紅茶をどうぞ
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ストイシズム [ 4 ]
小さめの瓶に入れられた赤いジャム。
バラの花びらがちりばめられているそれは、先日のパーティでイギリスから貰ったものだ。お茶のたびについつい気に入って使っていたら、あっという間に残り少なくなってしまった。
味も香りも紅茶の風味を損なうことのない適度なもので、ジャム好きなロシアにはもってこいの代物だったが、なんと言っても作り手はあのイギリスである。料理下手と聞いていたのに意外な一面があったものだ。
けれどもう一瓶欲しいと思ってもそう簡単に次があるわけもなく、最後の一掬いを使い切ってしまえばなんとも寂しい気持ちになった。
もっともっと欲しい。
もっともっといっぱいあればいつでも彼を思い出せていいのにな。
幸せの味、幸せの香り。欲しいと言ったら次もくれるのだろうかと思いながら、ロシアはゆったりと大きめのソファに身体を沈めて目を閉ざすと、小さく唇に笑みを浮かべた。
先日のガーデンパーティは本当に楽しかった。
はじめて訪れたイギリスの家は想像していた通りの素晴らしさで、バラやいろんな花に混じって妖精たちの初夏の歌声も耳に届き実に心地良いものだった。堅苦しいテーブルマナーも必要なく、妙に機嫌の良い日本と共に庭を眺めながらイギリスが手づから淹れた紅茶を飲めるだなんて、本当に素敵なひとときと言えた。
それに火傷の治療をしてもらったおかげで、あんなに痛かった手も今ではすっかり治り綺麗になっている。痕も残らずそこに傷があったことさえ分からなくなってしまった。
どうやらカッパノミョウヤクとやらの効果は絶大のようだ。
そんなことをつらつらと思い出しながら、手にした読みかけの本を机に置いて新しい紅茶を淹れに席を立つ。するとまるでタイミングを見計ったかのように電子音楽が聞こえてきた。
発信源に視線を向ければ、サイドボード上で充電していた携帯電話が震動と共に国歌を鳴らしている。
こんな時間に誰だろう。日はすっかり落ちてしまい、時刻はとうに夜を迎えてしまっているような時に、いまさら仕事を回されるということは考えにくい。上司も秘書もその辺は割り切っているため、滅多なことでなければ連絡を寄越すような真似はしなかった。
ロシアは軽く首をかしげてから歩み寄り、端末を手に取ると通話ボタンを押して耳に当てた。
「アリョー」
『アロアロー。ボンソワール、ロシア~!』
「フランス君?」
聞き覚えのある声に返事をすれば、相手は電話口で軽く笑ったのち「遅くに悪いな」と詫びる。ひどく陽気な口調にどうやら向こうは一杯やっている気配が窺えた。
「どうしたの? 珍しいね、君がこんな時間に電話くれるなんて」
『いや、ほら明日さ、お前ドイツんちで会議あるんだろ?』
「うん。それがどうしたの?」
『時間あったらついでに俺んち寄ってかないか? IWCの残りがこっちに大量に回って来てさ。どうせなら適当に集まって飲み会しようと思って』
「へえ、それはいいね。是非お邪魔させてもらうよ」
世界最大規模のワイン品評会IWCがあったのは約一ヶ月前のことだ。ロンドンで行われるその大会には各地から様々な銘柄が揃うことになっている。
中でも金賞を総なめしたフランスのワインは種類が多く、関係者各位に振る舞うために持ち運ばれた量も半端ではないと聞く。
それがどういう経緯でフランスの家に山積みされることになったのかはしらないが、相伴にあずかれるのなら何も言うことはない。酒好きなロシアはウォトカ以外もいける口だ。
『じゃあ会議が終わったら来いよ。って、そうだ、途中プロイセンも拾って来てくれないか』
「うん分かった。ドイツ君は?」
『あいつは事後処理がどうとか言って会議の日はいつもパスする。だから置いて来ても構わないぞ』
「そうなんだ。それじゃあ楽しみにしてるね」
『あぁ。……そうだ。ちょっとしたプレゼントも用意しておいてやるから楽しみにしてろよな』
「え?」
『ボヌ・ニュイ!』
おやすみ、と簡単な言葉を残してフランスはさっさと電話を切ってしまった。ツーツーという電子音を耳に、ロシアは明日は何か特別なことでもあるのだろうかと疑問に思う。
昔からフランスとはなんだかんだで交流も多く、あまり西欧では友達のいないロシアも彼とならそれなりに親しく付き合っていた。今もこうやって時々飲み会に誘ってくれて、自慢の手料理をご馳走してくれる。
フランスの料理は好きだ。ロシアで定着したもののほとんどはイタリアやフランスからもたらされたもので、文化や芸術はもちろんのこと宮廷料理の数々も様々なレシピと共に伝えられている。
その反面、寒いロシアでは料理がすぐに冷めてしまうため、一品ずつ供されていたのが逆にフランスにまで波及し、今ではあちらでもロシア式サービスがすっかり定着しているのが人間社会の妙を感じさせた。
「お土産なにがいいかなぁ。キャビアとスモークサーモンならワインにも合うよね」
会議の準備と一緒にフランスへの手土産を考えながら、ロシアはふと、イギリスは来るのだろうかと思った。
彼がフランスと仲が悪いのは周知の事実。わざわざ用事もないのにフランスの家のワインパーティに参加するとも思えなかったが、IWCは毎年ロンドンで開催されるイベントだ。当然イギリスも主賓としてその会に参加しているはずで、もしかするとそのままの流れで明日彼も参加しないだろうかと、淡い期待を抱いてしまう。
どう考えてもイギリスの性格上、来るはずがないと分かっていても会えたら嬉しいのにと思ってしまうのだ。
「あれから全然会ってないし」
世界会議以外では仕事上の接点もあまりないため、会いたくてもなかなか会えない日が続いている。しょうがないとは分かっているものの、面白くないものは面白くない。
いっそこの間覚えたばかりの自宅に押し掛けてしまおうかと思いながらも、その後に予想される処々の面倒臭さを思うとなかなか実現出来ずにいた。
「イギリス君、今頃なにしてるかなぁ。会いたいなぁ。声が聞きたいなぁ」
窓際に立ってガラスに映る夜の明かりを見下ろしながら、ロシアは遠くロンドン郊外に住まう彼を想い、知らず溜息をつくのだった。
翌日、電話で打ち合わせした通りロシアはドイツとの会談が済んだのち、のんびりソファでだらだらしているプロイセンを捕まえるとフランスの家へと移動した。
久しぶりに会うプロイセンは小さな小鳥を頭に乗せたまま、溌剌とした顔でロシアに手を引かれながら「タダ酒は最高だぜー」などと大層機嫌が良かった。
「ビールもいいけどワインもいいよな! イタリアちゃんちのワイン最高!」
「今日はフランスワインしか出ないと思うよ。あとイタリア君は来ないからね」
「うっせーな! カッコイイ俺様はそれくらい百も承知してんだよ!」
「ふーん」
いつでも意味もなく元気いっぱいの彼は見ていて楽しい。ロシアの家にいた頃よりももっとずっと楽しそうで、それはそれでちょっぴり悔しくもあったがまぁ、あくまで過去の話だ。今更蒸し返してもしょうがない。
「そう言えばプロイセン君。なにかお土産持って来た?」
「おうよ。ブルスト山ほど持って来てやったぜ!」
「やったー。やっぱりドイツ君ちのカリーブルストが一番美味しいもん」
「お前は何持って来たんだ?」
「ベルーガのキャビアだよ。君、好きだったよね?」
「おおおおお!」
最高級キャビアは昔から欧州でも人気の一品だ。ロシア産のそれはとくに好まれ、今では漁獲が制限され入手も困難になりつつあるが、それでも変わらずに愛され続けている。
「いっぱい持って来たから食べてねー」
「おう!」
こぶしを握って腕を振り上げるプロイセンを見つめながら、ロシアは彼と共に到着したフランスの家の門をくぐるのだった。
パリにあるフランスの家はこじんまりとしたアパルトメントを個人用に改装したもので、一人で住むにはやや贅沢なつくりだったが気ままなフランスにはお似合いのものだった。
白を基調とした漆喰の壁は上品で、内装も派手すぎず地味すぎず持ち主のセンスの良さがうかがえる。
ロシアとプロイセンが部屋へと入っていけば、そこにはすでにフランスの手料理が並び、遊びに来ていたスペインやロマーノ、オーストリアやハンガリーなどの姿があった。こちらの姿を認めるとホストのフランスは「良く来たな」と笑って手招きをする。
「はい、これお土産。こっちはプロイセン君からね」
「メルシーボクー。好きなワイン開けて飲んでろよ」
「うん」
いくつか言葉を交わしてから振り向けば、プロイセンはさっそくとばかりにオーストリアにちょっかいを出して、ハンガリーのフライパンの餌食になっているのが見えた。懲りないと言うかなんと言うか、楽しそうで何よりだ。
しばらくはそんな彼らのやりとりを肴にワインを楽しみつつ、フランスお手製の料理の数々を遠慮なく摘んでいく。その辺の高級ホテル並みの腕前は健在のようで、並べられた品々はどれもが本当に美味しかった。
ふと、インターホンが来客を告げる。
フランスは作業中なのか「悪い、誰か出てくれ!」と言うので、ちょうど手が空いていたスペインが出て行く。誰が来たんだろうと思っていれば、すぐに彼は意外な人物を伴って戻って来た。
「あれぇ? お前、どうしたんだ?」
「あら、イギリスじゃないですか。珍しいですね」
プロイセンとオーストリアが不思議そうな声を出す。それもそのはず、フランスのホームパーティーになど断じて来そうもないと思っていた隣国が、憮然とした面持ちで登場すれば誰だって驚かないわけがない。
ロシアも目を丸くして室内に歩みを進めるイギリスの姿を凝視してしまった。
まさか会えるとは思っていなかったから、こんな嬉しいことはない。思わず飛びつきたくなる衝動を抑えるのが難しいくらいだ。
「イギリスがフランスの家に来るなんて、どういう心境の変化?」
ハンガリーの疑問に、彼もまた面白くなさそうに答えた。
「ヒゲの野郎がDRCのヴィンテージをあけるって言うからだ」
「え!? マジで!?」
キラリと目を輝かせたのはスペイン。けれど彼だけではない。ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティのヴィンテージワインが飲めるとなればその場に居合わせた全員が期待の眼差しを向けるのも当然だ。
フランスは慌てたようにキッチンから顔を覗かせると、釘を刺すように言った。
「一本だけだぞ! 今回のIWCでお偉いさんから特別に譲ってもらった貴重なワインなんだからな」
「そうだ。この俺の口添えもあったからこそだぞ、感謝しろ!」
と、偉そうにふんぞり返りながらイギリスは居丈高にそう言い、ふとロシアの方に視線を向けてきた。
反射的ににこりと笑って見せれば彼は一瞬だけ眉をひそめたのち、つかつかと歩み寄ってくる。そしてぶっきら棒に「そのキャビア、お前のところのか?」と聞いてきた。
「うん、そうだよ。良かったらイギリス君もどうぞ」
「あぁ」
短く返事をしてから、彼はもう一度ちらりとロシアの顔を見上げ隣に立つ。急に間近にイギリスの金色の髪が近付き、自然心が浮き立つのを感じた。駄目だ、唇が勝手に弛んでしまう。
ずっと会いたかった。でも会えずにいた。そんな彼が今目の前にいる。
「会えるとは思っていなかったから、とっても嬉しいよ」
「……フランスの野郎に強引に誘われたんだ。お前、あいつに何か言ったのか?」
「え? 僕? ううん、別に何も言ってないよ。今日の事だって昨日の夜に突然誘われたんだし」
「昨夜?」
怪訝そうに太い眉をひそめるイギリスに、ロシアは「うん」と言って続けた。
「今日、ドイツ君の家で会議があって、その帰りにこっちにこないかって誘われたの」
「俺はてっきりフランスを通じてお前が呼び出したのかと思った」
「……えっと、じゃあイギリス君は。僕が呼んでいるかもしれないと思ってわざわざ来てくれたの?」
疑問に思って問い掛けてみれば、驚愕に目を見開いてとんでもないと言った表情でイギリスは思い切り首を横に振る。
「そんなわけあるか。ワインを飲みに来たに決まってるだろ!」
「そうだよね。あ~あ、なんだかちょっと残念。でもいいや、君にこうして会えたんだし」
フランスが一体どういう意図でもって事を進めてくれたのかは分からなかったが、ロシアにしてみれば願ったり叶ったりだ。理由はなんであれ、イギリスに会って声が聞ければそれでいい。
「あ」
「なんだ?」
「もしかしてこれが“プレゼント”なのかなぁ」
「なんのことだ?」
怪訝そうに見上げてくるイギリスに笑いかけたまま、ロシアは昨夜のフランスの言葉を思い出していた。
どういうつもりかは知らないが、もしもこれが ―――― イギリスの来訪がプレゼントだというのなら、確かに今のロシアにとってこれ以上のものは存在しないだろう。
「そうそう、イギリス君。この間もらったバラのジャム、すっごく美味しかったよ」
「……そうか」
「良かったらまたもらえないかなぁ。お気に入りで毎日紅茶に添えていたらなくなっちゃったんだよね」
勿体無かったけど美味しくてつい、と言えばイギリスは両目をぱちぱちと開閉させてから、ふいにその形の良い唇にうっすらと笑みを浮かべた。
手作りのものを褒められたのが相当嬉しいのだろうか。わずかに張り巡らされていた警戒の気配が薄らいだ気さえする。
イギリスはロシアを見上げ、それから再び視線を外すと小さく頷いて囁くように言った。
「また来いよ」
その一言がこれからどんなふうに二人の関係を変えていくのか、それはまだ分からない。
けれど決して悪い方向にではないように思えて、ロシアは安堵と共に「もちろん!」と返事をするのだった。
バラの花びらがちりばめられているそれは、先日のパーティでイギリスから貰ったものだ。お茶のたびについつい気に入って使っていたら、あっという間に残り少なくなってしまった。
味も香りも紅茶の風味を損なうことのない適度なもので、ジャム好きなロシアにはもってこいの代物だったが、なんと言っても作り手はあのイギリスである。料理下手と聞いていたのに意外な一面があったものだ。
けれどもう一瓶欲しいと思ってもそう簡単に次があるわけもなく、最後の一掬いを使い切ってしまえばなんとも寂しい気持ちになった。
もっともっと欲しい。
もっともっといっぱいあればいつでも彼を思い出せていいのにな。
幸せの味、幸せの香り。欲しいと言ったら次もくれるのだろうかと思いながら、ロシアはゆったりと大きめのソファに身体を沈めて目を閉ざすと、小さく唇に笑みを浮かべた。
先日のガーデンパーティは本当に楽しかった。
はじめて訪れたイギリスの家は想像していた通りの素晴らしさで、バラやいろんな花に混じって妖精たちの初夏の歌声も耳に届き実に心地良いものだった。堅苦しいテーブルマナーも必要なく、妙に機嫌の良い日本と共に庭を眺めながらイギリスが手づから淹れた紅茶を飲めるだなんて、本当に素敵なひとときと言えた。
それに火傷の治療をしてもらったおかげで、あんなに痛かった手も今ではすっかり治り綺麗になっている。痕も残らずそこに傷があったことさえ分からなくなってしまった。
どうやらカッパノミョウヤクとやらの効果は絶大のようだ。
そんなことをつらつらと思い出しながら、手にした読みかけの本を机に置いて新しい紅茶を淹れに席を立つ。するとまるでタイミングを見計ったかのように電子音楽が聞こえてきた。
発信源に視線を向ければ、サイドボード上で充電していた携帯電話が震動と共に国歌を鳴らしている。
こんな時間に誰だろう。日はすっかり落ちてしまい、時刻はとうに夜を迎えてしまっているような時に、いまさら仕事を回されるということは考えにくい。上司も秘書もその辺は割り切っているため、滅多なことでなければ連絡を寄越すような真似はしなかった。
ロシアは軽く首をかしげてから歩み寄り、端末を手に取ると通話ボタンを押して耳に当てた。
「アリョー」
『アロアロー。ボンソワール、ロシア~!』
「フランス君?」
聞き覚えのある声に返事をすれば、相手は電話口で軽く笑ったのち「遅くに悪いな」と詫びる。ひどく陽気な口調にどうやら向こうは一杯やっている気配が窺えた。
「どうしたの? 珍しいね、君がこんな時間に電話くれるなんて」
『いや、ほら明日さ、お前ドイツんちで会議あるんだろ?』
「うん。それがどうしたの?」
『時間あったらついでに俺んち寄ってかないか? IWCの残りがこっちに大量に回って来てさ。どうせなら適当に集まって飲み会しようと思って』
「へえ、それはいいね。是非お邪魔させてもらうよ」
世界最大規模のワイン品評会IWCがあったのは約一ヶ月前のことだ。ロンドンで行われるその大会には各地から様々な銘柄が揃うことになっている。
中でも金賞を総なめしたフランスのワインは種類が多く、関係者各位に振る舞うために持ち運ばれた量も半端ではないと聞く。
それがどういう経緯でフランスの家に山積みされることになったのかはしらないが、相伴にあずかれるのなら何も言うことはない。酒好きなロシアはウォトカ以外もいける口だ。
『じゃあ会議が終わったら来いよ。って、そうだ、途中プロイセンも拾って来てくれないか』
「うん分かった。ドイツ君は?」
『あいつは事後処理がどうとか言って会議の日はいつもパスする。だから置いて来ても構わないぞ』
「そうなんだ。それじゃあ楽しみにしてるね」
『あぁ。……そうだ。ちょっとしたプレゼントも用意しておいてやるから楽しみにしてろよな』
「え?」
『ボヌ・ニュイ!』
おやすみ、と簡単な言葉を残してフランスはさっさと電話を切ってしまった。ツーツーという電子音を耳に、ロシアは明日は何か特別なことでもあるのだろうかと疑問に思う。
昔からフランスとはなんだかんだで交流も多く、あまり西欧では友達のいないロシアも彼とならそれなりに親しく付き合っていた。今もこうやって時々飲み会に誘ってくれて、自慢の手料理をご馳走してくれる。
フランスの料理は好きだ。ロシアで定着したもののほとんどはイタリアやフランスからもたらされたもので、文化や芸術はもちろんのこと宮廷料理の数々も様々なレシピと共に伝えられている。
その反面、寒いロシアでは料理がすぐに冷めてしまうため、一品ずつ供されていたのが逆にフランスにまで波及し、今ではあちらでもロシア式サービスがすっかり定着しているのが人間社会の妙を感じさせた。
「お土産なにがいいかなぁ。キャビアとスモークサーモンならワインにも合うよね」
会議の準備と一緒にフランスへの手土産を考えながら、ロシアはふと、イギリスは来るのだろうかと思った。
彼がフランスと仲が悪いのは周知の事実。わざわざ用事もないのにフランスの家のワインパーティに参加するとも思えなかったが、IWCは毎年ロンドンで開催されるイベントだ。当然イギリスも主賓としてその会に参加しているはずで、もしかするとそのままの流れで明日彼も参加しないだろうかと、淡い期待を抱いてしまう。
どう考えてもイギリスの性格上、来るはずがないと分かっていても会えたら嬉しいのにと思ってしまうのだ。
「あれから全然会ってないし」
世界会議以外では仕事上の接点もあまりないため、会いたくてもなかなか会えない日が続いている。しょうがないとは分かっているものの、面白くないものは面白くない。
いっそこの間覚えたばかりの自宅に押し掛けてしまおうかと思いながらも、その後に予想される処々の面倒臭さを思うとなかなか実現出来ずにいた。
「イギリス君、今頃なにしてるかなぁ。会いたいなぁ。声が聞きたいなぁ」
窓際に立ってガラスに映る夜の明かりを見下ろしながら、ロシアは遠くロンドン郊外に住まう彼を想い、知らず溜息をつくのだった。
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翌日、電話で打ち合わせした通りロシアはドイツとの会談が済んだのち、のんびりソファでだらだらしているプロイセンを捕まえるとフランスの家へと移動した。
久しぶりに会うプロイセンは小さな小鳥を頭に乗せたまま、溌剌とした顔でロシアに手を引かれながら「タダ酒は最高だぜー」などと大層機嫌が良かった。
「ビールもいいけどワインもいいよな! イタリアちゃんちのワイン最高!」
「今日はフランスワインしか出ないと思うよ。あとイタリア君は来ないからね」
「うっせーな! カッコイイ俺様はそれくらい百も承知してんだよ!」
「ふーん」
いつでも意味もなく元気いっぱいの彼は見ていて楽しい。ロシアの家にいた頃よりももっとずっと楽しそうで、それはそれでちょっぴり悔しくもあったがまぁ、あくまで過去の話だ。今更蒸し返してもしょうがない。
「そう言えばプロイセン君。なにかお土産持って来た?」
「おうよ。ブルスト山ほど持って来てやったぜ!」
「やったー。やっぱりドイツ君ちのカリーブルストが一番美味しいもん」
「お前は何持って来たんだ?」
「ベルーガのキャビアだよ。君、好きだったよね?」
「おおおおお!」
最高級キャビアは昔から欧州でも人気の一品だ。ロシア産のそれはとくに好まれ、今では漁獲が制限され入手も困難になりつつあるが、それでも変わらずに愛され続けている。
「いっぱい持って来たから食べてねー」
「おう!」
こぶしを握って腕を振り上げるプロイセンを見つめながら、ロシアは彼と共に到着したフランスの家の門をくぐるのだった。
パリにあるフランスの家はこじんまりとしたアパルトメントを個人用に改装したもので、一人で住むにはやや贅沢なつくりだったが気ままなフランスにはお似合いのものだった。
白を基調とした漆喰の壁は上品で、内装も派手すぎず地味すぎず持ち主のセンスの良さがうかがえる。
ロシアとプロイセンが部屋へと入っていけば、そこにはすでにフランスの手料理が並び、遊びに来ていたスペインやロマーノ、オーストリアやハンガリーなどの姿があった。こちらの姿を認めるとホストのフランスは「良く来たな」と笑って手招きをする。
「はい、これお土産。こっちはプロイセン君からね」
「メルシーボクー。好きなワイン開けて飲んでろよ」
「うん」
いくつか言葉を交わしてから振り向けば、プロイセンはさっそくとばかりにオーストリアにちょっかいを出して、ハンガリーのフライパンの餌食になっているのが見えた。懲りないと言うかなんと言うか、楽しそうで何よりだ。
しばらくはそんな彼らのやりとりを肴にワインを楽しみつつ、フランスお手製の料理の数々を遠慮なく摘んでいく。その辺の高級ホテル並みの腕前は健在のようで、並べられた品々はどれもが本当に美味しかった。
ふと、インターホンが来客を告げる。
フランスは作業中なのか「悪い、誰か出てくれ!」と言うので、ちょうど手が空いていたスペインが出て行く。誰が来たんだろうと思っていれば、すぐに彼は意外な人物を伴って戻って来た。
「あれぇ? お前、どうしたんだ?」
「あら、イギリスじゃないですか。珍しいですね」
プロイセンとオーストリアが不思議そうな声を出す。それもそのはず、フランスのホームパーティーになど断じて来そうもないと思っていた隣国が、憮然とした面持ちで登場すれば誰だって驚かないわけがない。
ロシアも目を丸くして室内に歩みを進めるイギリスの姿を凝視してしまった。
まさか会えるとは思っていなかったから、こんな嬉しいことはない。思わず飛びつきたくなる衝動を抑えるのが難しいくらいだ。
「イギリスがフランスの家に来るなんて、どういう心境の変化?」
ハンガリーの疑問に、彼もまた面白くなさそうに答えた。
「ヒゲの野郎がDRCのヴィンテージをあけるって言うからだ」
「え!? マジで!?」
キラリと目を輝かせたのはスペイン。けれど彼だけではない。ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティのヴィンテージワインが飲めるとなればその場に居合わせた全員が期待の眼差しを向けるのも当然だ。
フランスは慌てたようにキッチンから顔を覗かせると、釘を刺すように言った。
「一本だけだぞ! 今回のIWCでお偉いさんから特別に譲ってもらった貴重なワインなんだからな」
「そうだ。この俺の口添えもあったからこそだぞ、感謝しろ!」
と、偉そうにふんぞり返りながらイギリスは居丈高にそう言い、ふとロシアの方に視線を向けてきた。
反射的ににこりと笑って見せれば彼は一瞬だけ眉をひそめたのち、つかつかと歩み寄ってくる。そしてぶっきら棒に「そのキャビア、お前のところのか?」と聞いてきた。
「うん、そうだよ。良かったらイギリス君もどうぞ」
「あぁ」
短く返事をしてから、彼はもう一度ちらりとロシアの顔を見上げ隣に立つ。急に間近にイギリスの金色の髪が近付き、自然心が浮き立つのを感じた。駄目だ、唇が勝手に弛んでしまう。
ずっと会いたかった。でも会えずにいた。そんな彼が今目の前にいる。
「会えるとは思っていなかったから、とっても嬉しいよ」
「……フランスの野郎に強引に誘われたんだ。お前、あいつに何か言ったのか?」
「え? 僕? ううん、別に何も言ってないよ。今日の事だって昨日の夜に突然誘われたんだし」
「昨夜?」
怪訝そうに太い眉をひそめるイギリスに、ロシアは「うん」と言って続けた。
「今日、ドイツ君の家で会議があって、その帰りにこっちにこないかって誘われたの」
「俺はてっきりフランスを通じてお前が呼び出したのかと思った」
「……えっと、じゃあイギリス君は。僕が呼んでいるかもしれないと思ってわざわざ来てくれたの?」
疑問に思って問い掛けてみれば、驚愕に目を見開いてとんでもないと言った表情でイギリスは思い切り首を横に振る。
「そんなわけあるか。ワインを飲みに来たに決まってるだろ!」
「そうだよね。あ~あ、なんだかちょっと残念。でもいいや、君にこうして会えたんだし」
フランスが一体どういう意図でもって事を進めてくれたのかは分からなかったが、ロシアにしてみれば願ったり叶ったりだ。理由はなんであれ、イギリスに会って声が聞ければそれでいい。
「あ」
「なんだ?」
「もしかしてこれが“プレゼント”なのかなぁ」
「なんのことだ?」
怪訝そうに見上げてくるイギリスに笑いかけたまま、ロシアは昨夜のフランスの言葉を思い出していた。
どういうつもりかは知らないが、もしもこれが ―――― イギリスの来訪がプレゼントだというのなら、確かに今のロシアにとってこれ以上のものは存在しないだろう。
「そうそう、イギリス君。この間もらったバラのジャム、すっごく美味しかったよ」
「……そうか」
「良かったらまたもらえないかなぁ。お気に入りで毎日紅茶に添えていたらなくなっちゃったんだよね」
勿体無かったけど美味しくてつい、と言えばイギリスは両目をぱちぱちと開閉させてから、ふいにその形の良い唇にうっすらと笑みを浮かべた。
手作りのものを褒められたのが相当嬉しいのだろうか。わずかに張り巡らされていた警戒の気配が薄らいだ気さえする。
イギリスはロシアを見上げ、それから再び視線を外すと小さく頷いて囁くように言った。
「また来いよ」
その一言がこれからどんなふうに二人の関係を変えていくのか、それはまだ分からない。
けれど決して悪い方向にではないように思えて、ロシアは安堵と共に「もちろん!」と返事をするのだった。
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