紅茶をどうぞ
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開かずの扉 1-1
たとえばここに開かない扉があるとします。
鍵はとうの昔に失くしてしまいました。また、とても頑丈な扉なので押しても引いてもびくともしません。
たぶんそれを開ける方法ならいくらだって存在します。
けれど開け方ひとつでその後の展開もいろいろと変ってくるでしょう。
望むとおりの答えが得られるとは限りません。思いもかけない解答が用意されている場合だってあります。
それでも何もしなければ変化は訪れず、扉はいつまでも閉ざされたままなのです。
モスクワ郊外にあるロシアの家を目指して大通りを横切りながら、イギリスは自らの吐く息が凍えた空気に溶けゆくのを黙って見送った。
寒々とした灰色の空からは白い雪が絶え間なく降り続いている。地面を覆うその下はすでに厚い氷の層をなしていて、下手をすれば足を取られてひっくり返ってしまい兼ねなかった。
毎年百人単位で死傷者が出ると言われる危険地帯だ。慎重に慎重を重ねて人気のない寒空の下、一歩一歩確実に目的地へ向かって歩いていく。
週末から翌週にかけて思いがけない休暇を得たため、急遽ロシア行きを決めたのは昨日の夕方だった。仕事を終わらせてから速攻で連絡をすれば、ロシアは電話口でもそれと分かるほど嬉しそうに「待ってるね」と明るい声で応じた。
この時期のモスクワ行きは正直自殺行為に等しかったが、それでも折角の休日を自宅で無為に過ごしたくはない。幸いロシアも半日ずつなら時間が取れるということなので、ここは無理をしてでも足を運ばねばと思ってしまった結果だった。
このところお互い何かと忙しくて会えない日々が続いていた。暖かい季節でもないのでサンルームのお茶会に招待することも出来ず、世界会議も開催期間ではなかったので会う口実が思いつかなかったとも言える。
明確な理由がなければなかなか会おうと切り出せないまま数日が過ぎ、なんとか機会を見繕っていざ約束を取り交わしてみても、吹雪で空港が使えず徒労に終わったこともある。そうこうしているうちに年明けからこちら、まだ一度も顔を見てはいなかった。
大通りまではタクシーを使ったのだが、小道は除雪が完璧に成されているとは言いがたかったので、かなり手前で降りたため随分歩く羽目になってしまった。
かじかむ指先から感覚がそろそろなくなりかけた頃、ようやく目的地へと辿り着く。そのままざくざくと雪を踏みしめて見覚えのある屋敷の前で足を止めかけて……門前に佇む人影に気付き目を見開いてしまう。
どこまでも真っ白な世界に佇む長身が、ゆらりと動いてこちらを向いた。
「いらっしゃい、イギリス君」
「ロシア!?」
こんな寒い中いったい何をしているというのだろう。慌てて走り寄ればずるりと滑りそうになって、咄嗟に差し伸べられたロシアの腕にかろうじてしがみつくこととなった。危ない危ない。
「お前、どうしたんだ?」
「君のことを待っていたんだよ」
「え?」
思いがけない言葉に戸惑って相手の顔を見上げれば、ロシアはにこりと笑って上機嫌な様子でイギリスの髪についた雪を払い始める。
大人しくされるがままになりながら、ふと気付けばその身体を包み込むように覆う雪に気付いた。頭も肩もどこもかしこも白いのは衣服のせいではない。ベージュのコートが白く染まるほど彼は身体中に雪をまとっているのだった。
「お前こそすげぇ雪じゃねーか! なんでこんなところにいたんだ?」
「だってイギリス君が今日来るって言うから」
「何時になるか分からないって言っただろ。……もしかして電話してからずっとここにいたのか?」
「うん」
笑顔のまま子供のようにこくりと頷いたその顔が、普段よりももっとずっと青褪めて見えて、イギリスは猛烈な頭痛を覚えた。
確か自分は5時間以上も前に彼に電話をかけたはずだ。空港からここまで結構な距離があるし、雪のためところどころ通行止めになっていたせいでいつもより大分時間がかかってしまったのだが。
そんな長い時間をロシアは外で待ち続けていたというのか。
あぁそう言えば、確か前にも同じ光景を見た気がする。あれは真夏のことだった。あろうことか炎天下の中、じりじりとした陽光にさらされながら、彼はやはりこうしてずっと外でイギリスのことを待ち続けていた。
熱中症一歩手前のように赤い顔をしながらも、触れた手の平だけが奇妙なほど冷たくて、背筋が凍る思いがしたのは記憶に新しい。
「頼むから中で待ってろ」
「でも一秒だって早く会いたいし」
呆れたように言えばぷ、と膨れてロシアが反論してくる。
大の男がやるには可愛げのないそれを見てイギリスは溜息をつきつつ、手を伸ばして手触りの良い布地から雪を払い落としてやった。
「雪を積もらせたお前を見ると俺まで余計寒くなる」
「家に入ればあったかいから大丈夫だよ?」
「そういう意味じゃない」
あぁもう、会話が噛みあわないのはいつものことだが、ここまでもどかしい遣り取りも珍しい。価値観の相違はこんなところでも顔を出してくるというのか。
イギリスはこれまで、こんなふうに誰かを待たせたことはなかった。いや、正確に言えばここまでして待ってくれる人なんていなかった。
遥か昔に幼いアメリカが本国からの船の到着を港で待つことはあっても、それはきちんと屋根のついた待合所での話だ。間違っても全身に積雪3㎝なんて状態になることはありえない。
「待たせる方が心苦しいんだよ」
「でも待ちたいんだもの」
「お前って本当に自分勝手な奴だな。人の気持ちなんてちっとも考えやしねぇ」
「そんなサービスロシアにはないからね」
さらっと言ってロシアはイギリスを促して屋敷の方へと歩き出した。
玄関へと続く石畳はなんとか除雪されていたが、あとからあとから降り続く白い結晶は止む気配はなく、明日の朝にはまた山のように高く積もってしまうのだろう。
「お前は俺が好きなんだろ?」
歩きながら少々照れ気味にイギリスが問い掛ければ、目を丸くしてからロシアははにかんだように笑って応える。
「うん、大好きだよ」
「じゃあその俺が中で待ってろって頼んでるんだから、ちったぁ聞く耳持つ気はないのかよ?」
「待ちたいから待ってる。イギリス君の顔を一秒だって早く見たいから」
「俺が嫌なんだよ」
「僕は待ちたいの」
「駄目だ」
「やだ。待つって言ったら待つんだよ」
駄々を捏ねられて唖然とする。―――― あぁ、なんという堂々巡り。
頑固さでは自分も負けるつもりはさらさらないが、さすがにこれには呆れて何も言えなくなる。
確かに待ってもらえるのは嬉しい。ロシアが自分を待ち望み、寒空の下何時間もここにこうしていてくれたと言う事実は確かにイギリスを喜ばせる。けれど、こういうことではこの先長続きしないと思った。
噛み合わない歯車は、最初はわずかなズレでもそのうち取り返しのつかない歪みを生じさせる。ヒビは広がれば大きな亀裂となって、しまいにはバラバラに壊れてしまうものなのだ。
出来ることならほころびは小さなうちに修復しておきたい。
ロシアはそんなイギリスの困惑をまったく気にした風もなく、機嫌良さげに鼻歌まじりで手袋越しに手を引いた。そして屋敷の重い扉を軽々開けて中へと入って行く。
暖かな暖房のきいたエントランスで雪まみれのコートをふたりして脱げば、頬にふわりと落とされる唇の冷たさにぞくりと全身が震えた。
「お前、冷た過ぎる」
「あ……ごめんね?」
「いい、謝るな。熱い紅茶でも飲むか」
「うん」
そうやってキッチンに向かって再び並んで歩き出す。静かな屋内の廊下に二人分の足音が響き、豪奢な装飾の施された壁を横目に廊下を行き過ぎれば、イギリスは再び小さく溜息がこぼれ落ちてしまうのを止めることが出来なかった。
胸の奥がきしりと音を立てた気がする。
あぁまただ。また、自分は痛みを覚えている。
最近ロシアといるといろいろなところが痛んで仕方がなかった。頭だったり心だったり、ひどい時は身体中だったり。とにかく痛くて痛くてたまらなくて、息苦しさばかりを感じてしまうようになった。
そうやって針で刺されるような小さな痛みと、ナイフの先端がゆっくりと内側に沈められていくようなもどかしい苦痛がない交ぜになって、イギリスは思わず足を止めてしまう。それなのに。
ロシアはこちらに背を向けたまま、ただ自分だけが楽しいような足取りでどんどんと遠ざかって行くのだった。
通じ合わない。
噛み合わない。
ずっとずっとこのまま変らない。
でも、そんなのは……嫌だ。
鍵はとうの昔に失くしてしまいました。また、とても頑丈な扉なので押しても引いてもびくともしません。
たぶんそれを開ける方法ならいくらだって存在します。
けれど開け方ひとつでその後の展開もいろいろと変ってくるでしょう。
望むとおりの答えが得られるとは限りません。思いもかけない解答が用意されている場合だってあります。
それでも何もしなければ変化は訪れず、扉はいつまでも閉ざされたままなのです。
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モスクワ郊外にあるロシアの家を目指して大通りを横切りながら、イギリスは自らの吐く息が凍えた空気に溶けゆくのを黙って見送った。
寒々とした灰色の空からは白い雪が絶え間なく降り続いている。地面を覆うその下はすでに厚い氷の層をなしていて、下手をすれば足を取られてひっくり返ってしまい兼ねなかった。
毎年百人単位で死傷者が出ると言われる危険地帯だ。慎重に慎重を重ねて人気のない寒空の下、一歩一歩確実に目的地へ向かって歩いていく。
週末から翌週にかけて思いがけない休暇を得たため、急遽ロシア行きを決めたのは昨日の夕方だった。仕事を終わらせてから速攻で連絡をすれば、ロシアは電話口でもそれと分かるほど嬉しそうに「待ってるね」と明るい声で応じた。
この時期のモスクワ行きは正直自殺行為に等しかったが、それでも折角の休日を自宅で無為に過ごしたくはない。幸いロシアも半日ずつなら時間が取れるということなので、ここは無理をしてでも足を運ばねばと思ってしまった結果だった。
このところお互い何かと忙しくて会えない日々が続いていた。暖かい季節でもないのでサンルームのお茶会に招待することも出来ず、世界会議も開催期間ではなかったので会う口実が思いつかなかったとも言える。
明確な理由がなければなかなか会おうと切り出せないまま数日が過ぎ、なんとか機会を見繕っていざ約束を取り交わしてみても、吹雪で空港が使えず徒労に終わったこともある。そうこうしているうちに年明けからこちら、まだ一度も顔を見てはいなかった。
大通りまではタクシーを使ったのだが、小道は除雪が完璧に成されているとは言いがたかったので、かなり手前で降りたため随分歩く羽目になってしまった。
かじかむ指先から感覚がそろそろなくなりかけた頃、ようやく目的地へと辿り着く。そのままざくざくと雪を踏みしめて見覚えのある屋敷の前で足を止めかけて……門前に佇む人影に気付き目を見開いてしまう。
どこまでも真っ白な世界に佇む長身が、ゆらりと動いてこちらを向いた。
「いらっしゃい、イギリス君」
「ロシア!?」
こんな寒い中いったい何をしているというのだろう。慌てて走り寄ればずるりと滑りそうになって、咄嗟に差し伸べられたロシアの腕にかろうじてしがみつくこととなった。危ない危ない。
「お前、どうしたんだ?」
「君のことを待っていたんだよ」
「え?」
思いがけない言葉に戸惑って相手の顔を見上げれば、ロシアはにこりと笑って上機嫌な様子でイギリスの髪についた雪を払い始める。
大人しくされるがままになりながら、ふと気付けばその身体を包み込むように覆う雪に気付いた。頭も肩もどこもかしこも白いのは衣服のせいではない。ベージュのコートが白く染まるほど彼は身体中に雪をまとっているのだった。
「お前こそすげぇ雪じゃねーか! なんでこんなところにいたんだ?」
「だってイギリス君が今日来るって言うから」
「何時になるか分からないって言っただろ。……もしかして電話してからずっとここにいたのか?」
「うん」
笑顔のまま子供のようにこくりと頷いたその顔が、普段よりももっとずっと青褪めて見えて、イギリスは猛烈な頭痛を覚えた。
確か自分は5時間以上も前に彼に電話をかけたはずだ。空港からここまで結構な距離があるし、雪のためところどころ通行止めになっていたせいでいつもより大分時間がかかってしまったのだが。
そんな長い時間をロシアは外で待ち続けていたというのか。
あぁそう言えば、確か前にも同じ光景を見た気がする。あれは真夏のことだった。あろうことか炎天下の中、じりじりとした陽光にさらされながら、彼はやはりこうしてずっと外でイギリスのことを待ち続けていた。
熱中症一歩手前のように赤い顔をしながらも、触れた手の平だけが奇妙なほど冷たくて、背筋が凍る思いがしたのは記憶に新しい。
「頼むから中で待ってろ」
「でも一秒だって早く会いたいし」
呆れたように言えばぷ、と膨れてロシアが反論してくる。
大の男がやるには可愛げのないそれを見てイギリスは溜息をつきつつ、手を伸ばして手触りの良い布地から雪を払い落としてやった。
「雪を積もらせたお前を見ると俺まで余計寒くなる」
「家に入ればあったかいから大丈夫だよ?」
「そういう意味じゃない」
あぁもう、会話が噛みあわないのはいつものことだが、ここまでもどかしい遣り取りも珍しい。価値観の相違はこんなところでも顔を出してくるというのか。
イギリスはこれまで、こんなふうに誰かを待たせたことはなかった。いや、正確に言えばここまでして待ってくれる人なんていなかった。
遥か昔に幼いアメリカが本国からの船の到着を港で待つことはあっても、それはきちんと屋根のついた待合所での話だ。間違っても全身に積雪3㎝なんて状態になることはありえない。
「待たせる方が心苦しいんだよ」
「でも待ちたいんだもの」
「お前って本当に自分勝手な奴だな。人の気持ちなんてちっとも考えやしねぇ」
「そんなサービスロシアにはないからね」
さらっと言ってロシアはイギリスを促して屋敷の方へと歩き出した。
玄関へと続く石畳はなんとか除雪されていたが、あとからあとから降り続く白い結晶は止む気配はなく、明日の朝にはまた山のように高く積もってしまうのだろう。
「お前は俺が好きなんだろ?」
歩きながら少々照れ気味にイギリスが問い掛ければ、目を丸くしてからロシアははにかんだように笑って応える。
「うん、大好きだよ」
「じゃあその俺が中で待ってろって頼んでるんだから、ちったぁ聞く耳持つ気はないのかよ?」
「待ちたいから待ってる。イギリス君の顔を一秒だって早く見たいから」
「俺が嫌なんだよ」
「僕は待ちたいの」
「駄目だ」
「やだ。待つって言ったら待つんだよ」
駄々を捏ねられて唖然とする。―――― あぁ、なんという堂々巡り。
頑固さでは自分も負けるつもりはさらさらないが、さすがにこれには呆れて何も言えなくなる。
確かに待ってもらえるのは嬉しい。ロシアが自分を待ち望み、寒空の下何時間もここにこうしていてくれたと言う事実は確かにイギリスを喜ばせる。けれど、こういうことではこの先長続きしないと思った。
噛み合わない歯車は、最初はわずかなズレでもそのうち取り返しのつかない歪みを生じさせる。ヒビは広がれば大きな亀裂となって、しまいにはバラバラに壊れてしまうものなのだ。
出来ることならほころびは小さなうちに修復しておきたい。
ロシアはそんなイギリスの困惑をまったく気にした風もなく、機嫌良さげに鼻歌まじりで手袋越しに手を引いた。そして屋敷の重い扉を軽々開けて中へと入って行く。
暖かな暖房のきいたエントランスで雪まみれのコートをふたりして脱げば、頬にふわりと落とされる唇の冷たさにぞくりと全身が震えた。
「お前、冷た過ぎる」
「あ……ごめんね?」
「いい、謝るな。熱い紅茶でも飲むか」
「うん」
そうやってキッチンに向かって再び並んで歩き出す。静かな屋内の廊下に二人分の足音が響き、豪奢な装飾の施された壁を横目に廊下を行き過ぎれば、イギリスは再び小さく溜息がこぼれ落ちてしまうのを止めることが出来なかった。
胸の奥がきしりと音を立てた気がする。
あぁまただ。また、自分は痛みを覚えている。
最近ロシアといるといろいろなところが痛んで仕方がなかった。頭だったり心だったり、ひどい時は身体中だったり。とにかく痛くて痛くてたまらなくて、息苦しさばかりを感じてしまうようになった。
そうやって針で刺されるような小さな痛みと、ナイフの先端がゆっくりと内側に沈められていくようなもどかしい苦痛がない交ぜになって、イギリスは思わず足を止めてしまう。それなのに。
ロシアはこちらに背を向けたまま、ただ自分だけが楽しいような足取りでどんどんと遠ざかって行くのだった。
通じ合わない。
噛み合わない。
ずっとずっとこのまま変らない。
でも、そんなのは……嫌だ。
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