紅茶をどうぞ
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[お題] 仰ぎ見れば、無限
長時間続いた会議がようやく終わり、それぞれの上司が引き揚げていった会議場はがらんと静まり返っていて、これまでの喧騒が嘘のようだった。
相変わらずのミサイル防衛と戦略核削減の包括協議は、お互いの譲らぬ姿勢ゆえに堂々巡りを繰り返し、たいした結果も得られないまま終了した。
エネルギー問題や民族紛争に端を発したお互いの歴史への言及は、おそらくこのまま表には出ないまま消されるだろう。とてもじゃないが外に漏らしていい内容ではない。
このところ『国』である彼らはオブザーバー的な要素が強く、こういった首脳会議での発言はほとんどなかった。時々嫌みの言い合いのようなことはあっても基本的には人間たちにすべてを任せている。
国民あっての『国』。間違っても『国』あっての国民ではないのだ、それを忘れてはいけない。
ひろびろと取られた窓から夕焼けを望みながら、ロシアはぼんやりと赤く染まる空を見つめていた。
さきほど火をつけたばかりの煙草がゆらりと白い煙を昇らせ、吐き出す吐息にまじって霧散していく。ほとんど吸い込まずふかすようにくゆらせれば、舌先に苦い味だけが残っていった。
晩餐会までにはまだ時間がある。このまま宿泊先のホテルに戻っても良かったが、どうせ三時間後にはまたここに来る羽目になるのだ。移動するのもかったるい。
窓枠に長身を預けながら煙草を唇に挟み、彼は疲れたようにそっと両目を閉ざした。冷たい硝子窓に頬を寄せるとひんやりとした感触が気持ちいい。
しばらくそうしていて、そろそろ灰が落ちそうな頃、手にした灰皿の上にそれを落とす。指先で軽く揉み消し新しい煙草に火をつけようと胸ポケットに手を入れた。
それと同時に騒がしい足音が聞こえる。
「まだここにいたのかい」
斜めに差し込む夕日に照らされて黒い影を引きながら、アメリカが革靴の音を響かせて、窓際のロシアへと何のためらいもなくずかずかと歩み寄って来た。
軽く眉を顰めながら無視を決め込むと、ロシアは小さな箱の底を指先で弾いて紙巻きを一本出し、するりと口に咥えた。ライターを探っているといつの間にやらすぐ傍まで来ていたアメリカがはい、と言ってマッチを差し出して来た。
文明の利器が大好きな彼らしからぬアナログな選択に、一瞬ロシアの視線がそちらに流れる。
アメリカの手が小さな赤い先端を包み込むようにして火をつけた。促すようにされ、仕方がなく顔を寄せて火をもらう。
「……珍しいね」
ぽつりと漏らした呟きに、アメリカは機嫌良さそうに笑った。吹き消したマッチの残骸をロシアの持つ灰皿に放り込みながら、彼は少しだけ肩をすくめて答える。
「イギリスは葉巻を吸う時にマッチを使うんだ」
「ふぅん」
「彼、変態でどうしようもない人だけど、仕草だけは綺麗で」
確かにイギリスはマッチを擦る指先、葉巻に火を落とすタイミング、吸い口を運ぶ動き、そしてくゆらせるまでの一連の動作が実に様になる。
伊達に紳士面をしてはいない彼の洗練された所作に、実はアメリカが憧れていると言えば元兄は泣いて喜ぶに違いない。無論、何があっても口にする事はないのだが。
「なるほどね。君のイギリス君コンプレックスは根が深いみたいだ」
「コンプレックスとは違うぞ。いいものは取り入れる主義なだけだよ」
きっとこういうのを減らず口と言うんだろうな、とそう思いながらロシアはさして興味もなさそうに視線を外へと向けた。暮れゆく茜色の空を見ている方が、アメリカの憎たらしい顔を見ているよりよほどいい。
「俺にもちょうだい」
無遠慮に距離を詰めてくるアメリカから逃れる暇もなく、ロシアは顎を捉われ強引に向きを変えさせられた。口にしたままの煙草を取り上げられ、そのまま開いた唇に否応なく相手の舌がねじ込まれてくる。
熱い塊がこちらを思いやることなく好き勝手に口腔をかき乱す。内側から歯列をなぞり、苦味の残る舌先からなにから全てを舐めるように蹂躙された。
「……っ、いい加減、しつこい、よ」
頭を引いて唇を外しても、喰らいつくように口吻けは繰り返される。いつしか顎を掴んでいたアメリカの手はロシアの後頭部をしっかりと固定していた。
「灰、落ちる、」
意味もなく咎めれば、アメリカが手にした煙草を床に落とした。カン、と音を立てて靴で踏みつけるその様子に心底呆れてしまう。幸い絨毯ではなく大理石が敷き詰められているので焦げることはないだろうが、まったく傍若無人もいいところだ。
「ちょっと、いい加減に……」
「時間はまだまだあるから大丈夫さ」
無駄に厚い胸板を押すがびくともしない。こういう時のアメリカは変なスイッチでも入ってしまっているのか、いつも以上にパワフルだ。普段は決して力でも劣らないロシアですら抑え込もうとしてくる。
本気で抵抗すれば恐らく互角、いや、ややこちらが不利か。そう脳内で判断しつつロシアは疲れたように溜息を吐いた。
あぁもうなにもかもが馬鹿馬鹿しい。
アメリカが首に巻いたマフラーを強引に外そうとするのをなんとか押しとどめながら、どうして自分はこんなところでこんな下らないやりとりをしているのかと思った。少しはゆっくり休ませて欲しい。
このところずっと忙しくてまともに休息も取っていないのだ。国内も国外も大きな問題を抱えたまま乱れている。未だ安定しない情勢に頭の中がぐちゃぐちゃになるほど苛立っていた。
正直、今は指先一本動かすのも億劫で仕方がない。
「君に付き合う気はないよ」
「反論は認めないぞ」
「あのね、アメリカ君。僕と君はこれから友好的かつ協力的にやっていこうって、さっき言ってなかったっけ?」
「この上なく俺達は良好な関係だと思わないかい?」
「思わないね」
「ロシアは我儘だなぁ」
宥めるようなやれやれといった口調に、ロシアは冷たい笑みを浮かべながらぴくりと頬が引き攣るのを感じた。
殴りたい。手にしたガラス製の灰皿で、思いっきりこれ以上はないほど渾身の力で殴りつけたい。
イギリスといいアメリカといい、どうしてこの兄弟はこうも人を苛つかせるのだろうかと、痛む頭で考えても答えは出なかった。
とにかく今は一人になりたい。これ以上アメリカの遊びになど付き合う気は微塵たりともないのだ。ロシアは灰皿を窓枠に置くとそのまま部屋を出て行こうと踵を返した。
「僕は一人でいたいの。放っておいてね」
「暇なら付き合うべきだと思わないかい?」
自論を振りかざしてアメリカはロシアの首に手をかけてきた。咄嗟に身を捩って逃げようとしても、マフラーを掴まれぐいと思いきり引かれれば、さすがに息が詰まって仕方がなかった。
振り払うにもアメリカが諦める様子もなし、こんなところで絞殺死体になる予定もないので立ち止まるしかない。
本当に、殴りつけることが出来たらどんなにいいだろうか。ソ連時代のバルト三国相手にならば簡単に振り上げられたこぶしも、さすがにこのご時世、アメリカ相手に行えば跳ね返ってくるのは自国の不利益ばかりだ。
もう少し時間が経たなければ負った傷の深さも衰えた国力も癒えはしない。今はどんなに屈辱を感じていようともじっと矯めて待つ時なのだ。
首に巻いた布が外されると途端に心もとない気分になる。
すぐにアメリカの掌が喉に触れ、その体温が痛いくらい肌に伝わってきた。慣れない感触に背筋に悪寒が走ってロシアは嫌そうに頭を振る。
そうだ、一番弱いところを捕食者は狙ってくるものだ。噛みつくようなキスにぞっとする。薄い皮膚越しに相手の舌の動きを感じ取って息を詰めれば、楽しそうにくすくすと笑われた。その振動さえ不快なもので、きつく両目を閉ざすとロシアは、アメリカの髪の毛を鷲掴みにして何とか引きはがそうと苦心した。セキュリティを理由に取り上げられたトカレフが恋しくて仕方がない。
「痛いよ、引っ張らないでくれ」
「じゃあ今すぐ離れて。円形脱毛症にはなりたくないでしょ」
「うわぁ……それはさすがに引くぞ」
「分かったならマフラー返してよ」
「嫌だね」
子供のように悪戯っぽく両目を輝かせて、アメリカは手にした白いそれを窓を開けて外へと放り投げた。
あっという間にひらりと宙を待って落ちて行くマフラーが、風に攫われて高い木の上に引っかかる。何とも言えず眩暈のする光景だった。
「君、なんてことするのかなぁ……信じられない」
「後で取ってあげるから。今は大人しく俺に付き合いなよ」
「取るって、一体どうやって」
「あの木の上に飛び下りればいいじゃないか」
なんでもないことのように言われて、ロシアは今度こそ完全に脱力してしまった。この男とはまともに会話するだけ無駄のようだ。
自分も大概だとは思っていたが、少なくとも彼にだけは今後一切何も言われたくはないと思う。
呆れた顔で溜息をついたロシアに、アメリカは質問はこれで終了とばかりに笑みを浮かべて見せた。そのまま問答無用で窓際から引きはがされる。
双方の冷たい視線が絡み合った状態で大テーブルの上に押し倒されれば、背中の固い感触に盛大に眉が寄った。上から見下ろしてくる青い瞳を下から睨み上げると、再びこの上ない不敵な笑顔を返された。実に頭に来る。
「けだもの」
「君の口からそんな台詞が聞けるとは思ってもみなかったな。随分と弱くなったね、ロシア」
「あのねぇアメリカ君。悪趣味なところばかりイギリス君に似なくてもいいと思うんだけど」
「悪趣味? たとえば?」
「この状況を悪趣味と言わずしてなんて言うのかな」
大の男を、しかも自分より背の高い大柄の男を押し倒して、いったい何が楽しいのだろうか。辱める事が目的にしてもそんなやり方はアメリカらしくない。正々堂々がモットーで、馬鹿みたいに正義を振りかざす日頃の彼とは思えない行動だ。
まぁ、そんなヒーロースタンスが明らかに演技なのだと誰もが気づいているわけだが。
「君は誤解しているよ」
「誤解?」
「俺はただ楽しみたいだけだから。これもまたギブアンドテイクだよ。いいだろ?」
「嫌」
「言っただろ? 反論は認めないぞ」
まるで支配者が断言するかのような絶対的な口調で宣言をすると、アメリカは天井を見上げたロシアの首筋に顔をうずめた。
遠慮なく噛みつかれて、歯形が残るのは嫌だなぁと思いながらロシアは両目を閉ざす。
こんなふうに、彼に対してどこか諦めにも似た気持ちを持つようになったのはいつからだろう。連邦が崩壊して、共産主義から資本主義へと体制が変わり、弱体化していた自分にアメリカが手を伸ばして来た。
"そら" を見ようと言って、無邪気に夢を語るこの男にほぼ強制的に引っ張られてここまで来た。その間に天然資源の埋蔵による恩恵があり、インフラが整い、経済も順調に立て直り徐々に国力は回復して来た。それでもまだ絶対的な差異があることは認めなければならない。
確かに今はアメリカの方が上だろう。だがいつまでも彼だけがこの世界の覇者でいられるとは限らない。いずれ足元が揺らぐ日が必ず来る……それまでは。
あぁそうだ。アメリカ自身が言っていたではないか。"そら" は無限だと。
乱れた服を整えている間、アメリカは本当に窓の外から大きな木に向けてダイブした。いっそ見事なほど軽やかに。
以前、ヘリから雪の上に降下して骨折した自分に対する当てつけなのだろうかと思いながら、そのでたらめな行動力にロシアは思わず小さく笑った。
窓から下を眺めれば、白いマフラーを手にこちらを見上げる彼が明るく笑い返してくる。
「危ないよ」
一応、友好国だからと親切心を持って忠告してみたけれど、どうやら意味がなかったようだ。
大丈夫大丈夫と声を上げた彼の身体が、細い枝の上で揺れる。あ、と思った時にはもう、そのままざざざと大きな音を立てて地面に滑り落ちていった。
馬鹿だなぁ、と呆れつつも頑丈に出来ている彼のことだ、きっと無傷に違いない。心配するだけ損というものだ。
それよりも大きな物音に何が起きたのかと警備員が数人走り寄ってくるのが見えた。あちらこちらから慌てて駆けつけてくるようで、随分と大騒ぎになってしまっている。
恐らくこの分ではアメリカの馬鹿な行動を知った彼の上司に、後でこってり絞られるに違いない。そう思うとおかしくてたまらなかった。
「まぁ今だけは大人しくしておいてあげる。いずれこの借りは500倍にして返してあげるね、アメリカ君」
首筋に刻まれたであろう歯形をそっと指先でなぞりながら、ロシアは窓枠に肘をついてとっぷり暮れた空を見上げた。
相変わらずのミサイル防衛と戦略核削減の包括協議は、お互いの譲らぬ姿勢ゆえに堂々巡りを繰り返し、たいした結果も得られないまま終了した。
エネルギー問題や民族紛争に端を発したお互いの歴史への言及は、おそらくこのまま表には出ないまま消されるだろう。とてもじゃないが外に漏らしていい内容ではない。
このところ『国』である彼らはオブザーバー的な要素が強く、こういった首脳会議での発言はほとんどなかった。時々嫌みの言い合いのようなことはあっても基本的には人間たちにすべてを任せている。
国民あっての『国』。間違っても『国』あっての国民ではないのだ、それを忘れてはいけない。
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ひろびろと取られた窓から夕焼けを望みながら、ロシアはぼんやりと赤く染まる空を見つめていた。
さきほど火をつけたばかりの煙草がゆらりと白い煙を昇らせ、吐き出す吐息にまじって霧散していく。ほとんど吸い込まずふかすようにくゆらせれば、舌先に苦い味だけが残っていった。
晩餐会までにはまだ時間がある。このまま宿泊先のホテルに戻っても良かったが、どうせ三時間後にはまたここに来る羽目になるのだ。移動するのもかったるい。
窓枠に長身を預けながら煙草を唇に挟み、彼は疲れたようにそっと両目を閉ざした。冷たい硝子窓に頬を寄せるとひんやりとした感触が気持ちいい。
しばらくそうしていて、そろそろ灰が落ちそうな頃、手にした灰皿の上にそれを落とす。指先で軽く揉み消し新しい煙草に火をつけようと胸ポケットに手を入れた。
それと同時に騒がしい足音が聞こえる。
「まだここにいたのかい」
斜めに差し込む夕日に照らされて黒い影を引きながら、アメリカが革靴の音を響かせて、窓際のロシアへと何のためらいもなくずかずかと歩み寄って来た。
軽く眉を顰めながら無視を決め込むと、ロシアは小さな箱の底を指先で弾いて紙巻きを一本出し、するりと口に咥えた。ライターを探っているといつの間にやらすぐ傍まで来ていたアメリカがはい、と言ってマッチを差し出して来た。
文明の利器が大好きな彼らしからぬアナログな選択に、一瞬ロシアの視線がそちらに流れる。
アメリカの手が小さな赤い先端を包み込むようにして火をつけた。促すようにされ、仕方がなく顔を寄せて火をもらう。
「……珍しいね」
ぽつりと漏らした呟きに、アメリカは機嫌良さそうに笑った。吹き消したマッチの残骸をロシアの持つ灰皿に放り込みながら、彼は少しだけ肩をすくめて答える。
「イギリスは葉巻を吸う時にマッチを使うんだ」
「ふぅん」
「彼、変態でどうしようもない人だけど、仕草だけは綺麗で」
確かにイギリスはマッチを擦る指先、葉巻に火を落とすタイミング、吸い口を運ぶ動き、そしてくゆらせるまでの一連の動作が実に様になる。
伊達に紳士面をしてはいない彼の洗練された所作に、実はアメリカが憧れていると言えば元兄は泣いて喜ぶに違いない。無論、何があっても口にする事はないのだが。
「なるほどね。君のイギリス君コンプレックスは根が深いみたいだ」
「コンプレックスとは違うぞ。いいものは取り入れる主義なだけだよ」
きっとこういうのを減らず口と言うんだろうな、とそう思いながらロシアはさして興味もなさそうに視線を外へと向けた。暮れゆく茜色の空を見ている方が、アメリカの憎たらしい顔を見ているよりよほどいい。
「俺にもちょうだい」
無遠慮に距離を詰めてくるアメリカから逃れる暇もなく、ロシアは顎を捉われ強引に向きを変えさせられた。口にしたままの煙草を取り上げられ、そのまま開いた唇に否応なく相手の舌がねじ込まれてくる。
熱い塊がこちらを思いやることなく好き勝手に口腔をかき乱す。内側から歯列をなぞり、苦味の残る舌先からなにから全てを舐めるように蹂躙された。
「……っ、いい加減、しつこい、よ」
頭を引いて唇を外しても、喰らいつくように口吻けは繰り返される。いつしか顎を掴んでいたアメリカの手はロシアの後頭部をしっかりと固定していた。
「灰、落ちる、」
意味もなく咎めれば、アメリカが手にした煙草を床に落とした。カン、と音を立てて靴で踏みつけるその様子に心底呆れてしまう。幸い絨毯ではなく大理石が敷き詰められているので焦げることはないだろうが、まったく傍若無人もいいところだ。
「ちょっと、いい加減に……」
「時間はまだまだあるから大丈夫さ」
無駄に厚い胸板を押すがびくともしない。こういう時のアメリカは変なスイッチでも入ってしまっているのか、いつも以上にパワフルだ。普段は決して力でも劣らないロシアですら抑え込もうとしてくる。
本気で抵抗すれば恐らく互角、いや、ややこちらが不利か。そう脳内で判断しつつロシアは疲れたように溜息を吐いた。
あぁもうなにもかもが馬鹿馬鹿しい。
アメリカが首に巻いたマフラーを強引に外そうとするのをなんとか押しとどめながら、どうして自分はこんなところでこんな下らないやりとりをしているのかと思った。少しはゆっくり休ませて欲しい。
このところずっと忙しくてまともに休息も取っていないのだ。国内も国外も大きな問題を抱えたまま乱れている。未だ安定しない情勢に頭の中がぐちゃぐちゃになるほど苛立っていた。
正直、今は指先一本動かすのも億劫で仕方がない。
「君に付き合う気はないよ」
「反論は認めないぞ」
「あのね、アメリカ君。僕と君はこれから友好的かつ協力的にやっていこうって、さっき言ってなかったっけ?」
「この上なく俺達は良好な関係だと思わないかい?」
「思わないね」
「ロシアは我儘だなぁ」
宥めるようなやれやれといった口調に、ロシアは冷たい笑みを浮かべながらぴくりと頬が引き攣るのを感じた。
殴りたい。手にしたガラス製の灰皿で、思いっきりこれ以上はないほど渾身の力で殴りつけたい。
イギリスといいアメリカといい、どうしてこの兄弟はこうも人を苛つかせるのだろうかと、痛む頭で考えても答えは出なかった。
とにかく今は一人になりたい。これ以上アメリカの遊びになど付き合う気は微塵たりともないのだ。ロシアは灰皿を窓枠に置くとそのまま部屋を出て行こうと踵を返した。
「僕は一人でいたいの。放っておいてね」
「暇なら付き合うべきだと思わないかい?」
自論を振りかざしてアメリカはロシアの首に手をかけてきた。咄嗟に身を捩って逃げようとしても、マフラーを掴まれぐいと思いきり引かれれば、さすがに息が詰まって仕方がなかった。
振り払うにもアメリカが諦める様子もなし、こんなところで絞殺死体になる予定もないので立ち止まるしかない。
本当に、殴りつけることが出来たらどんなにいいだろうか。ソ連時代のバルト三国相手にならば簡単に振り上げられたこぶしも、さすがにこのご時世、アメリカ相手に行えば跳ね返ってくるのは自国の不利益ばかりだ。
もう少し時間が経たなければ負った傷の深さも衰えた国力も癒えはしない。今はどんなに屈辱を感じていようともじっと矯めて待つ時なのだ。
首に巻いた布が外されると途端に心もとない気分になる。
すぐにアメリカの掌が喉に触れ、その体温が痛いくらい肌に伝わってきた。慣れない感触に背筋に悪寒が走ってロシアは嫌そうに頭を振る。
そうだ、一番弱いところを捕食者は狙ってくるものだ。噛みつくようなキスにぞっとする。薄い皮膚越しに相手の舌の動きを感じ取って息を詰めれば、楽しそうにくすくすと笑われた。その振動さえ不快なもので、きつく両目を閉ざすとロシアは、アメリカの髪の毛を鷲掴みにして何とか引きはがそうと苦心した。セキュリティを理由に取り上げられたトカレフが恋しくて仕方がない。
「痛いよ、引っ張らないでくれ」
「じゃあ今すぐ離れて。円形脱毛症にはなりたくないでしょ」
「うわぁ……それはさすがに引くぞ」
「分かったならマフラー返してよ」
「嫌だね」
子供のように悪戯っぽく両目を輝かせて、アメリカは手にした白いそれを窓を開けて外へと放り投げた。
あっという間にひらりと宙を待って落ちて行くマフラーが、風に攫われて高い木の上に引っかかる。何とも言えず眩暈のする光景だった。
「君、なんてことするのかなぁ……信じられない」
「後で取ってあげるから。今は大人しく俺に付き合いなよ」
「取るって、一体どうやって」
「あの木の上に飛び下りればいいじゃないか」
なんでもないことのように言われて、ロシアは今度こそ完全に脱力してしまった。この男とはまともに会話するだけ無駄のようだ。
自分も大概だとは思っていたが、少なくとも彼にだけは今後一切何も言われたくはないと思う。
呆れた顔で溜息をついたロシアに、アメリカは質問はこれで終了とばかりに笑みを浮かべて見せた。そのまま問答無用で窓際から引きはがされる。
双方の冷たい視線が絡み合った状態で大テーブルの上に押し倒されれば、背中の固い感触に盛大に眉が寄った。上から見下ろしてくる青い瞳を下から睨み上げると、再びこの上ない不敵な笑顔を返された。実に頭に来る。
「けだもの」
「君の口からそんな台詞が聞けるとは思ってもみなかったな。随分と弱くなったね、ロシア」
「あのねぇアメリカ君。悪趣味なところばかりイギリス君に似なくてもいいと思うんだけど」
「悪趣味? たとえば?」
「この状況を悪趣味と言わずしてなんて言うのかな」
大の男を、しかも自分より背の高い大柄の男を押し倒して、いったい何が楽しいのだろうか。辱める事が目的にしてもそんなやり方はアメリカらしくない。正々堂々がモットーで、馬鹿みたいに正義を振りかざす日頃の彼とは思えない行動だ。
まぁ、そんなヒーロースタンスが明らかに演技なのだと誰もが気づいているわけだが。
「君は誤解しているよ」
「誤解?」
「俺はただ楽しみたいだけだから。これもまたギブアンドテイクだよ。いいだろ?」
「嫌」
「言っただろ? 反論は認めないぞ」
まるで支配者が断言するかのような絶対的な口調で宣言をすると、アメリカは天井を見上げたロシアの首筋に顔をうずめた。
遠慮なく噛みつかれて、歯形が残るのは嫌だなぁと思いながらロシアは両目を閉ざす。
こんなふうに、彼に対してどこか諦めにも似た気持ちを持つようになったのはいつからだろう。連邦が崩壊して、共産主義から資本主義へと体制が変わり、弱体化していた自分にアメリカが手を伸ばして来た。
"そら" を見ようと言って、無邪気に夢を語るこの男にほぼ強制的に引っ張られてここまで来た。その間に天然資源の埋蔵による恩恵があり、インフラが整い、経済も順調に立て直り徐々に国力は回復して来た。それでもまだ絶対的な差異があることは認めなければならない。
確かに今はアメリカの方が上だろう。だがいつまでも彼だけがこの世界の覇者でいられるとは限らない。いずれ足元が揺らぐ日が必ず来る……それまでは。
あぁそうだ。アメリカ自身が言っていたではないか。"そら" は無限だと。
- - - - - - - - - - - - - -
乱れた服を整えている間、アメリカは本当に窓の外から大きな木に向けてダイブした。いっそ見事なほど軽やかに。
以前、ヘリから雪の上に降下して骨折した自分に対する当てつけなのだろうかと思いながら、そのでたらめな行動力にロシアは思わず小さく笑った。
窓から下を眺めれば、白いマフラーを手にこちらを見上げる彼が明るく笑い返してくる。
「危ないよ」
一応、友好国だからと親切心を持って忠告してみたけれど、どうやら意味がなかったようだ。
大丈夫大丈夫と声を上げた彼の身体が、細い枝の上で揺れる。あ、と思った時にはもう、そのままざざざと大きな音を立てて地面に滑り落ちていった。
馬鹿だなぁ、と呆れつつも頑丈に出来ている彼のことだ、きっと無傷に違いない。心配するだけ損というものだ。
それよりも大きな物音に何が起きたのかと警備員が数人走り寄ってくるのが見えた。あちらこちらから慌てて駆けつけてくるようで、随分と大騒ぎになってしまっている。
恐らくこの分ではアメリカの馬鹿な行動を知った彼の上司に、後でこってり絞られるに違いない。そう思うとおかしくてたまらなかった。
「まぁ今だけは大人しくしておいてあげる。いずれこの借りは500倍にして返してあげるね、アメリカ君」
首筋に刻まれたであろう歯形をそっと指先でなぞりながら、ロシアは窓枠に肘をついてとっぷり暮れた空を見上げた。
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