紅茶をどうぞ
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[お題] 目が覚めてもさめない夢
朝焼けに染まる一面の銀世界。
針葉樹林の寂しげな緑と、降り積もる白い雪と、薄紫色に染まる暗い空。差し込む陽光は儚げで、まるで地上に届くのを躊躇っているかのようにも見える。
シベリアのタイガはどこまでもどこまでも広く大きく、寒々しい風の音ばかりがとどろいていた。
ざくり、と一歩踏み出すたびに足元が鈍く鳴る。
不思議と寒さは感じなかった。凍える空気は澄み渡り、視界を埋め尽くす雪の冷たさも感じない。
歩いて歩いて、そうして彼のところへ向かう。
長身を屈めて雪の中に蹲るロシアに、アメリカは近づいて行った。人の気配に敏感な彼のことだから、きっとずっと以前から気付いているのだろう。
それなのに、背後を取られてもロシアはぴくりとも動かなかった。
ただ白い雪の中で白いコートとマフラーに包まれて、座り込んだまま身動きもせず舞い上がる粉雪を眺めている。
「革命は成し遂げられたね」
動かない背中に声を掛ければ、ロシアは無言のまま小さく頷いた。
自国の内側でどんな混乱が巻き起こっているのか、彼が一番良く分かっている。たとえそれがアメリカによってもたらされたものであろうと、革命が起きてそれが成すのであれば、国は従わなければならない。
国民が望むのならば、求めるのであれば、アメリカが提示した「自由」とやらを享受しなければならないのだ。拒否権などあろうはずがない。
ペレストロイカと東欧革命。腐敗した共産党から人心は離れ続け、独裁的支配の頚木から逃れるために、人々は立ち上がった。
そして世界を二分していた超大国の一方は、あっさりと終焉を迎える。
「独立していくよ。みんな、みんな君から」
バルト三国がヨーロッパに呼応して独立を宣言し、各地でも独立運動が起こり、ソビエト連邦共和国は崩壊した。長い長い抑圧の時代が終ったのだ。
それによってパワーバランスは失われ、「アメリカの世界」が出来上がったといえば言いすぎだろうか。
「かわいそうなロシア。でも絶望する事はないよ。俺がちゃんと君を立ち直らせて見せる。自由と正義の名の下に、君にも資本主義経済の恩恵が与えられるよう、システムを変えてあげるから」
俺の言う事を聞いていればいいんだよ。
そう言ってにっこりと満足気に笑みを浮かべたアメリカは、ロシアの肩に手を置いた。雪の積もった冷え切った身体を、そっと包み込むように後ろから抱き締める。
ロシアはそれでも身動きひとつしなかった。
「俺は弱い者の味方だよ、ねぇ、ロシア?」
優しい優しい声で耳元に囁きかける。
アメリカの唇がゆるやかにロシアの頬に落とされた。口吻けと呼ぶにはいささか恣意的すぎるそれに、はじめてロシアの視線が動く。
すぐ目の横にあるアメリカの顔を捉えて、彼は白い溜息をついた。薄い氷のような瞳には何の感情も浮いてはいなかったが、何故かその眼差しのゆるぎなさにアメリカの方が戸惑う。
「君はきっと恨まれるね」
「え?」
「たくさんの国から、憎まれると思うよ。今よりももっともっと」
ロシアの乾いた声が流れる。
色褪せた唇は彼が病んでいる事を告げていた。全身を焼く革命の炎は今もなおその身を苛んで止まない。本当はこの寒空の下にいていい身体ではなかった。
それでも、アメリカの寄せられた眉に呼応するかのように、ロシアはうっすらと微笑を浮かべる。
「キューバとかからかい?」
「それだけじゃない。……ねぇ、アメリカ君。君の隣には誰かいる? 君の横に並んで立っているのは誰なんだろうね? 誰もいないんじゃないかな。だって君はひとりぼっちなんだもの」
「ひとりぼっち?」
「そう。今までは僕がいたけれど、これからは君はひとりっきりなんだよ。世界で、たったひとり。誰も君と同じものは覗けない。君はひとりぼっちで空を見上げなくちゃならないんだよ」
かわいそうなのはどっちだろうね?
小さな国は怯えて、大きな国は警戒して、そうやって世界の頂点に立った一国を見つめる視線は、果たして今までと同じものなのだろうか。
ソビエト連邦は確かに歪んだ国だった。理想と現実の剥離に人々は嘆き悲しんでいた。だが、さまざまな職業病、ホームレスや自殺、そして後進国に対して搾取や侵略などを繰り返してきた資本主義国に比べて、はるかに安定した国でもあった。
歪みはとめどないほど国を蝕んではいたが、それでももたらすものは確かに存在していた。
世界は二つの超大国によってバランスを保っていたのだ。その一方が失われた今、均衡はどのように崩されていくのだろう。
「光には闇が、裏には表が、天には地があるんだよ。決して交わらないけれど、それらはいつも一体なんだ。片割れを失った君はまるで、羽根を失った鳥のようにいつかは墜ちてしまうのかもね」
「俺は誰にも負けないよ。絶対に」
まっすぐな声がまっすぐに否定して来た。
それに、とアメリカは自信に満ち溢れた表情で続ける。
ロシアを正面から見据えながら、臆するものなど何もない空色の目で。
「君はもう一度、俺の隣に戻ってくるんだから」
「……僕?」
「当たり前じゃないか。ロシア、そのために俺はここにいるんだぞ。言っただろう、君を立ち直らせてあげるって」
「もう、いいよ」
心底疲れたように重く呟いて、ロシアは退廃的な瞳で遠くを見つめた。
正直いろんなことに疲弊しきった身体は、あまりにも傷つきすぎていて動かすのも辛かった。
大戦を経て冷戦を向かえ、癒えることのないまま革命を迎えた。いくら人類は戦いの歴史だと言ってもいい加減休ませて欲しい。
幸いこの次にロシアの上司となる人間は好戦的ではないようだ。しばらくは北の大陸は眠りにつくことが出来るに違いない。アメリカの言葉につられて無謀な政策を掲げるのは得策ではなった。
「君は一人で勝手に頑張りなよ。僕はもう知らない」
「それは許さないぞ。君は俺と一緒に"そら"に行くんだ」
「そら……?」
「そう、宇宙だよ!」
凍結された宇宙開発事業。
ソ連が遺した遺産は、そのまま次の世代に受け継がれていかなければならない。アメリカは開発を進める上でのパートナーを求めていた。
冷戦時代に培われた技術は米ソ両国に革新的な変化をもたらした。競い合うように宇宙へ向かい、最終的にはステーション建設を目標としていた。
今後は他国も宇宙開発に乗り出していくだろう。それに合わせてアメリカはロシアのノウハウを自国の研究に取り込みたいと願っている。これまでは冷戦の壁によって阻まれていた両国の事業提携だが、ようやく叶えられる日が来たのだ。そのためにもロシアには経済復興を果たしてもらわなければならない。
「一緒に行こう」
そうやって、目を輝かせて手を差し伸べてくるアメリカを、ロシアは呆れたように見つめた。
子供のように夢を語る彼は、確かにどんな障害でも乗り越えてしまえる強さを感じさせる。
「君、いつから僕にそんなに期待するようになったの?」
「さぁ? 細かいことはいいじゃないか、別に!」
「あのね、ひとつだけ言っていい?」
「なんだい?」
自信に満ち溢れたその顔を、思いっきり殴りつけてやりたい。自分の身体が思うように動かせないことを忌々しく思いながら、ロシアは今出来る最高の笑顔を浮かべてきっぱりと言った。
「僕ね、君のことだいっ嫌いなんだ」
「Oh!」
大げさに両手を広げながら、アメリカもまたこの上なく晴れやかないい笑顔で返す。
「奇遇だね。俺も君のことが大嫌いだよ!」
そうして伸ばした手でロシアの身体を軽々と抱き上げると、心底嫌そうに顔をゆがめる彼のことなどお構いなしに、雪の中をずんずんと突き進んで行った。
躊躇いなど微塵も感じられない。どこまでも自分を信じて突き進む、強靭な精神が感じられる。呆れるほど馬鹿みたいに真っ直ぐだった。
夜が明けたシベリアの大地。
低い雲を切り裂くように、雪原に陽光が降り注いだ。
針葉樹林の寂しげな緑と、降り積もる白い雪と、薄紫色に染まる暗い空。差し込む陽光は儚げで、まるで地上に届くのを躊躇っているかのようにも見える。
シベリアのタイガはどこまでもどこまでも広く大きく、寒々しい風の音ばかりがとどろいていた。
ざくり、と一歩踏み出すたびに足元が鈍く鳴る。
不思議と寒さは感じなかった。凍える空気は澄み渡り、視界を埋め尽くす雪の冷たさも感じない。
歩いて歩いて、そうして彼のところへ向かう。
長身を屈めて雪の中に蹲るロシアに、アメリカは近づいて行った。人の気配に敏感な彼のことだから、きっとずっと以前から気付いているのだろう。
それなのに、背後を取られてもロシアはぴくりとも動かなかった。
ただ白い雪の中で白いコートとマフラーに包まれて、座り込んだまま身動きもせず舞い上がる粉雪を眺めている。
「革命は成し遂げられたね」
動かない背中に声を掛ければ、ロシアは無言のまま小さく頷いた。
自国の内側でどんな混乱が巻き起こっているのか、彼が一番良く分かっている。たとえそれがアメリカによってもたらされたものであろうと、革命が起きてそれが成すのであれば、国は従わなければならない。
国民が望むのならば、求めるのであれば、アメリカが提示した「自由」とやらを享受しなければならないのだ。拒否権などあろうはずがない。
ペレストロイカと東欧革命。腐敗した共産党から人心は離れ続け、独裁的支配の頚木から逃れるために、人々は立ち上がった。
そして世界を二分していた超大国の一方は、あっさりと終焉を迎える。
「独立していくよ。みんな、みんな君から」
バルト三国がヨーロッパに呼応して独立を宣言し、各地でも独立運動が起こり、ソビエト連邦共和国は崩壊した。長い長い抑圧の時代が終ったのだ。
それによってパワーバランスは失われ、「アメリカの世界」が出来上がったといえば言いすぎだろうか。
「かわいそうなロシア。でも絶望する事はないよ。俺がちゃんと君を立ち直らせて見せる。自由と正義の名の下に、君にも資本主義経済の恩恵が与えられるよう、システムを変えてあげるから」
俺の言う事を聞いていればいいんだよ。
そう言ってにっこりと満足気に笑みを浮かべたアメリカは、ロシアの肩に手を置いた。雪の積もった冷え切った身体を、そっと包み込むように後ろから抱き締める。
ロシアはそれでも身動きひとつしなかった。
「俺は弱い者の味方だよ、ねぇ、ロシア?」
優しい優しい声で耳元に囁きかける。
アメリカの唇がゆるやかにロシアの頬に落とされた。口吻けと呼ぶにはいささか恣意的すぎるそれに、はじめてロシアの視線が動く。
すぐ目の横にあるアメリカの顔を捉えて、彼は白い溜息をついた。薄い氷のような瞳には何の感情も浮いてはいなかったが、何故かその眼差しのゆるぎなさにアメリカの方が戸惑う。
「君はきっと恨まれるね」
「え?」
「たくさんの国から、憎まれると思うよ。今よりももっともっと」
ロシアの乾いた声が流れる。
色褪せた唇は彼が病んでいる事を告げていた。全身を焼く革命の炎は今もなおその身を苛んで止まない。本当はこの寒空の下にいていい身体ではなかった。
それでも、アメリカの寄せられた眉に呼応するかのように、ロシアはうっすらと微笑を浮かべる。
「キューバとかからかい?」
「それだけじゃない。……ねぇ、アメリカ君。君の隣には誰かいる? 君の横に並んで立っているのは誰なんだろうね? 誰もいないんじゃないかな。だって君はひとりぼっちなんだもの」
「ひとりぼっち?」
「そう。今までは僕がいたけれど、これからは君はひとりっきりなんだよ。世界で、たったひとり。誰も君と同じものは覗けない。君はひとりぼっちで空を見上げなくちゃならないんだよ」
かわいそうなのはどっちだろうね?
小さな国は怯えて、大きな国は警戒して、そうやって世界の頂点に立った一国を見つめる視線は、果たして今までと同じものなのだろうか。
ソビエト連邦は確かに歪んだ国だった。理想と現実の剥離に人々は嘆き悲しんでいた。だが、さまざまな職業病、ホームレスや自殺、そして後進国に対して搾取や侵略などを繰り返してきた資本主義国に比べて、はるかに安定した国でもあった。
歪みはとめどないほど国を蝕んではいたが、それでももたらすものは確かに存在していた。
世界は二つの超大国によってバランスを保っていたのだ。その一方が失われた今、均衡はどのように崩されていくのだろう。
「光には闇が、裏には表が、天には地があるんだよ。決して交わらないけれど、それらはいつも一体なんだ。片割れを失った君はまるで、羽根を失った鳥のようにいつかは墜ちてしまうのかもね」
「俺は誰にも負けないよ。絶対に」
まっすぐな声がまっすぐに否定して来た。
それに、とアメリカは自信に満ち溢れた表情で続ける。
ロシアを正面から見据えながら、臆するものなど何もない空色の目で。
「君はもう一度、俺の隣に戻ってくるんだから」
「……僕?」
「当たり前じゃないか。ロシア、そのために俺はここにいるんだぞ。言っただろう、君を立ち直らせてあげるって」
「もう、いいよ」
心底疲れたように重く呟いて、ロシアは退廃的な瞳で遠くを見つめた。
正直いろんなことに疲弊しきった身体は、あまりにも傷つきすぎていて動かすのも辛かった。
大戦を経て冷戦を向かえ、癒えることのないまま革命を迎えた。いくら人類は戦いの歴史だと言ってもいい加減休ませて欲しい。
幸いこの次にロシアの上司となる人間は好戦的ではないようだ。しばらくは北の大陸は眠りにつくことが出来るに違いない。アメリカの言葉につられて無謀な政策を掲げるのは得策ではなった。
「君は一人で勝手に頑張りなよ。僕はもう知らない」
「それは許さないぞ。君は俺と一緒に"そら"に行くんだ」
「そら……?」
「そう、宇宙だよ!」
凍結された宇宙開発事業。
ソ連が遺した遺産は、そのまま次の世代に受け継がれていかなければならない。アメリカは開発を進める上でのパートナーを求めていた。
冷戦時代に培われた技術は米ソ両国に革新的な変化をもたらした。競い合うように宇宙へ向かい、最終的にはステーション建設を目標としていた。
今後は他国も宇宙開発に乗り出していくだろう。それに合わせてアメリカはロシアのノウハウを自国の研究に取り込みたいと願っている。これまでは冷戦の壁によって阻まれていた両国の事業提携だが、ようやく叶えられる日が来たのだ。そのためにもロシアには経済復興を果たしてもらわなければならない。
「一緒に行こう」
そうやって、目を輝かせて手を差し伸べてくるアメリカを、ロシアは呆れたように見つめた。
子供のように夢を語る彼は、確かにどんな障害でも乗り越えてしまえる強さを感じさせる。
「君、いつから僕にそんなに期待するようになったの?」
「さぁ? 細かいことはいいじゃないか、別に!」
「あのね、ひとつだけ言っていい?」
「なんだい?」
自信に満ち溢れたその顔を、思いっきり殴りつけてやりたい。自分の身体が思うように動かせないことを忌々しく思いながら、ロシアは今出来る最高の笑顔を浮かべてきっぱりと言った。
「僕ね、君のことだいっ嫌いなんだ」
「Oh!」
大げさに両手を広げながら、アメリカもまたこの上なく晴れやかないい笑顔で返す。
「奇遇だね。俺も君のことが大嫌いだよ!」
そうして伸ばした手でロシアの身体を軽々と抱き上げると、心底嫌そうに顔をゆがめる彼のことなどお構いなしに、雪の中をずんずんと突き進んで行った。
躊躇いなど微塵も感じられない。どこまでも自分を信じて突き進む、強靭な精神が感じられる。呆れるほど馬鹿みたいに真っ直ぐだった。
夜が明けたシベリアの大地。
低い雲を切り裂くように、雪原に陽光が降り注いだ。
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