紅茶をどうぞ
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クリームティ
今日そっちに行くから!という無神経で傲慢極まりない電話を受けたのは、今から五時間前のことだった。
イギリスは不機嫌な表情でもぞもぞとベット上で上半身を起こした。
煩く鳴り響くベッドサイドの時計を見ると朝の九持。腕をのばしてぽすんと叩くと、アラームが切れて静かになる。
休日前の昨夜は遅くまでパブで飲んでいたため、すっかり午前様だった。
酔っ払ったままとりあえず裸になって、適当に服をソファに投げつけベットにダイブしたところで記憶がきれいに途切れている。
が、そのまま惰眠をむさぼり昼前まで寝てやろうと決め込んでいた彼は、最悪なことに、夜も明けない暗い時刻にアメリカからの電話で叩き起こされてしまったのだ。
昔から緊急時を想定して、ささいなことでも目覚められるように反射神経が研ぎ澄まされている。そのため戦時下ではどんな状況でも異変が生じれば即座に目を覚ました。
それは今も変わらず、どれほど泥酔して深い眠りに落ちていようとも、電話の音には必ずイギリスは敏感に目を覚ました。一度たりとも出遅れた事などない。
今回も突然の呼び出し音にはっと飛び起きて受話器を取れば、聞き慣れた爽快かつ能天気な男の声が大音量で耳に飛び込んで来た。明らかに緊急の要件ではないことをべらべらとまくし立てるその声に、誰何するまでもなく気分が急降下していくのが自分でもはっきりと分かった。
果てしなく苛立った脳裏に取り敢えずアメリカが何を言わんとしているのか到達し、理解した瞬間に受話器を電話機に叩きつけ、そしてそのまま、ぱたりと横倒しになって今にいたる。
乱れた髪を手櫛で整えながらとりあえずベッドを下り、昨夜脱ぎ散らかした衣服を持ってバスルームへと移動した。
洗濯機に汚れものを放り込んで熱いシャワーを浴び、歯を磨いて普段着用のシャツとスラックスに着替えると、ようやく沈澱していたアルコールが抜けて頭がすっきりとして来た。
紅茶を淹れる頃になると気分も落ち着いて思考回路が回復する。それと同時に湧き上がってきたのはまたしても強い苛立ちと、アメリカに対するどうしようもない諦めの感情だった。
「ったくあの馬鹿、人の都合ってモンをちっとも考えやしねぇ」
口汚い言葉も今は聞く人もなく、昔馴染みの(海賊時代から紳士時代まで全て知られている)妖精達がくすくすと笑うだけだ。
イギリスは取り敢えず新聞を取って来るとパンを片手にざっと目を通した。目立った記事はなく世間はいたって平和な様子。まったくもって目出度いことではないか。
これで安寧たる休日を邪魔されなければ最高の一日になるに違いない。
『イギリス、スコーンは焼かないの?』
妖精の一人がオーブンを指さしながらかわいらしく小首を傾げる。新聞から目を上げてイギリスは憮然とした顔つきをした。
「あの野郎、この間俺のスコーンは食いたくねぇって言い切りやがった。あぁそうかよ、俺だって金輪際二度と作ってなんかやらねーよ!」
『でも、アメリカはいつもちゃんと全部食べてくれるわよ?』
「意地汚いだけだろ。一週間前にイタリアからもらったビスコッティがまだ残っているから、それでも食わせとけばいい。石のように硬くなってるけどな」
『イギリスの焼いたスコーンじゃないと意味ないと思うけどなぁ』
ふん、っとそっぽを向いたイギリスに向けて、別の妖精がわけ知り顔をして言った。ちいさな口元に楽しそうな笑みを浮かべている彼女たちは、イギリスの周囲を飛びまわりながら奇麗な声で言葉を紡ぐ。
『スコーンはいろんなジャムを楽しめるから、好きよ』
「ジャムか……そう言えばそろそろブルーベリーが切れそうだったな」
『野いちごも少なくなって来ていたわ』
「そっか。じゃあちょっと作るか」
『焼きたてのスコーンも! お願い、イギリス』
「あー……分かった分かった。焼いてやるからちょっと待ってろ」
読みかけの新聞を畳んでテーブルに置くと、イギリスは立ち上がってエプロンを手にした。
キッチンに立って材料を取り出しながら、採れたてのフルーツの籠を持ち上げる。山盛りの新鮮なそれは昨日、近所の農婦が分けてくれたものだ。
みずみずしい果物をすべてジャムにしてしまうのはもったいない。そう思って彼は後ろに付いて来ていた妖精たちを振り返って訊ねた。
「なぁ、トライフル食うか?」
むろん返事は聞くまでもない。
きゃーという明るい嬉しそうな歓声に、今日初めてイギリスも口元に笑みを浮かべた。
インターホンを押すと、カチリと音がして玄関の鍵が開いた。
いったいどういうシステムなのだろうかといつも不思議に思うのだが、イギリスに問えば決まって「妖精が開けてくれるんだ」という答えしか返ってこないので、もうだいぶ前から聞くことはなくなっていた。
まったくいつまで経っても幻覚を見てばかりいる元兄に、アメリカは盛大に肩をすくめて溜息をついてからドアノブを引いた。
木製の扉が開くとふわりと鼻先をくすぐる甘い香り。
相変わらず下手の横好きで料理をしているのだろう、と思いながら中へ入ると、行儀が悪いとさんざん注意されていることなど忘れきった顔で後ろ手にドアを閉めた。
廊下を進んでガラスを隔てて室内を覗く。カウンター越しにキッチンに立つイギリスの、金色の頭がちらりと見えた。
「蜂蜜取ってくれるか?」
イギリスが誰に言うでもなく空中に向けて独り言を呟いている。相変わらずだなぁと苦笑しながら中へ入ると、アメリカは遠慮のかけらもない足取りでキッチンへと歩いて行った。
焼き上がったばかりなのだろう、スコーンの山が良い香りとともに湯気をたてている。
「やぁ、相変わらず破壊兵器製造中かい?」
「……! 挨拶くらいしろよアメリカ」
勢いよく振り返った途端眉間に皺を寄せるイギリスに、アメリカは飄々とした態度で大仰に肩を竦めて見せた。
「これから君の手作りスコーンを食べようって言う、決死の覚悟を決めたヒーローなんだから、細かい事は気にしないでくれよ」
「はぁ? 相変わらずわけわかんねー奴だな。ご託はいいから出ろよ、邪魔だ。それにこのスコーンはお前には出さねーよ。そこの棚にビスコッティがあるから持って行け」
ぞんざいに顎でしゃくるようにしてから、イギリスはボールに入れた生クリームの泡立てに戻った。
アメリカの顔から笑顔が消える。
みるみるうちに不機嫌になる彼の周囲に、窓から差し込む日射しの加減か、きらりと乱反射する光が散った。
こちらに背を向けるイギリスを眼鏡越しに数秒睨んでから、アメリカはその隣にあるスコーンに目を向けた。
程よい焼き加減の優しい黄色が、いい具合の焦げ目をつけて丁寧に積んである。その傍にはこれまた作りたてなのだろう、色とりどりのジャムが小さなガラスの器に入ってつやつやと輝いていた。
陶器の皿に盛られたクロテッドクリームも柔らかな乳白色で、たたまれた紙袋からすぐにイギリスが贔屓にしている高級デパートのものだと知れた。
「……誰か来るのかい?」
つとめて平静に問いかければ、振り返りもせずにイギリスが応じる。
「今日は久々のオフだから一人でゆっくりするつもりだったんだ。お前からの電話さえなければな!」
「じゃあ、そのスコーンを食べさせられる可哀相な犠牲者は誰なんだい?」
「うるせぇな! お前のモンじゃないことだけは確かだ。勝手にコーヒーでも淹れてリビングに行ってろ!」
インスタントの瓶が押しつけられ、アメリカは面白くない表情で再び泡だて器を動かすイギリスの背中を見つめた。
苛立ちがじわじわと湧き上がってくるのを感じる。思わず言い返してやろうとしたが、なんとなく張り巡らされた壁のようなものも感じてしまいきゅっと唇を噛み締めた。
乱暴に棚からいつも自分用に出されるマグカップを取り出すと、ざくざくと適当にコーヒー粉末を入れてポットの湯を注ぐ。紅茶にはケトルで沸かしたばかりの湯を使うのに、自分はこれなのかと思って理不尽な怒りを感じながら、磨かれた銀色のスプーンで茶褐色の液体をぐるぐるとかき回した。
かちゃかちゃと音がしたが気にするものかと指先を動かす。
そんなアメリカの様子に、イギリスもさすがに言い過ぎたと思ったのか手を止めて振り返り、バツの悪そうな顔で目線を床に落とした。
強気に出るくせに最後までその態度を貫けないところが彼らしい。アメリカはマグカップを片手にまっすぐ彼を見据えた。
「アメリカ……その……」
「なに?」
「もう少しでトライフル、出来あがるから……食べないか?」
さっきからクリームをかき混ぜていたのはそれだったのか、と納得しながらも、アメリカは憮然とした表情を隠しもしないで立ったままコーヒーに口をつけた。
「ドイツからもらったバームクーヘンもあるから。あと、オーストリアからのザッハトルテとか」
「EUは仲が良いようで何よりだね」
「……いらねーならそう言えばいいだろ!」
「そんなことは言ってないよ。でも、君の手作りスコーンを食べさせられる気の毒な人に同情して、俺も味見くらいはしてあげてもいいかなって思ってるだけだから」
さすがにこのままでは埒が明かない。喧嘩をするためにわざわざ海を越えて来たわけではないので、最大限の譲歩とばかりにものすごく果てしなく遠回しに、スコーンが食べたいと意思表示をしてみたアメリカだったが、そんな言葉くらいで気付くイギリスでもなく。
白い頬を紅潮させ、怒りをたたえたまま彼は上目遣いで睨み上げてきた。
「うるせえ、二度とお前には食わせねーから安心しろ!!」
「え?」
「お前なんかに誰が焼いてやるもんか。お前だって嬉しいだろ? まずいスコーンを食わなくて済んで!」
怒鳴り声が狭いキッチンに響き渡る。
再びアメリカの傍の空気が光の加減できらりと光ったが、そんなことはどうでも良かった。今はそれどころではない。
マグカップを置いて形良い唇を歪めるイギリスの肩をがしっと掴むと、驚いた表情で目を見開く彼に向けてアメリカはそんなの認めないぞ、と言った。
「被害が拡大するのを防ぐのも立派なヒーローの役目だからね!」
「誰が食いたくない奴に食わせるものか!」
「食べたくないなんて一言も言ってないじゃないか」
「はぁ!? あんだけ貶してバカ言ってんじゃねーよ!」
「イギリスは分かってないなぁ」
アメリカはぱっと手を離すと呆れかえるイギリスの目の前で、大げさに両手を広げて持ち上げた。肩を竦めながら本当にこの人はどうしようもないなぁ、と大きな溜息を添えるのも忘れない。
「君のすごーくまずいスコーンを食べられるのは、俺しかいないじゃないか」
「……」
「小さい頃から食べているからすっかり耐性もついているし、俺ならいくらだって食べられるよ!」
「……」
「だから君はつべこべ言わずに俺にスコーンを出せばいいんだ。そう思わないかい?」
滔々と自論を展開していくと、イギリスの顔が最初は赤く、それから青く、そしてだんだんと白けて来た。
がっくりとうなだれると彼は、これ以上はないほど脱力した様子で流しにもたれかかる。今にもずるずると崩れ落ちてしまいそうだった。
「……俺、今、怒っていいのか悲しんでいいのかさっぱり分からないんだが……」
「素直に喜びなよ!」
「このひねくれた性格はやっぱり俺のせいなのか……?」
ぼそりとつぶやいたイギリスのつむじを見下ろしながら、アメリカはゆっくりと勝ち誇ったように両目を細めた。
『ね、言ったでしょうイギリス。アメリカはあなたの焼いたスコーンが大好きだって!』
妖精たちの完全に面白がっている楽しそうな笑い声を背に、イギリスはお気に入りのカップに真新しい紅茶を淹れて苦笑を浮かべた。
心ゆくまでゆっくり寝て、午後からはのんびり庭の手入れをし、日が傾いてきたら夕日を浴びて静かに読書、なんていうささいな計画はものの見事に台無し。
あぁそうだ。わがままでお子様でどうしようもなく自分勝手な愛すべきこの青年に、ひっかき回されてしまうのはいつものこと。
昔から少しも変わらない。
―――― 本当に、たいした休日だ。
「感謝しろよ?」
彼女たちに。
そう言うと、アメリカは分かったような、そうでないような顔で子供のように明るく笑った。
イギリスは不機嫌な表情でもぞもぞとベット上で上半身を起こした。
煩く鳴り響くベッドサイドの時計を見ると朝の九持。腕をのばしてぽすんと叩くと、アラームが切れて静かになる。
休日前の昨夜は遅くまでパブで飲んでいたため、すっかり午前様だった。
酔っ払ったままとりあえず裸になって、適当に服をソファに投げつけベットにダイブしたところで記憶がきれいに途切れている。
が、そのまま惰眠をむさぼり昼前まで寝てやろうと決め込んでいた彼は、最悪なことに、夜も明けない暗い時刻にアメリカからの電話で叩き起こされてしまったのだ。
昔から緊急時を想定して、ささいなことでも目覚められるように反射神経が研ぎ澄まされている。そのため戦時下ではどんな状況でも異変が生じれば即座に目を覚ました。
それは今も変わらず、どれほど泥酔して深い眠りに落ちていようとも、電話の音には必ずイギリスは敏感に目を覚ました。一度たりとも出遅れた事などない。
今回も突然の呼び出し音にはっと飛び起きて受話器を取れば、聞き慣れた爽快かつ能天気な男の声が大音量で耳に飛び込んで来た。明らかに緊急の要件ではないことをべらべらとまくし立てるその声に、誰何するまでもなく気分が急降下していくのが自分でもはっきりと分かった。
果てしなく苛立った脳裏に取り敢えずアメリカが何を言わんとしているのか到達し、理解した瞬間に受話器を電話機に叩きつけ、そしてそのまま、ぱたりと横倒しになって今にいたる。
乱れた髪を手櫛で整えながらとりあえずベッドを下り、昨夜脱ぎ散らかした衣服を持ってバスルームへと移動した。
洗濯機に汚れものを放り込んで熱いシャワーを浴び、歯を磨いて普段着用のシャツとスラックスに着替えると、ようやく沈澱していたアルコールが抜けて頭がすっきりとして来た。
紅茶を淹れる頃になると気分も落ち着いて思考回路が回復する。それと同時に湧き上がってきたのはまたしても強い苛立ちと、アメリカに対するどうしようもない諦めの感情だった。
「ったくあの馬鹿、人の都合ってモンをちっとも考えやしねぇ」
口汚い言葉も今は聞く人もなく、昔馴染みの(海賊時代から紳士時代まで全て知られている)妖精達がくすくすと笑うだけだ。
イギリスは取り敢えず新聞を取って来るとパンを片手にざっと目を通した。目立った記事はなく世間はいたって平和な様子。まったくもって目出度いことではないか。
これで安寧たる休日を邪魔されなければ最高の一日になるに違いない。
『イギリス、スコーンは焼かないの?』
妖精の一人がオーブンを指さしながらかわいらしく小首を傾げる。新聞から目を上げてイギリスは憮然とした顔つきをした。
「あの野郎、この間俺のスコーンは食いたくねぇって言い切りやがった。あぁそうかよ、俺だって金輪際二度と作ってなんかやらねーよ!」
『でも、アメリカはいつもちゃんと全部食べてくれるわよ?』
「意地汚いだけだろ。一週間前にイタリアからもらったビスコッティがまだ残っているから、それでも食わせとけばいい。石のように硬くなってるけどな」
『イギリスの焼いたスコーンじゃないと意味ないと思うけどなぁ』
ふん、っとそっぽを向いたイギリスに向けて、別の妖精がわけ知り顔をして言った。ちいさな口元に楽しそうな笑みを浮かべている彼女たちは、イギリスの周囲を飛びまわりながら奇麗な声で言葉を紡ぐ。
『スコーンはいろんなジャムを楽しめるから、好きよ』
「ジャムか……そう言えばそろそろブルーベリーが切れそうだったな」
『野いちごも少なくなって来ていたわ』
「そっか。じゃあちょっと作るか」
『焼きたてのスコーンも! お願い、イギリス』
「あー……分かった分かった。焼いてやるからちょっと待ってろ」
読みかけの新聞を畳んでテーブルに置くと、イギリスは立ち上がってエプロンを手にした。
キッチンに立って材料を取り出しながら、採れたてのフルーツの籠を持ち上げる。山盛りの新鮮なそれは昨日、近所の農婦が分けてくれたものだ。
みずみずしい果物をすべてジャムにしてしまうのはもったいない。そう思って彼は後ろに付いて来ていた妖精たちを振り返って訊ねた。
「なぁ、トライフル食うか?」
むろん返事は聞くまでもない。
きゃーという明るい嬉しそうな歓声に、今日初めてイギリスも口元に笑みを浮かべた。
* * * * * * * * * * * * * * *
インターホンを押すと、カチリと音がして玄関の鍵が開いた。
いったいどういうシステムなのだろうかといつも不思議に思うのだが、イギリスに問えば決まって「妖精が開けてくれるんだ」という答えしか返ってこないので、もうだいぶ前から聞くことはなくなっていた。
まったくいつまで経っても幻覚を見てばかりいる元兄に、アメリカは盛大に肩をすくめて溜息をついてからドアノブを引いた。
木製の扉が開くとふわりと鼻先をくすぐる甘い香り。
相変わらず下手の横好きで料理をしているのだろう、と思いながら中へ入ると、行儀が悪いとさんざん注意されていることなど忘れきった顔で後ろ手にドアを閉めた。
廊下を進んでガラスを隔てて室内を覗く。カウンター越しにキッチンに立つイギリスの、金色の頭がちらりと見えた。
「蜂蜜取ってくれるか?」
イギリスが誰に言うでもなく空中に向けて独り言を呟いている。相変わらずだなぁと苦笑しながら中へ入ると、アメリカは遠慮のかけらもない足取りでキッチンへと歩いて行った。
焼き上がったばかりなのだろう、スコーンの山が良い香りとともに湯気をたてている。
「やぁ、相変わらず破壊兵器製造中かい?」
「……! 挨拶くらいしろよアメリカ」
勢いよく振り返った途端眉間に皺を寄せるイギリスに、アメリカは飄々とした態度で大仰に肩を竦めて見せた。
「これから君の手作りスコーンを食べようって言う、決死の覚悟を決めたヒーローなんだから、細かい事は気にしないでくれよ」
「はぁ? 相変わらずわけわかんねー奴だな。ご託はいいから出ろよ、邪魔だ。それにこのスコーンはお前には出さねーよ。そこの棚にビスコッティがあるから持って行け」
ぞんざいに顎でしゃくるようにしてから、イギリスはボールに入れた生クリームの泡立てに戻った。
アメリカの顔から笑顔が消える。
みるみるうちに不機嫌になる彼の周囲に、窓から差し込む日射しの加減か、きらりと乱反射する光が散った。
こちらに背を向けるイギリスを眼鏡越しに数秒睨んでから、アメリカはその隣にあるスコーンに目を向けた。
程よい焼き加減の優しい黄色が、いい具合の焦げ目をつけて丁寧に積んである。その傍にはこれまた作りたてなのだろう、色とりどりのジャムが小さなガラスの器に入ってつやつやと輝いていた。
陶器の皿に盛られたクロテッドクリームも柔らかな乳白色で、たたまれた紙袋からすぐにイギリスが贔屓にしている高級デパートのものだと知れた。
「……誰か来るのかい?」
つとめて平静に問いかければ、振り返りもせずにイギリスが応じる。
「今日は久々のオフだから一人でゆっくりするつもりだったんだ。お前からの電話さえなければな!」
「じゃあ、そのスコーンを食べさせられる可哀相な犠牲者は誰なんだい?」
「うるせぇな! お前のモンじゃないことだけは確かだ。勝手にコーヒーでも淹れてリビングに行ってろ!」
インスタントの瓶が押しつけられ、アメリカは面白くない表情で再び泡だて器を動かすイギリスの背中を見つめた。
苛立ちがじわじわと湧き上がってくるのを感じる。思わず言い返してやろうとしたが、なんとなく張り巡らされた壁のようなものも感じてしまいきゅっと唇を噛み締めた。
乱暴に棚からいつも自分用に出されるマグカップを取り出すと、ざくざくと適当にコーヒー粉末を入れてポットの湯を注ぐ。紅茶にはケトルで沸かしたばかりの湯を使うのに、自分はこれなのかと思って理不尽な怒りを感じながら、磨かれた銀色のスプーンで茶褐色の液体をぐるぐるとかき回した。
かちゃかちゃと音がしたが気にするものかと指先を動かす。
そんなアメリカの様子に、イギリスもさすがに言い過ぎたと思ったのか手を止めて振り返り、バツの悪そうな顔で目線を床に落とした。
強気に出るくせに最後までその態度を貫けないところが彼らしい。アメリカはマグカップを片手にまっすぐ彼を見据えた。
「アメリカ……その……」
「なに?」
「もう少しでトライフル、出来あがるから……食べないか?」
さっきからクリームをかき混ぜていたのはそれだったのか、と納得しながらも、アメリカは憮然とした表情を隠しもしないで立ったままコーヒーに口をつけた。
「ドイツからもらったバームクーヘンもあるから。あと、オーストリアからのザッハトルテとか」
「EUは仲が良いようで何よりだね」
「……いらねーならそう言えばいいだろ!」
「そんなことは言ってないよ。でも、君の手作りスコーンを食べさせられる気の毒な人に同情して、俺も味見くらいはしてあげてもいいかなって思ってるだけだから」
さすがにこのままでは埒が明かない。喧嘩をするためにわざわざ海を越えて来たわけではないので、最大限の譲歩とばかりにものすごく果てしなく遠回しに、スコーンが食べたいと意思表示をしてみたアメリカだったが、そんな言葉くらいで気付くイギリスでもなく。
白い頬を紅潮させ、怒りをたたえたまま彼は上目遣いで睨み上げてきた。
「うるせえ、二度とお前には食わせねーから安心しろ!!」
「え?」
「お前なんかに誰が焼いてやるもんか。お前だって嬉しいだろ? まずいスコーンを食わなくて済んで!」
怒鳴り声が狭いキッチンに響き渡る。
再びアメリカの傍の空気が光の加減できらりと光ったが、そんなことはどうでも良かった。今はそれどころではない。
マグカップを置いて形良い唇を歪めるイギリスの肩をがしっと掴むと、驚いた表情で目を見開く彼に向けてアメリカはそんなの認めないぞ、と言った。
「被害が拡大するのを防ぐのも立派なヒーローの役目だからね!」
「誰が食いたくない奴に食わせるものか!」
「食べたくないなんて一言も言ってないじゃないか」
「はぁ!? あんだけ貶してバカ言ってんじゃねーよ!」
「イギリスは分かってないなぁ」
アメリカはぱっと手を離すと呆れかえるイギリスの目の前で、大げさに両手を広げて持ち上げた。肩を竦めながら本当にこの人はどうしようもないなぁ、と大きな溜息を添えるのも忘れない。
「君のすごーくまずいスコーンを食べられるのは、俺しかいないじゃないか」
「……」
「小さい頃から食べているからすっかり耐性もついているし、俺ならいくらだって食べられるよ!」
「……」
「だから君はつべこべ言わずに俺にスコーンを出せばいいんだ。そう思わないかい?」
滔々と自論を展開していくと、イギリスの顔が最初は赤く、それから青く、そしてだんだんと白けて来た。
がっくりとうなだれると彼は、これ以上はないほど脱力した様子で流しにもたれかかる。今にもずるずると崩れ落ちてしまいそうだった。
「……俺、今、怒っていいのか悲しんでいいのかさっぱり分からないんだが……」
「素直に喜びなよ!」
「このひねくれた性格はやっぱり俺のせいなのか……?」
ぼそりとつぶやいたイギリスのつむじを見下ろしながら、アメリカはゆっくりと勝ち誇ったように両目を細めた。
* * * * * * * * * * * * * * *
『ね、言ったでしょうイギリス。アメリカはあなたの焼いたスコーンが大好きだって!』
妖精たちの完全に面白がっている楽しそうな笑い声を背に、イギリスはお気に入りのカップに真新しい紅茶を淹れて苦笑を浮かべた。
心ゆくまでゆっくり寝て、午後からはのんびり庭の手入れをし、日が傾いてきたら夕日を浴びて静かに読書、なんていうささいな計画はものの見事に台無し。
あぁそうだ。わがままでお子様でどうしようもなく自分勝手な愛すべきこの青年に、ひっかき回されてしまうのはいつものこと。
昔から少しも変わらない。
―――― 本当に、たいした休日だ。
「感謝しろよ?」
彼女たちに。
そう言うと、アメリカは分かったような、そうでないような顔で子供のように明るく笑った。
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