紅茶をどうぞ
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ストイシズム [ 1 ]
会議室のドアを閉めて二人きりになった途端、イギリスはすっと表情を消してまっすぐ射るような目でこちらを睨んで来た。
帰りかけていたロシアを急に呼び止めた彼のことを、各国が何事かと一斉に振り返って怪訝そうな顔で見守っていたが、すぐにイギリス本人に追い出されてしまう。
アメリカやフランスが何か言いかけたのを無言で押しとどめ、彼は完全に室内を二人だけにすると鍵までかけてしまったのだから驚きだ。内密な話があるのなら何もここでやらなくても、とロシアが思っていれば彼はいつも以上に剣呑な空気をまとったまま睨みつけてくる。
さすが元海賊、眼力だけで人を殺せそうだ。無論超大国のひとつであるロシア相手には微塵も通じないものだったが。
「お前、最近アメリカの動向を探っているよな」
「そう? 別にそんなつもりはないんだけどなぁ」
「ふざけるな。しょっちゅう様子を窺っているじゃねーか。どういうつもりか知らねーけど、いい加減にしろ!」
不機嫌さを隠しもしないでそう吐き捨てるように言い、苛立ちを含めた動作でイギリスは予備で用意されていたスチール製の椅子を乱暴に蹴る。きっとその足先は自分に向けたいものなんだろうな、と思いながらロシアは薄く笑みを浮かべたまま「酷いなぁ」とだけ呟いた。
別にアメリカに対してどうこうしたい気などまったくと言って良いほどない。今は経済的に苦しい時期だし政治が安定するまでは表立って喧嘩するような余力はないのだ。ようやく連邦崩壊後の混乱もおさまったというのに、わざわざ馬鹿なことをして自国をめちゃくちゃにするような自虐的な行為はするはずがない。
それにしても随分癇に障っているのだろう、イギリスがこうやってわざわざ言ってくるとはよほど露骨だったのだろうか。気付いていなかったが相当自分は気が狂れているようだと、妙に冷静な判断を自らに下しながらロシアは窓の外を見やった。
明るい日差しはそろそろ夕暮れへと変わりつつある。
「別に見ていたのはアメリカ君じゃないんだけどなぁ」
「はぁ? 嘘つくなよ。どうせ碌でもないこと企んでるんだろ」
「君って本当に保護者気質が抜けないみたいだね。それともアメリカ君に頼まれたの?」
そう聞けば彼はそうと分かるほど狼狽して、顔を赤らめて「アメリカは関係ない!」と言い返してきた。
なんて分かり易い態度なんだろう。
アメリカ、アメリカ、アメリカ。イギリスの頭の中はいつだってアメリカのことでいっぱいのようだ。日本やフランスやその他英連邦の国々のことだって考えているのだろうが、半分以上はアメリカで埋め尽くされていると言ってもきっと過言ではないだろう。
馬鹿みたい、と心の中で毒づきながら、以前の自分ならまるで気にも留めないことだったのにと思い直す。彼が誰をどういうふうに気にしていようとも、イギリスの存在価値はロシアの中で常に一定だった。そう、ほぼ最下位という位置づけでこれまでずっとやってきたというのに、なんとも厄介な状況に陥ってしまったものだと我ながら苦笑してしまう。
よりにもよってこんな最低な国相手に、とんでもない感情を植え付けられたものだ。
「ねぇ、知ってる?」
開いた窓から吹き込む風がレースのカーテンを静かに揺らす。低くなった太陽に影が黒く長く引かれていく。
夕日を浴びたイギリスの緑色の目が逸らされることなくこちらを見上げているので、ロシアは柔らかく笑ったままその視線を受け止めてゆっくりと言った。
「僕ね、イギリス君のことが好きなんだ」
驚愕に見開かれた瞳と引き攣った表情が一瞬だけ揺らいで、それから猛烈な怒りに変わって「気持ち悪いこと言うな!」と叫ばれた。
まぁこれまでの自分たちの関係を思えばしごくまっとうな反応だし、ごくごく自然な態度でその真意を疑う余地もない。心の底から自分を嫌っているという予想通りの答えに、ロシアだって噴き出すように笑ってしまったくらいだ。
「うん、でも好き。好きって思うのも駄目なの?」
「気色悪すぎるだろーが! 今すぐやめろ! ……寒気がする」
「ひどいなぁ。僕だってこれでも一応傷つくんだよ?」
「てめぇのことなんざ知らねーよ! 勝手に傷ついてりゃいいだろ!!」
タチの悪い嘘吐きやがって、とイギリスは全身に鳥肌を立たせながら自分で自分の肩を抱くような仕草をした。それから本気で気分が悪そうな顔をしたまま荷物を掴み上げると、「とにかくアメリカに近付くな!」と物凄い形相で牽制してから踵を返す。
もう一秒だってここにはいたくないというふうに足音高く部屋を出ていくその後姿を見送りながら、ロシアはぎゅっと薄い唇を噛み締めた。
これがもしアメリカが相手だったのなら、彼の態度は鏡で写したように反対なのだろう。それくらいの差があってもおかしくはないし、まぁこの程度は想定の範囲内だ。
―――― けれど。
「一世一代の告白ってやつだったんだけどなぁ」
ふぅと溜息をつきつつ漏れた言葉に、何故か胸の奥が痛んだ気がしたがその理由など分かるはずがない。少なくともそういう感情から一番遠い存在がロシアという国である。
欠けたものを魔法という名の奇跡で補ったとしても、きっと完全な形になることはないのだろう。
それでも、あれからロシアはことあるごとにイギリスに話し掛けるようになった。会議で顔を合わせるたびに隙を見てはねぇねぇと声を掛け、あれやこれやと言葉を並べ立てる。すると彼はこの世の終わりのようなうんざりした顔をして見せるのだった。
もちろんそういうやり取りは周囲の目を気にしてちゃんと二人だけの時に限っている。そうでなければ外交面で上司たちが煩くて仕方がないからだ。くどくどと続けられる小言は聞いていて面白いものではない。
話し掛ける、と言っても文字通りそれは一方的なもので、たいていは激怒したイギリスに山のような罵声とブラックジョークを浴びせられた上に嘲笑を投げつけられ、仕舞いにはマフラーに火でもつけられそうな剣呑な態度で突き飛ばされ置き去りにされるのがオチだった。当然きちんとした会話が成立したことなど一度もない。が、喜ぶべきことか無視をされたことはまだなかった。
何と言うか、まともに相手にされなくなったら終わりだろう。(現状も決してまともとは言い難いが)
その日もモスクワでの二カ国会議のあと早々に帰ろうとしていたイギリスの前に立ち塞がり、ロシアはにっこりと笑みを浮かべながら彼を誘った。
人はそれをストーカー行為と言うらしいけどそんな言葉、ロシアの辞書には当然ない。
「イギリス君。このあとお茶、一緒にどうかな?」
「断る」
「奢るよ」
「嫌だ」
「じゃあさ、ちょっとだけでいいから外歩かない?」
もう何度目か分からない誘いに、盛大な溜息をつきながらイギリスは鷹揚な仕草で顎をしゃくった。どうやらついて来いという意味らしい。
先に立って歩き出す彼の後ろにくっついていけば、静まり返った廊下には二人分の足音が響く。
前を行くきっちりとスーツを着込んだ背中を眺めながら、ふとロシアはなんだか小さい人だなぁと思った。イギリスは欧州の中でもひときわ線が細い。それでいて七つの海を股にかけてさんざん暴れ回っていた過去を持つのだから本当に不思議な存在だ。
常にロシアとは敵対してばかりいたが、こうやって改めて見れば自分と彼の体格差は歴然としていて、こんな小さな国にいつもやり込められていたのかと思うと正直頭に来てしまう。けれど同時に、この身体でよく世界の覇権を手に出来たと呆れつつも尊敬してしまうのもまた仕方がないことだった。
ロシアは昔からイタリアはもちろんのことフランスへの憧れが強い国だが、イギリスにも憧憬の念を覚えることが少なくなかった。産業革命期の彼は欧州はもちろんのこと世界各国の憧れの的……今は凋落してしまったとはいえその気持ちは消えずに誰もが抱くものである。
「あ」
ふいにイギリスが何かに気付いて立ち止まり廊下の先を見た。つられてそちらに視線を向ければそこには書類を抱えたリトアニアの姿があった。
彼を含めた旧ソ連諸国とは夜に会合がある予定だが、どうやら一人早めに到着したのだろう。他の顔ぶれはなかった。
「お疲れ様です。ロシアさん、会議はもう終わったんですか?」
「うん」
「どこかへ行かれるご予定ですか?」
「ちょっとイギリス君と散歩しようかなって思って」
そう言えばリトアニアは引き攣った笑みを浮かべてからイギリスの方を向く。そしてすぐに何か悟ったのであろう、取り繕うように言葉を続けた。
「良ければお茶を飲んでいきませんか?」
社交辞令的ではあったが悪い提案ではない。折角のチャンスとばかりにロシアも再び彼を茶の席に誘うことにした。
「そうだよ、リトアニアのお茶は美味しいよ。一緒にどう?」
「…………リトアニアが言うなら、しょうがないな」
他国へは常にいい顔をするイギリスらしく、少々ぶっきら棒だったが素直に応じる。リトアニアはにこりと愛想良く笑って「こちらへどうぞ」と別室に案内をはじめた。
彼はここでの生活が長かったためかロシア邸の内部においても迷いがない。ちらりと意思の疎通を測るかのように向けられた視線に小さく頷けば、彼は以前は談話ルームとして使用していた部屋にイギリスを伴って入って行った。
やっぱり使用人なんかより便利だよなぁと感心していれば、そつなく茶器が運ばれてくる。
「ロシアさんはジャムですよね」
「うん。イギリス君はいる?」
「いらない。ストレートで頼む」
促されるままソファに腰掛けると、イギリスはロシアの方など見向きもしないでリトアニアの方へ顔を向けた。決して人の良い顔ではなかったが落ち着いた笑みが浮いているのが見える。なるほど、相手によって随分と態度が変わるものだ。
ことにリトアニアは自分が世話をしてやった、という過去と共にアメリカが気に入っていた存在だから好意的なのだろう。
「俺なんかじゃイギリスさんの口に合う紅茶を淹れられるかは分かりませんが」
「以前アメリカの家に行った時に出されたあれ、うまかったぞ」
「そうですか? ありがとうございます」
嬉しそうに笑ってどうぞ、とリトアニアが差し出したティーカップを受け取り、イギリスは香りを嗅いでから口をつけて顔を綻ばせた。
うん、ちょっと可愛いかもしれない。
機嫌良くそう思ってロシアも自分のカップを傾ける。
「じゃあ俺は会議の準備がありますのでこれで。イギリスさん、どうぞごゆっくり」
「あぁ」
「それではロシアさん、のちほどまた」
「うん」
にこにこと手を振ればほっとした様子でリトアニアは出て行った。彼のお陰で思いもかけずイギリスとお茶の時間が持てて、ものすごく気分がいい。
鼻歌でも歌ってしまいそうになりながら備え付けのジャムを掬っていると、目の前に座っていたイギリスの気配がふっと柔らかなものから硬質なものに変わるのが分かった。
目線を向ければさきほどまでの穏やかな顔つきとは打って変わった険しい表情がある。冷ややかな瞳は不機嫌さを取り戻し、無作法にガチャンと置かれたティーカップの中では琥珀色の液体が大きく波打った。
取り繕う必要のない相手の前では紳士面も剥がれ落ちるのだろう。高く組まれた足の先がテーブルに触れているのは恐らくわざとやっているに違いない。
「マナー違反だよ」
「は! 田舎者の分際でこの俺に指図すんのかよ?」
「あのねぇイギリス君。確かに僕は君のことが好きだけど、なにもかも許容出来る性格じゃないことくらいわかってるよね」
「うるせぇ! 好きとか気持ち悪いこと言ってんじゃねーよ!!」
バン!とソファの肘当てを叩いてからイギリスはイライラとした様子で唇を噛んだ。外交の時に見せるような余裕綽々な笑みもなければ、英国紳士としての礼儀作法もない。
これまでプライベートでの付き合いがなかったから普段の彼はこんな感じなのだろうかと思ってみても、どうにも不自然さは拭いきれなかった。
そもそも会議などでお互い何度も顔を見合わせ、その都度イギリスはロシアに向けて乱暴な物言いはしてきたものの、こうもあからさまな態度を取ったことはなかったと思う。
そうだ、自分達は口喧嘩をするほど親しくはなかった。
「新しい紅茶いる?」
溜息混じりにそう問い掛けてみれば、胡乱な眼差しで睨まれる。
「お前が淹れたものなんて口にしたくない」
「なんだかイギリス君、いつもに増して機嫌悪いね」
仕方なく自分の分を注げば、彼は残りの紅茶を手にしてそれを飲み干す。カップを持つ指先は流石に優雅だったが、やはりソーサーに戻した時に陶器の音が響いてらしくもなく無作法だった。
その様子を見て思わず再び溜息を漏らせば、イギリスは気に入らないとでも言うように片眉を跳ね上る。
「なんだよ」
「んー……ね、もしかして君。アメリカ君と喧嘩でもした?」
「……っ!!」
はっと息を呑んで腰を浮かせ、彼は咄嗟に何かを言いかけてから言葉を切った。そしてものすごい形相で睨んでくる。その迫力たるやロシアンマフィア顔負けだ。
「詮索するな」
「あぁ、やっぱりまた酷いこと言われたんだね。アメリカ君、君には容赦ないからなぁ」
「黙れ!」
「君も本当に飽きないよね。いい加減諦めればいいのに」
そう言った瞬間、イギリスが手近の電動ポットを掴み上げなりふり構わず投げつけてきた。
熱湯の入ったそれがまっすぐ飛んでくるので慌てて右手で払う。危うく全身にかぶるところだったが、避けきれず腕にかかった部分には痛みが走った。
「熱っ……」
派手な音とともにポットが床に転がり、その音でイギリスが我に返ったような顔でこちらを見つめる。見開かれた目と青褪めたその表情がどこか痛々しくて、ロシアはいつも通りにこりと笑って「危ないよ」と言った。
「…………」
「乱暴だなぁ、イギリス君は」
じくじくと痛む腕とは逆側でポットを拾い上げると、イギリスはうろたえながら傍らの鞄を掴み上げて逃げるように戸口へ向かった。
「帰る!」
「待ってよ」
「近づくな! ……っ」
今にも泣きそうに歪んだ目を背け、止める間もなく駆け出した彼を追いかけることは出来なかった。
茫然と見送れば廊下からリトアニアが「イギリスさん!?」と驚いた声を上げるのが聞こえてくる。廊下は走らない、がモットーじゃなかったのかなぁと肩を竦めていれば、戸惑いながらリトアニアが顔を覗かせた。
「ロシアさん? イギリスさん飛び出していきましたけど……って、手袋から湯気出てますよ! もしかして、熱湯かぶりました!? 早く! 早く外して!」
「あ、うん」
気付いた彼が真っ青になってそんな事を言うものだから、じっとりと濡れた手袋に手を掛けていつものように引き抜こうとした。
その瞬間、悲鳴が上がる。
「あああ! そんな乱暴にしたら……!!」
「うわぁ」
「うわあじゃないですよ! あぁもう……これは、なんて酷い」
ずるりと抜けた右手は真っ赤にただれていて、布地に引っ張られたせいかところどころ皮がめくれてしまっていた。水ぶくれと流血とでなんだかとってもひどい有様だ。
リトアニアの慌てぶりもすごいが、とにかく今更冷やしても無駄だと思ったので薬箱を取ってくるように言えば、彼は猛ダッシュで飛び出して行く。
そして短距離走選手さながらのスピードで戻ってくると、薬剤や包帯を取り出して治療に勤しんでくれた。
連邦が崩壊してからというもの独立した彼らとはぎくしゃくした関係が続いていたが、それでも気のいい彼はこうしてロシア相手でも昔と変わらず接してくれている。本当にお人よしと言うかなんと言うか。
向けられる優しさについついくすっと笑ってしまうと、リトアニアは困惑したような顔をした後、ゆっくりと左右に首を振って「こういう時はちゃんと痛がって下さい」とだけ言った。
―――― なるほど。
帰りかけていたロシアを急に呼び止めた彼のことを、各国が何事かと一斉に振り返って怪訝そうな顔で見守っていたが、すぐにイギリス本人に追い出されてしまう。
アメリカやフランスが何か言いかけたのを無言で押しとどめ、彼は完全に室内を二人だけにすると鍵までかけてしまったのだから驚きだ。内密な話があるのなら何もここでやらなくても、とロシアが思っていれば彼はいつも以上に剣呑な空気をまとったまま睨みつけてくる。
さすが元海賊、眼力だけで人を殺せそうだ。無論超大国のひとつであるロシア相手には微塵も通じないものだったが。
「お前、最近アメリカの動向を探っているよな」
「そう? 別にそんなつもりはないんだけどなぁ」
「ふざけるな。しょっちゅう様子を窺っているじゃねーか。どういうつもりか知らねーけど、いい加減にしろ!」
不機嫌さを隠しもしないでそう吐き捨てるように言い、苛立ちを含めた動作でイギリスは予備で用意されていたスチール製の椅子を乱暴に蹴る。きっとその足先は自分に向けたいものなんだろうな、と思いながらロシアは薄く笑みを浮かべたまま「酷いなぁ」とだけ呟いた。
別にアメリカに対してどうこうしたい気などまったくと言って良いほどない。今は経済的に苦しい時期だし政治が安定するまでは表立って喧嘩するような余力はないのだ。ようやく連邦崩壊後の混乱もおさまったというのに、わざわざ馬鹿なことをして自国をめちゃくちゃにするような自虐的な行為はするはずがない。
それにしても随分癇に障っているのだろう、イギリスがこうやってわざわざ言ってくるとはよほど露骨だったのだろうか。気付いていなかったが相当自分は気が狂れているようだと、妙に冷静な判断を自らに下しながらロシアは窓の外を見やった。
明るい日差しはそろそろ夕暮れへと変わりつつある。
「別に見ていたのはアメリカ君じゃないんだけどなぁ」
「はぁ? 嘘つくなよ。どうせ碌でもないこと企んでるんだろ」
「君って本当に保護者気質が抜けないみたいだね。それともアメリカ君に頼まれたの?」
そう聞けば彼はそうと分かるほど狼狽して、顔を赤らめて「アメリカは関係ない!」と言い返してきた。
なんて分かり易い態度なんだろう。
アメリカ、アメリカ、アメリカ。イギリスの頭の中はいつだってアメリカのことでいっぱいのようだ。日本やフランスやその他英連邦の国々のことだって考えているのだろうが、半分以上はアメリカで埋め尽くされていると言ってもきっと過言ではないだろう。
馬鹿みたい、と心の中で毒づきながら、以前の自分ならまるで気にも留めないことだったのにと思い直す。彼が誰をどういうふうに気にしていようとも、イギリスの存在価値はロシアの中で常に一定だった。そう、ほぼ最下位という位置づけでこれまでずっとやってきたというのに、なんとも厄介な状況に陥ってしまったものだと我ながら苦笑してしまう。
よりにもよってこんな最低な国相手に、とんでもない感情を植え付けられたものだ。
「ねぇ、知ってる?」
開いた窓から吹き込む風がレースのカーテンを静かに揺らす。低くなった太陽に影が黒く長く引かれていく。
夕日を浴びたイギリスの緑色の目が逸らされることなくこちらを見上げているので、ロシアは柔らかく笑ったままその視線を受け止めてゆっくりと言った。
「僕ね、イギリス君のことが好きなんだ」
驚愕に見開かれた瞳と引き攣った表情が一瞬だけ揺らいで、それから猛烈な怒りに変わって「気持ち悪いこと言うな!」と叫ばれた。
まぁこれまでの自分たちの関係を思えばしごくまっとうな反応だし、ごくごく自然な態度でその真意を疑う余地もない。心の底から自分を嫌っているという予想通りの答えに、ロシアだって噴き出すように笑ってしまったくらいだ。
「うん、でも好き。好きって思うのも駄目なの?」
「気色悪すぎるだろーが! 今すぐやめろ! ……寒気がする」
「ひどいなぁ。僕だってこれでも一応傷つくんだよ?」
「てめぇのことなんざ知らねーよ! 勝手に傷ついてりゃいいだろ!!」
タチの悪い嘘吐きやがって、とイギリスは全身に鳥肌を立たせながら自分で自分の肩を抱くような仕草をした。それから本気で気分が悪そうな顔をしたまま荷物を掴み上げると、「とにかくアメリカに近付くな!」と物凄い形相で牽制してから踵を返す。
もう一秒だってここにはいたくないというふうに足音高く部屋を出ていくその後姿を見送りながら、ロシアはぎゅっと薄い唇を噛み締めた。
これがもしアメリカが相手だったのなら、彼の態度は鏡で写したように反対なのだろう。それくらいの差があってもおかしくはないし、まぁこの程度は想定の範囲内だ。
―――― けれど。
「一世一代の告白ってやつだったんだけどなぁ」
ふぅと溜息をつきつつ漏れた言葉に、何故か胸の奥が痛んだ気がしたがその理由など分かるはずがない。少なくともそういう感情から一番遠い存在がロシアという国である。
欠けたものを魔法という名の奇跡で補ったとしても、きっと完全な形になることはないのだろう。
* * * * *
それでも、あれからロシアはことあるごとにイギリスに話し掛けるようになった。会議で顔を合わせるたびに隙を見てはねぇねぇと声を掛け、あれやこれやと言葉を並べ立てる。すると彼はこの世の終わりのようなうんざりした顔をして見せるのだった。
もちろんそういうやり取りは周囲の目を気にしてちゃんと二人だけの時に限っている。そうでなければ外交面で上司たちが煩くて仕方がないからだ。くどくどと続けられる小言は聞いていて面白いものではない。
話し掛ける、と言っても文字通りそれは一方的なもので、たいていは激怒したイギリスに山のような罵声とブラックジョークを浴びせられた上に嘲笑を投げつけられ、仕舞いにはマフラーに火でもつけられそうな剣呑な態度で突き飛ばされ置き去りにされるのがオチだった。当然きちんとした会話が成立したことなど一度もない。が、喜ぶべきことか無視をされたことはまだなかった。
何と言うか、まともに相手にされなくなったら終わりだろう。(現状も決してまともとは言い難いが)
その日もモスクワでの二カ国会議のあと早々に帰ろうとしていたイギリスの前に立ち塞がり、ロシアはにっこりと笑みを浮かべながら彼を誘った。
人はそれをストーカー行為と言うらしいけどそんな言葉、ロシアの辞書には当然ない。
「イギリス君。このあとお茶、一緒にどうかな?」
「断る」
「奢るよ」
「嫌だ」
「じゃあさ、ちょっとだけでいいから外歩かない?」
もう何度目か分からない誘いに、盛大な溜息をつきながらイギリスは鷹揚な仕草で顎をしゃくった。どうやらついて来いという意味らしい。
先に立って歩き出す彼の後ろにくっついていけば、静まり返った廊下には二人分の足音が響く。
前を行くきっちりとスーツを着込んだ背中を眺めながら、ふとロシアはなんだか小さい人だなぁと思った。イギリスは欧州の中でもひときわ線が細い。それでいて七つの海を股にかけてさんざん暴れ回っていた過去を持つのだから本当に不思議な存在だ。
常にロシアとは敵対してばかりいたが、こうやって改めて見れば自分と彼の体格差は歴然としていて、こんな小さな国にいつもやり込められていたのかと思うと正直頭に来てしまう。けれど同時に、この身体でよく世界の覇権を手に出来たと呆れつつも尊敬してしまうのもまた仕方がないことだった。
ロシアは昔からイタリアはもちろんのことフランスへの憧れが強い国だが、イギリスにも憧憬の念を覚えることが少なくなかった。産業革命期の彼は欧州はもちろんのこと世界各国の憧れの的……今は凋落してしまったとはいえその気持ちは消えずに誰もが抱くものである。
「あ」
ふいにイギリスが何かに気付いて立ち止まり廊下の先を見た。つられてそちらに視線を向ければそこには書類を抱えたリトアニアの姿があった。
彼を含めた旧ソ連諸国とは夜に会合がある予定だが、どうやら一人早めに到着したのだろう。他の顔ぶれはなかった。
「お疲れ様です。ロシアさん、会議はもう終わったんですか?」
「うん」
「どこかへ行かれるご予定ですか?」
「ちょっとイギリス君と散歩しようかなって思って」
そう言えばリトアニアは引き攣った笑みを浮かべてからイギリスの方を向く。そしてすぐに何か悟ったのであろう、取り繕うように言葉を続けた。
「良ければお茶を飲んでいきませんか?」
社交辞令的ではあったが悪い提案ではない。折角のチャンスとばかりにロシアも再び彼を茶の席に誘うことにした。
「そうだよ、リトアニアのお茶は美味しいよ。一緒にどう?」
「…………リトアニアが言うなら、しょうがないな」
他国へは常にいい顔をするイギリスらしく、少々ぶっきら棒だったが素直に応じる。リトアニアはにこりと愛想良く笑って「こちらへどうぞ」と別室に案内をはじめた。
彼はここでの生活が長かったためかロシア邸の内部においても迷いがない。ちらりと意思の疎通を測るかのように向けられた視線に小さく頷けば、彼は以前は談話ルームとして使用していた部屋にイギリスを伴って入って行った。
やっぱり使用人なんかより便利だよなぁと感心していれば、そつなく茶器が運ばれてくる。
「ロシアさんはジャムですよね」
「うん。イギリス君はいる?」
「いらない。ストレートで頼む」
促されるままソファに腰掛けると、イギリスはロシアの方など見向きもしないでリトアニアの方へ顔を向けた。決して人の良い顔ではなかったが落ち着いた笑みが浮いているのが見える。なるほど、相手によって随分と態度が変わるものだ。
ことにリトアニアは自分が世話をしてやった、という過去と共にアメリカが気に入っていた存在だから好意的なのだろう。
「俺なんかじゃイギリスさんの口に合う紅茶を淹れられるかは分かりませんが」
「以前アメリカの家に行った時に出されたあれ、うまかったぞ」
「そうですか? ありがとうございます」
嬉しそうに笑ってどうぞ、とリトアニアが差し出したティーカップを受け取り、イギリスは香りを嗅いでから口をつけて顔を綻ばせた。
うん、ちょっと可愛いかもしれない。
機嫌良くそう思ってロシアも自分のカップを傾ける。
「じゃあ俺は会議の準備がありますのでこれで。イギリスさん、どうぞごゆっくり」
「あぁ」
「それではロシアさん、のちほどまた」
「うん」
にこにこと手を振ればほっとした様子でリトアニアは出て行った。彼のお陰で思いもかけずイギリスとお茶の時間が持てて、ものすごく気分がいい。
鼻歌でも歌ってしまいそうになりながら備え付けのジャムを掬っていると、目の前に座っていたイギリスの気配がふっと柔らかなものから硬質なものに変わるのが分かった。
目線を向ければさきほどまでの穏やかな顔つきとは打って変わった険しい表情がある。冷ややかな瞳は不機嫌さを取り戻し、無作法にガチャンと置かれたティーカップの中では琥珀色の液体が大きく波打った。
取り繕う必要のない相手の前では紳士面も剥がれ落ちるのだろう。高く組まれた足の先がテーブルに触れているのは恐らくわざとやっているに違いない。
「マナー違反だよ」
「は! 田舎者の分際でこの俺に指図すんのかよ?」
「あのねぇイギリス君。確かに僕は君のことが好きだけど、なにもかも許容出来る性格じゃないことくらいわかってるよね」
「うるせぇ! 好きとか気持ち悪いこと言ってんじゃねーよ!!」
バン!とソファの肘当てを叩いてからイギリスはイライラとした様子で唇を噛んだ。外交の時に見せるような余裕綽々な笑みもなければ、英国紳士としての礼儀作法もない。
これまでプライベートでの付き合いがなかったから普段の彼はこんな感じなのだろうかと思ってみても、どうにも不自然さは拭いきれなかった。
そもそも会議などでお互い何度も顔を見合わせ、その都度イギリスはロシアに向けて乱暴な物言いはしてきたものの、こうもあからさまな態度を取ったことはなかったと思う。
そうだ、自分達は口喧嘩をするほど親しくはなかった。
「新しい紅茶いる?」
溜息混じりにそう問い掛けてみれば、胡乱な眼差しで睨まれる。
「お前が淹れたものなんて口にしたくない」
「なんだかイギリス君、いつもに増して機嫌悪いね」
仕方なく自分の分を注げば、彼は残りの紅茶を手にしてそれを飲み干す。カップを持つ指先は流石に優雅だったが、やはりソーサーに戻した時に陶器の音が響いてらしくもなく無作法だった。
その様子を見て思わず再び溜息を漏らせば、イギリスは気に入らないとでも言うように片眉を跳ね上る。
「なんだよ」
「んー……ね、もしかして君。アメリカ君と喧嘩でもした?」
「……っ!!」
はっと息を呑んで腰を浮かせ、彼は咄嗟に何かを言いかけてから言葉を切った。そしてものすごい形相で睨んでくる。その迫力たるやロシアンマフィア顔負けだ。
「詮索するな」
「あぁ、やっぱりまた酷いこと言われたんだね。アメリカ君、君には容赦ないからなぁ」
「黙れ!」
「君も本当に飽きないよね。いい加減諦めればいいのに」
そう言った瞬間、イギリスが手近の電動ポットを掴み上げなりふり構わず投げつけてきた。
熱湯の入ったそれがまっすぐ飛んでくるので慌てて右手で払う。危うく全身にかぶるところだったが、避けきれず腕にかかった部分には痛みが走った。
「熱っ……」
派手な音とともにポットが床に転がり、その音でイギリスが我に返ったような顔でこちらを見つめる。見開かれた目と青褪めたその表情がどこか痛々しくて、ロシアはいつも通りにこりと笑って「危ないよ」と言った。
「…………」
「乱暴だなぁ、イギリス君は」
じくじくと痛む腕とは逆側でポットを拾い上げると、イギリスはうろたえながら傍らの鞄を掴み上げて逃げるように戸口へ向かった。
「帰る!」
「待ってよ」
「近づくな! ……っ」
今にも泣きそうに歪んだ目を背け、止める間もなく駆け出した彼を追いかけることは出来なかった。
茫然と見送れば廊下からリトアニアが「イギリスさん!?」と驚いた声を上げるのが聞こえてくる。廊下は走らない、がモットーじゃなかったのかなぁと肩を竦めていれば、戸惑いながらリトアニアが顔を覗かせた。
「ロシアさん? イギリスさん飛び出していきましたけど……って、手袋から湯気出てますよ! もしかして、熱湯かぶりました!? 早く! 早く外して!」
「あ、うん」
気付いた彼が真っ青になってそんな事を言うものだから、じっとりと濡れた手袋に手を掛けていつものように引き抜こうとした。
その瞬間、悲鳴が上がる。
「あああ! そんな乱暴にしたら……!!」
「うわぁ」
「うわあじゃないですよ! あぁもう……これは、なんて酷い」
ずるりと抜けた右手は真っ赤にただれていて、布地に引っ張られたせいかところどころ皮がめくれてしまっていた。水ぶくれと流血とでなんだかとってもひどい有様だ。
リトアニアの慌てぶりもすごいが、とにかく今更冷やしても無駄だと思ったので薬箱を取ってくるように言えば、彼は猛ダッシュで飛び出して行く。
そして短距離走選手さながらのスピードで戻ってくると、薬剤や包帯を取り出して治療に勤しんでくれた。
連邦が崩壊してからというもの独立した彼らとはぎくしゃくした関係が続いていたが、それでも気のいい彼はこうしてロシア相手でも昔と変わらず接してくれている。本当にお人よしと言うかなんと言うか。
向けられる優しさについついくすっと笑ってしまうと、リトアニアは困惑したような顔をした後、ゆっくりと左右に首を振って「こういう時はちゃんと痛がって下さい」とだけ言った。
―――― なるほど。
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