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 紅茶をどうぞ
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空を舞う翼 3
[ 4 ]

 真夏の太陽の下、ツンドラ気候を思わせるこの空気。
 フランスはとにかくさっさとここから去ることだけを願っていた。

 アメリカとロシア。
 二人が並ぶと異様な気配が周囲に漂う。
 一方は世界最大の資本経済大国、もう一方は世界最大資源埋蔵国。
 更にどちらも超大国の呼び名に相応しいほどの、自分至上主義だった。
 そしてその間に挟まれて涼しい顔をしているのは、かつて七つの海を支配した大英帝国。とくれば、居合わせたのが小国であればきっと泣いて逃げ出すに違いない。
 むしろフランスだって泣きたかった。


「やぁ、アーサー君。暑いね」

 パイロットと別れてこちらにやって来たロシアは、ギャラリーの目を気にしてか人間名でイギリスを呼んだ。
 それ自体は別段不思議な事じゃない。昼休みが終わりかけていた今の時間は、ちらほら人の出も増えて来ている。歩き過ぎる中には自分達が国だと知らない人間も混じっているだろう。だからおかしくはなかった。
 ……先ほど大声で呼んでいたのはこのさい置いておくとして。

 それよりも。

「そうだな、ヴァーニャ」
「……っ!?!?!?!?!?!?!?」

 イギリスの相槌に、正確には呼んだ名前に、フランスは落ち着こうと思って口にしていた水を盛大に吹き出してしまった。

「っわ、汚いな!」
「汚ねーな!!」
「汚いね」

 三人同時に唱和されて軽くショックを受けながらも、フランスは器官に入った水に苦しみながら咳き込みつつ、涙目でイギリスを睨んだ。

「お、おま、いつの間に……!」
「はぁ?」

 怪訝そうに眉を顰めるイギリスに、フランスは『こいつ絶対分っていない!』と思って酷い頭痛を覚えた。
 いつの間にやらイギリスの隣に立ってにこにこと笑うロシアを見遣れば、こちらは確信犯的な笑みをたたえている。
 アメリカは突然の闖入者にこれ以上はないくらい不機嫌な顔をしながらも、クーラーボックスから取り出した新しいアイスのパッケージを開けていた。一体いくつ目なのだろう、知りたくもない。

 ロシアは笑顔のまま口元に手を当てているフランスに問いかけた。

「フランシス君、どうしたの?」
「……お前……説明してないだろ」
「あ、そっか。君、知ってるんだっけ」
「知ってるかじゃねーよ……余計な火種撒き散らすな」
「なんのことかな?」
「そうだ、何の事だよ!?」

 ロシアとフランスが何を言いたいのかさっぱり分らないイギリスが、つまらなそうに唇を尖らせた。先ほど放り投げられたパンフレットを手に取り、ぽすぽすとテーブルを叩いている。
 ロシアは、アメリカのさも迷惑そうな視線を浴びながら、くすくすと楽しそうに笑っていた。

「あのな、イギリス」

 フランスはこめかみを指で押さえながら重い溜息をつく。なんだよ、とこちらを胡乱な目で見るイギリスに、彼は呆れたように続けた。

「今、ロシアのこと、お前なんて呼んだ?」
「え?」
「こいつの名前はイヴァンだろ?」
「ちげーよ、ヴァーニャが本名だ」

 言って、そうだろう?と確認するようにロシアの方を向く。するとこくりと頷いてロシアはこの上なく満面の笑顔を浮かべた。
 アメリカの表情がさらに不穏な色をかすめさせる。そしてフランスはますます頭が痛くなるのを感じた。

「や、だからさ、お前……」
「彼がイヴァンだろうがなんだろうが、そんなのどうでもいいよ。それよりそろそろ移動しよう」

 アメリカがもう一秒だってここにはいたくない、という様子でフランスの言葉を遮った。平静を装っているが、手にしたアイスがだらだらと溶けているのをみると、相当頭にきているらしい。
 だが、そんな彼を気遣うようなロシアでもなかった。

「アルフレッド君」
「……なんだい」
「君の国、今とーっても大変な時じゃなかった? なんでここにいるの?」
「そんなの、君には関係ないね」
「うん。でも君が来る必要はないんじゃないかなーって思っただけなんだ」
「ふーん」

 ロシアの言葉にアメリカは気にした風もなく肩を竦めた。
 現在アメリカが某国と交戦中なのは誰でも知っている事だ。紛争続きで経済的余裕も少なく、残念ながらこの夏のRIATでの米軍の参加は見込めないまま当日を迎えてしまった。またその煽りかフランスやイタリアのアクロバットチームも不参加、加えてメインテーマが「空輸」とくれば地味になるのも仕方がない。自然各国の関心は最新鋭の戦闘機を送り込んできたロシアに集中するのも頷けた。 
 だがアメリカも負けてはいない。

「確かに参加機は少ないけれど、今回はオスプレイがあるしね。時代はティルトローターだよ」
「あぁあの、中途半端な未亡人製造機?」
「航空史を飾る画期的なV/STOL機と言いなよ。これだから時代遅れは困るね」
「醜い鉄の塊なんて、センスなさすぎて目の毒だもの。僕はハリアーの方が可愛くて好きだなぁ」

 売り言葉に買い言葉的な二人の遣り取りを、困惑気に見ていたイギリスは、ロシアの発言にきらりと目を輝かせた。
 思わず彼の方へ身を乗り出す。瞬間、アメリカの眉間の皺が五割り増しになった。

「ハリアー好きなのか、お前」
「うん。だって可愛いよね。性能だってそんなに悪くないし。あの頑張っている姿を見るといつも胸を打たれるんだ」
「そ、そうか!」

 自国機を褒められてイギリスの頬に赤みが差した。嬉しそうに口元が緩んでいる。
 だがフランスはそれを聞きながら『ぜってーそれ褒めてないって。頑張る姿って、裏を返せば燃費悪くて上がりが遅いっつー事じゃないか』と、激しく心の中で突っ込みを入れていた。もちろん、口に出したらドーバー海峡に沈められてしまうのが分っているので黙っていたが。
 さすがにアメリカも何も言わない。喜色を浮かべたイギリスをほんの少しだけ遠い目で眺めていた。

「お前のところもいい機がいっぱいあるからなー。俺、フランカーが一番好きだ」
「え、アーサー君、ジュラーヴリク好きなの?」
「あぁ。あのシルエットの美しさは芸術だと思う。ジュラーヴリクって言うのか」
「うん。鶴、って意味だよ」
「あぁ分かるなぁ、それ。首筋がすっげー綺麗だもんなぁ」
「珍しいね、君が他国の機体を褒めるのって。僕嬉しいなぁ、とっても」
「ま、まぁな! いいものはいいって認めるからな、俺だって! 別にお前の為じゃなく俺の為なんだからな!」
「ふふふ、ありがとう」

 なにこのバカっぷるみたいな会話……。
 と、思ったのかどうかは分らないが、ガシャン!と大きな音を立てて、唐突にアメリカが立ち上がる。反動でパイプ椅子がひっくり返った。
 額に青筋を浮かせてこれ以上はないほどの笑顔を浮かべる彼に、フランスは真っ青になったが、怪訝そうに振り返るイギリスとロシアは仲良く同時に首をかしげるのだった。それがまたアメリカの逆鱗に触れるとも知らずに。

「……君たちねぇ」
「なんだ?」
「どうしたの?」
「あー…ストップストップ。これ以上エキサイティングな状況になったら、おにーさん蒸発しちゃうから!」

 危機を察知したフランスが間に割って入る。
 こんなところで第三次世界大戦勃発は本気で勘弁して欲しい。
 イギリスが鬱陶しそうにこちらを睨むが、フランスは『俺、今世界を救った、絶対救った』と心底本気で思っていたとしても誰も責められまい。

「なんだよ変な奴だな……って、そういやお前、さっき何言いかけてたんだ? ヴァーニャの事がなんだって?」
「あー……まぁお前らが仲良いのはよく分かったからもういいよ」
「はぁ?」

 フランスの言わんとしている事がさっぱり分らず、イギリスは眉を寄せる。不思議そうにロシアとフランスを交互に見遣っていた。

「だからなんなんだよ!」
「あのな、イギリス。お前が呼んでいるのは愛称だろ? ロシア人の場合はとくに親しい間柄で使うって聞くぞ? いつの間に愛称で呼ぶほど仲良くなったんだか……って、アメリカ!?」

 フランスの説明を聞きながらみるみる顔を赤らめるイギリスに、耐え切れなくなったアメリカが、彼の腕を強引に引っ張って振り返りもせずにずんずん歩き去っていくのを、呆然と見送ってしまった。
 小さくなる二つの背を見送りながら、ロシアがおかしそうに笑い声を上げる。

「アメリカ君怒っちゃったねー」
「……お前わざと焚きつけるなよ……」
「だって面白いんだもん。怒ったアメリカ君の顔、大好きだなぁ」
「ドS……」

 ロシアのあまりな言い方に、フランスはぼそりと呟いて降参したかのように空を仰いだ。まともに取り合うだけ無駄だ。
 彼の性格は昔から変わらない。ヨーロッパでは比較的親しく付き合っているフランスでさえ、時々どうしようもなく疲れてしまう時がある。
 本当に、碌でもないお子様だ。
 そしてそういう、時折覗かせる幼い面にイギリスのような世話焼きが、ついちょっかいを出してしまうのもわからないでもない。
 だが、ロシアのことだから恐らくそういうところも計算済みなのだろうな、と思えば思うほど頭痛も増すと言うものだ。長年のライバル、腐れ縁の今後を思うとアモーレの国としては少々同情を禁じえなかった。

「イギリスに変なこと、吹き込むなよ?」
「いいじゃない。愛称で呼んでもらいたかったんだもん」
「お前なぁ……」
「アメリカ君も可愛いところあるし、二人を見ていると飽きないよね」
「頼むからあんま引っ掻き回さないでくれ。あの二人は本当に昔から厄介なんだ」
「そこが面白いんじゃない」

 取り付く島のないロシアに、フランスは脱力したまま引きつった苦笑いを漏らした。

 ―――― もう嫌だ。






[ 5 ]

 暖かな紅茶が、夜の涼しい風を通した室内で白い湯気をたてている。
 昼間の熱が嘘のように引き、落ち着いた雰囲気に包まれしんと静まり返ったその部屋には、向かい合って座るイギリスとロシアの姿しかなかった。

 エアショーも無事に終わり今は全ての国が岐路についている。アメリカは午後の展示飛行の半ばで本国からの緊急連絡が届き早々に帰って行った。名残惜しそうにしていたがこればかりはどうしようもない。手を振って無事を祈ったイギリスに珍しくハグをすると、そのまま軍用機に乗り込んでいった。
 またフランスも自国の飛行が終わるとパイロット達と共に引き上げた。心底疲れきった顔をしていたので、恐らく暑さにやられたのだろう、軟弱な奴だとイギリスは鼻で笑ったが、ロシアは苦笑を浮かべて見送っていた。こちらも珍しいことがあるものだ。


「で、お前は帰らなくて良いのか?」

 飛行場近くのB&Bに落ち着いたイギリスが、何故か一緒について来たロシアに不思議そうに問い掛ける。てっきり彼も自国民と共に帰国するものとばかり思っていたのだが、気付いたらこうして共にお茶をする羽目になっていた。

「うん。駄目?」
「駄目って……お前もここに泊まる気なのか?」
「ツインなんだしいいでしょ」
「そういう問題じゃねーよ」

 呆れたように溜息をつきながらも、ここまで来てしまったのだからさすがに諦めが入っている。嫌ならもっと早い段階で追い返すべきなのだ。それをしなかった自分が悪い。
 それにB&Bの人にもすでにツインの部屋を用意されてしまったし、今更部屋を移動するのも面倒だった。
 どうしてロシアと同室で一泊しなければならないのか……それだけが疑問だが、深く考えればそれだけ疲れが増す気がするので、イギリスは思考を放棄した。
 ロシアの突拍子もない行動は今に始まったことではない。すっかり相手のペースに巻き込まれてしまっている、と思ったが、いつものことなのでもうどうでもいい気分に陥っていた。それほど、彼と過ごす時間が長くなったということなのだろうか。


「ところで、昼間のこと。お前なんで黙ってたんだよ」

 イギリスは新しい湯をティーポットに入れながら憮然とした表情で言った。
 ロシアも空のカップを差し出しながら、あぁ、と頷く。

「愛称のこと?」
「そうだ。ったく恥かいたじゃねーか!」
「だって呼んでもらいたかったんだもん。ね、知ってる? 僕のこと、愛称で呼んだのってイギリス君一人だけなんだよ?」
「は……?」
「上司でさえ僕の名前なんて呼ばないからね。誰か一人でもいいから呼んでもらいたかったの。折角名前を持ってるんだからさ」

 言ってにこりと笑うロシアに、イギリスはしばし言葉もなかった。
 確かに、考えてみれば国に対して親しげに口を聞くような人間はそうそういない。家族がいるわけでもなし、人名を呼ばれる機会などどの国も稀だ。唯一あるとしたらそれはホテルや店の従業員にだが、彼らはあくまで仕事なので客に対して愛称を使うことはしないだろう。
 連邦の同盟国もロシアに対して気安く名を呼ぶような間柄とは思えないし、常任理事国やG8のメンバーなら尚のことだ。
 プライベートで親しく付き合いがあるのでなければ、国を人間名で呼ぶことなどほとんどない。まして愛称ともなれば皆無だろう。

「騙してごめんね」
「…………」
「でも嬉しかったよ、ありがとう」

 そうして新しく注がれた紅茶を美味しそうに口に運び、ロシアはやっぱりティーバックよりこっちの方がいいやと笑みをこぼした。
 その顔を見ながらイギリスはしばらく逡巡して、それから目線を自分のティーカップに落としながら小さく溜息をつく。言いかけた言葉が喉の奥でわだかまる。


 なんとなく、こういうのは苦手だと思った。
 否応無しに分かってしまうのだ……ロシアの気持ちが。
 自分にも似たような経験がある。
 その気持ちを何というのか、嫌というほどイギリスには分かっていた。
 だからと云ってそれを簡単に指摘するのは賢いやり方じゃない。人には触れて欲しくない過去があり、国であれば余計にそれは強くなる。
 下手なことを言って単純な同情だと思われるのだけは避けたかった。だが、咄嗟に良い言葉を見つけられないのも事実だった。
 結果、押し黙るしかない。


 ―――― 自分達は似ている。
 あぁそうだ、似ているのだ。
 ロシアを見ていると遠い昔の、置き去りにしてきた過去が蘇る。

 でも自分と彼には決定的な違いがあった。
 イギリスには一時だけだったが、大切で愛しい、切望していた光を手に入れたことがある。それを失った時の事を思えば今でも酷く辛くて哀しいが、出会わなければ良かったと思ったことは一度だってなかった。どんなに痛みを伴う過去でも、失いたいと思ったことはない。
 あの輝いた時間があったからこそ、今の自分がある。あの子供が自分に与え教えてくれたことはかけがえのないものだった。
 それが、ロシアにはない。

 それを思うたび、イギリスはどうしようもない気分になった。
 同情や哀れみなどという安っぽい感情ではない。
 それは表現しようのない、深い深い何かだった。


「イギリス君?」

 押し黙ってしまったイギリスに、どうしたの?とロシアが声を掛けてくる。
 聡い彼のことだからきっとこちらが何を考えていたのか全て分かっているのだろう、それでもイギリスを気遣うような態度を示す。たいした役者だと思った。
 お互い嘘で塗り固めた関係……それが今の自分達には似合いなのだろう。

「いや、シャワーでも浴びるか」

 軽く首を振ってカップを置き、立ち上がる。
 ずっと外にいたせいか身体が汗ばんで気持ちが悪かった。

「そうだね。今日は本当に暑かったなぁ」
「お前が一番苦手そうなのに、顔色変わらないってどんな体質してんだよ」

 北国の極寒の地に住んでいるというのに、ロシアは今日も強い日差しの中、マフラーを巻いたまま普段と変わらない顔で過ごしていた。
 見ているこちらの方が暑苦しくなってしまう。

「心頭滅却すれば火もまた涼しいって言うしね」
「お前は日本人か」
「やだなぁ、どうせなら日本君がロシアになっちゃえばいいのに」
「笑えない冗談はよせ!」
「冗談じゃないもの」

 くすっと笑って残りの紅茶を飲み干すロシアに、イギリスもまた苦笑を浮かべてその額を小突く。
 それから思いついたように唇の端を吊り上げ、顔を寄せてその耳に吹き込むようにして、からかい混じりに……だが出来る限り柔らかく彼の愛称を呼んだ。
 ロシアの目が一瞬だけ見開かれ、それからゆっくりと溶けるような笑顔に変わる。


 あぁ、この顔は嫌いじゃないな、とイギリスは思った。
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