紅茶をどうぞ
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はじまりの海 1
たまには息抜きをした方がいい、と上司に言われ、一週間の休暇を貰った。
家のことをして過ごすか、それとも積んだままになっている本を読んでしまうか、いろいろと悩んだ結果、旅行に出ることにした。
折角の休暇を週末と同じにしてしまうのも勿体無かったし、ふらりと遠出するのも悪くはないと思った結果だ。
荷物をまとめて妖精たちに家のことを任せる。花の水遣りやカーテンの開け閉めを快く承知してくれた彼女達に、土産の品は何がいいかを問い掛けながら、イギリスは買ったばかりのポケット地図を開いた。
アメリカ合衆国北東部。いわゆるニューイングランド地方一体が書いてあり、ボストンを中心に各州が網羅されている。
イギリスにとってニューイングランドはその名の通り、アメリカ合衆国におけるどの地域よりも特別な意味を持つ。
1616年に英本国からピューリタンがマサチューセッツへの移住を始め、彼らは遠く海を隔てたその地を、故郷イングランドへ思いを馳せながら新天地と定めた。
イギリスがアメリカと初めて出会ったのもここだった。まだ小さくて、足元もおぼつかない幼児が、希望をいっぱい詰め込んだ眼差しで自分を見上げてきた。国としてはまったくの未熟で、乱世の只中にあってこれから先、大丈夫だろうかと心配したこともあった。
それでもつまづき、転びながら懸命に立ち上がって前に進み続けた幼子は、今では世界一の超大国として成長を遂げている。
―――― そして。
1776年のあの、雨の日。
今ではニューイングランドはアメリカ独立戦争発祥地となっている。ボストン港における事件を皮切りに、次々と巻き起こった叛乱。
とどめられない時代の流れ、大きなうねりに自分もアメリカも飲み込まれていった。
数え切れない後悔をした。怒りもしたし悲しみもした。
それでも定められた運命を覆すことは出来なかった。アメリカが自由にはばたくという、その翼を撃ち落すことは出来なかったのだ。
あれから200年。仕事で何度も訪れてはいたが、心の傷は思った以上に深く、敢えて意図的に避け続けてきた地。
のんびりと観光をするような余裕もなく、ただ事務的に足を運ぶ事しかなかったそこに、今回イギリスは一人で旅をしてみようと思っていた。
たったの一週間ではあるが、マサチューセッツにおいて過去の自分の足取りをなぞってみようと思っている。
果たして懐かしく思うのか、それとも雨の日の記憶に押しつぶされてしまうのか。それは分からない。
だがイギリスは自分が変わったことを知っている。あれから多くのことがあり、アメリカとの関係もだいぶ変化した。
今なら大丈夫、そう思う。
過去の自分が何より愛したあの場所に、行ってみようと決意をした。
「それじゃあ、行って来るな」
400年前もこうやって、妖精たちに出発を告げて新大陸を目指した。
あの時は船で、今回は飛行機で。
自由と希望によって拓かれた輝かしい大地へ。
高く澄み渡る空、白い雲、そして心地良い風。
マサチューセッツ州ボストンのローガン国際空港に降り立った時、目の前にはこれみよがしに太陽の光が燦々と降り注いでいた。相変わらず曇り続きのロンドンとは大違いだ。
サングラスをしたイギリスは入国手続きを済ませてカウンターを抜けると、まず最初にボストン中心街を目指した。今日はそこを拠点にセイラムまで足を伸ばそうと思っている。いわゆるマサチューセッツ湾植民地と呼ばれていた場所だ。
この町は400人からはじまった。
原住民の言葉で「大きな丘の場所」と呼ばれたこの地に、本国国教会を追われたピルグリム・ファーザーズが漂着して以降、プリマス植民地を経て勅命によって渡った入植者たちが、やがて英領ニューイングランドを作っていった。
当初は慣れない土地での生活の厳しさに、半年で半数程が病死した。宗教観の違いから原住民との諍いも絶えず、血が流されたこともある。
数え切れない悲劇の末に生み出された新天地。
そしてなんとも皮肉な事に、最初に作られたこの町は最初の独立宣言都市となり、本国の支配に対して反旗を翻す嚆矢となった。
気分的にタクシーを利用したいと思い、空港出入り口の乗り場へと移動する。
空車に乗り込み行き先を告げると、簡単な手荷物と共にシートに落ち着く。運転手は地元の人間で、人懐っこい笑顔と軽快なトークの持ち主だった。
「観光? 仕事?」
明るく問い掛ける声に、窓の外を流れる風景を見ていたイギリスは顔を正面に向ける。ルームミラー越しに目が合うと、にこりといい笑顔を向けられた。
「どちらでもないな。簡潔に言えば"帰郷"ってところだ」
「帰郷? お客さんここ出身なの? そのわりに随分とイギリス訛りだねぇ」
笑い声と共に言われた言葉に、イギリスは一瞬引きつった表情を浮かべた。言うに事欠いて「イギリス訛り」とは。どちらが「訛り」なんだと怒鳴り返してやりたい気持ちを抑えながら、慌てて微妙な笑顔を浮かべる。
「第二の故郷ってやつかな」
「へぇ。まるで俺のじーさんみたいなことを言うなぁ」
「あんたのじいさん?」
「そ。あの人のじーさんだかひいじーさんだかが、イギリスから入植してきた一人なんだってさ。独立戦争にも参加したとか言ってたなぁ。だから、故郷はイングランドでここは第二の故郷ってやつらしい」
「WASP?」
「何代か前からすっかり混血だけどね」
入植時代の流れが未だに続いている。不思議な事ではないが、なんとなく懐かしいような気分にさせられた。
そう言えばこの運転手の発音も、古いイギリスの言葉を思い出させる。ボストンではイングランドの東部地方の出身が多かったため、他のアメリカの地域と違って、母音の後の「r」は発音しない。それが今でも残っているのだ。
実は本国で変化し続けた言葉も、ここでは古いまま残っている事が多い。現在のイギリス人では発音しないような単語もあるため、それらが混じる会話を耳にすると自然と懐かしく感じてしまうのだった。
合衆国は移民が多く、様々な言葉が入り乱れていたため、わざわざ公用語を英語と定めなければならなった。しかしそのお陰で古い英語が形を変えずに遺された地域もあり、イギリスからしてみれば少々嬉しいような気がしないでもない。
「そうだお客さん、駅に行く? それとも他に行きたい場所はあるのかい?」
「港がいいな。なるべく人がいない方の」
「港? 随分珍しいところに行くもんだ」
「昔は船で来ていたからな」
「船で? ますます珍しいや。そういや港と言ったらまっさきに思い浮かべるのはボストン茶会事件!」
「……」
何気ない一言に心臓が跳ねる。つきりと刺したような痛みが走って無意識に胸元を握り締めながら、イギリスは窓の外に視線を投げた。
もう200年も経っているのに、褪せることなく脳裏に焼きついている。忌々しいほどにはっきりと、あの日のことを。
東インド会社の紅茶を、インディアンに扮した「自由の息子達」と呼ばれる過激派が次々と海へ投げ込んでいた。
海面が赤茶色に染まり、まるでそれは夕焼けのように鮮やかだったのを覚えている。
「アメリカ独立革命の象徴的事件、ってやつだな」
呟くように言うと、運転手はいぶかしむ様子もなくそうそう、と頷いた。
「自由への第一歩!って感じだったんですかねー」
「自由、か」
自由を求めるのは国として当たり前のことだ。
それを留める事は誰にも出来ない。出来なかった。
力だけが全てのあの時代において、力が及ばなかった自分ははじめから負けていたのだ。理由はどうあれ、なるべくしてなったアメリカの独立。
そう。あれは、自分の心に負けた瞬間だった。
車が懐かしい潮風の吹く港へと到着する。イギリスは愛想の良い運転手にチップを弾んでやりながら、荷物を手に降り立った。
家のことをして過ごすか、それとも積んだままになっている本を読んでしまうか、いろいろと悩んだ結果、旅行に出ることにした。
折角の休暇を週末と同じにしてしまうのも勿体無かったし、ふらりと遠出するのも悪くはないと思った結果だ。
荷物をまとめて妖精たちに家のことを任せる。花の水遣りやカーテンの開け閉めを快く承知してくれた彼女達に、土産の品は何がいいかを問い掛けながら、イギリスは買ったばかりのポケット地図を開いた。
アメリカ合衆国北東部。いわゆるニューイングランド地方一体が書いてあり、ボストンを中心に各州が網羅されている。
イギリスにとってニューイングランドはその名の通り、アメリカ合衆国におけるどの地域よりも特別な意味を持つ。
1616年に英本国からピューリタンがマサチューセッツへの移住を始め、彼らは遠く海を隔てたその地を、故郷イングランドへ思いを馳せながら新天地と定めた。
イギリスがアメリカと初めて出会ったのもここだった。まだ小さくて、足元もおぼつかない幼児が、希望をいっぱい詰め込んだ眼差しで自分を見上げてきた。国としてはまったくの未熟で、乱世の只中にあってこれから先、大丈夫だろうかと心配したこともあった。
それでもつまづき、転びながら懸命に立ち上がって前に進み続けた幼子は、今では世界一の超大国として成長を遂げている。
―――― そして。
1776年のあの、雨の日。
今ではニューイングランドはアメリカ独立戦争発祥地となっている。ボストン港における事件を皮切りに、次々と巻き起こった叛乱。
とどめられない時代の流れ、大きなうねりに自分もアメリカも飲み込まれていった。
数え切れない後悔をした。怒りもしたし悲しみもした。
それでも定められた運命を覆すことは出来なかった。アメリカが自由にはばたくという、その翼を撃ち落すことは出来なかったのだ。
あれから200年。仕事で何度も訪れてはいたが、心の傷は思った以上に深く、敢えて意図的に避け続けてきた地。
のんびりと観光をするような余裕もなく、ただ事務的に足を運ぶ事しかなかったそこに、今回イギリスは一人で旅をしてみようと思っていた。
たったの一週間ではあるが、マサチューセッツにおいて過去の自分の足取りをなぞってみようと思っている。
果たして懐かしく思うのか、それとも雨の日の記憶に押しつぶされてしまうのか。それは分からない。
だがイギリスは自分が変わったことを知っている。あれから多くのことがあり、アメリカとの関係もだいぶ変化した。
今なら大丈夫、そう思う。
過去の自分が何より愛したあの場所に、行ってみようと決意をした。
「それじゃあ、行って来るな」
400年前もこうやって、妖精たちに出発を告げて新大陸を目指した。
あの時は船で、今回は飛行機で。
自由と希望によって拓かれた輝かしい大地へ。
高く澄み渡る空、白い雲、そして心地良い風。
マサチューセッツ州ボストンのローガン国際空港に降り立った時、目の前にはこれみよがしに太陽の光が燦々と降り注いでいた。相変わらず曇り続きのロンドンとは大違いだ。
サングラスをしたイギリスは入国手続きを済ませてカウンターを抜けると、まず最初にボストン中心街を目指した。今日はそこを拠点にセイラムまで足を伸ばそうと思っている。いわゆるマサチューセッツ湾植民地と呼ばれていた場所だ。
この町は400人からはじまった。
原住民の言葉で「大きな丘の場所」と呼ばれたこの地に、本国国教会を追われたピルグリム・ファーザーズが漂着して以降、プリマス植民地を経て勅命によって渡った入植者たちが、やがて英領ニューイングランドを作っていった。
当初は慣れない土地での生活の厳しさに、半年で半数程が病死した。宗教観の違いから原住民との諍いも絶えず、血が流されたこともある。
数え切れない悲劇の末に生み出された新天地。
そしてなんとも皮肉な事に、最初に作られたこの町は最初の独立宣言都市となり、本国の支配に対して反旗を翻す嚆矢となった。
気分的にタクシーを利用したいと思い、空港出入り口の乗り場へと移動する。
空車に乗り込み行き先を告げると、簡単な手荷物と共にシートに落ち着く。運転手は地元の人間で、人懐っこい笑顔と軽快なトークの持ち主だった。
「観光? 仕事?」
明るく問い掛ける声に、窓の外を流れる風景を見ていたイギリスは顔を正面に向ける。ルームミラー越しに目が合うと、にこりといい笑顔を向けられた。
「どちらでもないな。簡潔に言えば"帰郷"ってところだ」
「帰郷? お客さんここ出身なの? そのわりに随分とイギリス訛りだねぇ」
笑い声と共に言われた言葉に、イギリスは一瞬引きつった表情を浮かべた。言うに事欠いて「イギリス訛り」とは。どちらが「訛り」なんだと怒鳴り返してやりたい気持ちを抑えながら、慌てて微妙な笑顔を浮かべる。
「第二の故郷ってやつかな」
「へぇ。まるで俺のじーさんみたいなことを言うなぁ」
「あんたのじいさん?」
「そ。あの人のじーさんだかひいじーさんだかが、イギリスから入植してきた一人なんだってさ。独立戦争にも参加したとか言ってたなぁ。だから、故郷はイングランドでここは第二の故郷ってやつらしい」
「WASP?」
「何代か前からすっかり混血だけどね」
入植時代の流れが未だに続いている。不思議な事ではないが、なんとなく懐かしいような気分にさせられた。
そう言えばこの運転手の発音も、古いイギリスの言葉を思い出させる。ボストンではイングランドの東部地方の出身が多かったため、他のアメリカの地域と違って、母音の後の「r」は発音しない。それが今でも残っているのだ。
実は本国で変化し続けた言葉も、ここでは古いまま残っている事が多い。現在のイギリス人では発音しないような単語もあるため、それらが混じる会話を耳にすると自然と懐かしく感じてしまうのだった。
合衆国は移民が多く、様々な言葉が入り乱れていたため、わざわざ公用語を英語と定めなければならなった。しかしそのお陰で古い英語が形を変えずに遺された地域もあり、イギリスからしてみれば少々嬉しいような気がしないでもない。
「そうだお客さん、駅に行く? それとも他に行きたい場所はあるのかい?」
「港がいいな。なるべく人がいない方の」
「港? 随分珍しいところに行くもんだ」
「昔は船で来ていたからな」
「船で? ますます珍しいや。そういや港と言ったらまっさきに思い浮かべるのはボストン茶会事件!」
「……」
何気ない一言に心臓が跳ねる。つきりと刺したような痛みが走って無意識に胸元を握り締めながら、イギリスは窓の外に視線を投げた。
もう200年も経っているのに、褪せることなく脳裏に焼きついている。忌々しいほどにはっきりと、あの日のことを。
東インド会社の紅茶を、インディアンに扮した「自由の息子達」と呼ばれる過激派が次々と海へ投げ込んでいた。
海面が赤茶色に染まり、まるでそれは夕焼けのように鮮やかだったのを覚えている。
「アメリカ独立革命の象徴的事件、ってやつだな」
呟くように言うと、運転手はいぶかしむ様子もなくそうそう、と頷いた。
「自由への第一歩!って感じだったんですかねー」
「自由、か」
自由を求めるのは国として当たり前のことだ。
それを留める事は誰にも出来ない。出来なかった。
力だけが全てのあの時代において、力が及ばなかった自分ははじめから負けていたのだ。理由はどうあれ、なるべくしてなったアメリカの独立。
そう。あれは、自分の心に負けた瞬間だった。
車が懐かしい潮風の吹く港へと到着する。イギリスは愛想の良い運転手にチップを弾んでやりながら、荷物を手に降り立った。
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