紅茶をどうぞ
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ブルーブルースカイ
俺はね、もう疲れちゃったんだ、イギリス。
告白をしたのは俺の方からだったね。
長い長いわだかまりをなんとか乗り越えて、俺は色んな葛藤を振り切ってかつて兄と呼びかけたイギリスを相手に、恋愛感情を持って「好きだ」と気持ちを伝えたんだ。
するとイギリス、君はこれ以上ないほどびっくりしたのち、「俺も」と言って唇にキスをかわしてくれたよね。
けれど。
幼い俺を抱き上げて、高い空と広い海を二人で眺めたあの日から今日まで。いくつもの思い出は美しく、それはそれは色鮮やかで、どんなに願ってももう二度と取り戻せないものだからこそ尊く感じる。
だからイギリスはいつも過去を想い、過去に心を傾け続けた。
待とうと思った。
彼が昔のアメリカから眼を背け、今現在のアメリカを見る時までずっと待とうと決めて、事実今まで待ち続けていた。
でもね、もう疲れてしまったんだよ。
過去の自分に、イギリスの愛情を一身に受けるあの小さな子供に、俺はいつだって敵わないんだ。自分自身に嫉妬するなんてさ、本当に格好悪くて情けなくて、そしてすごくすごく苦しくて痛い。
「……ふっ……」
涙が溢れて止まらないよ。
今まで何度も何度も涙を飲んできた。でももう駄目で、抑え切れないそれはあとからあとから零れ落ちていく。
イギリス、イギリス。
好きだよ、大好き。愛している。
でも俺はもう待つことはやめるよ。
これ以上俺の中の君が霞んでしまわないうちに。
俺は『俺』を嫌いになんかなりたくないんだ。
だから、さよなら。
夜の街並みを彩るイルミネーション。
楽しげに街行く恋人たちの姿を見ていると、独り身の寂しさに思わず重い溜息がこぼれた。
「恋人達の甘い夜、なんて誰が言ったんだろうね。まったく」
仕事を終えて自宅への道を車で飛ばしながら、アメリカは今夜も夕食はマクドナルドでいいかなどと思う。作るのは面倒くさいし、一人で外食するのもなんだか空しい。
大好きなハンバーガーをテイクアウトして家でハリウッド映画を見ていれば、この鬱屈した気持ちも少しは晴れるだろうと結論付けて、そのままドライブスルーへと入っていった。
あぁそうだ、コカコーラも忘れずに買わなければとぼんやり思う。
イギリスと別れてからもう一ヶ月が過ぎていた。
彼とはあれからプライベートでは会っていない。はじめ別れを切り出したアメリカにイギリスは心底驚いた顔をしたものの、なんとなくはじめからわかっていたかのような態度でとくに詰め寄ることもなく、涙ぐみながらも素直に別れを受け入れてくれた。
複雑な心境だったものの、お互いどこかほっとした雰囲気を感じていたのはきっと気のせいなんかじゃなかっただろう。イギリスはどこまでいってもアメリカを恋人としてではなく弟として扱い、アメリカもまたそんなイギリスに言葉に出来ない苛立ちを抱えるだけだった。
だからこうやって改めて距離を置くことを決めれば、それはまるでそうなるべくしてなったかのような自然さを二人に与えた。悔しくもあったし悲しくもあったのは事実。痛くて切なくてその日の夜はバスルームでもベッドの中でもアメリカは大泣きをした。
いつかイギリスと恋人同士として分かり合える日を夢見ていた自分が、越えられない壁に涙するなんて告白した当初は思いもよらなかったのだから。
けれどアメリカはもう二度とイギリスを求めないことに決めた。
それは決して負けを認めたわけではなく、このままずっと固執し続ければいつか自分は彼のことをどうしようもなく憎んでしまいそうだと思ったからだ。
嫌いにだけはなりたくない。あんなに好きだった人を、逆さまの感情で見ることだけはしたくはなかった。
だからこれで良かったのだと思う。イギリスにとってもアメリカにとっても、幼い頃に兄弟として抱いた想いや、つい先日までの恋人として募らせた想いの数々は、色褪せないまま大切な思い出の瞬間として閉じ込めてしまった方がいい。
そうして新しい二人の関係をまた模索していこうと思っている。
ふと、助手席に置いていた鞄の中で携帯が振動した。
右手でさぐって取り出して、ちらりと液晶画面に目線を滑らせれば、そこにはなんとも意外な人物の名が浮かび上がっている。
「ロシア……?」
珍しいこともあるものだ。一体なんの用だろうと思って通話ボタンを押して耳に当てれば、電話越しにゆったりとした穏やかな声が聞こえてきた。
『もしもしアメリカ君? 僕だけど』
「どうしたんだい? 君が俺の携帯に電話をかけてくるなんて随分珍しいね。驚いたよ」
『うん、ちょっと聞きたいことがあって。ね、今どこ?」
「車。運転中なんだ」
『え、そうなの? じゃあ今日は自宅に戻ってくる?』
「あと5分ってとこかな。なに? 長い話なのかい?」
『別にそういうわけでもないんだけど』
携帯を通じて話せる内容ではないのだろうか。
このまま帰宅後ゆっくりしたかったアメリカは、正直、面倒くさいなと感じた。誰だって仕事の延長を家に帰ってまでやりたいとは思わない。自然と声に不機嫌さが滲みかけ、慌てて咳払いで誤魔化した。
ロシアだって何も好き好んで自分に電話をかけてきているわけではあるまい。お互い立場ある身なのだから、好悪の問題で放り投げるような無責任な真似は出来なかった。ここで相手の機嫌を損ねるのは賢いやり方ではない。
「着いたら折り返し掛け直せばいいかい?」
『ううん、その必要はないかな』
「え? 何か話があったんだろ?」
『うん。でも君が今日、ちゃんと家に帰ってくるならもういいや』
「それは……」
一体どういう意味だろう? さっぱり分からない。
疑問で頭をいっぱいにしたアメリカは、続けて流れてくるロシアの声に耳を傾けた。
『今ねー君の家の前にいるんだ』
「は!?」
突拍子もない台詞に慌ててハンドルを切りそこないながら、アメリカは肩と耳で携帯電話を押さえつつ、自宅への直線道路に入るため左折した。
『それでね、泊めてもらいたいんだけど』
「いきなりなんでだい!?」
『ホテル予約してないんだ。ダメなら……うーん、どうしよう?』
「知らないよ!」
勝手に人の家の前で野宿されても困る。だからと言ってロシアを自宅に招き入れ、あまつさえ宿を提供しなければならないいわれはない。
公的な訪問ならいざ知らず、プライベートでそこまでするほど自分達は親しくないはずだ。
それに今は誰とも会話したくない。日本やカナダなど仲の良い彼らとだって必要以上に会いたいと思わないのに、それが何故ロシアなんかとと苛立ちが込み上げてくる。
仕事でくたくたになって、恋人とも別れて、クリスマスも一人寂しく過ごしたというのに、なんだか無性に腹が立って仕方がなかった。
「モーテルならその辺にあるからそっちに行けば良いじゃないか」
ついイラッとしてそんなふうに突き放すよう言えば、ロシアはしばらく黙り込んだのちぼそりと『ヒーローなのに冷たいね』と拗ねたように言った。
その言い方があまりにも素に感じて、一瞬目を丸くしてアメリカは思わず携帯電話を取り落としそうになってしまう。
「き、君ねぇ」
『アメリカ君はヒーローなんでしょ。寒空の下『同盟国』を放って置くの?』
「……なんでこの時期に俺の家なんかに」
普段は絶対に寄り付きもしないというのに、ロシアの行動は本当に意味不明で謎だ。
けれどどう思っていようとも、車はスムーズに自宅のガレージ前へと到着してしまう。今更急用が出来たと別の場所に移動するのも癪に障るし、仕方なく愛車を駐車して荷物を手に玄関先へと回る。
本当にいるのだろうかとやや懐疑的になりながらも足早に移動すれば、そこには確かに見慣れた長身の男の姿があった。
自分の家の前に彼がいることに違和感を感じ、またこちらを向いていつも通り軽く人を小馬鹿にするような微笑を浮かべるロシアに腹が立って仕方がない。
「本当に来てたんだ、君」
「僕は嘘はつかないよ。アメリカ君と違ってね」
「俺だって嘘なんかつかないぞ。ヒーローだからね!」
機嫌の悪さを口調に滲ませながら、追い返すわけにも行かないのでアメリカは電子ロックを解除した家の中にロシアを招き入れる。
訪問客と言って良いのかは分からなかったが、彼の言うように『同盟国』であることに間違いはない。実に不本意ながらヒーローとして寒空に知人を放って置くのも気が引けし、嫌々ながらも客として扱うことにした。
リビングに通してエアコンのスイッチを入れながら、コートを受け取ろうと振り向きざまロシアの顔を見て、アメリカは目を丸くした。
「ねぇ君、なんか顔赤くないかい?」
明るいところで見た彼の顔は、まるで酔っ払いのように真っ赤になっている。普段から青白い顔色のせいで余計それが目を引いた。
言われたロシアはぱちぱちとまばたきを繰り返しながらこてんと首を横に倒す。
「え? そう? 寒かったからかなぁ」
「寒いって、うちより君んちの方がずっと寒いだろう?」
「あぁ、うん、そうだけど……ね、顔、赤くなってるって、あったかいからじゃなくて?」
「暖房、まだぜんぜん効いてないじゃないか」
呆れて肩を竦めて見せれば、彼は一瞬ぼんやりとした表情を浮かべたのち、勝手にコートを脱ぎ散らかしてソファに座り、あまつさえ子供のように足をばたばたさせた。
思わぬ行動に怒鳴るのも忘れて茫然としていれば、ロシアはさらりとさらに驚くべきことを告げる。
「昨日さ、あんまりにも寒いから冷水をずーっと浴びてたの」
「……は? なんだいそれ、意味不明なんだけど」
「だから、風邪! ひけたのかもね」
「ひけたって、君、風邪ひいてるのかい!?」
「身体すっごくあったかくて気分いいや」
実に理解に苦しむ。
人はそれを「発熱状態」と言うんじゃないだろうか。
本格的に目の前の人物が薄気味悪い存在に見えて、アメリカは仕事の疲労や最近の心痛も重なってか、地の底に沈むような深い溜息をついてしまった。
なんなんだい。これは一体どんな試練なんだい!?
心底鬱陶しくなって、とにかく熱いコーヒーでも淹れようとキッチンに向った。
その間もカウンター越しにリビングを覗き見れば、ロシアはふくれっつらをしたままぶつぶつと言い募る。
「最近のアメリカ君。なんだかアメリカ君らしくないから。殴らなくちゃって思って来たんだけど」
「なんで俺が殴られなくちゃならないんだい!」
「青空」
「は?」
「見られないのはつまらなから」
意味が分からない。
けれどまるで拗ねたように唇を尖らせると、ロシアはきつくこちらを睨みつけてさらに言葉を続けた。
「君の目、青い青い夏色の空だよね。それなのにここ最近ずーっと曇り空で見ていてとっっても不愉快なんだ。ねぇ、そんな目やめてよ」
「言っている意味が全然分からないぞ」
「なんで泣いてるの? 君の泣き顔不細工だよ」
酔っ払ってもいないくせに酔っ払いも驚くようなことを言う。
アメリカは眉間にぎゅっと皺を寄せると、用意しかけたコーヒー豆の袋を流しに置いて再びロシアの傍へと歩みを進めた。そして「誰が泣いてるって!?」と声を荒げる。
けれど彼は真っ赤な顔をしてどこかうるんだような瞳で睨んだまま、薄い唇を不機嫌に歪め「イギリス君と」と意外な名前を口にした。
「イギリスが、なんだい?」
「別れたからって、なに? 別にいいじゃない、ショック受けるようなこと? イギリス君が君のこと弟扱いしてたの、そんなに気に入らなかったの?」
「……ロシアには関係ない!!」
思いも寄らない内容にカッと頭に血が上り、一気に高ぶった気持ちのまま怒鳴り声を上げていた。
なんでそんなことをこの男に言われなければならない!?
何様のつもりなのだろう、あまりに不快すぎる!
そう思ってさらに叫ぼうと口を開きかけたところで、ロシアは同じように怒りで柳眉を吊り上げ、拳をぐっと握り締めると身を乗り出し勢いよくこちらの胸倉を掴んできた。
「関係なくなんかないよ。だって僕は青空が好きだから。君のその不細工で不機嫌で泣きっ放しの顔、ほんとムカつく」
「意味が分からない!」
「ふられちゃったからってそんなことくらいで傷ついて落ち込んでるの? ほんっと随分と情けないね、アメリカ君」
「っ……」
「どんな時でも、雨が降っていても雪が降っていても、夏でも冬でも、青い青い空を見せてくれなきゃダメ。君はいつでも笑ってないとダメなのに!」
苛立ちを含んだその声に、一瞬頭に血が上って思考が真っ白になりかけながら、アメリカはふとその意味に引っかかりを覚えて開きかけた口を閉ざした。
今、彼はなんと言ったのだろう。
「……ロシア?」
「青空。青い空、大好き。見ているだけであったかい気持ちになれる……それなのに、最近曇ってばかりなんだ。頭にくる。すごく腹が立つんだ」
「…………」
朦朧とした口調は高熱のためか、それとも。
衿元を掴んだロシアの手が外れ、彼はそのまま糸が切れた人形のようにずるずると倒れこんでゆく。その無駄にがっしりとした身体を抱きとめ、寝ちゃったんだぞ、と呟いてアメリカは一気に脱力した。
こんなふうに詰め寄られたのも至近距離で触れ合うのもはじめての経験なので心底困惑したが、ロシアの頭が熱のせいで相当ぶっ飛んでいることだけは分かった。
触れる体は熱い。北の大国とは思えないくらいのその高い体温に、彼がちょっとやそっとでは治らないほど酷い風邪を引いていることは間違いなく分かった。
「君、あとで後悔したって知らないからね」
ふっくらとした赤みを帯びた頬を撫で、アメリカは眉をひそめて思い切り不機嫌な顔でそう言う。
まったく、一体どういう思考回路の捩れで現状に至るのか理解不能だが、それでも胸中を埋め尽くしていた不快感はいつの間にか薄らいでしまっている。
青空、ねぇ。
馬鹿馬鹿しい。なんて馬鹿なことを言うんだろうか。
さんざん自分のことを嫌いだ何だと罵倒してきた分際で、なにをとち狂ったことを言っているのかと、アメリカは自分の中にわだかまる全ての鬱屈した感情を吐息につめこんだ。
腕の中の重みは増すばかりで、これから先どうすればいいのかさっぱり分からない。
けれど確かに何かが変わっていくのが感じられた。
告白をしたのは俺の方からだったね。
長い長いわだかまりをなんとか乗り越えて、俺は色んな葛藤を振り切ってかつて兄と呼びかけたイギリスを相手に、恋愛感情を持って「好きだ」と気持ちを伝えたんだ。
するとイギリス、君はこれ以上ないほどびっくりしたのち、「俺も」と言って唇にキスをかわしてくれたよね。
けれど。
幼い俺を抱き上げて、高い空と広い海を二人で眺めたあの日から今日まで。いくつもの思い出は美しく、それはそれは色鮮やかで、どんなに願ってももう二度と取り戻せないものだからこそ尊く感じる。
だからイギリスはいつも過去を想い、過去に心を傾け続けた。
待とうと思った。
彼が昔のアメリカから眼を背け、今現在のアメリカを見る時までずっと待とうと決めて、事実今まで待ち続けていた。
でもね、もう疲れてしまったんだよ。
過去の自分に、イギリスの愛情を一身に受けるあの小さな子供に、俺はいつだって敵わないんだ。自分自身に嫉妬するなんてさ、本当に格好悪くて情けなくて、そしてすごくすごく苦しくて痛い。
「……ふっ……」
涙が溢れて止まらないよ。
今まで何度も何度も涙を飲んできた。でももう駄目で、抑え切れないそれはあとからあとから零れ落ちていく。
イギリス、イギリス。
好きだよ、大好き。愛している。
でも俺はもう待つことはやめるよ。
これ以上俺の中の君が霞んでしまわないうちに。
俺は『俺』を嫌いになんかなりたくないんだ。
だから、さよなら。
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夜の街並みを彩るイルミネーション。
楽しげに街行く恋人たちの姿を見ていると、独り身の寂しさに思わず重い溜息がこぼれた。
「恋人達の甘い夜、なんて誰が言ったんだろうね。まったく」
仕事を終えて自宅への道を車で飛ばしながら、アメリカは今夜も夕食はマクドナルドでいいかなどと思う。作るのは面倒くさいし、一人で外食するのもなんだか空しい。
大好きなハンバーガーをテイクアウトして家でハリウッド映画を見ていれば、この鬱屈した気持ちも少しは晴れるだろうと結論付けて、そのままドライブスルーへと入っていった。
あぁそうだ、コカコーラも忘れずに買わなければとぼんやり思う。
イギリスと別れてからもう一ヶ月が過ぎていた。
彼とはあれからプライベートでは会っていない。はじめ別れを切り出したアメリカにイギリスは心底驚いた顔をしたものの、なんとなくはじめからわかっていたかのような態度でとくに詰め寄ることもなく、涙ぐみながらも素直に別れを受け入れてくれた。
複雑な心境だったものの、お互いどこかほっとした雰囲気を感じていたのはきっと気のせいなんかじゃなかっただろう。イギリスはどこまでいってもアメリカを恋人としてではなく弟として扱い、アメリカもまたそんなイギリスに言葉に出来ない苛立ちを抱えるだけだった。
だからこうやって改めて距離を置くことを決めれば、それはまるでそうなるべくしてなったかのような自然さを二人に与えた。悔しくもあったし悲しくもあったのは事実。痛くて切なくてその日の夜はバスルームでもベッドの中でもアメリカは大泣きをした。
いつかイギリスと恋人同士として分かり合える日を夢見ていた自分が、越えられない壁に涙するなんて告白した当初は思いもよらなかったのだから。
けれどアメリカはもう二度とイギリスを求めないことに決めた。
それは決して負けを認めたわけではなく、このままずっと固執し続ければいつか自分は彼のことをどうしようもなく憎んでしまいそうだと思ったからだ。
嫌いにだけはなりたくない。あんなに好きだった人を、逆さまの感情で見ることだけはしたくはなかった。
だからこれで良かったのだと思う。イギリスにとってもアメリカにとっても、幼い頃に兄弟として抱いた想いや、つい先日までの恋人として募らせた想いの数々は、色褪せないまま大切な思い出の瞬間として閉じ込めてしまった方がいい。
そうして新しい二人の関係をまた模索していこうと思っている。
ふと、助手席に置いていた鞄の中で携帯が振動した。
右手でさぐって取り出して、ちらりと液晶画面に目線を滑らせれば、そこにはなんとも意外な人物の名が浮かび上がっている。
「ロシア……?」
珍しいこともあるものだ。一体なんの用だろうと思って通話ボタンを押して耳に当てれば、電話越しにゆったりとした穏やかな声が聞こえてきた。
『もしもしアメリカ君? 僕だけど』
「どうしたんだい? 君が俺の携帯に電話をかけてくるなんて随分珍しいね。驚いたよ」
『うん、ちょっと聞きたいことがあって。ね、今どこ?」
「車。運転中なんだ」
『え、そうなの? じゃあ今日は自宅に戻ってくる?』
「あと5分ってとこかな。なに? 長い話なのかい?」
『別にそういうわけでもないんだけど』
携帯を通じて話せる内容ではないのだろうか。
このまま帰宅後ゆっくりしたかったアメリカは、正直、面倒くさいなと感じた。誰だって仕事の延長を家に帰ってまでやりたいとは思わない。自然と声に不機嫌さが滲みかけ、慌てて咳払いで誤魔化した。
ロシアだって何も好き好んで自分に電話をかけてきているわけではあるまい。お互い立場ある身なのだから、好悪の問題で放り投げるような無責任な真似は出来なかった。ここで相手の機嫌を損ねるのは賢いやり方ではない。
「着いたら折り返し掛け直せばいいかい?」
『ううん、その必要はないかな』
「え? 何か話があったんだろ?」
『うん。でも君が今日、ちゃんと家に帰ってくるならもういいや』
「それは……」
一体どういう意味だろう? さっぱり分からない。
疑問で頭をいっぱいにしたアメリカは、続けて流れてくるロシアの声に耳を傾けた。
『今ねー君の家の前にいるんだ』
「は!?」
突拍子もない台詞に慌ててハンドルを切りそこないながら、アメリカは肩と耳で携帯電話を押さえつつ、自宅への直線道路に入るため左折した。
『それでね、泊めてもらいたいんだけど』
「いきなりなんでだい!?」
『ホテル予約してないんだ。ダメなら……うーん、どうしよう?』
「知らないよ!」
勝手に人の家の前で野宿されても困る。だからと言ってロシアを自宅に招き入れ、あまつさえ宿を提供しなければならないいわれはない。
公的な訪問ならいざ知らず、プライベートでそこまでするほど自分達は親しくないはずだ。
それに今は誰とも会話したくない。日本やカナダなど仲の良い彼らとだって必要以上に会いたいと思わないのに、それが何故ロシアなんかとと苛立ちが込み上げてくる。
仕事でくたくたになって、恋人とも別れて、クリスマスも一人寂しく過ごしたというのに、なんだか無性に腹が立って仕方がなかった。
「モーテルならその辺にあるからそっちに行けば良いじゃないか」
ついイラッとしてそんなふうに突き放すよう言えば、ロシアはしばらく黙り込んだのちぼそりと『ヒーローなのに冷たいね』と拗ねたように言った。
その言い方があまりにも素に感じて、一瞬目を丸くしてアメリカは思わず携帯電話を取り落としそうになってしまう。
「き、君ねぇ」
『アメリカ君はヒーローなんでしょ。寒空の下『同盟国』を放って置くの?』
「……なんでこの時期に俺の家なんかに」
普段は絶対に寄り付きもしないというのに、ロシアの行動は本当に意味不明で謎だ。
けれどどう思っていようとも、車はスムーズに自宅のガレージ前へと到着してしまう。今更急用が出来たと別の場所に移動するのも癪に障るし、仕方なく愛車を駐車して荷物を手に玄関先へと回る。
本当にいるのだろうかとやや懐疑的になりながらも足早に移動すれば、そこには確かに見慣れた長身の男の姿があった。
自分の家の前に彼がいることに違和感を感じ、またこちらを向いていつも通り軽く人を小馬鹿にするような微笑を浮かべるロシアに腹が立って仕方がない。
「本当に来てたんだ、君」
「僕は嘘はつかないよ。アメリカ君と違ってね」
「俺だって嘘なんかつかないぞ。ヒーローだからね!」
機嫌の悪さを口調に滲ませながら、追い返すわけにも行かないのでアメリカは電子ロックを解除した家の中にロシアを招き入れる。
訪問客と言って良いのかは分からなかったが、彼の言うように『同盟国』であることに間違いはない。実に不本意ながらヒーローとして寒空に知人を放って置くのも気が引けし、嫌々ながらも客として扱うことにした。
リビングに通してエアコンのスイッチを入れながら、コートを受け取ろうと振り向きざまロシアの顔を見て、アメリカは目を丸くした。
「ねぇ君、なんか顔赤くないかい?」
明るいところで見た彼の顔は、まるで酔っ払いのように真っ赤になっている。普段から青白い顔色のせいで余計それが目を引いた。
言われたロシアはぱちぱちとまばたきを繰り返しながらこてんと首を横に倒す。
「え? そう? 寒かったからかなぁ」
「寒いって、うちより君んちの方がずっと寒いだろう?」
「あぁ、うん、そうだけど……ね、顔、赤くなってるって、あったかいからじゃなくて?」
「暖房、まだぜんぜん効いてないじゃないか」
呆れて肩を竦めて見せれば、彼は一瞬ぼんやりとした表情を浮かべたのち、勝手にコートを脱ぎ散らかしてソファに座り、あまつさえ子供のように足をばたばたさせた。
思わぬ行動に怒鳴るのも忘れて茫然としていれば、ロシアはさらりとさらに驚くべきことを告げる。
「昨日さ、あんまりにも寒いから冷水をずーっと浴びてたの」
「……は? なんだいそれ、意味不明なんだけど」
「だから、風邪! ひけたのかもね」
「ひけたって、君、風邪ひいてるのかい!?」
「身体すっごくあったかくて気分いいや」
実に理解に苦しむ。
人はそれを「発熱状態」と言うんじゃないだろうか。
本格的に目の前の人物が薄気味悪い存在に見えて、アメリカは仕事の疲労や最近の心痛も重なってか、地の底に沈むような深い溜息をついてしまった。
なんなんだい。これは一体どんな試練なんだい!?
心底鬱陶しくなって、とにかく熱いコーヒーでも淹れようとキッチンに向った。
その間もカウンター越しにリビングを覗き見れば、ロシアはふくれっつらをしたままぶつぶつと言い募る。
「最近のアメリカ君。なんだかアメリカ君らしくないから。殴らなくちゃって思って来たんだけど」
「なんで俺が殴られなくちゃならないんだい!」
「青空」
「は?」
「見られないのはつまらなから」
意味が分からない。
けれどまるで拗ねたように唇を尖らせると、ロシアはきつくこちらを睨みつけてさらに言葉を続けた。
「君の目、青い青い夏色の空だよね。それなのにここ最近ずーっと曇り空で見ていてとっっても不愉快なんだ。ねぇ、そんな目やめてよ」
「言っている意味が全然分からないぞ」
「なんで泣いてるの? 君の泣き顔不細工だよ」
酔っ払ってもいないくせに酔っ払いも驚くようなことを言う。
アメリカは眉間にぎゅっと皺を寄せると、用意しかけたコーヒー豆の袋を流しに置いて再びロシアの傍へと歩みを進めた。そして「誰が泣いてるって!?」と声を荒げる。
けれど彼は真っ赤な顔をしてどこかうるんだような瞳で睨んだまま、薄い唇を不機嫌に歪め「イギリス君と」と意外な名前を口にした。
「イギリスが、なんだい?」
「別れたからって、なに? 別にいいじゃない、ショック受けるようなこと? イギリス君が君のこと弟扱いしてたの、そんなに気に入らなかったの?」
「……ロシアには関係ない!!」
思いも寄らない内容にカッと頭に血が上り、一気に高ぶった気持ちのまま怒鳴り声を上げていた。
なんでそんなことをこの男に言われなければならない!?
何様のつもりなのだろう、あまりに不快すぎる!
そう思ってさらに叫ぼうと口を開きかけたところで、ロシアは同じように怒りで柳眉を吊り上げ、拳をぐっと握り締めると身を乗り出し勢いよくこちらの胸倉を掴んできた。
「関係なくなんかないよ。だって僕は青空が好きだから。君のその不細工で不機嫌で泣きっ放しの顔、ほんとムカつく」
「意味が分からない!」
「ふられちゃったからってそんなことくらいで傷ついて落ち込んでるの? ほんっと随分と情けないね、アメリカ君」
「っ……」
「どんな時でも、雨が降っていても雪が降っていても、夏でも冬でも、青い青い空を見せてくれなきゃダメ。君はいつでも笑ってないとダメなのに!」
苛立ちを含んだその声に、一瞬頭に血が上って思考が真っ白になりかけながら、アメリカはふとその意味に引っかかりを覚えて開きかけた口を閉ざした。
今、彼はなんと言ったのだろう。
「……ロシア?」
「青空。青い空、大好き。見ているだけであったかい気持ちになれる……それなのに、最近曇ってばかりなんだ。頭にくる。すごく腹が立つんだ」
「…………」
朦朧とした口調は高熱のためか、それとも。
衿元を掴んだロシアの手が外れ、彼はそのまま糸が切れた人形のようにずるずると倒れこんでゆく。その無駄にがっしりとした身体を抱きとめ、寝ちゃったんだぞ、と呟いてアメリカは一気に脱力した。
こんなふうに詰め寄られたのも至近距離で触れ合うのもはじめての経験なので心底困惑したが、ロシアの頭が熱のせいで相当ぶっ飛んでいることだけは分かった。
触れる体は熱い。北の大国とは思えないくらいのその高い体温に、彼がちょっとやそっとでは治らないほど酷い風邪を引いていることは間違いなく分かった。
「君、あとで後悔したって知らないからね」
ふっくらとした赤みを帯びた頬を撫で、アメリカは眉をひそめて思い切り不機嫌な顔でそう言う。
まったく、一体どういう思考回路の捩れで現状に至るのか理解不能だが、それでも胸中を埋め尽くしていた不快感はいつの間にか薄らいでしまっている。
青空、ねぇ。
馬鹿馬鹿しい。なんて馬鹿なことを言うんだろうか。
さんざん自分のことを嫌いだ何だと罵倒してきた分際で、なにをとち狂ったことを言っているのかと、アメリカは自分の中にわだかまる全ての鬱屈した感情を吐息につめこんだ。
腕の中の重みは増すばかりで、これから先どうすればいいのかさっぱり分からない。
けれど確かに何かが変わっていくのが感じられた。
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