紅茶をどうぞ
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[お題] 幸せを探す旅に出よう
大きく開いた窓際で、ロシアは椅子に腰かけた状態で窓枠に両腕を乗せ、頭を落としてぼんやりとまどろんでいた。
目の前には春爛漫の景色が広がり、桜が吹かれて花吹雪となって流れていく。強すぎない柔らかな日差しを浴びているとこのまま眠ってしまいそうだった。
それは隣にいる日本も同じだったようで、口元に手を当てふわぁと欠伸をしながら、いつもとは違ったのんびりとした表情で椅子に腰かけたまま、揺れるカーテンの陰に背中を預けている。
今日は一日中、二カ国会議で双方どちらも根を詰めた時間を過ごさなければならず、出口の見えない議題を間に挟んで少々嫌気がさしていた。
けれどそんな気分さえどうでもよくなってしまうくらい今日は天気が良くて、暖かくて、美しい花が咲き乱れていて、眠くなってしまう。
上司たちは昼の会食のためホールに移動していて、今ここには国である自分たちしかいない。共にと誘われたが休憩時間まで仕事の話に加わりたくはなかった。示し合せたわけでもないのに日本もロシアも適当にデリバリーを頼めばいいと、そのまま別室に残る選択をしていた。
ちょうど買い出しに行くという女性職員を捕まえれば、彼女たちは快く引き受けてくれて、様々な種類のインボルティーニを買って来てくれた。
揃って好物でラッキーだったわけだが、こういう時だけ変に気が合うのは気のせいだろうか。そう日本が思っていれば、両目を閉ざして気持良さそうに風にあおられていたロシアが、そのままの姿勢で話し掛けて来た。
「なんでアメリカ君なんかが最初だったんだろうね」
唐突な言葉の意味が分からず、壁から身体を離すと日本は隣でまどろむロシアを見遣る。さらさらと額の上を流れる髪に桜のはなびらがついていて、世界は平和だなぁと思った。
「なにがです?」
「イギリス君。彼が見つけた子供がどうしてアメリカ君だったんだろうって」
「それはどういう意味でしょうか」
脈絡のない言動にいささか眉を顰めながら、日本は小さく首をかしげた。ロシアは普段から茫洋としていて正体が知れず、あまり会話が弾む方でもないので昔から苦手意識が強かった。どうしても真意が掴みづらく敬遠してしまいがちだが、話しかけられれば無視をするわけにもいかない。
何と言ってもこの部屋に自分たちは二人きりでいるわけだし、桜の見える窓辺に並んで座っているのだから。
ロシアはやはり両目を閉ざして気持良さそうに春風に吹かれたまま、とりとめのない寝物語を語るかのように抑揚のない声で続けた。
「そのままの意味だよ。イギリス君がもしアメリカ君なんかと出会っていないで、そうだね、僕と最初に会っていれば今とは全然違った世界になっていたのに」
「貴方たちはいつ出会っても仲が悪いと思いますけど」
「そうでもないよ。イギリス君は寂しかったから、アメリカ君と出会って嬉しかったんでしょ。でもそれって別に彼じゃなくてもいいじゃない。あの頃のイギリス君ならきっと僕だって良かったはずだよ」
「それはないと思います」
そう、それはない。
イギリスはああ見えて人見知りの激しいところがあるし、外交的打算のない付き合いが上手く出来るほど器用な男でもない。
欧州のどことも懇意にはなれず栄誉ある孤立と言っては距離を置き、自分を含め遠く離れた国としか親しい間柄にはなれなかった。恐らく重すぎる過去の歴史がそうさせているのだろう。
彼にとってはアメリカだけが特別で、アメリカ以外を彼が選ぶところは想像出来ない。それはもはや偶然ではなく必然であり、定められた運命とも言うべき巡りあわせに違いない。
けれどロシアは納得いかないのか、ゆるゆると瞼を開けて目の前で舞い散る桜を眩しそうに見つめ、薄い唇を潤すこともなく淡々と語る。
その様子はどこか春の気配に包まれてうすぼんやりとした輪郭をたどるような、曖昧な現実感を伴って日本の目には映った。
「どうかな。心細かったのは何もアメリカ君だけじゃない。僕だって子供の頃はとってもさみしかったから、イギリス君が彼にかけたみたいな愛情を与えられたら、僕はきっとイギリス君のことを誰よりも大事に想ったと思うよ」
「…………」
「僕だったら絶対自分から手放したりはしないのに。せっかく手に入れた暖かなそれを、自ら捨ててしまうなんてこと、絶対に出来ない」
「貴方はアメリカさんが彼を捨てたとでも思っているのですか?」
「そうでしょ? たとえ彼がそう思っていなくても、イギリス君はそう受け止めたはずだよ」
確かにイギリスはことあるごとに「独立しやがって」とアメリカを責めることが多い。彼らのことは彼らでなければ分からないので他国は口出し出来なかったが、イギリスが詰るたびにアメリカの表情に一瞬だが暗い影が走るのは決して見間違いではなかった。
ただそれは罪悪感などではなく、取り戻せないものに対するもどかしさではないかと日本は思っている。
アメリカとイギリスの関係が過去どういうものだったのかは、日本もロシアも基本的には型通りの、教科書程度の知識しかない。その時代に存在はしていてもフランスやスペイン達と違って交流もなく、あくまで遠い異国での出来事でありまったく関係のない話である。
そもそも当事者でなければそこにいたるまでの胸の内は分からないのだから、あれこれ推し量るだけ無駄とも言えた。
けれどたいして長くはない付き合いからでも、彼ら二カ国がとても一言では言い表せないような複雑な関係を築いているのは良く分かる。ただの同盟国として割り切るには無理があるだろうし、かと言って兄弟として手放しで頷き合うようなものでもない。
絡み合った糸は容易にほどけず、強く彼らをその場に繋ぎとめているようにも見えた。
「嘘だよ」
ふと、考え込んでいた日本に向かってロシアが笑いながらそう言った。
子供のような無邪気な顔で、相変わらず窓枠に腕を乗せながら花びらを髪の毛にいっぱいくっつけて彼は楽しそうに両目を細めている。
「……なにがです?」
唐突なことに日本が目を丸くすれば、ロシアは視線を外に向けて柔らかく囁くような声を出した。
「今のは嘘。アメリカ君より先に僕はイギリス君に会っているもの。アメリカ君が最初じゃない、だから嘘」
「そうなんですか」
「そうだったら良かったのになぁっていう願望でもなくて、パラレルワールドみたいなものかな」
「貴方が『アメリカ大陸』だったら、ということですか?」
「そうそう」
頷くと髪の毛からはらはらと桜の花びらが落ちた。けれど次から次へと風に乗って運ばれてくるピンク色のそれは、再びロシアの細くきらめく金髪の上を飾ってゆく。
日本はやれやれと肩を竦めて苦笑めいた笑いを唇に刻んだ。
「でもきっとそれでは兄弟のまま先には進めませんよ。たったの十年……そう、たったの十年とちょっとでしょうか。彼らが一緒にいたというのは。それだけでイギリスさんの中でアメリカさんは弟以外の何者でもなくなってしまった。ロシアさん、貴方には姉妹がいらっしゃいますよね?」
「うん」
「ではもう身内はいらないじゃないですか」
「そういうものかな」
「貴方はイギリスさんと兄弟になりたいんですか?」
「それは嫌だなぁ」
「なら今のままで十分ですよ。なんと言っても貴方達は」
春の陽気にも負けないくらいの、熱烈な恋人同士なのでしょう?
と、自分で言った言葉に照れてしまいながら、日本は日だまりの中で幸せそうに口元をゆるめるロシアの髪にそっと指先を伸ばした。
先ほどから気になる花びらを静かに払い落せば、触れた髪の柔らかさにそのまま頭を撫でてしまいたくなってしまう。
ロシアは警戒心もなくその手の動きを上目遣いで眺めながら、「幸せってほんと、単純なんだね」と悟ったような口ぶりでそう言った。
「そうだ。貴方にこれをさしあげましょう」
日本は上着のポケットから水色の小さな袋を取り出して、ロシアの目の前に掲げる。怪訝そうな表情で受け取り、中身を取り出した彼の手のひらにはチェーンのついた薄くて丸い容器が乗せられた。
スライド式になっている蓋を横にずらせば唐突に薫ってくるのは南国の香り。
目を見開いて驚いたようにこちらを見上げるロシアに、日本はごそごそとさらにポケットを漁って薄っぺらい紙切れ一枚を引っ張り出した。
「えーと、『香りの始まりはパッションフルーツ、ハニーサックルです。ミドルではジャスミンの花びらが官能的にオスマンローズを包み込み、最後に心地よいアミリスウッドやホワイトムスクが香ります』……だそうですよ」
「インカントチャーム……? フェラガモだね」
袋に白抜きしてある文字を読んだロシアが、イタリアの有名な靴メーカーの名前を上げた。
日本は首肯するとまだもう少し先の季節に想いを馳せながら、まるでその行く末を見守るかのような顔をする。
「先日イタリア君に頂いたんです。えーと、なんでしたでしょう、香水ではなくて……」
「ソリッドパヒューム」
「そうそれです。新作なのだそうですよ」
ロシアは普段からあまりフレグランスには興味がなく、ほとんどつけたこともなかった。男性用があるのは知っているが、どうもそういうものは女性が好んで付けるイメージだったし、寒い北の大地にはあまりに不似合いに感じられて仕方がなかったのだ。
むろん匂いまで凍ってしまうことはないだろうが、自分がフランスやオーストリアのような華やかさに欠けることは自覚している。
「どうして僕に? 女の人にあげればいいじゃない」
「コンセプトは『旅立ちの時』。今の貴方には丁度いいでしょう」
幸せに満ち溢れた光輝く魔法の香り。
春ははじまりの季節であり、新しい自分を発見することが出来る生まれ変わりの時でもある。
ロシアがイギリスと共にいることで少しでも安らぎ、穏やかに変わっていけるというのなら、祝福しないわけがない。
普段から国境を接する者同士、微妙な駆け引きを繰り返している相手だからこそいい方向に変わっていってもらいたかった。もちろん友人の一人として幸せを願うのも当たり前の気持ちではあったが。
それに誰であれ、こんなふうに笑える人の前では自分だって幸福になれるものだ。
満ち足りた春色の笑顔はこれから訪れるであろう夏の明るさを待ち望み、凍えた冬の気配を払拭させてどこまでも輝いて見える。
あぁいいなぁ、と素直に思ったのだ。
「それに、香りを分け合うとまるで、離れていても傍にいるように感じられませんか?」
悪戯っぽくそう言えば、え、と驚いた顔をしてロシアはアメジスト色の瞳を見開いた。桜の花びらを映していたそれが日本の顔を色濃く映し出す。
透明な水晶にも似たその奥にまぎれもない動揺が見て取れて、ふいに面白く感じられ日本は声を立てて笑った。いつも飄々と澄ました顔をしていてもやはり彼はまだまだ若い。アメリカほどではなかったが、こういう顔をすると途端に幼くなって、実に可愛いらしいものではないかと思ってしまうのだ。
身体ばかりは大きくて、精神的に成熟しきっておらず、それでも大国として世界の中心に立つ彼らを前にすると、その瑞々しさがいつだって眩しく感じられてならなかった。
「そっかぁ。それ、いいね」
ソリッドパヒュームの小さな器を大きな手の中で握り締めて、次に会った時に試してみると言ったロシアを見つめながら、春は本当に人を陽気にさせるものだと日本は思った。
目の前には春爛漫の景色が広がり、桜が吹かれて花吹雪となって流れていく。強すぎない柔らかな日差しを浴びているとこのまま眠ってしまいそうだった。
それは隣にいる日本も同じだったようで、口元に手を当てふわぁと欠伸をしながら、いつもとは違ったのんびりとした表情で椅子に腰かけたまま、揺れるカーテンの陰に背中を預けている。
今日は一日中、二カ国会議で双方どちらも根を詰めた時間を過ごさなければならず、出口の見えない議題を間に挟んで少々嫌気がさしていた。
けれどそんな気分さえどうでもよくなってしまうくらい今日は天気が良くて、暖かくて、美しい花が咲き乱れていて、眠くなってしまう。
上司たちは昼の会食のためホールに移動していて、今ここには国である自分たちしかいない。共にと誘われたが休憩時間まで仕事の話に加わりたくはなかった。示し合せたわけでもないのに日本もロシアも適当にデリバリーを頼めばいいと、そのまま別室に残る選択をしていた。
ちょうど買い出しに行くという女性職員を捕まえれば、彼女たちは快く引き受けてくれて、様々な種類のインボルティーニを買って来てくれた。
揃って好物でラッキーだったわけだが、こういう時だけ変に気が合うのは気のせいだろうか。そう日本が思っていれば、両目を閉ざして気持良さそうに風にあおられていたロシアが、そのままの姿勢で話し掛けて来た。
「なんでアメリカ君なんかが最初だったんだろうね」
唐突な言葉の意味が分からず、壁から身体を離すと日本は隣でまどろむロシアを見遣る。さらさらと額の上を流れる髪に桜のはなびらがついていて、世界は平和だなぁと思った。
「なにがです?」
「イギリス君。彼が見つけた子供がどうしてアメリカ君だったんだろうって」
「それはどういう意味でしょうか」
脈絡のない言動にいささか眉を顰めながら、日本は小さく首をかしげた。ロシアは普段から茫洋としていて正体が知れず、あまり会話が弾む方でもないので昔から苦手意識が強かった。どうしても真意が掴みづらく敬遠してしまいがちだが、話しかけられれば無視をするわけにもいかない。
何と言ってもこの部屋に自分たちは二人きりでいるわけだし、桜の見える窓辺に並んで座っているのだから。
ロシアはやはり両目を閉ざして気持良さそうに春風に吹かれたまま、とりとめのない寝物語を語るかのように抑揚のない声で続けた。
「そのままの意味だよ。イギリス君がもしアメリカ君なんかと出会っていないで、そうだね、僕と最初に会っていれば今とは全然違った世界になっていたのに」
「貴方たちはいつ出会っても仲が悪いと思いますけど」
「そうでもないよ。イギリス君は寂しかったから、アメリカ君と出会って嬉しかったんでしょ。でもそれって別に彼じゃなくてもいいじゃない。あの頃のイギリス君ならきっと僕だって良かったはずだよ」
「それはないと思います」
そう、それはない。
イギリスはああ見えて人見知りの激しいところがあるし、外交的打算のない付き合いが上手く出来るほど器用な男でもない。
欧州のどことも懇意にはなれず栄誉ある孤立と言っては距離を置き、自分を含め遠く離れた国としか親しい間柄にはなれなかった。恐らく重すぎる過去の歴史がそうさせているのだろう。
彼にとってはアメリカだけが特別で、アメリカ以外を彼が選ぶところは想像出来ない。それはもはや偶然ではなく必然であり、定められた運命とも言うべき巡りあわせに違いない。
けれどロシアは納得いかないのか、ゆるゆると瞼を開けて目の前で舞い散る桜を眩しそうに見つめ、薄い唇を潤すこともなく淡々と語る。
その様子はどこか春の気配に包まれてうすぼんやりとした輪郭をたどるような、曖昧な現実感を伴って日本の目には映った。
「どうかな。心細かったのは何もアメリカ君だけじゃない。僕だって子供の頃はとってもさみしかったから、イギリス君が彼にかけたみたいな愛情を与えられたら、僕はきっとイギリス君のことを誰よりも大事に想ったと思うよ」
「…………」
「僕だったら絶対自分から手放したりはしないのに。せっかく手に入れた暖かなそれを、自ら捨ててしまうなんてこと、絶対に出来ない」
「貴方はアメリカさんが彼を捨てたとでも思っているのですか?」
「そうでしょ? たとえ彼がそう思っていなくても、イギリス君はそう受け止めたはずだよ」
確かにイギリスはことあるごとに「独立しやがって」とアメリカを責めることが多い。彼らのことは彼らでなければ分からないので他国は口出し出来なかったが、イギリスが詰るたびにアメリカの表情に一瞬だが暗い影が走るのは決して見間違いではなかった。
ただそれは罪悪感などではなく、取り戻せないものに対するもどかしさではないかと日本は思っている。
アメリカとイギリスの関係が過去どういうものだったのかは、日本もロシアも基本的には型通りの、教科書程度の知識しかない。その時代に存在はしていてもフランスやスペイン達と違って交流もなく、あくまで遠い異国での出来事でありまったく関係のない話である。
そもそも当事者でなければそこにいたるまでの胸の内は分からないのだから、あれこれ推し量るだけ無駄とも言えた。
けれどたいして長くはない付き合いからでも、彼ら二カ国がとても一言では言い表せないような複雑な関係を築いているのは良く分かる。ただの同盟国として割り切るには無理があるだろうし、かと言って兄弟として手放しで頷き合うようなものでもない。
絡み合った糸は容易にほどけず、強く彼らをその場に繋ぎとめているようにも見えた。
「嘘だよ」
ふと、考え込んでいた日本に向かってロシアが笑いながらそう言った。
子供のような無邪気な顔で、相変わらず窓枠に腕を乗せながら花びらを髪の毛にいっぱいくっつけて彼は楽しそうに両目を細めている。
「……なにがです?」
唐突なことに日本が目を丸くすれば、ロシアは視線を外に向けて柔らかく囁くような声を出した。
「今のは嘘。アメリカ君より先に僕はイギリス君に会っているもの。アメリカ君が最初じゃない、だから嘘」
「そうなんですか」
「そうだったら良かったのになぁっていう願望でもなくて、パラレルワールドみたいなものかな」
「貴方が『アメリカ大陸』だったら、ということですか?」
「そうそう」
頷くと髪の毛からはらはらと桜の花びらが落ちた。けれど次から次へと風に乗って運ばれてくるピンク色のそれは、再びロシアの細くきらめく金髪の上を飾ってゆく。
日本はやれやれと肩を竦めて苦笑めいた笑いを唇に刻んだ。
「でもきっとそれでは兄弟のまま先には進めませんよ。たったの十年……そう、たったの十年とちょっとでしょうか。彼らが一緒にいたというのは。それだけでイギリスさんの中でアメリカさんは弟以外の何者でもなくなってしまった。ロシアさん、貴方には姉妹がいらっしゃいますよね?」
「うん」
「ではもう身内はいらないじゃないですか」
「そういうものかな」
「貴方はイギリスさんと兄弟になりたいんですか?」
「それは嫌だなぁ」
「なら今のままで十分ですよ。なんと言っても貴方達は」
春の陽気にも負けないくらいの、熱烈な恋人同士なのでしょう?
と、自分で言った言葉に照れてしまいながら、日本は日だまりの中で幸せそうに口元をゆるめるロシアの髪にそっと指先を伸ばした。
先ほどから気になる花びらを静かに払い落せば、触れた髪の柔らかさにそのまま頭を撫でてしまいたくなってしまう。
ロシアは警戒心もなくその手の動きを上目遣いで眺めながら、「幸せってほんと、単純なんだね」と悟ったような口ぶりでそう言った。
「そうだ。貴方にこれをさしあげましょう」
日本は上着のポケットから水色の小さな袋を取り出して、ロシアの目の前に掲げる。怪訝そうな表情で受け取り、中身を取り出した彼の手のひらにはチェーンのついた薄くて丸い容器が乗せられた。
スライド式になっている蓋を横にずらせば唐突に薫ってくるのは南国の香り。
目を見開いて驚いたようにこちらを見上げるロシアに、日本はごそごそとさらにポケットを漁って薄っぺらい紙切れ一枚を引っ張り出した。
「えーと、『香りの始まりはパッションフルーツ、ハニーサックルです。ミドルではジャスミンの花びらが官能的にオスマンローズを包み込み、最後に心地よいアミリスウッドやホワイトムスクが香ります』……だそうですよ」
「インカントチャーム……? フェラガモだね」
袋に白抜きしてある文字を読んだロシアが、イタリアの有名な靴メーカーの名前を上げた。
日本は首肯するとまだもう少し先の季節に想いを馳せながら、まるでその行く末を見守るかのような顔をする。
「先日イタリア君に頂いたんです。えーと、なんでしたでしょう、香水ではなくて……」
「ソリッドパヒューム」
「そうそれです。新作なのだそうですよ」
ロシアは普段からあまりフレグランスには興味がなく、ほとんどつけたこともなかった。男性用があるのは知っているが、どうもそういうものは女性が好んで付けるイメージだったし、寒い北の大地にはあまりに不似合いに感じられて仕方がなかったのだ。
むろん匂いまで凍ってしまうことはないだろうが、自分がフランスやオーストリアのような華やかさに欠けることは自覚している。
「どうして僕に? 女の人にあげればいいじゃない」
「コンセプトは『旅立ちの時』。今の貴方には丁度いいでしょう」
幸せに満ち溢れた光輝く魔法の香り。
春ははじまりの季節であり、新しい自分を発見することが出来る生まれ変わりの時でもある。
ロシアがイギリスと共にいることで少しでも安らぎ、穏やかに変わっていけるというのなら、祝福しないわけがない。
普段から国境を接する者同士、微妙な駆け引きを繰り返している相手だからこそいい方向に変わっていってもらいたかった。もちろん友人の一人として幸せを願うのも当たり前の気持ちではあったが。
それに誰であれ、こんなふうに笑える人の前では自分だって幸福になれるものだ。
満ち足りた春色の笑顔はこれから訪れるであろう夏の明るさを待ち望み、凍えた冬の気配を払拭させてどこまでも輝いて見える。
あぁいいなぁ、と素直に思ったのだ。
「それに、香りを分け合うとまるで、離れていても傍にいるように感じられませんか?」
悪戯っぽくそう言えば、え、と驚いた顔をしてロシアはアメジスト色の瞳を見開いた。桜の花びらを映していたそれが日本の顔を色濃く映し出す。
透明な水晶にも似たその奥にまぎれもない動揺が見て取れて、ふいに面白く感じられ日本は声を立てて笑った。いつも飄々と澄ました顔をしていてもやはり彼はまだまだ若い。アメリカほどではなかったが、こういう顔をすると途端に幼くなって、実に可愛いらしいものではないかと思ってしまうのだ。
身体ばかりは大きくて、精神的に成熟しきっておらず、それでも大国として世界の中心に立つ彼らを前にすると、その瑞々しさがいつだって眩しく感じられてならなかった。
「そっかぁ。それ、いいね」
ソリッドパヒュームの小さな器を大きな手の中で握り締めて、次に会った時に試してみると言ったロシアを見つめながら、春は本当に人を陽気にさせるものだと日本は思った。
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