紅茶をどうぞ
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[祭] 溶けた影に刻む記憶
東の海を渡った先に、その大陸はあった。
欧州の面々が西側から船を進めるのとは逆の、東側沿岸にこっそりと上陸をしてみれば、そこには温暖な気候のだだっ広い荒野が広がっていた。
このところやたらとイギリスが自慢している新大陸が、どんなところなのか興味がないと言ったら嘘になる。あの忌々しくも腹立たしい島国が、弟分などといって猫可愛がりしているという気色悪い噂を聞いた時は、いったい何の冗談かと思ったくらいだ。
ブリテン島で兄弟喧嘩に明け暮れていた過去を持つくせに、今さら未開の地を弟扱いするなど頭でも打って気でも狂ったのかと本気で嘲笑えた。けれど垣間見る横顔に見たこともないほど穏やかな表情と、落ち着いた眼差しがあって知らず戸惑ってしまう。
あのイギリスにこんな顔をさせるとは、その『弟』なる国はそんなにも特別な存在なのだろか。いつも気に入らない傲慢な態度で自分の邪魔ばかりするあの、殴りつけたくなるような顔がだらしなく緩む姿など、これまで想像だにしなかったと言うのに。
一度気になり始めたら確かめなければ気が済まなくなり、ロシアは軽く用意を整えると「ちょっとその辺を散歩してくるね」と軽く言い残して宮殿をあとにした。
最近自国内も随分と落ち着き、新しい上司たちがうまく国を管理し始めているおかげで体調もかなりいい。戦乱続きだった各都市もすっかり綺麗になってきているし、少しくらい自分が離れたからといって何か問題が起きる様子もなかった。
だからこうして自ら出向いてみたわけなのだが ――――。
ロシアはじゃり、と足元の砂を踏みしめて青く広がる海を振り返り唇の端を吊り上げた。
丁度暇を持て余していたところだし、新しい “おもちゃ” が見つかればいい退屈しのぎになるだろう。それに。
「イギリス君の嫌がる顔を思い浮かべるだけで楽しいしね」
溺愛している『弟』に勝手に接触したら、きっと彼のことだ、頭から湯気を出すほど怒りまくるに違いない。罵声と雑言の嵐を予想して知らず顔が緩むくらいだ。
せいぜいやきもきすればいい。今までさんざん南下を邪魔された仕返しとばかりに、ロシアは自分でもそうと分かるほど嫌な笑みを浮かべた。
こんなところで一部の損失もなしに憂さ晴らしが出来ればそれこそ儲けものだろう。新大陸など泥臭くて正直ぜんぜん興味が湧かないが、あの島国の悔しがる顔を想像するだけで気分が晴れやかになる。
「それにしてもなーんにもないところだね」
見渡す限りの荒野。街はおろか開発の手すらほとんど入れられていない原野が、ただ無造作に目の前に広がるばかりだ。田舎も田舎、ド田舎中のド田舎といったところだろうか。
まぁ暖かいだけましだろう。海を背に抜けるような青空を見上げながら、ロシアはのんびりとした足取りでいつ遭遇するとも知れぬこの大地の写し身を求めて歩き出した。
ところで、『国』にはなんとも便利な特殊能力が備わっている。
外見は人とほとんど変わらないが、自分達は国と国、都市と都市を気軽に行き来出来る専用の通路を利用することが出来るのだ。通常それは同盟を結んだ相手だったり友好国、姉妹国間だったりと、ある一定の条件下でしか開くことが出来なかったが、この大陸のように未成熟でまだ自立していない幼い土地には確固たる外交も確立されておらず、いくらだって綻びを見つけることが可能である。
事実ロシアもこじんまりとした集落に辿りつけば、そこから西海岸にある大きな町へと通じる小道を見付けることが出来たのだった。延々と徒歩で大陸横断などする気はさらさらなかったので、ロシアは遠慮なくその道をたどってマサチューセッツ方面を目指す。
万が一イギリスと出くわしたら面倒なことになるのは承知の上で、裏側からの突然の訪問を半ば遊び気分ではじめたわけだが、今の時期、彼はフランスとの喧嘩に明け暮れて毎日忙しいことはすでに調査済みだ。たとえいざこざがあってもまともな戦力をロシアに割けるほど余裕はないだろう。
そもそも優秀な外交家でもあるイギリスのことだから、この程度のことでは国家間の争いにまで発展させるような愚かな真似はしないだろうし、別方面にて共同戦線を張ってもいるので大きな動きは控えるはずだ。
そんなふうにぼんやりと考えを巡らせてみれば、道はいつしか次の町へとロシアをいざなっていった。
活気溢れるどこか懐かしい匂いのするその港町は、恐らくボストンと名づけられたところだろうか。英国からの貿易船が何艘も海上を埋め尽くしているのが見える。
ふらり、と路地裏から出て来たような気安さでロシアは真新しい石畳に一歩を踏み出した。作りかけの町並みに騒がしい人々の声、行き過ぎる誰もがまるで希望を詰め込んだような顔をしていて、ここが新大陸の名に相応しい場所だということを告げている。
「へぇ、さすがイギリス君。自分好みに仕上げてるなぁ」
フランスやスペインが入植した場所はまだ見ていないが、植民地へはそれぞれが自分の国の技術を持ち込むため、どうしたって本国の雰囲気に似た街が出来上がるものだ。
まったく同じとまではいかないが、いろいろなものが圧倒的に不足していることは別にしても、ここはあらゆる意味で『イギリス』を髣髴とさせるものが並んでいる。
この先、新大陸の覇権がどのように移り変わっていくかは知らないが、しばらくの間は英領としてその伝統やしきたりを色濃く受け継ぐことになるだろう。けれど、もしもその楔から脱却する時が来るとしたらそれは、自らの力で自らの文化を手にした時だけだ。
可愛くて大切でたまらないというイギリスの『弟』が、いつかは独立を望み彼の元を去る日が来るのは確定事項にすぎない。国であれば誰しもが求めるものだし、何よりこれだけ広い土地を有しているのだ。黙って大人しくつき従うような、そんな生温い性格はしていないだろう。
悠久の大地は自由を求めている。ロシアはそんな想いをこの場所に降り立った瞬間からひどく強く感じていた。
「イギリス君の泣き顔見るの、今からすっごい楽しみ!」
ふふっと笑って機嫌良く大通りを歩いて行く。途中すれ違う人々が、珍しい恰好をした自分を奇異な眼差しで見ていたが一向に気にならなかった。人の視線なんてどうでもいい。
まだかな、まだかな。さぁ出ておいで。
長いマフラーをゆらゆら揺らしながら、ロシアは今にも鼻歌でも歌いそうな気分でゆったりと歩を進めるのだった。
大型の倉庫は運び込まれた木箱で一面埋めつくされていた。先程船が着いたばかりなので港中人でごった返しており、賑やかで騒がしい声がスカイブルーの下、元気に響き渡る。
本国からの定期便で届いた積み荷をひとつひとつ点検している責任者の後ろを、小さな子供がちょこちょことついて歩いていた。危ないから下がりなさいと言っても、何かを待っているのか頑として聞かずに大人たちの顔を見上げるばかりだった。
そのうちベビーシッターの女性が迎えに来れば、捕まえる暇もなくぱっと逃げ出し、そのままどこか遠くへ消えてしまう。毎回のことに溜息をつきつつ苦笑しながら、彼らはそれぞれいつものことと諦め顔で持ち場へと戻った。
時間が来れば子供が帰ってくるのは分かっていたし、なによりその子に危害を加えるようなものはこの大陸には存在しないことが周知されているので、それほど心配もしていないのだった。
白を基調とした上質な衣服を身にまとう、金髪碧眼の男の子。貴族とも違う、もっとずっと特別な雰囲気に包まれたその子供は、名前をアメリカと言った。
イタリア人が名付け親だと聞く。けれど少年が話す言葉は英語で、その白く透き通る肌も輝く金色の髪も、見事なほどアングロサクソン特有のものであった。
アメリカはつい数ヶ月前までは幼児の姿をしていたが、ここのところ街の急速な発展に伴ってめきめきと身長を伸ばし、今では十歳前後の外見へと成長を遂げていた。
これほどのスピードで育つ例は他に知らない、と本国の人間が言った通り、彼はどこか他国とは違った底知れぬ何かを有している。決して折れぬ強い意志を秘めた眼差しには一点の曇りもなく、つねにまっすぐ前だけを見据えているのだった。
そんな彼がいつもこの港で待つものはひとつ。彼の兄ともいうべきイギリスからの手紙だ。
荷物は必ずといっていいほど毎回アメリカ個人宛のものがあり、その中にはこの大陸ではまだ入手が不可能な高級な織物や什器、馬具等が入っており、何より少年を喜ばせるのは送り主直筆の手紙の存在なのだった。
忙しいイギリスはなかなか会いに来てくれない。だからこうして彼の手紙を待ち望み、早く早くと急く気持ちのまま港まで出向いてしまうのだ。
次はいつ頃行けそうだとか、まだ見ぬ彼の庭に咲くバラは元気だとか、そういう些細な報告にただ胸躍らせる。それが何よりの楽しみだとでも言うように。
「あれ?」
海岸線を見下ろすことが出来る丘の上を軽快に走りながら、アメリカはふと前方にある大きな樫の木の下に佇む白い影を見つけて、思わず声を上げた。
影なのに白い。何故だろう、そこだけまるで切り取られたかのように不思議な陽炎が見える。揺らぎは決して大きくはないが、まるで眩しい太陽の光を遮断しているように感じた。
そっと近付き足を止めて目を凝らす。それは人の形をしていた。背がとても高く、真っ白な長い外套に長いマフラーを身にまとい、銀に近い金色の髪と雪のように透明な肌、そしてゆっくりとこちらに気付いて振り返ったその瞳は月夜の空のような紫の色を浮かべている。
「あ、見つけた」
その男は一瞬だけ目を丸くしてから、続いてにこりと破顔してそんなことを言った。声はやや高めのトーンで、年恰好から言ってイギリスやフランスよりやや若い印象を受ける。
「君は、誰?」
アメリカは首をかしげて見知らぬ男を見上げた。
夜空の色をした瞳がふっと細められ、同じように見返される。
「人に名前を尋ねる時はまず自分が先に名乗るんだよ。そう教わらなかった?」
「俺はアメリカ」
「僕はね、ロシアだよ」
「ロシア?」
「うん。君と同じ『国』」
そう囁いてロシアは木の陰から一歩、アメリカに近付いた。二人の距離が縮まり、互いの姿がはっきりと認識出来る間合いへと移行する。
アメリカはその時、目の前の男の周囲だけ気温が下がっている感じがした。だからだろうか、やはりどこか非現実的に彼だけぼんやりと揺らめいて見えるのは。
「イギリスが、他の国にはあまり近付くなって言ってた」
「ふぅん。随分と過保護なんだね。でも君、もう僕の傍に来ちゃったよ」
「興味、あったから」
見たこともない白い白い影。
アメリカの目に映るロシアはぼうっと霞んでいるのに、何故か驚くほどはっきりとその威圧的な気配だけは感じることが出来た。
「ロシアはどこに住んでいるんだい?」
「僕は……そうだね、ここからずっと西に行ったところだよ」
「西。イギリスとは反対側に住んでいるんだね」
「う~ん、そうとも言う」
厳密に言えばどちらも正しい。だって地球は丸いのだから。
けれどそんなことには頓着せず、アメリカはロシアのすぐ足元まで歩み寄ってまじまじとその顔を覗き込んだ。触れればひんやりとしていそうなその身体を、やや仰け反るようにして見上げる。
イギリスとは違う。フランスともスペインとも違う、全体的に色素の薄いその風体は見たこともない違う土地への憧れを呼び覚ますと共に、いつかはこの大陸を駆け巡り、やがては『外』の世界へと飛び立つ日を望む気持の表れでもあった。
「ねぇロシア。話を聞かせてくれないかな」
まだ見たこともない広い広いこの地平線と水平線の先の話を。
イギリスからは固く禁じられている外界との繋がり。何故彼がそんなふうにアメリカの好奇心をおさえ込もうとしているのか、今はまだ分からない。けれどいつからか身の内に隠し切れない願望が渦を巻いていた。
「いいの? 僕と話せばイギリス君が怒るよ?」
「……イギリスのことは好きだよ。でも俺はもっともっと知りたい」
「僕は構わないけどね。だって、」
後半、ロシアは自らの笑い声に言葉尻を滲ませた。
聞き取れなかった台詞になんだろうと再び首をかしげながらも、アメリカは草むらに腰を下ろす。同じように座るロシアと肩を並べて海を臨んだ。
「何から話そうか。ねぇ、『弟』くん?」
そっと、白く滑らかな指先がアメリカの頬を辿った。
雪解け水に長時間浸していたのではないかと思うほど、それはとても冷たくて、アメリカは空色の瞳を驚きのあまりめいっぱいに見開いてロシアを凝視する。
咄嗟に「冷たい」とそう言えば一瞬だけ眉をひそめて彼は短く「そう」と呟いた。それがあまりにも儚く聞こえ、慌てて大きく左右に首を振る。
「きれい」
「……え?」
「君はきれいだね」
思ったままを口にすれば今度はきょとんと両目を丸くされる。
白と銀と紫と、その色がとても綺麗だと感じたからそう言ったのに、何故そんな顔をされなければならないのだろう。アメリカは「ロシア?」と名前を呼んで自分も彼より二回りは小さな手を伸ばした。
そっと頬に触れれば指先よりも冷たい感触がして、再び驚くことになる。
「なんでそんなに冷たいんだい?」
「凍ってるから」
「凍ってる?」
「うん、そう。でも今はそんなのどうでもいいよ。……あぁやっぱり、君ってイギリス君の弟だね。嫌いだな」
ロシアの淡々とした言葉にアメリカは「え」と目を見張って、抗議するように身を乗り出した。
「どうしてだい? 俺は君のこと、好きだよ」
「なんでそうなるの。君と僕はたった今会ったばかりじゃない」
「じゃあロシアはどうして俺のこと嫌いだなんて言うんだい? 出会ったばかりなのに」
「だって僕は君のこと、とてもよく知っているからね。残念ながら」
冷笑を浮かべたロシアにアメリカは何故かひどく心地の良いものを感じて、自分もまたにこりと笑みを浮かべる。
ぎゅっと手を握り締めれば嫌そうな顔をされたものの振り払われることはなかった。
「じゃあこれからもっと君のこと教えてよ」
「やだ」
「どうして?」
「だってさっきも言ったように、僕は君のこと大嫌いだからね」
「嫌いから大嫌いに変わってるじゃないか!」
「そうだっけ?」
飄々と肩を竦めるロシアに掴みかかろうとすれば軽々とかわされる。けれどそれ以上拒まれることなく妙にひやりとした眼差しを向けられた。
感情の読み取れない冬の空のように乾いた夜の瞳に、どこまでも吸い込まれそうな。
たぶんそれは予感。予兆。来るべき日に向けた邂逅。
アメリカは今はまだ、この白い男がイギリスの嫌悪する『氷の魔物』であることに気付かないままだった。
▼ 私信
欧州の面々が西側から船を進めるのとは逆の、東側沿岸にこっそりと上陸をしてみれば、そこには温暖な気候のだだっ広い荒野が広がっていた。
このところやたらとイギリスが自慢している新大陸が、どんなところなのか興味がないと言ったら嘘になる。あの忌々しくも腹立たしい島国が、弟分などといって猫可愛がりしているという気色悪い噂を聞いた時は、いったい何の冗談かと思ったくらいだ。
ブリテン島で兄弟喧嘩に明け暮れていた過去を持つくせに、今さら未開の地を弟扱いするなど頭でも打って気でも狂ったのかと本気で嘲笑えた。けれど垣間見る横顔に見たこともないほど穏やかな表情と、落ち着いた眼差しがあって知らず戸惑ってしまう。
あのイギリスにこんな顔をさせるとは、その『弟』なる国はそんなにも特別な存在なのだろか。いつも気に入らない傲慢な態度で自分の邪魔ばかりするあの、殴りつけたくなるような顔がだらしなく緩む姿など、これまで想像だにしなかったと言うのに。
一度気になり始めたら確かめなければ気が済まなくなり、ロシアは軽く用意を整えると「ちょっとその辺を散歩してくるね」と軽く言い残して宮殿をあとにした。
最近自国内も随分と落ち着き、新しい上司たちがうまく国を管理し始めているおかげで体調もかなりいい。戦乱続きだった各都市もすっかり綺麗になってきているし、少しくらい自分が離れたからといって何か問題が起きる様子もなかった。
だからこうして自ら出向いてみたわけなのだが ――――。
ロシアはじゃり、と足元の砂を踏みしめて青く広がる海を振り返り唇の端を吊り上げた。
丁度暇を持て余していたところだし、新しい “おもちゃ” が見つかればいい退屈しのぎになるだろう。それに。
「イギリス君の嫌がる顔を思い浮かべるだけで楽しいしね」
溺愛している『弟』に勝手に接触したら、きっと彼のことだ、頭から湯気を出すほど怒りまくるに違いない。罵声と雑言の嵐を予想して知らず顔が緩むくらいだ。
せいぜいやきもきすればいい。今までさんざん南下を邪魔された仕返しとばかりに、ロシアは自分でもそうと分かるほど嫌な笑みを浮かべた。
こんなところで一部の損失もなしに憂さ晴らしが出来ればそれこそ儲けものだろう。新大陸など泥臭くて正直ぜんぜん興味が湧かないが、あの島国の悔しがる顔を想像するだけで気分が晴れやかになる。
「それにしてもなーんにもないところだね」
見渡す限りの荒野。街はおろか開発の手すらほとんど入れられていない原野が、ただ無造作に目の前に広がるばかりだ。田舎も田舎、ド田舎中のド田舎といったところだろうか。
まぁ暖かいだけましだろう。海を背に抜けるような青空を見上げながら、ロシアはのんびりとした足取りでいつ遭遇するとも知れぬこの大地の写し身を求めて歩き出した。
ところで、『国』にはなんとも便利な特殊能力が備わっている。
外見は人とほとんど変わらないが、自分達は国と国、都市と都市を気軽に行き来出来る専用の通路を利用することが出来るのだ。通常それは同盟を結んだ相手だったり友好国、姉妹国間だったりと、ある一定の条件下でしか開くことが出来なかったが、この大陸のように未成熟でまだ自立していない幼い土地には確固たる外交も確立されておらず、いくらだって綻びを見つけることが可能である。
事実ロシアもこじんまりとした集落に辿りつけば、そこから西海岸にある大きな町へと通じる小道を見付けることが出来たのだった。延々と徒歩で大陸横断などする気はさらさらなかったので、ロシアは遠慮なくその道をたどってマサチューセッツ方面を目指す。
万が一イギリスと出くわしたら面倒なことになるのは承知の上で、裏側からの突然の訪問を半ば遊び気分ではじめたわけだが、今の時期、彼はフランスとの喧嘩に明け暮れて毎日忙しいことはすでに調査済みだ。たとえいざこざがあってもまともな戦力をロシアに割けるほど余裕はないだろう。
そもそも優秀な外交家でもあるイギリスのことだから、この程度のことでは国家間の争いにまで発展させるような愚かな真似はしないだろうし、別方面にて共同戦線を張ってもいるので大きな動きは控えるはずだ。
そんなふうにぼんやりと考えを巡らせてみれば、道はいつしか次の町へとロシアをいざなっていった。
活気溢れるどこか懐かしい匂いのするその港町は、恐らくボストンと名づけられたところだろうか。英国からの貿易船が何艘も海上を埋め尽くしているのが見える。
ふらり、と路地裏から出て来たような気安さでロシアは真新しい石畳に一歩を踏み出した。作りかけの町並みに騒がしい人々の声、行き過ぎる誰もがまるで希望を詰め込んだような顔をしていて、ここが新大陸の名に相応しい場所だということを告げている。
「へぇ、さすがイギリス君。自分好みに仕上げてるなぁ」
フランスやスペインが入植した場所はまだ見ていないが、植民地へはそれぞれが自分の国の技術を持ち込むため、どうしたって本国の雰囲気に似た街が出来上がるものだ。
まったく同じとまではいかないが、いろいろなものが圧倒的に不足していることは別にしても、ここはあらゆる意味で『イギリス』を髣髴とさせるものが並んでいる。
この先、新大陸の覇権がどのように移り変わっていくかは知らないが、しばらくの間は英領としてその伝統やしきたりを色濃く受け継ぐことになるだろう。けれど、もしもその楔から脱却する時が来るとしたらそれは、自らの力で自らの文化を手にした時だけだ。
可愛くて大切でたまらないというイギリスの『弟』が、いつかは独立を望み彼の元を去る日が来るのは確定事項にすぎない。国であれば誰しもが求めるものだし、何よりこれだけ広い土地を有しているのだ。黙って大人しくつき従うような、そんな生温い性格はしていないだろう。
悠久の大地は自由を求めている。ロシアはそんな想いをこの場所に降り立った瞬間からひどく強く感じていた。
「イギリス君の泣き顔見るの、今からすっごい楽しみ!」
ふふっと笑って機嫌良く大通りを歩いて行く。途中すれ違う人々が、珍しい恰好をした自分を奇異な眼差しで見ていたが一向に気にならなかった。人の視線なんてどうでもいい。
まだかな、まだかな。さぁ出ておいで。
長いマフラーをゆらゆら揺らしながら、ロシアは今にも鼻歌でも歌いそうな気分でゆったりと歩を進めるのだった。
* * * * *
大型の倉庫は運び込まれた木箱で一面埋めつくされていた。先程船が着いたばかりなので港中人でごった返しており、賑やかで騒がしい声がスカイブルーの下、元気に響き渡る。
本国からの定期便で届いた積み荷をひとつひとつ点検している責任者の後ろを、小さな子供がちょこちょことついて歩いていた。危ないから下がりなさいと言っても、何かを待っているのか頑として聞かずに大人たちの顔を見上げるばかりだった。
そのうちベビーシッターの女性が迎えに来れば、捕まえる暇もなくぱっと逃げ出し、そのままどこか遠くへ消えてしまう。毎回のことに溜息をつきつつ苦笑しながら、彼らはそれぞれいつものことと諦め顔で持ち場へと戻った。
時間が来れば子供が帰ってくるのは分かっていたし、なによりその子に危害を加えるようなものはこの大陸には存在しないことが周知されているので、それほど心配もしていないのだった。
白を基調とした上質な衣服を身にまとう、金髪碧眼の男の子。貴族とも違う、もっとずっと特別な雰囲気に包まれたその子供は、名前をアメリカと言った。
イタリア人が名付け親だと聞く。けれど少年が話す言葉は英語で、その白く透き通る肌も輝く金色の髪も、見事なほどアングロサクソン特有のものであった。
アメリカはつい数ヶ月前までは幼児の姿をしていたが、ここのところ街の急速な発展に伴ってめきめきと身長を伸ばし、今では十歳前後の外見へと成長を遂げていた。
これほどのスピードで育つ例は他に知らない、と本国の人間が言った通り、彼はどこか他国とは違った底知れぬ何かを有している。決して折れぬ強い意志を秘めた眼差しには一点の曇りもなく、つねにまっすぐ前だけを見据えているのだった。
そんな彼がいつもこの港で待つものはひとつ。彼の兄ともいうべきイギリスからの手紙だ。
荷物は必ずといっていいほど毎回アメリカ個人宛のものがあり、その中にはこの大陸ではまだ入手が不可能な高級な織物や什器、馬具等が入っており、何より少年を喜ばせるのは送り主直筆の手紙の存在なのだった。
忙しいイギリスはなかなか会いに来てくれない。だからこうして彼の手紙を待ち望み、早く早くと急く気持ちのまま港まで出向いてしまうのだ。
次はいつ頃行けそうだとか、まだ見ぬ彼の庭に咲くバラは元気だとか、そういう些細な報告にただ胸躍らせる。それが何よりの楽しみだとでも言うように。
「あれ?」
海岸線を見下ろすことが出来る丘の上を軽快に走りながら、アメリカはふと前方にある大きな樫の木の下に佇む白い影を見つけて、思わず声を上げた。
影なのに白い。何故だろう、そこだけまるで切り取られたかのように不思議な陽炎が見える。揺らぎは決して大きくはないが、まるで眩しい太陽の光を遮断しているように感じた。
そっと近付き足を止めて目を凝らす。それは人の形をしていた。背がとても高く、真っ白な長い外套に長いマフラーを身にまとい、銀に近い金色の髪と雪のように透明な肌、そしてゆっくりとこちらに気付いて振り返ったその瞳は月夜の空のような紫の色を浮かべている。
「あ、見つけた」
その男は一瞬だけ目を丸くしてから、続いてにこりと破顔してそんなことを言った。声はやや高めのトーンで、年恰好から言ってイギリスやフランスよりやや若い印象を受ける。
「君は、誰?」
アメリカは首をかしげて見知らぬ男を見上げた。
夜空の色をした瞳がふっと細められ、同じように見返される。
「人に名前を尋ねる時はまず自分が先に名乗るんだよ。そう教わらなかった?」
「俺はアメリカ」
「僕はね、ロシアだよ」
「ロシア?」
「うん。君と同じ『国』」
そう囁いてロシアは木の陰から一歩、アメリカに近付いた。二人の距離が縮まり、互いの姿がはっきりと認識出来る間合いへと移行する。
アメリカはその時、目の前の男の周囲だけ気温が下がっている感じがした。だからだろうか、やはりどこか非現実的に彼だけぼんやりと揺らめいて見えるのは。
「イギリスが、他の国にはあまり近付くなって言ってた」
「ふぅん。随分と過保護なんだね。でも君、もう僕の傍に来ちゃったよ」
「興味、あったから」
見たこともない白い白い影。
アメリカの目に映るロシアはぼうっと霞んでいるのに、何故か驚くほどはっきりとその威圧的な気配だけは感じることが出来た。
「ロシアはどこに住んでいるんだい?」
「僕は……そうだね、ここからずっと西に行ったところだよ」
「西。イギリスとは反対側に住んでいるんだね」
「う~ん、そうとも言う」
厳密に言えばどちらも正しい。だって地球は丸いのだから。
けれどそんなことには頓着せず、アメリカはロシアのすぐ足元まで歩み寄ってまじまじとその顔を覗き込んだ。触れればひんやりとしていそうなその身体を、やや仰け反るようにして見上げる。
イギリスとは違う。フランスともスペインとも違う、全体的に色素の薄いその風体は見たこともない違う土地への憧れを呼び覚ますと共に、いつかはこの大陸を駆け巡り、やがては『外』の世界へと飛び立つ日を望む気持の表れでもあった。
「ねぇロシア。話を聞かせてくれないかな」
まだ見たこともない広い広いこの地平線と水平線の先の話を。
イギリスからは固く禁じられている外界との繋がり。何故彼がそんなふうにアメリカの好奇心をおさえ込もうとしているのか、今はまだ分からない。けれどいつからか身の内に隠し切れない願望が渦を巻いていた。
「いいの? 僕と話せばイギリス君が怒るよ?」
「……イギリスのことは好きだよ。でも俺はもっともっと知りたい」
「僕は構わないけどね。だって、」
後半、ロシアは自らの笑い声に言葉尻を滲ませた。
聞き取れなかった台詞になんだろうと再び首をかしげながらも、アメリカは草むらに腰を下ろす。同じように座るロシアと肩を並べて海を臨んだ。
「何から話そうか。ねぇ、『弟』くん?」
そっと、白く滑らかな指先がアメリカの頬を辿った。
雪解け水に長時間浸していたのではないかと思うほど、それはとても冷たくて、アメリカは空色の瞳を驚きのあまりめいっぱいに見開いてロシアを凝視する。
咄嗟に「冷たい」とそう言えば一瞬だけ眉をひそめて彼は短く「そう」と呟いた。それがあまりにも儚く聞こえ、慌てて大きく左右に首を振る。
「きれい」
「……え?」
「君はきれいだね」
思ったままを口にすれば今度はきょとんと両目を丸くされる。
白と銀と紫と、その色がとても綺麗だと感じたからそう言ったのに、何故そんな顔をされなければならないのだろう。アメリカは「ロシア?」と名前を呼んで自分も彼より二回りは小さな手を伸ばした。
そっと頬に触れれば指先よりも冷たい感触がして、再び驚くことになる。
「なんでそんなに冷たいんだい?」
「凍ってるから」
「凍ってる?」
「うん、そう。でも今はそんなのどうでもいいよ。……あぁやっぱり、君ってイギリス君の弟だね。嫌いだな」
ロシアの淡々とした言葉にアメリカは「え」と目を見張って、抗議するように身を乗り出した。
「どうしてだい? 俺は君のこと、好きだよ」
「なんでそうなるの。君と僕はたった今会ったばかりじゃない」
「じゃあロシアはどうして俺のこと嫌いだなんて言うんだい? 出会ったばかりなのに」
「だって僕は君のこと、とてもよく知っているからね。残念ながら」
冷笑を浮かべたロシアにアメリカは何故かひどく心地の良いものを感じて、自分もまたにこりと笑みを浮かべる。
ぎゅっと手を握り締めれば嫌そうな顔をされたものの振り払われることはなかった。
「じゃあこれからもっと君のこと教えてよ」
「やだ」
「どうして?」
「だってさっきも言ったように、僕は君のこと大嫌いだからね」
「嫌いから大嫌いに変わってるじゃないか!」
「そうだっけ?」
飄々と肩を竦めるロシアに掴みかかろうとすれば軽々とかわされる。けれどそれ以上拒まれることなく妙にひやりとした眼差しを向けられた。
感情の読み取れない冬の空のように乾いた夜の瞳に、どこまでも吸い込まれそうな。
たぶんそれは予感。予兆。来るべき日に向けた邂逅。
アメリカは今はまだ、この白い男がイギリスの嫌悪する『氷の魔物』であることに気付かないままだった。
▼ 私信
>>用務員さま
このたびは素敵なリクエストをどうもありがとうございました。
米露ネタをいただけるとは思ってもみなかったので、とても嬉しかったですv ちび×大人ってどんな感じなんだろうなぁと思いながら、とても楽しく書かせて頂きました。
歴史にあまり詳しくないので、いまいちアメリカとロシアの年齢が分かっていませんが、その辺は適当に……フィーリングでお願いします(笑)
いつも更新、楽しみにして下さっているとのことでとても嬉しく思います。宜しければこれからも遊びにいらして下さいね!
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