紅茶をどうぞ
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開かずの扉 1-2
時々ふと思ってしまう。
ロシアにとって自分の存在というものは、たくさんあるものの中の一つでしかないのだろうと。
イギリスでなければならない理由はない。温かくて、美味しい紅茶を淹れて、頭を撫でて会いに来てくれる存在なら、なにもイギリスでなくとも構わないのだろう。
別に唯一無二になりたいとは言わないが、その他大勢では面白くないし少々つらい。
ソ連が崩壊して彼の傍からはたくさんの国が離れてしまって、ロシアの隣には「空き」があったにすぎなかった。そこにたまたま入り込んだのがイギリスというだけで、そのことにはなんの特別性もないのだ。
寂しいのは嫌い、寒いのは嫌い。ただそれだけの理由でロシアはイギリスを待っている。そのことが分かるからこそ……望まれているのが自分自身でないことなど百も承知しているからこそ、時々どうしようもない気分に陥るのだ。
はじめから分かっていたのに、いつから期待してしまっていたのだろう。
まるで心が擦り切れてしまいそうな気分だ。強すぎる感情は時として内側から全てを崩壊へと導く。
ロシアの感情はあまりにまっすぐで一本道で、折れることを知らない固い棒のようなもので、それが深く深く突き刺さって痛いくらいだ。
それでも、その感情の向う先が自分にだけならイギリスは満足出来る。ロシアが他の誰よりも何よりもイギリスを特別だと思うのならそれはそれで良しとしよう。好意を持つ相手に束縛されるのは、鬱陶しい時もあるだろうが決して嫌いなわけではない。
だが、ロシアの目にはイギリスは最初からあまりはっきりと映り込んではいないように思えた。彼の中では明確な形でイギリスの存在を捉えることは出来ないに違いない。
ロシアの価値観はいたって単純で、しごく分かり易い構造をしていた。この北の大国は、イギリスがイギリスであることのアイデンティティを必要とはしていなかった。ただ寒さや寂しさを埋めてくれる存在ならなんでもいいのだ。
向日葵でもいい、暖かな春の日差しだっていい。そこに紅茶を入れて頭を撫でて抱き締めてくれる腕があれば、相手のささいな感情など欠片もいらないのだろう。むしろそういったものは邪魔でしかない。
そしてそれはイギリスも同じだったはずだ。誰でもいいから愛したいし、愛されたい。その感情の発露が今こうして自分達が寄り添うただ一つの理由だった。そこに何か特別なものを求めたわけではなく、たんなる仮初の契約のようなものだと割り切っていたはずなのに。
けれど。
擬似的な恋愛がいつからこうも重たいものになってしまったのだろう。
そもそも最初からこの愛情に嘘も本当もあったのだろうか。
それすら分からなくなって、境界線があいまいになって、そして。
「イギリス君? 黙り込んじゃってどうしたの?」
「……ロシア」
「なに?」
「好きだ」
「うん、僕も大好きだよ。イギリス君の淹れてくれるお茶は美味しあったかいから、寂しくなくなって、とっても幸せな気持ちになれるんだよね」
ならば、淹れる紅茶がまずくなって、触れる指先が冷たくなって、ここへ来ることが出来なくなってしまったら、ロシアの中からイギリスの存在はなかったことになってしまうのだろうか。
あとかたもなく消え失せてしまうのだろうか。
この凍土に降り積もる雪のように、彼の心の中に永遠に溶けることなく居続けることは出来ないのだろうか。
出来ればちゃんと愛したいし愛されたい。
でもロシアの中にはそういった感情は恐らく存在しないだろうし、期待するだけ無駄だし、無理やりどうこう出来るたぐいのものでもなかった。
はじめは不器用なのかもしれない、分からないだけなのかも知れないと、そう思ったこともあったが、いつしかはっきりと理解出来るようになったのだ。
ロシアにははじめからそういった感情がきれいさっぱり欠落していることに。
彼の中には「自分」か「他人」かしかなく、「ロシア」か「ロシアじゃないか」のふたつしかなかった。それでおしまいだ。
そんなことはここ数年の付き合いで嫌というほど分かっていたはずだが、手っ取り早くて都合のいい相手、というあからさまにどうしようもない関係だとしたら落ち込んでしまうのも仕方がないだろう。
けれど、じゃあ世界でただ一人の特別な相手だなんて口が裂けても言えないわけだし、ロシアはもちろんことイギリスだってそこまで相手に心酔しているわけでも惚れ込んでいるわけでもなかった。
確かにロシアのことは好きだが、自分の何もかもを投げ打てるほどの深い愛情は持ち得ない。お互い『国』である以上は国益より優先させるべき事項はひとつたりともなくて当り前なのだ。
それに独占欲を向けられて身動きが取れないくらい縛り付けられてしまったら困るのは自分の方だ。領土問題も含めてロシアの本気は危険が大きすぎる。こんなところで第三次世界大戦を勃発させるわけにはいかないだろう。
だからロシアに対して責めるべき箇所もなければ、残念に思う事項もない。しごく自然であり普通であり、ただおかしいのはイギリスの気持ちだけということになる。
大理石のキッチンの上に茶器を並べるロシアの背中をぼんやりと見つめていれば、怪訝そうに彼が振り向く。どうしたの?と首をかしげるその姿がなんとなく可愛く見えて、気付いたら余計な事を口走っていた。
「ロシア、キスしたい」
「うんいいよ」
あっさりと長身を屈めて彼の唇が自分のそれに落ちて来るのを、イギリスはいつもほんの少しだけ身を引いて受け入れる。
国民性とは裏腹にロシアはあまりスキンシップを好まない。挨拶のキスを他国としているところをイギリスはこれまで見たことがなかったし、こういう関係になるまで自分も彼と触れあったことは一度だってなかった。
せいぜい握手を交わす時に一瞬だけ触れ合う指先が、お互いの一番の近距離だった。
少しだけ厚みがあり、ひやりと冷たく、それなのにかさつきのない柔らかな唇はまるで雪原に置き去りにされた子供のような感触だ。ずっとずっと触れ合って、少しでも自分の熱が彼に伝染ればいいのにと思ったこともあった。
けれどどんなに深く口吻けを交わしてもロシアの唇はやはり熱を帯びることはない。
そういう時イギリスは、ひどい寂しさと物足りなさを覚えた。こんなに近づいてこんなに触れ合ってこんなに想いを募らせても、彼は微動だにしないのだ。いっそ見事なほどに動じない。変化のないその姿は恐らく与えても与えても埋めることのない空っぽの器のようであり、微塵も揺るがないその様はまるで氷でできた彫像のようにも思えた。
「なぁロシア。お前の目に俺はどんなふうに映っているんだろうな」
「え? なになに?」
「いーや何でもない」
彼はきっと、本当はなにひとつ欲しいとは思っていないのかも知れない。全部ロシアになればいいと言って、あらゆるものに執着している素振りを見せても、心の底から切実に渇望することなど何もないのではないだろうか。
全部欲しい、ということはすなわち全部が等価値であるということだ。全部同じ。全部一緒。特別なものなんて何もない。AもBもCもDも、ロシアの中では全てが一緒くたになって、ごちゃ混ぜで判別がつき難いただの塊にしか過ぎないのではないだろうか。
つまりはそんな下らないことを考えさせるには十分なほど、イギリスは彼と二人きりでいる時間が長くなったということだ。
「倦怠期……だったらうける」
「もう、さっきから何一人でぶつぶつ言ってるのかなぁ」
「悪ぃ悪ぃ」
「嘘。ちっとも悪いって思ってないでしょ」
「お前も人の機微が分かるようになったのか? 成長したなぁ」
「馬鹿にしないでよ!」
そうやって拗ねて見せても、それが彼の本当の顔ではなかったとしたら?
あぁでも、結局どんな結末が待っていようとイギリスはロシアの傍を離れる気は起きないに違いない。心地よいと思ってしまうに違いないのだ。ならば考えるだけ無意味であり無駄な話だろう。
「そうだ。なぁお前さ、来週末は空いてるか?」
リビングのソファに腰掛けて、淹れたばかりの紅茶の香りを楽しみながら問いかければ、ロシアはちょっと待ってて、と言ってサイドボード上の小さなカレンダーを手に取った。
「とくに用事はないみたい」
「ならうちに来ないか」
「いいよ。ロンドンも結構雪が凄そうだよね」
「いや、今年は暖冬だからそうでもない。とにかく13日から14日にかけて、俺んちに来い」
「分かった」
にこりと嬉しそうに笑って頷くその顔を眺めてから、イギリスは彼の手元のカレンダーへと視線を移した。
そしてそこに踊る " February " の文字に、相変わらずどうしようもない期待を抱いている自分が本当に馬鹿に思えて嫌になった。
変らないでいることはとても楽だ。
見たくないもの、聞きたくないものには蓋をしてしまえばいい。
それが一番安易でお手軽でとても簡単な方法だろう。
……けれど自分はきっとそれを望んではいない。
ロシアにとって自分の存在というものは、たくさんあるものの中の一つでしかないのだろうと。
イギリスでなければならない理由はない。温かくて、美味しい紅茶を淹れて、頭を撫でて会いに来てくれる存在なら、なにもイギリスでなくとも構わないのだろう。
別に唯一無二になりたいとは言わないが、その他大勢では面白くないし少々つらい。
ソ連が崩壊して彼の傍からはたくさんの国が離れてしまって、ロシアの隣には「空き」があったにすぎなかった。そこにたまたま入り込んだのがイギリスというだけで、そのことにはなんの特別性もないのだ。
寂しいのは嫌い、寒いのは嫌い。ただそれだけの理由でロシアはイギリスを待っている。そのことが分かるからこそ……望まれているのが自分自身でないことなど百も承知しているからこそ、時々どうしようもない気分に陥るのだ。
はじめから分かっていたのに、いつから期待してしまっていたのだろう。
まるで心が擦り切れてしまいそうな気分だ。強すぎる感情は時として内側から全てを崩壊へと導く。
ロシアの感情はあまりにまっすぐで一本道で、折れることを知らない固い棒のようなもので、それが深く深く突き刺さって痛いくらいだ。
それでも、その感情の向う先が自分にだけならイギリスは満足出来る。ロシアが他の誰よりも何よりもイギリスを特別だと思うのならそれはそれで良しとしよう。好意を持つ相手に束縛されるのは、鬱陶しい時もあるだろうが決して嫌いなわけではない。
だが、ロシアの目にはイギリスは最初からあまりはっきりと映り込んではいないように思えた。彼の中では明確な形でイギリスの存在を捉えることは出来ないに違いない。
ロシアの価値観はいたって単純で、しごく分かり易い構造をしていた。この北の大国は、イギリスがイギリスであることのアイデンティティを必要とはしていなかった。ただ寒さや寂しさを埋めてくれる存在ならなんでもいいのだ。
向日葵でもいい、暖かな春の日差しだっていい。そこに紅茶を入れて頭を撫でて抱き締めてくれる腕があれば、相手のささいな感情など欠片もいらないのだろう。むしろそういったものは邪魔でしかない。
そしてそれはイギリスも同じだったはずだ。誰でもいいから愛したいし、愛されたい。その感情の発露が今こうして自分達が寄り添うただ一つの理由だった。そこに何か特別なものを求めたわけではなく、たんなる仮初の契約のようなものだと割り切っていたはずなのに。
けれど。
擬似的な恋愛がいつからこうも重たいものになってしまったのだろう。
そもそも最初からこの愛情に嘘も本当もあったのだろうか。
それすら分からなくなって、境界線があいまいになって、そして。
「イギリス君? 黙り込んじゃってどうしたの?」
「……ロシア」
「なに?」
「好きだ」
「うん、僕も大好きだよ。イギリス君の淹れてくれるお茶は美味しあったかいから、寂しくなくなって、とっても幸せな気持ちになれるんだよね」
ならば、淹れる紅茶がまずくなって、触れる指先が冷たくなって、ここへ来ることが出来なくなってしまったら、ロシアの中からイギリスの存在はなかったことになってしまうのだろうか。
あとかたもなく消え失せてしまうのだろうか。
この凍土に降り積もる雪のように、彼の心の中に永遠に溶けることなく居続けることは出来ないのだろうか。
出来ればちゃんと愛したいし愛されたい。
でもロシアの中にはそういった感情は恐らく存在しないだろうし、期待するだけ無駄だし、無理やりどうこう出来るたぐいのものでもなかった。
はじめは不器用なのかもしれない、分からないだけなのかも知れないと、そう思ったこともあったが、いつしかはっきりと理解出来るようになったのだ。
ロシアにははじめからそういった感情がきれいさっぱり欠落していることに。
彼の中には「自分」か「他人」かしかなく、「ロシア」か「ロシアじゃないか」のふたつしかなかった。それでおしまいだ。
そんなことはここ数年の付き合いで嫌というほど分かっていたはずだが、手っ取り早くて都合のいい相手、というあからさまにどうしようもない関係だとしたら落ち込んでしまうのも仕方がないだろう。
けれど、じゃあ世界でただ一人の特別な相手だなんて口が裂けても言えないわけだし、ロシアはもちろんことイギリスだってそこまで相手に心酔しているわけでも惚れ込んでいるわけでもなかった。
確かにロシアのことは好きだが、自分の何もかもを投げ打てるほどの深い愛情は持ち得ない。お互い『国』である以上は国益より優先させるべき事項はひとつたりともなくて当り前なのだ。
それに独占欲を向けられて身動きが取れないくらい縛り付けられてしまったら困るのは自分の方だ。領土問題も含めてロシアの本気は危険が大きすぎる。こんなところで第三次世界大戦を勃発させるわけにはいかないだろう。
だからロシアに対して責めるべき箇所もなければ、残念に思う事項もない。しごく自然であり普通であり、ただおかしいのはイギリスの気持ちだけということになる。
大理石のキッチンの上に茶器を並べるロシアの背中をぼんやりと見つめていれば、怪訝そうに彼が振り向く。どうしたの?と首をかしげるその姿がなんとなく可愛く見えて、気付いたら余計な事を口走っていた。
「ロシア、キスしたい」
「うんいいよ」
あっさりと長身を屈めて彼の唇が自分のそれに落ちて来るのを、イギリスはいつもほんの少しだけ身を引いて受け入れる。
国民性とは裏腹にロシアはあまりスキンシップを好まない。挨拶のキスを他国としているところをイギリスはこれまで見たことがなかったし、こういう関係になるまで自分も彼と触れあったことは一度だってなかった。
せいぜい握手を交わす時に一瞬だけ触れ合う指先が、お互いの一番の近距離だった。
少しだけ厚みがあり、ひやりと冷たく、それなのにかさつきのない柔らかな唇はまるで雪原に置き去りにされた子供のような感触だ。ずっとずっと触れ合って、少しでも自分の熱が彼に伝染ればいいのにと思ったこともあった。
けれどどんなに深く口吻けを交わしてもロシアの唇はやはり熱を帯びることはない。
そういう時イギリスは、ひどい寂しさと物足りなさを覚えた。こんなに近づいてこんなに触れ合ってこんなに想いを募らせても、彼は微動だにしないのだ。いっそ見事なほどに動じない。変化のないその姿は恐らく与えても与えても埋めることのない空っぽの器のようであり、微塵も揺るがないその様はまるで氷でできた彫像のようにも思えた。
「なぁロシア。お前の目に俺はどんなふうに映っているんだろうな」
「え? なになに?」
「いーや何でもない」
彼はきっと、本当はなにひとつ欲しいとは思っていないのかも知れない。全部ロシアになればいいと言って、あらゆるものに執着している素振りを見せても、心の底から切実に渇望することなど何もないのではないだろうか。
全部欲しい、ということはすなわち全部が等価値であるということだ。全部同じ。全部一緒。特別なものなんて何もない。AもBもCもDも、ロシアの中では全てが一緒くたになって、ごちゃ混ぜで判別がつき難いただの塊にしか過ぎないのではないだろうか。
つまりはそんな下らないことを考えさせるには十分なほど、イギリスは彼と二人きりでいる時間が長くなったということだ。
「倦怠期……だったらうける」
「もう、さっきから何一人でぶつぶつ言ってるのかなぁ」
「悪ぃ悪ぃ」
「嘘。ちっとも悪いって思ってないでしょ」
「お前も人の機微が分かるようになったのか? 成長したなぁ」
「馬鹿にしないでよ!」
そうやって拗ねて見せても、それが彼の本当の顔ではなかったとしたら?
あぁでも、結局どんな結末が待っていようとイギリスはロシアの傍を離れる気は起きないに違いない。心地よいと思ってしまうに違いないのだ。ならば考えるだけ無意味であり無駄な話だろう。
「そうだ。なぁお前さ、来週末は空いてるか?」
リビングのソファに腰掛けて、淹れたばかりの紅茶の香りを楽しみながら問いかければ、ロシアはちょっと待ってて、と言ってサイドボード上の小さなカレンダーを手に取った。
「とくに用事はないみたい」
「ならうちに来ないか」
「いいよ。ロンドンも結構雪が凄そうだよね」
「いや、今年は暖冬だからそうでもない。とにかく13日から14日にかけて、俺んちに来い」
「分かった」
にこりと嬉しそうに笑って頷くその顔を眺めてから、イギリスは彼の手元のカレンダーへと視線を移した。
そしてそこに踊る " February " の文字に、相変わらずどうしようもない期待を抱いている自分が本当に馬鹿に思えて嫌になった。
変らないでいることはとても楽だ。
見たくないもの、聞きたくないものには蓋をしてしまえばいい。
それが一番安易でお手軽でとても簡単な方法だろう。
……けれど自分はきっとそれを望んではいない。
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