紅茶をどうぞ
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[題] それでも生きることが贖(あがな)いだというのなら
※ 「あなたを失うことが罰だというのなら」の後日談(日露英)
夕涼みにはもってこいの、蒸し暑さが取れた晩夏の日暮れ時。
枯山水の中庭に面した母屋の縁側に腰をおろし、点てたばかりの茶を手中におさめて沈みゆく日を眺めながら、日本は突然現れた影に一瞬目を眇めた。
白の気配。
ついと向けた視線の先には、背の高い色の薄い男が佇んでいた。いつの間に来たのだろう、気配を消すなといくら言っても聞き入れてもらったためしがない。むろん、事前にアポイトメントを取れという希望も完璧に無視されてしまっている。
彼にはそういうサービスはないんだそうだ。
「先日お贈りした青い薔薇。お気に召していただけましたか?」
「捨てちゃったよ、あんなの」
わざわざ貴重なそれを研究先から持ち出してプレゼントしたというのに、なんてつれない言葉。特有のひねくれた物言いは子供のようでいて狡猾な大人の陰りを覗かせた。
やれやれと肩を竦め日本は小さな溜息をついた。そんなわざとらしい嘆きにも、ロシアは不思議な色合いの瞳をまっすぐにこちらへ向けて、ほんのりと色づく唇を不敵に吊り上げる。
「嘘。君から貰ったものをこの僕が捨てるはずないでしょ。ちゃんと大事に取って置いてあるよ。色を変えてね」
「プリザーブドフラワーですか」
「僕は向日葵色の方が好きだもん」
貴重な青を黄に変えたのか。
あぁそうだ。現実にない色彩も今では簡単に作り出すことが出来る。
それこそ夢も風情もあったものではないだろうと、そう思うのは、自分でもややひねくれた考え方だと日本は思った。
ひらり、とふいに白色がはためく。
なんだろうと目を凝らして見ると、ロシアの手に巻かれた包帯が視界を埋め尽くした。
差し出されたその手は確か、あの薔薇の棘に傷つけられた方。珍しく手袋をはめていなかった彼が、手渡した花で怪我をした。
思えばあれはわざとだったのだろう。注意深い彼がやすやすと傷を負うわけもなければ、そういう生傷をイギリスが見逃すはずがないのだから。
「噛みつかれちゃった」
「イギリスさんがそんなことを? それは随分とお可愛らしいことを」
強すぎる独占欲はたいそう気持ちの良いものらしい。
ロシアはまるで血の海を前にした時のような分かり易い高揚感で青褪めた頬を染め、満足気に笑って見せた。
「ねぇ知ってる? ヨーロッパでは緑の目は狂気の目って言われているんだよ。嫉妬に狂ったその色は宝石なんかよりもっとずっと綺麗なんだ」
「それはそれは。是非一度拝見してみたいものです」
「君がイギリス君のことを昔から特別に好きなのは知っているけどね」
湿度を保った生温い風に包まれたこの場が、ゆるゆると淡い冷気に覆われていくような錯覚に陥る。
ロシアの硝子玉を思わせる眼球が、なんの感情も浮かべずただ透明なままこちらの姿を捉えていた。その表面に映る自分の顔が、水面に落とした墨のように滲むのを日本はただぼんやりと眺める。
「そして僕も君のこと、昔から大好きだけど」
ロシアは純朴な子供の顔をしたまま腰を屈めて日本のすぐ傍まで顔を近づけ、警戒心の強い猫がきまぐれに懐くような仕草でこめかみに唇を落とす。そして一言。
「彼はあげない」
耳元で柔らかく囁かれた瞬間、全身が凍りついたように固まった。久々に恐怖で背筋が凍りつく。目の前の国が改めて誰なのか嫌と言うほど理解した気がして、知らずこくりと喉が鳴った。
けれど即座にロシアが本気でないことを悟ると、ゆるりとその強張りを解きほっと溜息をついた。あとに残されたのは奥底にわだかまるような気だるさだけだ。
「取り上げるような真似はしませんよ」
児戯にも等しいその恋心を、いつまでもいつまでも大事に抱えていけるというのなら、いけるところまでいってみればいい。
後生大事に温めた卵が孵化してなにを残すのかは分からないが、それでも二人が形を求めているのならわざわざ水を差して邪魔をする気はなかった。他国がどう受け止めているかは知らないが、少なくとも日本はそう思っている。
たとえ ―――― でも。
青い薔薇。
叶わないこと、ありえないこと、不可能なことの象徴といわれたあの花が、いつしか「奇跡」や「神の祝福」という意味を与えられたのだ。
それならば事はなるようになるだろう。
「ロシアさん、触れても?」
「珍しいね。いいよ、君は特別」
にこりと笑う彼に、日本はそっと手を伸ばすとその首に静かに両腕を絡めた。
さらりとした銀色の髪と透き通るような白い肌。抱き締めるとまるで氷の彫像のような冷たさが伝わってくる。
この感触を、きっとイギリスは気に入っているに違いない。まるでこちらまで凍ってしまいそうなこの気配を。
望む全ては手に入らないかもしれない。けれど、せめて夢を見たいと言うのなら安らかな眠りを、彼らに。
夕涼みにはもってこいの、蒸し暑さが取れた晩夏の日暮れ時。
枯山水の中庭に面した母屋の縁側に腰をおろし、点てたばかりの茶を手中におさめて沈みゆく日を眺めながら、日本は突然現れた影に一瞬目を眇めた。
白の気配。
ついと向けた視線の先には、背の高い色の薄い男が佇んでいた。いつの間に来たのだろう、気配を消すなといくら言っても聞き入れてもらったためしがない。むろん、事前にアポイトメントを取れという希望も完璧に無視されてしまっている。
彼にはそういうサービスはないんだそうだ。
「先日お贈りした青い薔薇。お気に召していただけましたか?」
「捨てちゃったよ、あんなの」
わざわざ貴重なそれを研究先から持ち出してプレゼントしたというのに、なんてつれない言葉。特有のひねくれた物言いは子供のようでいて狡猾な大人の陰りを覗かせた。
やれやれと肩を竦め日本は小さな溜息をついた。そんなわざとらしい嘆きにも、ロシアは不思議な色合いの瞳をまっすぐにこちらへ向けて、ほんのりと色づく唇を不敵に吊り上げる。
「嘘。君から貰ったものをこの僕が捨てるはずないでしょ。ちゃんと大事に取って置いてあるよ。色を変えてね」
「プリザーブドフラワーですか」
「僕は向日葵色の方が好きだもん」
貴重な青を黄に変えたのか。
あぁそうだ。現実にない色彩も今では簡単に作り出すことが出来る。
それこそ夢も風情もあったものではないだろうと、そう思うのは、自分でもややひねくれた考え方だと日本は思った。
ひらり、とふいに白色がはためく。
なんだろうと目を凝らして見ると、ロシアの手に巻かれた包帯が視界を埋め尽くした。
差し出されたその手は確か、あの薔薇の棘に傷つけられた方。珍しく手袋をはめていなかった彼が、手渡した花で怪我をした。
思えばあれはわざとだったのだろう。注意深い彼がやすやすと傷を負うわけもなければ、そういう生傷をイギリスが見逃すはずがないのだから。
「噛みつかれちゃった」
「イギリスさんがそんなことを? それは随分とお可愛らしいことを」
強すぎる独占欲はたいそう気持ちの良いものらしい。
ロシアはまるで血の海を前にした時のような分かり易い高揚感で青褪めた頬を染め、満足気に笑って見せた。
「ねぇ知ってる? ヨーロッパでは緑の目は狂気の目って言われているんだよ。嫉妬に狂ったその色は宝石なんかよりもっとずっと綺麗なんだ」
「それはそれは。是非一度拝見してみたいものです」
「君がイギリス君のことを昔から特別に好きなのは知っているけどね」
湿度を保った生温い風に包まれたこの場が、ゆるゆると淡い冷気に覆われていくような錯覚に陥る。
ロシアの硝子玉を思わせる眼球が、なんの感情も浮かべずただ透明なままこちらの姿を捉えていた。その表面に映る自分の顔が、水面に落とした墨のように滲むのを日本はただぼんやりと眺める。
「そして僕も君のこと、昔から大好きだけど」
ロシアは純朴な子供の顔をしたまま腰を屈めて日本のすぐ傍まで顔を近づけ、警戒心の強い猫がきまぐれに懐くような仕草でこめかみに唇を落とす。そして一言。
「彼はあげない」
耳元で柔らかく囁かれた瞬間、全身が凍りついたように固まった。久々に恐怖で背筋が凍りつく。目の前の国が改めて誰なのか嫌と言うほど理解した気がして、知らずこくりと喉が鳴った。
けれど即座にロシアが本気でないことを悟ると、ゆるりとその強張りを解きほっと溜息をついた。あとに残されたのは奥底にわだかまるような気だるさだけだ。
「取り上げるような真似はしませんよ」
児戯にも等しいその恋心を、いつまでもいつまでも大事に抱えていけるというのなら、いけるところまでいってみればいい。
後生大事に温めた卵が孵化してなにを残すのかは分からないが、それでも二人が形を求めているのならわざわざ水を差して邪魔をする気はなかった。他国がどう受け止めているかは知らないが、少なくとも日本はそう思っている。
たとえ ―――― でも。
青い薔薇。
叶わないこと、ありえないこと、不可能なことの象徴といわれたあの花が、いつしか「奇跡」や「神の祝福」という意味を与えられたのだ。
それならば事はなるようになるだろう。
「ロシアさん、触れても?」
「珍しいね。いいよ、君は特別」
にこりと笑う彼に、日本はそっと手を伸ばすとその首に静かに両腕を絡めた。
さらりとした銀色の髪と透き通るような白い肌。抱き締めるとまるで氷の彫像のような冷たさが伝わってくる。
この感触を、きっとイギリスは気に入っているに違いない。まるでこちらまで凍ってしまいそうなこの気配を。
望む全ては手に入らないかもしれない。けれど、せめて夢を見たいと言うのなら安らかな眠りを、彼らに。
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