなのだろう、皆きちんと正装をしていた。
彼らは無鉄砲な自国に対しかなり怒っているようで、くどくどと何か言い聞かせているようだ。さしものアメリカも首を竦めて申し訳なさそうな表情をしている。まぁ彼のことだ、反省しても所詮30分も経てばすっかり忘れてしまっているに違いない。
そろそろ自分も着替えないとな、と思いながらも身体が重く億劫で、ロシアは窓から離れるとその場にずるずるとしゃがみ込んだ。固く冷たい大理石に手をつくとひんやりとした感触が心地よい。
そもそもマフラーなしで外に出るのも嫌だし、叶うことならこのままここでさぼってしまいたい。無論そんなことを上司が許すはずがないのは分かり切っていたが、下がりきったテンションは容易に上がる気配はない。
ふと視線を滑らせると、アメリカが踏みつけた煙草の残骸が目に映ったがすぐに無視をした。きっと明日の朝にでも清掃員が片づけてくれるだろう。それよりも部屋の片隅にある備え付けのゴミ箱に入っている物の方がよほど問題だ。
まったく、こんな場所でも盛れるとは大したものだと冷笑が浮かぶ。
もちろん多少乱暴に扱われたからと言ってどうなるわけでもなし、過去には山ほど痛い目に遭わされて来たのでいまさらこの程度で傷がつくわけでもない。ただ、熱いのは苦手だ。
暖かい場所に行くのが夢だと言いながらも、アメリカから与えられる高い体温は吐き気をもよおすほどの嫌悪感を与えてくる。痛みに慣れた身体も熱には弱いらしく、身体を内側から溶かされるようで背筋がぞっとして堪らない。
「ほんと、さいあく」
呟いて、立てた膝に顔を埋めると急速な眠気に襲われる。駄目だ駄目だと思いながらも身体は休息を要求し、勝手に機能を停止させようとしていた。
シャワーを浴びて着替えを済ませて、それからめいっぱいいい笑顔を浮かべて食事の席に着いて、出されたものを口に合わなくても無理やり飲み込んで、それから、それから。
頭の中でこれからの予定を順番に思い浮かべながらも、秒単位で意識は沈み込んでいってしまう。まどろみはじめた脳裏には白く霞がかかりはじめていた。
寝ては駄目。これから大事な会食があるのに。失ったものを補うには全然足りないけれど、それでも今はまだ立ち止まって呑気に休んでいる暇なんて少しもない。変わってしまった世界、亡くしてしまった大事なもの、いなくなってしまった彼ら。
取り戻さなくちゃ。もう一度やり直さなくちゃ。
その為にこうして一番嫌いで一番殺したい国に来て、彼に抱かれて、それでも笑ってこれからの為に布石を打って。
負けを認めるなんて絶対にしない。彼には、絶対に負けない。
「……アメリカ、……」
空色の瞳を思い浮かべてその名を呟けば、モニターのスクリーンが電源を落とした時のように、ロシアの意識は完全に真っ暗になった。
身体がいたい。
高いところから落ちた時のように全身が痛くて重くて、腕一本動かすのもつらくて仕方がなかった。
それでもぐらぐらと揺らされて脳が撹拌されるような衝撃に、一瞬で浮上した。
「ロシア! 目が覚めたかい?」
ぱっと眼を開けると目の前にはアメリカの顔があった。眼鏡越しにこちらを覗き込む彼の両手が、どうやらたった今まで自分の肩を掴んで前後に揺さぶっていたようだ。
身を捩るとロシアは彼の腕を退けようとしてはたと気づく。今は一体何時だろう?
「あ……ごめん、寝ちゃってたみたい。時間、過ぎちゃった?」
遅刻でもしたらあとできっと上司に小言を言われてしまうに違いない。声を出したと同時にこめかみに痛みが走って、思わず眉をひそめた。これでは先ほどのアメリカを笑えない。
「いや、まだ大丈夫だ。君も着替えるだろう? 控室に服が用意してあるから、先にシャワーを浴びた方がいいな。立てるかい?」
「うん。あとどのくらい?」
「1時間ちょっとってとこかな」
腕時計を確認しながら答えるアメリカの手を払って、ロシアはゆっくりと立ち上がった。眩暈を感じて足元がふらつくが、なんとか態勢を立て直すと会議室を出るため足を進める。
その動きがぴたりと止まった。
「……なに?」
腕を引かれて振り返ると、アメリカがはい、と言って真っ白い塊を押しつけて来た。ぱふんと顔面に当たるそれは、彼が窓から放り投げて自ら取りに行った、ロシアのマフラーだった。
木の枝に引っかかった時に出来たのであろう、小さな糸のほつれが気になると言えば気になったが、それでも目立つ汚れもなくなんとか巻いて帰れそうだ。ないと落ち着かないので正直ほっとしている。
無意識に首の噛まれた痕に指を滑らせれば、目を眇めたアメリカがするりと手を伸ばしてきた。慌てて距離を取れば面白そうにくすくすと笑われたが、これ以上触れられるのは冗談じゃない。本当に、いつかこの借りは何千倍にでもして返してやらなければ気が済まなかった。
そんなロシアの気持ちを知ってか知らずかアメリカは、笑みを浮かべたま機嫌良さそうに口笛を吹く。無駄に明るいその態度が癇に障って仕方がない。わざと空気の読めないふりをしている彼のことだ、恐らく確信犯だろう。
「お詫びに今度新しいのを贈るよ」
「いらない。君の趣味、悪いもの」
「たまには鮮やかな色をしてみるのもいいと思うんだけどなぁ」
「そういうのをね、余計なお世話って言うんだよ。知ってた?」
「そうだ、どうせなら一緒に買いに行こう!」
この男は全然まるきり人の話を聞く気がないのだろう。そう思ってロシアは痛む頭をおさえながらとりあえずシャワーを浴びる為に控室を目指した。
廊下に出るとしんと静まり返った空間に、二人の靴音だけが響き渡る。当然のように後ろから騒々しくついてくるアメリカの気配が心底鬱陶しく感じられた。
「ニューヨークに新しくメンズショップがオープンしたんだ。今度の休日、そこに行ってみよう。なんなら前日に俺の家に泊まればいいよ。うん、ナイスアイデアだ」
「あのさぁ……何が哀しくて君と二人でショッピングなんてしなきゃいけないの。そういうのは可愛い彼女でも作って一緒に行って来たらいいよ」
「ロシアは彼女、いるのかい?」
「さぁね。いたとしても君には全然関係ない話だよ」
「関係あるさ」
やけにきっぱりと断言されて思わず怪訝そうに後方を伺えば、早歩きをしてすぐにロシアの隣りに並んだアメリカは、珍しく深みのある笑顔を浮かべて見せた。
「君のことはこれからもっといっぱい知って行かなくちゃいけないからね。俺達はパートナーになるんだから」
「国際宇宙ステーションの? 分かってるよ。スペースシャトルの期限が切れたらソユーズを使わせてあげるからさ。それ以外は放っておいてくれていいよ」
「いつか一緒に行ってみたいね」
「……どこへ?」
「宇宙に。ステーションが完成したら、そこも俺達の『身体』になるんだろう? なら行くべきだ」
見上げた空のずっとずっと先、黒い無限の宇宙にいつか必ず。
昔はただ見上げるだけしか出来なかったあの空の向こう側に、果てのない世界があるだなんて、子供の時は思いもしなかった。
星に手が届けばいいと誰もが願い、月に願いを込めた過去の人々の夢がいつしか現実となり今に至る。そして次は宇宙が自らの領土になるかもしれないなんて……きっと今いる国の誰もそんなことは想像もしなかったに違いない。
壮大な夢物語に心躍らせるこの若い国の、希望がそのまま叶うと言うのか。
「……クドリャフカに、会えるかな」
ぽつりと、水面に水滴が落ちるように懐かしい出来事を思い出した。
人類初の無人人工衛星スプートニクに乗って空の彼方に消えた彼女。モスクワの街で拾われて、その賢さと可愛さゆえに『世界初の栄誉』に選ばれたサバーカ。
ロシアも何度か訪れたバイコヌール宇宙基地で彼女に会ったことがある。人懐っこくて大人しくて、とても頭のいい子だった。つぶらな瞳がひたむきにこちらを見上げて来たのを今でも覚えている。
のちに世界中でスプートニクショックと呼ばれる一大センセーションを巻き起こした、地球の生き物で一番最初に宇宙に行った小さな生命。
高く高く舞い上がった先で、彼女は何を見たのだろう。
「マットニク?」
ロシアの呟きに気付いたアメリカが、同じように懐かしむような眼差しをして寄越した。西側諸国ではそう呼べれていたっけ、と思い出しながらロシアは小さく頷く。
さすがにこの時ばかりはアメリカも余計な事を言わなかった。彼女はもうどこにもいないのだとは。
「あの子が見た景色を、僕も見てみたい……かも」
「俺と一緒に!」
「一人でいいや」
「それはつまらないぞ」
子供のように唇を尖らせて抗議をするアメリカを横目で見つめ、ロシアは深く溜息をついた。
まったく、イギリスはもっと彼をきちんと躾けるべきだったのだ。こんな傲岸不遜な若造が世界の覇者だなんて笑わせる。まぁだいぶ前に育ての親を裏切って独立を果たしたこの青年のこれまでの所業を、泣く泣く手放さなければならなかった西の島国に押しつけては可哀相かもしれない。
恐らくアメリカの性格は誰の影響でもなく、持って生まれた彼自身のものだろうから。
人の事を言えた義理ではないのだが、気にせずロシアはそんな事を思いながら辿り着いた控室に入ると、続くアメリカを追い出すように眼前で思いきりドアを閉めた。
バタンという大きな音と、えーっ!?という不満の声が広い廊下に木霊する。鍵をかければ開けてよ、一緒に入ろうよなどと世迷い事を叫んでいるのが聞こえたが気にしない。
こんなところで騒げばきっとまた上司連中に怒られるだろう……そう思って唇に笑みを刻むと、ロシアは静かに息をついた。
窓の外にはいつしか丸い月が浮かんでいる。
どこにいてもこれだけは変わらないな、と思う。アメリカにいてもロシアにいても、月はいつも同じだ。そしていつかあそこに自分は行けるのだろうかとぼんやり思う。
残り時間はあと1時間。シャワーを浴びて着替えを済ませたら、ほんの少しだけ月見を楽しむことに決めた。
このたびは素敵なリクエストをどうもありがとうございました!
米露でリクが貰えるなんて思ってもみなかったのでとても嬉しかったです。ですがちょっとご希望通りとはいかず申し訳ない気持ちでいっぱいです…。
ロシアはきっとマフラーなしでは外出出来ないと思うので、時間を置かずすぐに返してあげた方がいいと思った次第でして。
それとマフラーが、アメリカにおける眼鏡(テキサス)のように自国の領土だった場合、あまり長い間他国の手に渡っているのはまずいかなぁとも思いまして、こうなりました。(ご本家ではたぶんまだ、ロシアのマフラーが「何か」は出ていなかったと思うので勝手な想像ですが)
ともあれ、少しでも楽しんでもらえたら嬉しいですv
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