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 紅茶をどうぞ
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願い、そして希望 1
 今でも時折、夢に見ることがある。
 幼い自分と彼の姿を。
 何よりも大切で、まるで宝物のようにかけがえのない日々の記憶。
 二人だけの箱庭の世界。
 暖かくて、柔らかくて、そして何より愛しいあの人の笑顔。


 それらはいつも、硝煙と血と雨の匂いによって黒々と塗りつぶされてゆくのだ。


 暗闇の中で何度飛び起きたか分からない。
 彼の名を呼んで、真夜中に一人きりで知らずこぼした涙。
 自分から捨てたものに未練があるはずがない。あってはならない。それくらいは分かっていたと言うのに、アメリカはこみ上げる嗚咽をおさえる術を知らなかった。
 
 今もまだ深くあの人の心を抉る傷。
 彼の目の奥に宿る底なし沼のように深い暗闇を見た時に、心の中で幼い自分が静かに言った。「消えることのない痛みを与えたいほど、お前はイギリスを憎んでいたのか」と。小さなアメリカが何度も何度も問いかけてくる。
 そしてそんな子供の声はいつしかイギリスの声と重なり、木霊となって脳裏に響き渡る。お前は裏切り者なのだと。
 言い訳すら許されない。自分の犯した罪は恐らく二度と消えることはないのだと思い知った。
 





 


 情けないことに当時のアメリカは、若さが理由にならないくらい世間知らずだった。今思えば本当になんとも恥ずかしい思い出ばかりがよぎる。
 独立戦争後、アメリカは自分のしでかしたことの大きさを鑑みることもなく、馬鹿みたいに大人しく待っていたのだ。
 停戦調停の為にフランスで会ったのを最後にずっと何年も会えずにいて、もちろんお互い本当に忙しくてそれどころではなかったけれど、それでもアメリカはイギリスを待ち続けていた。
 いつか彼は絶対に来てくれると、何故かずっとずっと信じて疑ってはいなかったのだ。

 その時のアメリカはイギリスの一部分しか知らなかった。
 イギリスはいつも幼いアメリカに優しく、時には厳しく接しながらも惜しみなく慈しんでくれていた。どんなに酷いいたずらをしても、彼は最終的には自分を許してくれた。笑って、しょうがないなぁと言って頭を撫でてくれた。
 だから独立後の混乱さえおさまれば変わらず彼は自分を赦し、何かしら暖かな助言をくれるものだと信じていたのだ。

 ―――― しかし、そんな事はあるはずがない。

 いくら待ってもイギリスは来ず、会いたさゆえに痺れを切らしたアメリカが連絡を取ろうとしても不可能だった。国交が正常化していないのだと言われ、代理人を通してでしか互いの意見は交換されなかった。
 独立の時に手を貸してくれたフランスに聞いてみると、イギリスよりも年上の彼は呆気にとられたかのように絶句をした後、堪え切れない様子で大爆笑をした。
「お前は馬鹿だ。大馬鹿野郎だ」、そう言われて始めて思い知ったこと。

 イギリスがヨーロッパにいる時に見せる顔は、あの時の戦争で見た無表情な顔よりももっとずっと冷たくて凶悪で、そして孤独だということを。
 自分だけが、小さな子供の自分だけが彼にとって特別だったということに気付いたのは、もうあの穏やかな楽園の日々が失われて久しいこんな今だった。
 取り戻せないぬくもりに、選び損ねた選択肢に気付いてみても、イギリスは遠く遠く離れてしまって、今更ながら酷い寂しさと空虚さを感じてしまう。
 それでも、大人になるというのはそういうことなのだと自分を納得させた。



 あれからイギリスは決してアメリカの前では笑わなくなった。むしろ冷ややかな目で見据えられ、時には罵詈雑言を浴びせられるようになった。
 しかし、彼がそうやって荒々しい言葉を投げつけてくるたび、自分は大人になったのだという、随分と歪んだ満足感をアメリカは感じていた。それはどんな形であるにしろ、今までとは違うイギリスを見付けることが出来るいう、何とも不条理な喜びだったのかもしれない。


 本当は、望む未来はもっと違ったものだったはずなのに。





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