紅茶をどうぞ
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Ever Since 4 [ side:A ]
午後の会議がようやく終了し、閉会の挨拶が済めば待ってましたとばかりにアメリカは筆記具を鞄に突っ込んで勢い良く椅子から立ち上がった。今日のところはこれで帰れるのだと思うと嬉しくてたまらない。
いつも世界会議は一日では終わらずだいたい三日くらいはかかるものなので、相変わらず最終決議は明日へ持ち越しとなってしまったが、それでもだいぶ話し合いも詰められたしまぁいい感じだろう。
昨日は早めの散会だったがこの調子でいけばそれほど長引かずに済むはずだ。基本的に一日中会議室に閉じ込められるのは性に合わないので、さっさとカタをつけてしまいたい。
「お疲れ様ですアメリカさん。また明日頑張りましょうね」
「あぁ、日本も気を付けて」
「はい。アメリカさんもあまり夜更かしなさらないように」
会議中に居眠りをするとドイツさんがまた怒りますよ?と、年上の顔をしてそんな釘を刺してから日本はイタリア達と退出していった。
喰えないなぁと小さな背中を見送って苦笑していれば、後方から賑やかな声が聞こえて来る。
「カナダ―! 今日はおにーさんとディナーしない?」
「え、あ、フランスさん」
書類を整理していたカナダの後ろからフランスが腕を回していた。過剰な接触に困り気味の様子だが、にこやかな笑みにつられて「いいですよ」と返事をしているところを見れば、案外まんざらではないのかもしれない。
昔からカナダはアメリカ以上にフランスに懐いているところがあって、まぁ本来は仏領だったせいもあるのだろうけど、時々フランスと食事に行く姿を見掛けることがある。
イギリスはそれをあまり面白く思っていないようだったが、心配するにしても余計なお世話というやつだ。カナダだってもういい大人なんだし、そもそも日頃からアメリカと見間違えている時点で彼にその資格はないだろう。
さっさと会議室を後にする二人に怒鳴ろうとするイギリスの前に立ち塞がり、アメリカはこちらを見上げる緑色の目ににこりと笑い掛けた。ちょっかい出されて無駄な時間を長引かせてもお互い迷惑なだけなのだ。こういう空気は読むべきだよね、と一人心中で呟きながらアメリカは困惑した表情の彼の荷物を素早く手に取った。
「ほら、俺達も移動しよう」
「あ、あぁ……」
なんだか拍子抜けしたような感じで肩の力を抜くと、イギリスは書類をまとめて会議用テーブルを回りアメリカの隣りへと移動する。そして鞄を受け取るとケースをしまって小脇に抱えた。
いつの間にか全員いなくなっていて、この部屋には自分たちだけしかいない。防音設備も完璧な会議室はしんと静まり返っている。
「今日はどうしようか」
「お前の行きたいところでいい」
「ふーん?」
「昨日は気を使ってもらったみたいだからな」
イギリスはちらりと上目遣いでこちらを窺うようにしてから、ぶっきら棒にそんなことを言う。
昨日、ということはあの高級レストランを予約したことを指しているのだろうか。確かにいつものアメリカならあぁいう店を咄嗟に選んだりはしない。あくまでイギリスの体調が悪かったことを慮った特別な出来事だったわけだが、喜んでもらえたみたいで何よりだ。……まぁ、空しくも一人で空回りしていた感はぬぐえなかったが。
「今日はもう帰ろうよ」
「え? メシは?」
「適当に中華でも買って行けばいいさ。君、今日も泊まりに来れるだろう?」
暗にホテルには帰らせないぞと告げればイギリスはぱぁっと表情を明るくしてから何故か急に青褪め、慌ててもごもごと「着替えが……荷物が……」と言い出すのですかさず手を伸ばして腕を引っ張った。
あ、とバランスを崩す彼を強引に支えながらアメリカは出口を目指す。
「ア、アメリカ」
「君さぁ。いい加減チェックアウトしたらいいじゃないか。って言うかなんでわざわざニューヨークで部屋なんか取るんだい? 俺んちに来ればいいだろ?」
唇を尖らせてそんな事を言えば、イギリスはさっと顔に血をのぼらせて金魚みたいに口をぱくぱくと動かした。相変わらず変な人だ。
「お、お前が前に言ったんだろ!」
「俺? 何か言ったかい?」
「俺が泊まりに行くと煩いから嫌だとかなんだとかさんざん文句言ったじゃねーか! しかも土産に持って行ったスコーンも貶しやがって!」
顔を真っ赤にして怒鳴る彼を見下ろし、アメリカはあー……そんなこともあったっけ、と思い出しながら苦笑する。
確かにイギリスが来るとその口煩さに閉口することは多い。やれ部屋を片付けろだのテレビばっか見てるなだの、ピザやチップスばかり食べるなだとか挙句の果てには掃除をさせろときたものだ。そして勝手にあちこちいじりながら、こんな無駄なものは買うなだとかまだまだ子供だなとか、とにかく言いたい放題しはじめるのだからさすがにうんざりしてしまう。
そしてキッチンに立てば立ったで大参事を引き起こし、その後処理に黒焦げの物体を胃に押し込まなければならないのだから本気で頂けない。
まさに独り暮らしの息子の部屋に数年ぶりにやって来た母親みたいな態度を取られれば、いい加減頭にも来ようと言うものだ。だからついつい売り言葉に買い言葉的な応酬をしてしまうわけだが、それも今思えばお互いにたわいないスキンシップのひとつと思わなくもなかった。
フランス辺りに言わせれば、そういうのも楽しめなくちゃ大人とは言えないらしい。
「だって君、本当に煩いんだからしょうがないじゃないか」
「な、お、俺はお前のことを心配してだな!」
あぁほら、またすぐ泣きそうになる。
昔からちっとも変わらないなぁと呆れ半分笑い半分でアメリカはイギリスの腕を引っ張りながら、それでも自分はやっぱり彼と共にいることを望んでいる自分を否定出来なかった。
こうやって対等に言いたいことを言い合える関係まで漕ぎ着けるのに、二人ともかなりの時間と労力を費やして来たのだ。彼はさんざん泣いたし、アメリカも随分と苦しんだ。
分かり合えずに衝突を繰り返し、たくさんたくさん傷つけあった。酷い言葉を投げつけ、投げ返され、時には本気で戦った。
―――― それでも、イギリスがいい。
アメリカの隣りに誰か一人佇むというのなら、それは絶対にイギリスでなければならないと思っている。どんなに喧嘩をしてもどんなに争いを繰り返しても、どんな時でも何があっても選ぶのは彼ただ一人だ。それ以外はない。
最初から最後まで、幼かった頃から今現在、そして未来に続くあらゆる選択肢の全てがイギリスに続いているのはもう、出会った時から決められた運命みたいなものだ。
別に恋人になりたいだとか結婚したいだとか、そんなふうに思ったことはない。自分達にはこれといった『形』は必要ないと思っている。
友達、恋人、夫婦、家族……そのどれかひとつに当て嵌められるものでもないし、彼だってそんな事を求めてはいないはずだ。
「そんな単純なものじゃないんだよね」
「……? 何か言ったか?」
ぼそっと呟いた言葉にイギリスの目がこちらを上向くが、にっと笑って誤魔化せば彼はいまだ赤い顔のまま、それでもどこかはにかんだような小さな笑みを返して表情を和らげた。
こういうイギリスのことを可愛いとか綺麗だとか、そんなフランスみたいな歯の浮く台詞で形容するつもりはない。でもとびきり最高だと思うのはきっと自分だけじゃないはずだ。
「君は本当に眉毛が太いな!」
「それ、今なんか関係あんのかよ!」
「さぁね」
ほら早く、とエントランスに向かう途中も何やらブツブツ続いているイギリスを促して外へと向かう。
夕暮れ時の茜色の空の下に出ると、鬱屈した様々なものが霧散していくのを感じた。
そうして家に帰りついたのは昨夜より早めの午後7時。ゆっくり過ごすにはいい時間だった。
途中デリバリーで適当に出来合いのものを仕入れての帰宅である。イギリスはさんざんマーケットで食材を調達し自分が作ると言って聞かなかったが、明日も会議があるのに無茶はしたくないので綺麗にスルーしておいた。
その代わり食後に紅茶を所望すればうきうきと音符を飛ばしながら淹れてくれるのだから、本当に変わり身の早い人だと思う。それにいつの間にやら茶葉を用意していたところを見れば、今夜も泊まりに来ることを期待していたのがありありと分かってしまうというものだ。もちろん本人に言えば照れた末に飛び出してしまい兼ねないので、このまま黙っているのが賢明である。
リビングのソファで二人並んで腰かけ、テレビを適当に付ければようやく一息つくことが出来た。
そう言えば今日は体調はいいのだろうか。まぁもともとそれほど深刻な問題ではなかったらしいから心配するだけ無駄なのは分かっている。
けれど昼間フランスと交わした会話がふいに思い出されて、アメリカはのんびりとくつろいだ様子のイギリスをちらりと横目で見やりながら、何気ない素振りで静かに声を掛けた。
「ねぇイギリス」
「なんだよ」
「昨日のことなんだけど」
どう切り出そうかとしばらく押し黙っていれば、イギリスは軽く小首を傾げながらテレビから目を逸らしてこちらを見上げ、もう一度「なんだよ?」と問いかけて来た。
正直、あまり聞きたくはない気がするけど今聞いておいた方が気持ちもすっきりするだろう。もやもやしたままじゃつまらない、そう判断してアメリカはあのさ、と続ける。
「フランスが言ってたこと、本当?」
「は? あのヒゲ野郎が何か言ったのかよ」
「だから、昨日のこと」
重ねて言えばイギリスの目に一瞬動揺が走る。
昼間、駅前広場での二人の遣り取りを遠目に見ながら、アメリカはきっとフランスが何か言ったんだろうなと予測していた。たぶん自分がずっと気にしていた昨日の会議のことに違いないはずだ。
フランスの話を信じる信じないはこの際置いておいても、やっぱりなんだかんだで意気投合しているこの二カ国間の関係性は面白くなかった。そう思ってしまうのは別に今に始まったことではなかったが、ずっとずっと昔から彼らは殴り合いをしながらもやけに呼吸ぴったりで、お互いのことは言わなくても分かってるといった空気を漂わせている。
今さらそんなことで嫉妬するつもりもなかったが、今回の件も含めフランスが「イギリスのことならなんでも知っているんだ」みたいな態度を取るたびに苛立ちが込み上げて来てしょうがなかった。
この場合、嫌みなフランスよりもむしろ自分には何も言わないイギリスの態度に腹が立つ方が大きい。
「あ、あんなヒゲの言うことなんか真に受けるなよな!」
「本当なんだ?」
「ううううううるせぇ! お前には関係ないだろ!!」
怒鳴り声がボリュームを落としたテレビの音を掻き消すようにやけに大きく響いた。
これがたとえば日本やカナダだったら、イギリスはこんな物の言い方はしないだろう。関係がない、だなんて面と向かって拒絶するはずもない。
あぁそうだ、彼はいつだってアメリカ相手にはこんな態度ばかりを取る。気に入らない、理不尽だ、納得がいかない。
別に責めているわけでもからかっているわけでもないのに、なんで怒鳴られなければならないんだろうかと、アメリカだって不愉快な気分になった。
「関係なくはないだろ? 俺だって」
心配したんだ。
そう言い掛けてわずかに逡巡したところにすかさずイギリスの声がかぶせられる。
「迷惑したって言いたいんだろ!? だから何度も謝ってんじゃねーか!」
「…………」
「なんだよ、笑いたければ笑えばいいだろ! どうせみっともねぇよ!」
ちきしょー!と悪態をつき出すその姿に思わず叫び返してやりたい気分に陥りながらも、アメリカはぐっとこぶしを握ってなんとか耐えた。ここで喧嘩をしても意味はない。
けれどその反面に絞り出した声はひどく低くて冷たいものになってしまった。
「あのさ、君。そんなに俺のこと馬鹿にしたいの?」
「……っ」
「関係ない、確かにそうだろうね。俺と君はもう家族でもなんでもないんだからさ」
「……ア、メリカ?」
「でもさ、少なくとも最友好同盟国だよね? 『Special Relationship』、特別な関係。違う?」
「ちがわ、ない」
イギリスは引き攣った顔でゆるく首を左右に振ると、アメリカがどうしてこんなにも不機嫌になっているのかまるで分らないと言った様子でわずかに仰け反った。
どうやら知らずに近付いていたようだ。
「お前、急にどうしたんだよ」
「別にどうもしないよ。ただ君があんまりにも人を小馬鹿にするからさ、気分悪くて」
「べ、別に馬鹿になんてしてないだろ!?」
「へぇ、無自覚なんだ」
どうしようもなくイライラして抑揚のない声が唇からつい出た。このまま言いたいことを全部言いきってしまえば溜飲も下がるかもしれない。
けれどここで何を言ってもイギリスは絶対に意味が分からないだろう。
関係ない、心配するな、必要ない。アメリカの苛立ちや痛みに気付けるのなら最初からそんな言葉を投げつけてきたりなんかしないはずだ。そしてそれと同じことを自分もさんざんイギリスに言って来た自覚がある。
最初に彼を傷つけたのはアメリカだ。だからこんなにも自分たちの関係はねじれてしまっている。似なくていいところばかり似た者同士で本当に嫌になると、思わずついた深い溜息に目の前のイギリスが不安そうに両目を揺らして涙を浮かべた。
「アメ、リカ」
「俺にだって君を……心配、する権利くらいあると思うんだけど?」
「心配って、別にお前が気に懸けるほどのことでもないだろ? もう済んだことだし、フランスの野郎に聞いてるなら、その、理由だって分かってんだろうし」
「それでも関係ないって言うのは酷いと思うな」
「でも……あー……悪かったよ」
しょんぼりという形容詞が実によく当て嵌まるように俯いてしまった後頭部を見下ろしていると、何故か罪悪感にさいなまされてしまうのだから不思議だ。
泣かせたいわけじゃない。むしろイギリスにはいつだってアメリカの隣りで自然体でいて欲しかった。無理に格好つけたり気を張ったり、誤魔化したり機嫌を伺ったりしないで欲しい。疲れたなら疲れた、気分が悪いのなら早く寝たい、そんなふうに飾らず思ったことをそのまま言ってくれて構わないのだ。
言われたことを全部叶えてあげられるわけではないが、アメリカはもう与えてもらうだけの小さな子供ではなく、たいていの望みは自分で掴めるだけの実力を備えた大人である。
イギリスの我儘程度でどうにかなってしまうわけでもなし、ましてやそんなことくらいで嫌いになるはずもなかった。
「あのさ、イギリス」
「……なんだよ」
ぐす、と涙の入り混じった声が返事をする。
アメリカは揺れる金色の頭に手のひらを置いて、ゆっくりと指先で髪を撫でながら徐々に戸惑いの表情を浮かべるイギリスに顔を寄せた。
「俺、君のみっともない姿なんてたくさん見て来ているんだぞ」
「なっ……!」
「はじめて俺が君の手を取った時、君、鼻水いっぱい垂らして泣いてたじゃないか。あれは今思い出しても本当に酷い顔だったよね」
「な、な、なっ……!!」
「俺達が出会ってからもう何百年も経ってるけど、その間に本当に数えきれないくらいたくさん君の最低なところを俺は見て来たんだ。だから、今更何をしたってその価値観は変わったりしないよ」
そう、会議中に飴玉喉に詰まらせてひっくり返ったことくらい、なんてことない。
けれどそれはただのアクシデントじゃないことも事実だ。ずっと体調が悪くて、咳だってしていて、あんな小さな砂糖の塊ひとつうまく嚥下出来ないくらい弱っていて、それでも強がりばかり口にする意地っ張りさには呆れるし、どうしたって心配してしまう。
そして素直に口に出せばイギリスはいつも否定や拒絶ばかりで、たまには「心配してくれて嬉しい、ありがとう」くらい言えばいいのにと思ってしまうのだ。
「分かった? イギリス」
「……価値観ってなんだよ。どうせ俺のこと、鬱陶しいだとか必要ないだとか、邪魔だとかどっか行けだとか、そういうふうに思ってるんだろ。ど、独立して清々したとか……」
「全然違うよ」
下から覗き込むようにすれば潤んだ瞳がじっとこちらを見つめて来る。まったく、ネガティブさ全開の発言に自ら傷ついていれば世話がない。
―――― 言葉は伝えてこそ、だろ?
ふと脳裏に、駅前のベンチに並んで腰かけながらフランスが言った気障ったらしい台詞が蘇る。
あぁそうだ。いつまでも待ってるだけじゃ何も変わらない。欲しいものがあれば自分から取りに行かなくちゃいけない。黙っていたら前に進めない、そんなことははるか昔からの常識だ。
「俺が君をどう思っているのか、聞きたい?」
「聞きたくねーよ。どうせ碌でもないことに決まってるんだろ」
「違うよ」
「違わねぇ!」
「じゃあ教えてあげるよ」
覆いかぶさるように詰め寄って問いかければ、迫力に押されたかのようにイギリスは小さく息を呑んでから喉を鳴らした。
我慢するなんて自分らしくないし、否定や拒絶が好きなイギリス相手にああだこうだと思い悩んでも時間の無駄でしかないだろう。
だから思ったことを思ったまま、ただそれだけを伝えれば。
「君って本当にどーしようもない人だけど、でも絶対何があっても俺の隣りにいてくれなきゃいけない存在なんだ」
「え……?」
「つまり俺は君のことが好きなんだよ」
そう言えば、ゆっくりと再び上がったイギリスの瞳がわずかに揺らいで驚愕ののち見開かれた。ぎゅっと苦しそうに眉が寄せられ、唇が噛み締められて、それからみるみる涙があふれてその赤く染まった頬を伝う。
別に泣かせたかったわけじゃないのにどうして泣くのだろうか。そう思ってそんな彼を抱きしめようと両腕を伸ばした、その瞬間。
勢いよく突き飛ばされたアメリカの身体は、それこそ文字通り転がり落ちるようにソファから転落して、思いっきり床に頭をぶつける羽目になるのだった。
いつも世界会議は一日では終わらずだいたい三日くらいはかかるものなので、相変わらず最終決議は明日へ持ち越しとなってしまったが、それでもだいぶ話し合いも詰められたしまぁいい感じだろう。
昨日は早めの散会だったがこの調子でいけばそれほど長引かずに済むはずだ。基本的に一日中会議室に閉じ込められるのは性に合わないので、さっさとカタをつけてしまいたい。
「お疲れ様ですアメリカさん。また明日頑張りましょうね」
「あぁ、日本も気を付けて」
「はい。アメリカさんもあまり夜更かしなさらないように」
会議中に居眠りをするとドイツさんがまた怒りますよ?と、年上の顔をしてそんな釘を刺してから日本はイタリア達と退出していった。
喰えないなぁと小さな背中を見送って苦笑していれば、後方から賑やかな声が聞こえて来る。
「カナダ―! 今日はおにーさんとディナーしない?」
「え、あ、フランスさん」
書類を整理していたカナダの後ろからフランスが腕を回していた。過剰な接触に困り気味の様子だが、にこやかな笑みにつられて「いいですよ」と返事をしているところを見れば、案外まんざらではないのかもしれない。
昔からカナダはアメリカ以上にフランスに懐いているところがあって、まぁ本来は仏領だったせいもあるのだろうけど、時々フランスと食事に行く姿を見掛けることがある。
イギリスはそれをあまり面白く思っていないようだったが、心配するにしても余計なお世話というやつだ。カナダだってもういい大人なんだし、そもそも日頃からアメリカと見間違えている時点で彼にその資格はないだろう。
さっさと会議室を後にする二人に怒鳴ろうとするイギリスの前に立ち塞がり、アメリカはこちらを見上げる緑色の目ににこりと笑い掛けた。ちょっかい出されて無駄な時間を長引かせてもお互い迷惑なだけなのだ。こういう空気は読むべきだよね、と一人心中で呟きながらアメリカは困惑した表情の彼の荷物を素早く手に取った。
「ほら、俺達も移動しよう」
「あ、あぁ……」
なんだか拍子抜けしたような感じで肩の力を抜くと、イギリスは書類をまとめて会議用テーブルを回りアメリカの隣りへと移動する。そして鞄を受け取るとケースをしまって小脇に抱えた。
いつの間にか全員いなくなっていて、この部屋には自分たちだけしかいない。防音設備も完璧な会議室はしんと静まり返っている。
「今日はどうしようか」
「お前の行きたいところでいい」
「ふーん?」
「昨日は気を使ってもらったみたいだからな」
イギリスはちらりと上目遣いでこちらを窺うようにしてから、ぶっきら棒にそんなことを言う。
昨日、ということはあの高級レストランを予約したことを指しているのだろうか。確かにいつものアメリカならあぁいう店を咄嗟に選んだりはしない。あくまでイギリスの体調が悪かったことを慮った特別な出来事だったわけだが、喜んでもらえたみたいで何よりだ。……まぁ、空しくも一人で空回りしていた感はぬぐえなかったが。
「今日はもう帰ろうよ」
「え? メシは?」
「適当に中華でも買って行けばいいさ。君、今日も泊まりに来れるだろう?」
暗にホテルには帰らせないぞと告げればイギリスはぱぁっと表情を明るくしてから何故か急に青褪め、慌ててもごもごと「着替えが……荷物が……」と言い出すのですかさず手を伸ばして腕を引っ張った。
あ、とバランスを崩す彼を強引に支えながらアメリカは出口を目指す。
「ア、アメリカ」
「君さぁ。いい加減チェックアウトしたらいいじゃないか。って言うかなんでわざわざニューヨークで部屋なんか取るんだい? 俺んちに来ればいいだろ?」
唇を尖らせてそんな事を言えば、イギリスはさっと顔に血をのぼらせて金魚みたいに口をぱくぱくと動かした。相変わらず変な人だ。
「お、お前が前に言ったんだろ!」
「俺? 何か言ったかい?」
「俺が泊まりに行くと煩いから嫌だとかなんだとかさんざん文句言ったじゃねーか! しかも土産に持って行ったスコーンも貶しやがって!」
顔を真っ赤にして怒鳴る彼を見下ろし、アメリカはあー……そんなこともあったっけ、と思い出しながら苦笑する。
確かにイギリスが来るとその口煩さに閉口することは多い。やれ部屋を片付けろだのテレビばっか見てるなだの、ピザやチップスばかり食べるなだとか挙句の果てには掃除をさせろときたものだ。そして勝手にあちこちいじりながら、こんな無駄なものは買うなだとかまだまだ子供だなとか、とにかく言いたい放題しはじめるのだからさすがにうんざりしてしまう。
そしてキッチンに立てば立ったで大参事を引き起こし、その後処理に黒焦げの物体を胃に押し込まなければならないのだから本気で頂けない。
まさに独り暮らしの息子の部屋に数年ぶりにやって来た母親みたいな態度を取られれば、いい加減頭にも来ようと言うものだ。だからついつい売り言葉に買い言葉的な応酬をしてしまうわけだが、それも今思えばお互いにたわいないスキンシップのひとつと思わなくもなかった。
フランス辺りに言わせれば、そういうのも楽しめなくちゃ大人とは言えないらしい。
「だって君、本当に煩いんだからしょうがないじゃないか」
「な、お、俺はお前のことを心配してだな!」
あぁほら、またすぐ泣きそうになる。
昔からちっとも変わらないなぁと呆れ半分笑い半分でアメリカはイギリスの腕を引っ張りながら、それでも自分はやっぱり彼と共にいることを望んでいる自分を否定出来なかった。
こうやって対等に言いたいことを言い合える関係まで漕ぎ着けるのに、二人ともかなりの時間と労力を費やして来たのだ。彼はさんざん泣いたし、アメリカも随分と苦しんだ。
分かり合えずに衝突を繰り返し、たくさんたくさん傷つけあった。酷い言葉を投げつけ、投げ返され、時には本気で戦った。
―――― それでも、イギリスがいい。
アメリカの隣りに誰か一人佇むというのなら、それは絶対にイギリスでなければならないと思っている。どんなに喧嘩をしてもどんなに争いを繰り返しても、どんな時でも何があっても選ぶのは彼ただ一人だ。それ以外はない。
最初から最後まで、幼かった頃から今現在、そして未来に続くあらゆる選択肢の全てがイギリスに続いているのはもう、出会った時から決められた運命みたいなものだ。
別に恋人になりたいだとか結婚したいだとか、そんなふうに思ったことはない。自分達にはこれといった『形』は必要ないと思っている。
友達、恋人、夫婦、家族……そのどれかひとつに当て嵌められるものでもないし、彼だってそんな事を求めてはいないはずだ。
「そんな単純なものじゃないんだよね」
「……? 何か言ったか?」
ぼそっと呟いた言葉にイギリスの目がこちらを上向くが、にっと笑って誤魔化せば彼はいまだ赤い顔のまま、それでもどこかはにかんだような小さな笑みを返して表情を和らげた。
こういうイギリスのことを可愛いとか綺麗だとか、そんなフランスみたいな歯の浮く台詞で形容するつもりはない。でもとびきり最高だと思うのはきっと自分だけじゃないはずだ。
「君は本当に眉毛が太いな!」
「それ、今なんか関係あんのかよ!」
「さぁね」
ほら早く、とエントランスに向かう途中も何やらブツブツ続いているイギリスを促して外へと向かう。
夕暮れ時の茜色の空の下に出ると、鬱屈した様々なものが霧散していくのを感じた。
そうして家に帰りついたのは昨夜より早めの午後7時。ゆっくり過ごすにはいい時間だった。
途中デリバリーで適当に出来合いのものを仕入れての帰宅である。イギリスはさんざんマーケットで食材を調達し自分が作ると言って聞かなかったが、明日も会議があるのに無茶はしたくないので綺麗にスルーしておいた。
その代わり食後に紅茶を所望すればうきうきと音符を飛ばしながら淹れてくれるのだから、本当に変わり身の早い人だと思う。それにいつの間にやら茶葉を用意していたところを見れば、今夜も泊まりに来ることを期待していたのがありありと分かってしまうというものだ。もちろん本人に言えば照れた末に飛び出してしまい兼ねないので、このまま黙っているのが賢明である。
リビングのソファで二人並んで腰かけ、テレビを適当に付ければようやく一息つくことが出来た。
そう言えば今日は体調はいいのだろうか。まぁもともとそれほど深刻な問題ではなかったらしいから心配するだけ無駄なのは分かっている。
けれど昼間フランスと交わした会話がふいに思い出されて、アメリカはのんびりとくつろいだ様子のイギリスをちらりと横目で見やりながら、何気ない素振りで静かに声を掛けた。
「ねぇイギリス」
「なんだよ」
「昨日のことなんだけど」
どう切り出そうかとしばらく押し黙っていれば、イギリスは軽く小首を傾げながらテレビから目を逸らしてこちらを見上げ、もう一度「なんだよ?」と問いかけて来た。
正直、あまり聞きたくはない気がするけど今聞いておいた方が気持ちもすっきりするだろう。もやもやしたままじゃつまらない、そう判断してアメリカはあのさ、と続ける。
「フランスが言ってたこと、本当?」
「は? あのヒゲ野郎が何か言ったのかよ」
「だから、昨日のこと」
重ねて言えばイギリスの目に一瞬動揺が走る。
昼間、駅前広場での二人の遣り取りを遠目に見ながら、アメリカはきっとフランスが何か言ったんだろうなと予測していた。たぶん自分がずっと気にしていた昨日の会議のことに違いないはずだ。
フランスの話を信じる信じないはこの際置いておいても、やっぱりなんだかんだで意気投合しているこの二カ国間の関係性は面白くなかった。そう思ってしまうのは別に今に始まったことではなかったが、ずっとずっと昔から彼らは殴り合いをしながらもやけに呼吸ぴったりで、お互いのことは言わなくても分かってるといった空気を漂わせている。
今さらそんなことで嫉妬するつもりもなかったが、今回の件も含めフランスが「イギリスのことならなんでも知っているんだ」みたいな態度を取るたびに苛立ちが込み上げて来てしょうがなかった。
この場合、嫌みなフランスよりもむしろ自分には何も言わないイギリスの態度に腹が立つ方が大きい。
「あ、あんなヒゲの言うことなんか真に受けるなよな!」
「本当なんだ?」
「ううううううるせぇ! お前には関係ないだろ!!」
怒鳴り声がボリュームを落としたテレビの音を掻き消すようにやけに大きく響いた。
これがたとえば日本やカナダだったら、イギリスはこんな物の言い方はしないだろう。関係がない、だなんて面と向かって拒絶するはずもない。
あぁそうだ、彼はいつだってアメリカ相手にはこんな態度ばかりを取る。気に入らない、理不尽だ、納得がいかない。
別に責めているわけでもからかっているわけでもないのに、なんで怒鳴られなければならないんだろうかと、アメリカだって不愉快な気分になった。
「関係なくはないだろ? 俺だって」
心配したんだ。
そう言い掛けてわずかに逡巡したところにすかさずイギリスの声がかぶせられる。
「迷惑したって言いたいんだろ!? だから何度も謝ってんじゃねーか!」
「…………」
「なんだよ、笑いたければ笑えばいいだろ! どうせみっともねぇよ!」
ちきしょー!と悪態をつき出すその姿に思わず叫び返してやりたい気分に陥りながらも、アメリカはぐっとこぶしを握ってなんとか耐えた。ここで喧嘩をしても意味はない。
けれどその反面に絞り出した声はひどく低くて冷たいものになってしまった。
「あのさ、君。そんなに俺のこと馬鹿にしたいの?」
「……っ」
「関係ない、確かにそうだろうね。俺と君はもう家族でもなんでもないんだからさ」
「……ア、メリカ?」
「でもさ、少なくとも最友好同盟国だよね? 『Special Relationship』、特別な関係。違う?」
「ちがわ、ない」
イギリスは引き攣った顔でゆるく首を左右に振ると、アメリカがどうしてこんなにも不機嫌になっているのかまるで分らないと言った様子でわずかに仰け反った。
どうやら知らずに近付いていたようだ。
「お前、急にどうしたんだよ」
「別にどうもしないよ。ただ君があんまりにも人を小馬鹿にするからさ、気分悪くて」
「べ、別に馬鹿になんてしてないだろ!?」
「へぇ、無自覚なんだ」
どうしようもなくイライラして抑揚のない声が唇からつい出た。このまま言いたいことを全部言いきってしまえば溜飲も下がるかもしれない。
けれどここで何を言ってもイギリスは絶対に意味が分からないだろう。
関係ない、心配するな、必要ない。アメリカの苛立ちや痛みに気付けるのなら最初からそんな言葉を投げつけてきたりなんかしないはずだ。そしてそれと同じことを自分もさんざんイギリスに言って来た自覚がある。
最初に彼を傷つけたのはアメリカだ。だからこんなにも自分たちの関係はねじれてしまっている。似なくていいところばかり似た者同士で本当に嫌になると、思わずついた深い溜息に目の前のイギリスが不安そうに両目を揺らして涙を浮かべた。
「アメ、リカ」
「俺にだって君を……心配、する権利くらいあると思うんだけど?」
「心配って、別にお前が気に懸けるほどのことでもないだろ? もう済んだことだし、フランスの野郎に聞いてるなら、その、理由だって分かってんだろうし」
「それでも関係ないって言うのは酷いと思うな」
「でも……あー……悪かったよ」
しょんぼりという形容詞が実によく当て嵌まるように俯いてしまった後頭部を見下ろしていると、何故か罪悪感にさいなまされてしまうのだから不思議だ。
泣かせたいわけじゃない。むしろイギリスにはいつだってアメリカの隣りで自然体でいて欲しかった。無理に格好つけたり気を張ったり、誤魔化したり機嫌を伺ったりしないで欲しい。疲れたなら疲れた、気分が悪いのなら早く寝たい、そんなふうに飾らず思ったことをそのまま言ってくれて構わないのだ。
言われたことを全部叶えてあげられるわけではないが、アメリカはもう与えてもらうだけの小さな子供ではなく、たいていの望みは自分で掴めるだけの実力を備えた大人である。
イギリスの我儘程度でどうにかなってしまうわけでもなし、ましてやそんなことくらいで嫌いになるはずもなかった。
「あのさ、イギリス」
「……なんだよ」
ぐす、と涙の入り混じった声が返事をする。
アメリカは揺れる金色の頭に手のひらを置いて、ゆっくりと指先で髪を撫でながら徐々に戸惑いの表情を浮かべるイギリスに顔を寄せた。
「俺、君のみっともない姿なんてたくさん見て来ているんだぞ」
「なっ……!」
「はじめて俺が君の手を取った時、君、鼻水いっぱい垂らして泣いてたじゃないか。あれは今思い出しても本当に酷い顔だったよね」
「な、な、なっ……!!」
「俺達が出会ってからもう何百年も経ってるけど、その間に本当に数えきれないくらいたくさん君の最低なところを俺は見て来たんだ。だから、今更何をしたってその価値観は変わったりしないよ」
そう、会議中に飴玉喉に詰まらせてひっくり返ったことくらい、なんてことない。
けれどそれはただのアクシデントじゃないことも事実だ。ずっと体調が悪くて、咳だってしていて、あんな小さな砂糖の塊ひとつうまく嚥下出来ないくらい弱っていて、それでも強がりばかり口にする意地っ張りさには呆れるし、どうしたって心配してしまう。
そして素直に口に出せばイギリスはいつも否定や拒絶ばかりで、たまには「心配してくれて嬉しい、ありがとう」くらい言えばいいのにと思ってしまうのだ。
「分かった? イギリス」
「……価値観ってなんだよ。どうせ俺のこと、鬱陶しいだとか必要ないだとか、邪魔だとかどっか行けだとか、そういうふうに思ってるんだろ。ど、独立して清々したとか……」
「全然違うよ」
下から覗き込むようにすれば潤んだ瞳がじっとこちらを見つめて来る。まったく、ネガティブさ全開の発言に自ら傷ついていれば世話がない。
―――― 言葉は伝えてこそ、だろ?
ふと脳裏に、駅前のベンチに並んで腰かけながらフランスが言った気障ったらしい台詞が蘇る。
あぁそうだ。いつまでも待ってるだけじゃ何も変わらない。欲しいものがあれば自分から取りに行かなくちゃいけない。黙っていたら前に進めない、そんなことははるか昔からの常識だ。
「俺が君をどう思っているのか、聞きたい?」
「聞きたくねーよ。どうせ碌でもないことに決まってるんだろ」
「違うよ」
「違わねぇ!」
「じゃあ教えてあげるよ」
覆いかぶさるように詰め寄って問いかければ、迫力に押されたかのようにイギリスは小さく息を呑んでから喉を鳴らした。
我慢するなんて自分らしくないし、否定や拒絶が好きなイギリス相手にああだこうだと思い悩んでも時間の無駄でしかないだろう。
だから思ったことを思ったまま、ただそれだけを伝えれば。
「君って本当にどーしようもない人だけど、でも絶対何があっても俺の隣りにいてくれなきゃいけない存在なんだ」
「え……?」
「つまり俺は君のことが好きなんだよ」
そう言えば、ゆっくりと再び上がったイギリスの瞳がわずかに揺らいで驚愕ののち見開かれた。ぎゅっと苦しそうに眉が寄せられ、唇が噛み締められて、それからみるみる涙があふれてその赤く染まった頬を伝う。
別に泣かせたかったわけじゃないのにどうして泣くのだろうか。そう思ってそんな彼を抱きしめようと両腕を伸ばした、その瞬間。
勢いよく突き飛ばされたアメリカの身体は、それこそ文字通り転がり落ちるようにソファから転落して、思いっきり床に頭をぶつける羽目になるのだった。
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