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 紅茶をどうぞ
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Ever Since 4 [ side:E ]
 ガタン、と大きな音とともにアメリカの身体はソファから転げ落ち、そのままの勢いでフローリングに頭を打ちつけたのか、くぐもった悲鳴にも似た呻き声が上がった。
 ローテーブルの角にぶつからなかったのは不幸中の幸いだが、無防備なところへの一撃に、さしもの彼も咄嗟に対応出来なかったらしい。後頭部を押さえながら弾みでズレた眼鏡をかけ直してこちらを見上げたその瞳には、驚きと混乱の色がありありとうかがえる。

「痛いじゃないか! いきなりなんなんだい!?」

 強い抗議の言葉に思わず肩を竦めながら、イギリスはボロボロとこぼれる涙を両手で押さえつけて目を逸らした。泣くつもりなどないのにあとからあとから溢れるそれは、ちっとも止まる気配がなくて正直困る。
 アメリカが訳が分からないといった顔で口を開きかけたが、それを遮るようにイギリスは慌てて首を左右に振って謝罪した。怒らせるつもりは全然ない。

「わ、悪い! 怪我はなかったか?」
「……別になんでもないけど」

 戸惑った様子で立ち上がり、彼はぶつけた場所をさすりながらソファの上で未だ泣きやまないイギリスを見て呆れたように溜息をついた。
 それはそうだろう、自分でも驚くぐらい涙が溢れて止まらない。頭の中が一瞬真っ白になって、そのまま箍が外れたみたいに一気にいろんな感情が渦巻いてしまった感じだ。
 昨日から何度もアメリカの態度におかしいおかしいと思ってきたが、いくらなんでもこれはないだろう。「好きだよ」だなんてフランスに変な入れ知恵でもされたのだろうか。冗談にしては随分タチが悪いと思う。
 わけがわからず混乱したままイギリスは、泣きながら膝を抱えて顔を伏せた。正直、泣いている自分の顔ほど不細工なものはないと自覚しているのでたまらない気分に陥る。アメリカにも先ほど「酷い顔」だと言われたばかりなのに、なんてタイミングの悪い。

「ねぇ、なんで泣いてるんだい? 俺から好かれるの、そんなに嫌だった?」
「そ、そうじゃねぇ……」
「じゃあなんで」

 不満げに文句を言いかけてから急に不安そうに表情を曇らせ、足元に膝をつくとアメリカは下から覗き込むようにこちらを見上げて来た。ついその視線を真正面から受け止めてしまえば、かっと頭に血の気が昇るのを感じる。
 涙越しの視界だというのに綺麗な空色がはっきりと見えて、余計感情が高ぶってしまう……これは本格的にまずい。これ以上泣かないようにと眉を顰めて耐えるように唇を噛みしめれば、ますますアメリカが怪訝そうに小首を傾げた。 

「イギリス? もしかして怒ってる?」
「ち、ちが」
「……イギリス?」
「う、嬉しい」

 震えた情けない声だったが構うものか。
 そう思っても無茶苦茶恥ずかしくて顔を上げていられず、ただただ深くうなだれてしまう。からかわれているのが分かっていても、まさかあのアメリカからそんな懐かしい言葉を聞けるなんて本気で思ってもみなかったのだ。
 遠い昔、小さな彼だけが素直に自分に好意を示してくれた。それきり国民は別にして、後にも先にも誰かに好きだと言われたことなんて一度だってない。好かれにくい性格をしていることなんて百も承知しているけれど、やっぱりこうして声に出されたその言葉を聞けるのは本当に嬉しかった。
 しかもあの頃と変わらない透明なスカイブルー。記憶そのままの、大事な大事な想い出の中の子供と同じ。
 忘れていた気持ちが急に蘇ってきてまさに容量オーバーに近かった。

「アメリカから、また、聞けるなんて思ってもみなかった、から」
「……そう」
「すげぇ、嬉しい」

 どんな気の迷いなのかは知らない。突拍子もないのはいつものことだし、きっとすぐに冗談や嘘にされてしまうのは分かっている。それでもとんだサプライズだと思った。打算だろうがなんだろうがこの際そんなものはどうでもいい。
 アメリカが、アメリカの声で自分を好きだと言ってくれた。その事実に我ながら大袈裟だと思いつつも、感極まってしまったといっても過言ではないだろう。

「ありがと、な。でも大丈夫だ、安心しろ」

 そう言って重くなった瞼を押し上げ、赤くなっているであろう目元を何度もこすりながら片手でアメリカの頬をそっと撫でた。
 困惑した表情のその瞳に小さく笑い掛けてやれば、彼は緩慢な動きまばたきを繰り返して首をかしげる。

「イギリス?」
「あんま力になってやれないけど、俺もっと頑張るから」
「え?」
「何があっても、俺だけは絶対にお前を見捨てたりしないから安心しろよ」

 こんな時期にアメリカが自分に好意を向ける理由なんてこれくらいしか思いつかない。そうだ、さっきも聞いたじゃないか、『Special Relationship』だと。
 このところの世界恐慌を髣髴とさせる規模の経済危機に、他国からの風当たりも強くさすがのアメリカといえどもかなり落ち込んでいる様子が窺えた。さすがに孤立無援と言うわけではなかったが、四方八方からの突き上げは結構容赦がなかったように思う。イギリスだって怒りにまかせてさんざん怒鳴り散らした覚えがあった。
 ここ最近はだいぶ落ち着いてきているとはいえ、まだまだ油断ならない状況だ。いくらヒーローを自称しているといっても不安に思わないわけがないだろう。

 外交上特別な関係だからこそ好きだと言い、心配だってしてくれるわけだ。昨夜はイギリス好みのレストランにも連れて行ってくれたし、今日だって昼食に誘ってくれた。考えてみれば普段自分をことさら邪魔者扱いする彼が、退屈な会議の期間中に楽しそうにイギリスの相手をすること自体珍しかった。
 通例なら日本と行動を共にすることの多いアメリカが、どうして今回に限りわざわざイギリスばかりを誘ったのか。経済政策の足並みをそろえるための外交の布石、と捉えた方がよほど自然に感じる。
 倒れた自分をずっと廊下で待っていてくれたのも、「口煩いからもう来ないでくれ」と言っていたにも関わらずこうして二晩続けて自宅に誘ってくれたのも、きっとそうに違いなかった。

「無理に機嫌なんて取らなくてもいいのに、ほんと、お前馬鹿だなぁ」

 苦笑いを浮かべてアメリカの頭をぽんぽんと叩く。
 また子供扱いするなと怒られそうだと思っていれば、案の定アメリカの顔はどんどんと不機嫌になっていき、目つきもかなりの鋭さを帯びはじめていた。

「君、ねぇ」
「俺だけは最後までお前の味方だから、……っ」

 ようやく涙も止まりかけ、目尻がひりひりするもののだいぶ気持ちも落ち着いてきている。けれどそれとは別に興奮して急激に体温が上昇したせいか、せっかくおさまっていた咳が続けざまに出てしまった。
 口元を手で押さえて幾度か強く咳込めば、何かを言い掛けていたアメリカがはっとして立ち上がり、テーブルに置き去りになっていた冷めた紅茶を手に取り再び腰を屈める。
 その間も肺病患者みたいな咳が続けざまに出て胸が苦しかった。

「ほら飲んで」
「あ、ああ」

 差し出されたカップを受け取り素直に傾けて渋いそれを飲み干せば、喉の奥が痺れるように痛んだ。声も掠れてしまっているしなんとも情けない有様である。
 まさかこの年で素面で泣くだなんて、自分でもみっともなさすぎて呆れて返ってしまった。どうしてこう、アメリカの前ではいつもこんな失態ばかり犯してしまうのだろうか。本当に嫌になる。


「ねぇイギリス」
「……なんだ?」

 自己嫌悪のあまり沈んでいれば、ふとアメリカが抑揚のない声で名前を呼んだ。違和感を感じて目線を上げれば彼は冷たい眼差しでこちらを見据えている。
 どうやら完全に機嫌が悪くなってしまっているようだ。そんなに頭を撫でられるのが嫌だったのだろうかと、今度はイギリスが首をひねる番である。
 アメリカの感情の起伏が激しいことなど今に始まったことではなかったが、それにしたって先程までと雰囲気があまりに違いすぎて戸惑ってしまう。やはり経済危機の煽りでまだまだ情緒不安定なのだろうか。

「どうした?」
「君はたぶん俺のことを心のどこかで拒絶していて、信じてくれることはないんだろうなって、ずっと前から分かっていたけどね。でも諦めきれないんだ」

 そう言ってきつく睨みつけてくる眼鏡の奥の瞳がぎゅっと窄まり、虹彩が濃くなった気がした。まるで泣き出してしまう一歩手前のようなそれは、確か昨日の夜にも見た気がする。 

「俺のこと、一番分かってるって顔をしながら一番分かってない君なんて、大嫌いになれれば楽なのに」

 そう呟いてアメリカが両腕を伸ばしてきた。条件反射で咄嗟に後退さろうとしてソファの背もたれに阻まれれば、イギリスの身体は簡単に彼に捕らえられぎゅっときつく抱き締められてしまう。
 その強さや伝わる体温の暖かさに本気で驚いた。

「ア、アメリカ!?」
「口に出しても分かってもらえないなんて、惨めじゃないか」
「お前、何言ってんだ……?」

 意味が分からずそう問えば、アメリカはますます強く抱きつくばかりでなにひとつ答えようとしない。なぁ、と再度問い掛けてもそれは同じで、だからイギリスも他にどう続ければいいか分からず押し黙ってしまうしかなかった。

 お互い何も言わないせいで、つけっぱなしのテレビの音だけがリビングに響き渡る。場違いなほど明るいコメンテーターの声がただ流れ出す。
 けれどその合間を縫うように、密着したアメリカからかすかな心音が聞こえてくるのがとても心地良く感じられた。その規則正しい鼓動を確かめていると無性に安心し、またひどく気持ちが穏やかになっていくのが分かる。温もりと相まって不思議なほど全身から緊張が抜け落ちていった。

 ―――― アメリカと一緒にいられるのが嬉しい。

 あぁそうだ。自分はもうずっと前からアメリカと共に歩んでいきたいだけで、それ以外の特別な何かを望んだりはしなかった。
 アメリカが笑っていれば嬉しいし、哀しんでいれば切ないし、いつだって傍にいたいし何かしてやりたいと思っている。アメリカがいればそれだけでイギリスは満たされてしまうし幸福を感じることが出来る。
 どんな形だっていい、たとえ家族や恋人なんかになれなくても、ただの同盟国だっていい。共にいられる時間が少しでも長くなればそれだけで満足なのだ。
 なんと言っても自分は、「好き」の一言だけで大泣きしてしまうくらい、アメリカのことが好きで好きでたまらないのだから。

 抱き締める腕に応じるように、イギリスもまたそろりと広い背中に両腕を回した。徐々に込み上げる愛しさは、懐かしさよりもはっきりとした形をともなってより鮮明になっていく。
 昔とはまるで違う身体、けれど変わらない体温。

「なぁアメリカ」
「…………」
「お前、言いたいことがあるならちゃんと言えよ。いつも空気読まずに発言してるじゃねーか。なんでこんな時ばっか無言になるんだよ」
「…………」
「俺じゃ頼りになんねーってことか?」
「そうじゃ、ない、よ」

 宥めるように髪を梳けばくぐもった声が否定してきた。
 しばらく次の言葉を待っていれば、アメリカはゆっくりと腕の力をゆるめると顔を上げて眼鏡を外し、それを適当な場所に置いてから再び、鼻先が触れ合うくらい近くからイギリスの目を覗きこんでくる。
 あぁ、なんて綺麗な青。

「ねえ、君はやっぱり変わらない方が好き?」
「…………」
「変わってゆくのは嫌? 小さな子供の影ばかり追い掛けて、いつまでも俺のことを子供扱いするのがそんなに好きなのかい?」
「そうじゃない」
「なら俺のこと信じてよ」

 そう言ってほんのわずかに目線を伏せるとアメリカは、長い指先でそっとイギリスの頬をなぞった。つ、と滑る爪先の感触に知らず肩が揺れる。

「君はずっとこのままでいたいの? それとも変わりたい?」 
「なにが」
「ねぇ、選んでよイギリス。過去と今、どっちが君の中の現実なんだい」

 質問の意味はまるで分からなかったが、切羽詰まったようなその口調にイギリスはアメリカが何かを決めようとしているのを感じた。……恐らく彼は変化を望んでいる。
 変わりゆく世界、うつろいゆく時の流れ。古臭いものが好きな自分と、新しもの好きなアメリカとの間に横たわる時間はとても深くて渡りきれないほど広い溝。
 ずっとずっと一緒に、変わらずいつまでもいつまでも共にあれたらどんなにいいだろう。同じ目線で同じ景色を見て何もかもを共有したい。
 けれど何年経っても、何百年経ってもイギリスはどこまでいってもイギリスにしかなれないし、アメリカもアメリカでしかないのだから、選ぶ道はいつだってひとつきりなのだ。

「現実なんて今目の前にひとつしかないだろうが」
「それじゃ答えになっていないよ、イギリス」
「お前はどんな答えを期待しているんだ」
「それは君がちゃんと決めてよ」
「だから言っただろ? 俺の現実は今ここにある」

 馬鹿みたいに能天気で無鉄砲、人の迷惑も顧みず自己中心的で我儘で、本当に頭が痛くなるくらい奔放だけれど、アメリカにはいつだって底抜けに明るいままでいて欲しい。
 制約の多いこの世界の中、一生懸命自由でいようとするその姿が誰よりも好きだと思う。だから迷わず求めて欲しいのだ。

「お前が自由でいること、それが俺の望みなんだから他に何を見ろって言うんだよ」

 立ち止まったりせず、まっすぐ背を伸ばして前だけを向いて歩いて欲しい。たぶんそれは辛くて苦しくて投げ出したくなる時もあるくらい大変なことだろうけど、アメリカなら出来ると信じて疑わなかった。

「イギリスはずるい」
「知らなかったのか? 俺は元からこういう性格だ」
「……知ってたけどね!」
「お前、ヒーローなんだろ?」

 じゃあうだうだ言ってないでしゃきっとしろ。そう言ってぴんと額を弾いてやれば、大袈裟なほど痛がって文句を言い出す。
 まったく、ぐちぐちじめじめ、煩く言うのは自分の特権だと言うのに。

 

 あの頃はたくさんの夢を見た。
 小さなアメリカとの出会いに本当に多くの夢を見たと思う。
 暖かい家族、兄弟としての絆、欲しくても得られなかった泣きたくなるくらい幸せな時間に、何度醒めぬ夢を見続けたか分からない。
 先も見えないくらい真っ暗な夜の帳の中で、明け方の白い月と太陽の重なりを見付けた時のような。黒い海の波の向こう、水平線にひろがる朝焼けのような眩しい夢の数々。

 It is always darkest just before the day dawns.
 夜明け前は一番暗い、けれどどんなに深い闇でも必ず夜は明けて朝になるのだ。
 アメリカとの別れは確かにイギリスをどん底まで叩き落としたが、それもまた過去の話であり遠い思い出にすぎない。思い起こせばまだ心は痛むし泣くことだってあった。
 それでも今は今。目の前にはアメリカがいて、こうして自分も彼の傍にいることが出来る。その現実以外いったい何を見ようというのか。

 夢から覚めたらそこにはメタボで超大国な男が一人、アホ面下げて笑っていたってことでもういいじゃないか。



「君、俺がなんで怒っているのかちっともわかってないよね」

 ぎゅっと抱きしめられたまま耳元で溜息混じりにそう言われ、その理不尽さに思わず片眉を上げて反応してしまう。確かにアメリカが何を言いたいのかさっぱり理解不能だったが図星をさされるのは悔しかった。
 だから目の前で揺れる金髪を軽く引っ張るといつもの調子で悪態をついてみる。

「どうせ下らないことで拗ねてんだろ」
「拗ねてなんかないよ。あーもーこれだからイギリスは嫌なんだ」
「なんだよ、さっきは好きって言ったじゃねーか!」
「あぁ言ったさ、好きって言った! なのに信じない君が悪い!」

 まるで頑是ない子供が自己主張するみたいな勢いで叫ぶものだから、イギリスはえ、と目を丸くして言葉を無くした。
 思考が追い付かずきょとんとしていれば、アメリカはこちらの両肩をぐいっと掴んで逃げられないように押さえつけながら、挑むような眼差しで問い詰めてくる。

「君はどうなんだい!?」
「俺?」
「そうだよ、君は俺のことどう思っているんだい? さぁ言いなよ、ねぇ!」

 なんだそりゃ。
 相変わらずめちゃくちゃな奴だなぁと思いつつも、イギリスは諦めたようにふっと全身から力を抜いてもう一度両腕を伸ばし、身を乗り出してくるその首を優しく抱き締めた。
 そして少し固めの髪を撫でて白い頬に口吻ける。唇から伝わる滑らかで温かな柔らかい感触に満足そうに笑って、そして。

「決まってんだろ。昔も今もこの先も、ずっとずっと変わらずに」

 愛しているよ、アメリカ。
 ゆったりと囁けば、雨上がりのように澄み渡った透明な空が視界いっぱいに広がった。
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