紅茶をどうぞ
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[祭] ある雨の日の話
さらさらと音がする。
なんの音だろうとかとうつぶせに枕に顔をうずめていたアメリカは、緩慢な動きで目線を上げた。カーテンの引かれた薄暗い室内。灰色の光がぼんやりと窓ガラスを縁取り、その向こう側に広がる世界を覆い尽くすレースの花柄には黒い影が揺らめいている。
ベランダに出ているのだろうか。そう思ってシーツから抜け出して上半身を起こせば、素肌は初夏を迎えた湿度の高い空気によってどことなく汗ばんでいた。
ベッドサイドの時計を見やれば時刻は午前6時。それほど早い時間というわけではなかったが、出来ればあと一時間程、ゆっくり眠っていたかったかもしれない。
「ロシア」
声を掛ければ窓に映る影は無反応で、動くことなくその場にたたずんでいた。大柄な体躯と特徴的なマフラー姿。暑くはないのだろうかと、そう尋ねてみてもきっと彼はなにも言わずに空を見上げているだけだろう。
ぺたりと素足を床につけば生温い室温に髪が重く感じられた。シャワーを浴びる前に様子を見ようとベランダへのガラス戸に手を伸ばせば、いつの間にか扉は開いていて外から吹き込む弱い風が、レースのカーテンにさざ波を立たせている。
「ロシア」
名前を呼べばプラチナの髪が一瞬だけふわりと弾み、ゆっくりとデッキチェアに腰かけた男は朝焼けの乳白色に包まれながらこちらを振り返った。
印象的な紫の瞳が影を含んでどこか現実味を帯びずに、穏やかにこちらを見つめている。
「雨が降っているね、アメリカ君」
低い声音でそう言って彼は再び視線を転じた。厚い雲にさえぎられた薄灰色の太陽が、妙にぼんやりとした輪郭を伴って、まるで水の中にいるようなゆらぎを感じる。
アメリカは静かにロシアの後ろに立って、その肩に手を置いて腰をかがめた。首に手を回してそっと身を寄せれば体温の低い身体からはほのかな香りが漂ってくる。なんだろう、雨のにおいに混じって、そう、これはたぶん薔薇の花の芳香だろうか。
さらさら、さらさら。
耳元をくすぐるような音の正体は降り続く雨の音。
いつから彼はここにいたのだろうか、もうずいぶんと水分を含んだ髪はアメリカの頬に触れれば重たげに流れる。その肩越しに見える景色はやがて立ち込めた霧に霞み、木々の境界線すら曖昧になっていった。
「涙雨って言うんだよ」
ロシアはうっとりとどこか夢見がちな表情でそんなことを呟いた。
アメリカの胸に頭を預け、形良い唇がまるで謳うように開かれる。
「涙雨?」
「そう。まるで泣いているみたいに静かに降る雨のこと。ほら、哀しみを閉じ込めた涙みたいだよね」
「……泣いているのかい?」
誰が、とは問わない。
ロシアはうっすらと微笑を浮かべて滴を含んだ睫を上下に揺らす。それは涙ではなく雨粒だったが、同義であることはたった今彼が自分で言ったことだ。
けれどロシアは問いに応えることはなく、笑みを刻んだまままどろむように続けた。
「そんなに恋しいなら迎えに行けばいいのに」
「それじゃ意味がないんだよ」
「どうして? 欲しいものは我慢しちゃダメなんだよ。だって、泣いてる。君はさっきからずっと泣いていて、だから折角のお祝いの日に雨が降っているんじゃない」
そうでしょ、アメリカ君。
いいや、そうじゃないぞロシア。
あぁ、誰だろう、一体誰が泣いていると言うのだろう。
彼からの独立を誕生日と言って盛大に祝い、明るく彩られた様々な祝福の言葉、それらはどうしたってあの人を傷つけるしかないと分かっていながら、敢えて選び取った最後の選択肢。
いつの日にか彼が赦し、変えられない過去を呑みこみ、ゆるやかに嚥下し、新たな道を模索するというのなら自分はきっとどこまでもいつまでも待ち続けるに違いない。
だからそれは決して哀しい事でも辛い事でも、ましてや恐れる事でもないはずなのだ。
―――――― 涙など。
「考えるのは性に合わないな。頭が痛くなるよ」
「ふぅん」
ロシアはどこか気乗りしない様子で頷くと、どうでもいいという顔をしてアメリカの手に自分の手を重ねた。手袋をしていない白い指はひやりとしていて、温度のないそれは恐らく真夏の太陽の下でも変わりがないんだろうな、と思わせた。
そう言えばいつか彼は言っていた気がする、自分は雪と氷で出来たビスクドールなのかも知れないと。そしてアメリカは、でもそれじゃいつか溶けて消えてしまうから、そんなのは許さないんだぞ、と反論した気がする。
「俺、ロシアと一緒にいる時がたぶん一番自分が自分でいられるのかも知れない」
「なにそれ。アメリカ君らしくない言葉だね」
「うん。でも、こういうことを言わせちゃうのが君なんだと思う」
「ふふふ、いいねそれ。イギリス君よりちょっとだけ役得な気分だなぁ」
さざ波のように打ち寄せる笑い声に耳を済ませていると、広い海原の上を凪ぐ潮風を思い出す気がした。
ロシアといると気が楽だ。もちろん権謀術策の渦巻く外交の場や、様々な思惑が錯綜する世界情勢、何より未だ残る冷戦の壁越しにかわされる裏取引やスパイ活動はひとときも気を休める暇もないほど入り組んだものだったが、それを全部なし崩しにしてしまうほど彼の傍は居心地がいい。
綺麗事も悪巧みも彼になら臆面もなく曝け出してしまえた。友好国を相手にするような気遣いも必要ないし、武力や正義感に彩られた言葉の数々で理論武装する必要もない。口先三寸で籠絡出来るはずもないのでそんな真似はもうしなくていいし、何よりどんな言葉も彼には傷一つつけることがないのでそれが楽だと思う。
アメリカほどの大国になれば不用意な発言一つで相手を青ざめさせることも、怯えさせることも、有頂天にさせることも可能だ。表面的な会話を真に受けてあれこれ詮索されるのには腹が立つし、にこやかに取り繕いながら脅迫するのも面倒臭い。
一喜一憂されるのにはもううんざりだ、と溜息をつけばロシアと過ごす時間は曇りガラス越しの景色とは大違いだった。
「日本君は君の我儘、たくさん聞いてくれるんでしょ」
ロシアは言外に、アメリカは子供だと言いたげにそんなことを言う。
駄々をこねて我を通そうとするのは確かに未熟な気もするが、それこそ国同士の円満な付き合い方だと教えてくれたのは誰だったろう?
「命令よりも我儘の方が可愛いじゃないか」
「そうだね。その点は同意するよ」
「ねぇロシア。俺はたぶんみんなが思うほどには強くはないし、一番なりたかった彼のためのヒーローにもなり損ねてしまったから、本当はもう立ち止まってもいいような気がするんだけどさ」
「嘘ばっかり」
「本当だよ。……うん、でも嘘。大嘘」
笑えば彼も笑って肩を竦める。
「個を喪失すれば国として生きるのも楽なのかもね」
「でもそれじゃつまらないし退屈だ」
「僕も生々しい感情の発露は嫌いじゃないよ」
ロシアはそう言って振り向きざまにすぐ目の前にあるアメリカの唇に自分のそれを重ね合わせた。冷たい口吻けは冴え冴えとした朝の時間に不純物を落としかねなかったが、余計なものは一切必要ないかのようにアメリカもまた絡めた腕に力を込める。
そしてマフラーを弛めてその首筋に鼻先を寄せれば、再び湿った匂いの向こう側に透明な瑞々しい香りが漂ってくるのを感じた。
「……イギリスと同じだ」
「君は彼のことを愛しているの?」
「それは愚問ってやつじゃないか?」
くすくすと笑って顔を上げれば、間近の瞳は好奇心とも侮蔑ともつかない奇妙な色合いをたたえてゆるりと弧を描く。
丁寧に切りそろえられた爪先で頬をなぞられれば、くすぐったさにアメリカは思わず頭を振った。
「君といると呼吸が苦しくない」
「そう。僕も案外のんびり出来て嫌いじゃないよ」
「でもあの人といるとどこか息苦しく感じてしまんだ。とても狭い空間にぎゅっと押し籠められているような……たぶんそれは彼の感情に左右されているだけなんだろうけどね」
「でも会えないと不安になるし寂しくもなるし、何より暴力的な気分に陥ってしまう、と」
何もかも分かったような顔をして、ロシアは今度こそはっきりと軽蔑した表情でアメリカを見つめた。
真綿でゆっくりとゆっくりと包み込むように首を絞められる、そんな愛情の閉塞感が嫌で独立を願い果たしたのは遠い昔の出来事。目を閉ざせば鮮やかに蘇る鉛色の空とはためく星条旗、そして雨音と彼の泣き顔。
あんなに大きかったのに、あんなに好きだったのに、そしてあんなにも世界は彼で埋め尽くされていたと言うのに、アメリカにとっての願いや希望はその檻から抜け出すことでしか得られなかった。
ロシアはそれを身勝手で自分本位な子供の我儘と呼ぶ。
そんな些細な出来事、いわば歴史の1ページにすぎないあの独立戦争を今も後生大事に抱え込んでいる自分達は確かに彼の言うとおり、未成熟で大人になりきれない、子供に等しいものなのかもしれない。
そしてそれをこうして聞き入れてしまうところにロシア自身もまた、完成された存在となるには遠く及ばないということが分かるのだった。
「君、やっぱり意地が悪いぞ」
「知らなかったの? まぁどうだっていいよ、別に。僕は退屈しのぎになれば君と過ごすことも悪くないと思えるくらい、自分勝手なんだし」
「珍しいじゃないか。ロシアがそんなことを言うなんてさ」
「君たちに嫌な中てられ方しちゃったなぁ。もうさ、早くアメリカ君はイギリス君を攫いに行けばいいのに。なんだっけ、ほら、あれ。映画の……花嫁を連れ出しちゃう話」
「『卒業』?」
「そうそう、あんな感じでいっそのこと飛び込んじゃえばいいのにね。あ、僕は今みたいにうじうじして実は情けない君の方が好きだけど」
だって面白いし。
丸っきり人ごとの顔をしてから、ロシアは眠たげに両目を閉ざしてアメリカの腕に頭を預けた。
映画のラストは決してハッピーエンドではなく、登場人物たちの行く末が順風満帆とはいかないことを彼は知っているのだろうか。暗澹たる未来に向けてバスを乗り継ぐのはこりごりだ。それでも消えた笑顔の影は自分たちの現状を映し出す鏡に見える。
だからこそ、アメリカはきっと今日という最高で最悪な日に彼が自ら海を越えて、昔のように会いに来てくれるのを今か今かと待ち望んでいるのだろう。
「ロシア。今年も彼は来ないのかな」
「それはイギリス君本人に聞いてよ。僕は彼じゃないんだから分かるはずないでしょ」
「どうかな。君達は似ているから」
「そう? なら君の好みって始終一貫していることになるよね」
それなのにどうして君は僕じゃなくイギリス君を求めているの?と問われれば、あぁそうだ。なんてことはない、実に簡単な答えが用意されている。
見返りのない愛を与えるほど自分は博愛主義者ではないだけだ。
涙のような雨が降る。
いつか二人揃って笑える日が来ればいいなと、そう言ったらロシアは曖昧に返事をしたきりそのまま眠りに落ちてしまった。
▼ 私信
なんの音だろうとかとうつぶせに枕に顔をうずめていたアメリカは、緩慢な動きで目線を上げた。カーテンの引かれた薄暗い室内。灰色の光がぼんやりと窓ガラスを縁取り、その向こう側に広がる世界を覆い尽くすレースの花柄には黒い影が揺らめいている。
ベランダに出ているのだろうか。そう思ってシーツから抜け出して上半身を起こせば、素肌は初夏を迎えた湿度の高い空気によってどことなく汗ばんでいた。
ベッドサイドの時計を見やれば時刻は午前6時。それほど早い時間というわけではなかったが、出来ればあと一時間程、ゆっくり眠っていたかったかもしれない。
「ロシア」
声を掛ければ窓に映る影は無反応で、動くことなくその場にたたずんでいた。大柄な体躯と特徴的なマフラー姿。暑くはないのだろうかと、そう尋ねてみてもきっと彼はなにも言わずに空を見上げているだけだろう。
ぺたりと素足を床につけば生温い室温に髪が重く感じられた。シャワーを浴びる前に様子を見ようとベランダへのガラス戸に手を伸ばせば、いつの間にか扉は開いていて外から吹き込む弱い風が、レースのカーテンにさざ波を立たせている。
「ロシア」
名前を呼べばプラチナの髪が一瞬だけふわりと弾み、ゆっくりとデッキチェアに腰かけた男は朝焼けの乳白色に包まれながらこちらを振り返った。
印象的な紫の瞳が影を含んでどこか現実味を帯びずに、穏やかにこちらを見つめている。
「雨が降っているね、アメリカ君」
低い声音でそう言って彼は再び視線を転じた。厚い雲にさえぎられた薄灰色の太陽が、妙にぼんやりとした輪郭を伴って、まるで水の中にいるようなゆらぎを感じる。
アメリカは静かにロシアの後ろに立って、その肩に手を置いて腰をかがめた。首に手を回してそっと身を寄せれば体温の低い身体からはほのかな香りが漂ってくる。なんだろう、雨のにおいに混じって、そう、これはたぶん薔薇の花の芳香だろうか。
さらさら、さらさら。
耳元をくすぐるような音の正体は降り続く雨の音。
いつから彼はここにいたのだろうか、もうずいぶんと水分を含んだ髪はアメリカの頬に触れれば重たげに流れる。その肩越しに見える景色はやがて立ち込めた霧に霞み、木々の境界線すら曖昧になっていった。
「涙雨って言うんだよ」
ロシアはうっとりとどこか夢見がちな表情でそんなことを呟いた。
アメリカの胸に頭を預け、形良い唇がまるで謳うように開かれる。
「涙雨?」
「そう。まるで泣いているみたいに静かに降る雨のこと。ほら、哀しみを閉じ込めた涙みたいだよね」
「……泣いているのかい?」
誰が、とは問わない。
ロシアはうっすらと微笑を浮かべて滴を含んだ睫を上下に揺らす。それは涙ではなく雨粒だったが、同義であることはたった今彼が自分で言ったことだ。
けれどロシアは問いに応えることはなく、笑みを刻んだまままどろむように続けた。
「そんなに恋しいなら迎えに行けばいいのに」
「それじゃ意味がないんだよ」
「どうして? 欲しいものは我慢しちゃダメなんだよ。だって、泣いてる。君はさっきからずっと泣いていて、だから折角のお祝いの日に雨が降っているんじゃない」
そうでしょ、アメリカ君。
いいや、そうじゃないぞロシア。
あぁ、誰だろう、一体誰が泣いていると言うのだろう。
彼からの独立を誕生日と言って盛大に祝い、明るく彩られた様々な祝福の言葉、それらはどうしたってあの人を傷つけるしかないと分かっていながら、敢えて選び取った最後の選択肢。
いつの日にか彼が赦し、変えられない過去を呑みこみ、ゆるやかに嚥下し、新たな道を模索するというのなら自分はきっとどこまでもいつまでも待ち続けるに違いない。
だからそれは決して哀しい事でも辛い事でも、ましてや恐れる事でもないはずなのだ。
―――――― 涙など。
「考えるのは性に合わないな。頭が痛くなるよ」
「ふぅん」
ロシアはどこか気乗りしない様子で頷くと、どうでもいいという顔をしてアメリカの手に自分の手を重ねた。手袋をしていない白い指はひやりとしていて、温度のないそれは恐らく真夏の太陽の下でも変わりがないんだろうな、と思わせた。
そう言えばいつか彼は言っていた気がする、自分は雪と氷で出来たビスクドールなのかも知れないと。そしてアメリカは、でもそれじゃいつか溶けて消えてしまうから、そんなのは許さないんだぞ、と反論した気がする。
「俺、ロシアと一緒にいる時がたぶん一番自分が自分でいられるのかも知れない」
「なにそれ。アメリカ君らしくない言葉だね」
「うん。でも、こういうことを言わせちゃうのが君なんだと思う」
「ふふふ、いいねそれ。イギリス君よりちょっとだけ役得な気分だなぁ」
さざ波のように打ち寄せる笑い声に耳を済ませていると、広い海原の上を凪ぐ潮風を思い出す気がした。
ロシアといると気が楽だ。もちろん権謀術策の渦巻く外交の場や、様々な思惑が錯綜する世界情勢、何より未だ残る冷戦の壁越しにかわされる裏取引やスパイ活動はひとときも気を休める暇もないほど入り組んだものだったが、それを全部なし崩しにしてしまうほど彼の傍は居心地がいい。
綺麗事も悪巧みも彼になら臆面もなく曝け出してしまえた。友好国を相手にするような気遣いも必要ないし、武力や正義感に彩られた言葉の数々で理論武装する必要もない。口先三寸で籠絡出来るはずもないのでそんな真似はもうしなくていいし、何よりどんな言葉も彼には傷一つつけることがないのでそれが楽だと思う。
アメリカほどの大国になれば不用意な発言一つで相手を青ざめさせることも、怯えさせることも、有頂天にさせることも可能だ。表面的な会話を真に受けてあれこれ詮索されるのには腹が立つし、にこやかに取り繕いながら脅迫するのも面倒臭い。
一喜一憂されるのにはもううんざりだ、と溜息をつけばロシアと過ごす時間は曇りガラス越しの景色とは大違いだった。
「日本君は君の我儘、たくさん聞いてくれるんでしょ」
ロシアは言外に、アメリカは子供だと言いたげにそんなことを言う。
駄々をこねて我を通そうとするのは確かに未熟な気もするが、それこそ国同士の円満な付き合い方だと教えてくれたのは誰だったろう?
「命令よりも我儘の方が可愛いじゃないか」
「そうだね。その点は同意するよ」
「ねぇロシア。俺はたぶんみんなが思うほどには強くはないし、一番なりたかった彼のためのヒーローにもなり損ねてしまったから、本当はもう立ち止まってもいいような気がするんだけどさ」
「嘘ばっかり」
「本当だよ。……うん、でも嘘。大嘘」
笑えば彼も笑って肩を竦める。
「個を喪失すれば国として生きるのも楽なのかもね」
「でもそれじゃつまらないし退屈だ」
「僕も生々しい感情の発露は嫌いじゃないよ」
ロシアはそう言って振り向きざまにすぐ目の前にあるアメリカの唇に自分のそれを重ね合わせた。冷たい口吻けは冴え冴えとした朝の時間に不純物を落としかねなかったが、余計なものは一切必要ないかのようにアメリカもまた絡めた腕に力を込める。
そしてマフラーを弛めてその首筋に鼻先を寄せれば、再び湿った匂いの向こう側に透明な瑞々しい香りが漂ってくるのを感じた。
「……イギリスと同じだ」
「君は彼のことを愛しているの?」
「それは愚問ってやつじゃないか?」
くすくすと笑って顔を上げれば、間近の瞳は好奇心とも侮蔑ともつかない奇妙な色合いをたたえてゆるりと弧を描く。
丁寧に切りそろえられた爪先で頬をなぞられれば、くすぐったさにアメリカは思わず頭を振った。
「君といると呼吸が苦しくない」
「そう。僕も案外のんびり出来て嫌いじゃないよ」
「でもあの人といるとどこか息苦しく感じてしまんだ。とても狭い空間にぎゅっと押し籠められているような……たぶんそれは彼の感情に左右されているだけなんだろうけどね」
「でも会えないと不安になるし寂しくもなるし、何より暴力的な気分に陥ってしまう、と」
何もかも分かったような顔をして、ロシアは今度こそはっきりと軽蔑した表情でアメリカを見つめた。
真綿でゆっくりとゆっくりと包み込むように首を絞められる、そんな愛情の閉塞感が嫌で独立を願い果たしたのは遠い昔の出来事。目を閉ざせば鮮やかに蘇る鉛色の空とはためく星条旗、そして雨音と彼の泣き顔。
あんなに大きかったのに、あんなに好きだったのに、そしてあんなにも世界は彼で埋め尽くされていたと言うのに、アメリカにとっての願いや希望はその檻から抜け出すことでしか得られなかった。
ロシアはそれを身勝手で自分本位な子供の我儘と呼ぶ。
そんな些細な出来事、いわば歴史の1ページにすぎないあの独立戦争を今も後生大事に抱え込んでいる自分達は確かに彼の言うとおり、未成熟で大人になりきれない、子供に等しいものなのかもしれない。
そしてそれをこうして聞き入れてしまうところにロシア自身もまた、完成された存在となるには遠く及ばないということが分かるのだった。
「君、やっぱり意地が悪いぞ」
「知らなかったの? まぁどうだっていいよ、別に。僕は退屈しのぎになれば君と過ごすことも悪くないと思えるくらい、自分勝手なんだし」
「珍しいじゃないか。ロシアがそんなことを言うなんてさ」
「君たちに嫌な中てられ方しちゃったなぁ。もうさ、早くアメリカ君はイギリス君を攫いに行けばいいのに。なんだっけ、ほら、あれ。映画の……花嫁を連れ出しちゃう話」
「『卒業』?」
「そうそう、あんな感じでいっそのこと飛び込んじゃえばいいのにね。あ、僕は今みたいにうじうじして実は情けない君の方が好きだけど」
だって面白いし。
丸っきり人ごとの顔をしてから、ロシアは眠たげに両目を閉ざしてアメリカの腕に頭を預けた。
映画のラストは決してハッピーエンドではなく、登場人物たちの行く末が順風満帆とはいかないことを彼は知っているのだろうか。暗澹たる未来に向けてバスを乗り継ぐのはこりごりだ。それでも消えた笑顔の影は自分たちの現状を映し出す鏡に見える。
だからこそ、アメリカはきっと今日という最高で最悪な日に彼が自ら海を越えて、昔のように会いに来てくれるのを今か今かと待ち望んでいるのだろう。
「ロシア。今年も彼は来ないのかな」
「それはイギリス君本人に聞いてよ。僕は彼じゃないんだから分かるはずないでしょ」
「どうかな。君達は似ているから」
「そう? なら君の好みって始終一貫していることになるよね」
それなのにどうして君は僕じゃなくイギリス君を求めているの?と問われれば、あぁそうだ。なんてことはない、実に簡単な答えが用意されている。
見返りのない愛を与えるほど自分は博愛主義者ではないだけだ。
涙のような雨が降る。
いつか二人揃って笑える日が来ればいいなと、そう言ったらロシアは曖昧に返事をしたきりそのまま眠りに落ちてしまった。
▼ 私信
はじめまして!
このたびは米誕祭へのリクエスト、どうもありがとうございました。
お寄せいただいた「アメリカにとっての二人それぞれへの感情」を書かせて頂きました。
米英リクのわりにイギリス本人が出てこなくて本当に済みません! しかもアメリカは単なる二股男になっちゃってますし…(苦笑)
ご希望通りとはいかなかったとは思いますが、少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。ちなみに書いた本人はものすごく楽しんで書かせて頂きました…!
米→露→英がお好きとのことですが、矢印の方向が私的にとても新鮮でした。これは三角関係ということで宜しいのでしょうか。
私は今まで三角関係というものを書いたことがないのですが(報われないのって可哀相で…)、でも今回ちょこっとそれらしいのを書いてみて、非常に楽しかったのでいつかきちんとした米→露→英も書いてみたいと思いました。米→露も露→英も両方萌えます!
素敵なリクエスト、本当にありがとうございましたv
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