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 紅茶をどうぞ
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きらいきらいだいきらい!
 暗い夜の海はまるで、星ひとつない空のようにどこまでも深い闇色をしていた。
 打ちっぱなしのコンクリートは積年の潮風と海水に浸食され、ところどころがボロボロと欠片を散らしている。座りこめば冷たい感触だけが伝わって来た。

 風は、今夜はそんなにないようだ。
 身を切るような冷たい空気と、穏やかな波の音。
 その合間を縫って流れるのは今まさに降り出した雪のように白い影が、ゆっくりとちいさく紡ぐ歌声だった。

「……恩寵に満たさるるマリアよ、主は爾と偕にす」

 夜明けまでまだ遠い未明の中で、彼はただ歌を歌う。
 アメリカはそれを少し離れたところからじっと見つめていた。最初の頃は寒いだの早く帰ろうだの、ずっと言い続けた気がする。けれど一向にその場を動こうとしないロシアには何一つ届かなかった。広くて白い背中を見ているとこのまま彼はここで、雪に埋もれて氷になってしまいそうな気がする。

 雪を集めて固めると、白い粉はそのままひとつの氷となる。あぁそうだ、もしかすると彼は最初からそうやって形づくられたのかも知れない。ロシアならありえそうだと、浮かんだ想像にアメリカは薄く笑った。
 つるんとした滑らかな表面の、光を鈍く反射する凍てついたそれはきっと美しくも儚いものだろう。触れれば砕けてしまうかもしれない、そんな氷の塊を、たとえば眩しいくらい太陽が輝く南の国へと連れて行ったら。
 水となってたちまち蒸発して、次の雨まで還ってはこないかもしれない。
 ともすればそのまま消え失せて二度とアメリカとは巡り会わないかもしれない。
 そう言えばきっと彼は喜ぶに違いなかった。日頃から顔を見るのも不快だと公言するくらい嫌われてしまっているのだ、残念なことに。

「我等衆人を記憶して、我が不法より救はるるを得しめ給へ……」
「俺、ロシア正教歌って好きだな」

 繰り返されるメロディはラフマニノフの『アヴェ・マリア』。古教会スラブ語の聖歌は過去に数回だけ耳にしたことがあるが、そのどれもが美しく脳裏に刻まれ、英語の響きとはまた違った音の数々が心地良く記憶されていた。
 はじめてロシア国内に訪れて、皇帝と謁見した時のことだっただろうか。荘厳なクレムリン宮殿内でゆったりと奏でられた美しい音色も良かった。八調の独特なリズムは、馴染みのないものではあったが印象深くアメリカの中で混ざり合う。
 グレゴリオ聖歌を元にした、楽器は一切使わない声のみの音楽がロシア正教聖歌の特徴であると言われていたが、今ではそれも徐々に変わりつつあり、西洋音楽と混ざり合ってよりいっそう独特なものになりつつあった。
 そう言えばラフマニノフも晩年はアメリカへの亡命を果たし、二度と祖国の地を踏まぬまま生涯を終えたのではなかったか。

「でもちょっと暗くて重いよね」
「そう? まぁ君のところは底抜けに明るい歌ばかりだからね。とくに国歌とか」
「星条旗は名曲だぞ」
「大好きなイギリス君を倒して血まみれにした代償だから?」
「……そういう言い方は好きじゃない」
「ふーん。まぁ君たちの仲の良さは分かってるけどね。Special Relationship?」
「ああそうさ、特別な関係だ」

 米英両国の仲は親密かつ強固なものであるというそれは世界常識にも等しい。親しい結びつきをこの先も変わることなく、いつまでも。
 アメリカはそんなふうに返しながら、自国の国歌を口笛で吹き始めた。途端に眉をひそめるロシアのことなど気にも留めずにワンフレーズ吹き終われば、思い出したように曲を切り替える。
 え?と目を丸くするロシアに向かって器用にウインクをして見せながら、アメリカは楽しそうに笑った。

「俺、今のロシア国歌も好きだよ」
「サユーズ? それともラシーヤ?」

 つられたようにくす、と笑ってロシアは長いコートの裾を翻すように勢いよく立ち上がった。同じようにアメリカも立ち上がって傍に寄る。
 ぼんやりとした外灯に照らされた冷えた頬は、いつも以上の白さで浮かび上がっていた。
 
「ロシアの作曲家は世界一!」

 そう宣言されれば、アメリカは反論するように口を開きかける。が、それに被せるようにロシアは言った。

「僕、星条旗好きだなぁ」
「え!? そうなのかい?」
「星は大好き。あとカラフルなのもいいよね」

 空に浮ぶたくさんの星々と、赤と白のストライプのオールド・グローリー。
 赤は勇気、白は真実、青は正義を。この配色はそのままロシアの国旗にも通じるものがあった。スタンダードなトリコロールカラーは理念をも共通である場合が多い。

「中国君も確か好きだって言ってたよね」
「花みたいだって言われたぞ」
「あぁ、そうだね、花旗だっけ」

 思い出しながらロシアが頷けば、アメリカもまたそうそうと首を縦に振りつつ、急に吹いた北風に寒そうに肩を竦めた。
 もうそろそろ外に出て一時間は経とうとしている。すっかり身体も芯から冷え切ってしまっていて、正直指先が凍え始めている。
 ロシアにとってはなんでもない寒さでも、この時期のアメリカはいつも暖房全開のぬくぬくとした部屋に閉じ篭っていることが多いので、実は少々辛かった。慣れればなんとかなるかとも思ったのだが、無理して外出し続ける意味もない。

「どうでもいいけどそろそろ移動しよう。ここは寒すぎるよ!」
「自分の家に帰ればいいじゃない。今日はイブでしょ? パーティやるんじゃなかったの?」
「そういう君は教会には行かないのかい?」
「ロシアのクリスマスは1/7だもん」
「えー!?」
「君たちはグレゴリオ暦を使っているみたいだけど、正教会はユリウス暦使用だからね」
「あぁ、だから13日後なのか」

 納得したように頷いて、途端にがっかりしたようにアメリカは溜息をついた。どうも予定がすっかり狂ってしまっている。

「なんだ、じゃあ待つだけ無駄だったなぁ。教会に行ってお祈りしないのなら、今日は一晩中君の家で過ごすしかないね」
「絶対嫌」
「反論は認めないぞ! ここで君の歌声を聴いているのも悪くはなかったけど、俺はベットの上で君の鳴き声を聴いていたいしね」
「なっ……!」

 突然のセリフにロシアが一瞬呆れたように顔を歪め、それから馬鹿に仕切った目で冷ややかに睨みつけてきた。
 虫けらでも見るようなその目付きにアメリカもまた不満げに頬を膨らませる。

「君、イギリス君以上の変態だったんだね。知らなかったよ!」
「やだなぁ、俺が啼かせたいのはロシアだけなんだぞ。イギリスと一緒にしないでくれよ」
「君たちはほんっと最低な兄弟だね」

 もう凍死すればいいよ!と叫んでロシアはさっさと背を向けると歩き出してしまった。
 慌てて後を追い、その腕を掴めば殺意の篭った視線が振り向く。けれどアメリカには痛くも痒くもなく、かえって可愛いように写ってしまうのだから確かに病気なのかもしれない。このロシアを前にしてそんな馬鹿なことを思うのは、世界中探しても自分だけだろうな、と思う。

「離して」
「君の家に着いたらまずは一緒にお風呂に入ろう。バスボム持って来たから泡プレイが出来るぞ! それからベットに移動して朝まで楽しまなくちゃ」
「ちょっと君、頭おかしいんじゃないの? 今夜は聖夜なのによくもまぁそんなこと」

 不謹慎極まりないといった表情のロシアに、飄々と首を竦めて見せれば、ますます汚いものを見るような顔をされてしまった。
 変なところで潔癖なのはお互い様だが、その焦点がズレているのはいつものことだ。ロシアは腕を掴むアメリカの手を思い切り振り払うと、コートの裾を翻して警戒するように距離を取った。

「それに君の家じゃパーティしてるんでしょ。主催なんだから早く帰りなよ」
「今年はここに来るために全部の予定をキャンセルしたから、心配はいらないぞ」
「心配してるんじゃなくて迷惑なの」
「クリスマスプレゼント、くれないのかい?」
「なんで僕が君なんかにプレゼントをあげなくちゃいけないわけ? あぁでも今すぐ帰ってくれるなら特別に30ルーブルあげてもいいよ」
「1ドルじゃキャンディしか買えないじゃないか」
「それで充分でしょ」

 ふいっと顔を背けて再び歩き出す。その後ろにぴったりとくっついてくる気配に、ロシアは苛立ちがどんどん募るのを感じた。
 アメリカが自分勝手なのは今に始まったことではないが、今日は特に執拗でちょっと気味が悪い。負ける気はまったくないがその真意が測りきれなくて正直不気味だ。

「ついて来ないで」
「あんまりつれないと力ずくで攫って行くぞ」
「出来るものならやってみたら? 今の君に僕をどうこう出来ると本気で思ってるの? もう崩壊直後とは違うんだよ」
「でも俺は今夜は君と過ごしたい」
「ダッチワイフに録音テープでも入れたらいいよ。アメリカ君にはお似合いだね」
「ロシアは自分の声がそんなふうに使われても気にならないのかい?」
「直接触られることに比べればマシだからね。君ってしつこいから代わりの物を許可しないといつまでもストーカーするし」
「俺はそんなんじゃ満足しないぞ」
「あっそ。じゃあその辺の可愛い子でも勝手にお持ち帰りしたら?」

 無益な言い合いに焦れて、ロシアは足を止めるとくるりと振り返った。
 勢いのまま怒鳴ろうとして、驚くほど近い場所にアメリカがいることに驚く。目を見張って思わず一歩退きそうになってなんとか耐えた。こんなところでアメリカ相手に気圧されるわけにはいかない。
 それでも、真夏の空を写し取ったかのような青い瞳が、真冬のこの場所に不似合いなほど眩しくてたまらなかった。

「ロシア」
「さっさと僕んちから出て行きなよ。あ、君の運転する自家用ジェットがきりもみしながら太平洋の藻屑となって消えることを祈ってるね」
「ロシア」
「うるさいなぁ。いい加減その口閉じられないの? なんなら」

 言いかけた唇をふさがれた。
 急に顎を掴まれて強引に引き寄せられ、そのまま。アメリカの冷たくなって乾いた唇が重ねられ、ゆっくりと舌先で歯列をなぞられる。
 押しのけようとするがびくともせず、咄嗟に胸ポケットに手を入れて銃を取り出そうとしたところで開放された。
 伝う唾液をぺろりと舐められれば背筋に震えが走る。いっそグリップでこめかみを殴りつけてやろうかとも思ったが、細められた眼差しがあまりにも柔らかくて嬉しそうだったので、なんだかもう脱力してしまうしかなかった。
 
「煩くて聞き分けないのは君の方だ」
「鉛玉、撃ち込んで欲しいの?」
「キスならもっと嬉しいな」
「ねぇ、なんでそんなに僕に構うの? 僕は君のことが嫌いだし、君だって僕のことが嫌いでしょ。大嫌いな者同士でクリスマス・イブを過ごしたいだなんて、ぜんっぜん意味分かんないんだけど」

 頭痛を覚えながら問い掛ければ、アメリカは子供のようにきょとんとした顔で瞬きを繰り返した。
 まるで想像もつかないことを聞かれたと言わんばかりのその顔に、ロシアもまた戸惑ってしまう。自分は何か突拍子もないようなことでも言ったのだろうかと、そんなふうに思っていれば、KYメタボ大国は毅然と胸を張って演説文を読み上げる時のような勢いで断言してみせた。

「そんなの好きだからに決ってるじゃないか!」

 迷いも躊躇いもない真っ直ぐであけすけない強すぎるその感情に、ロシアはぽかんとしてしまう。
 
「好きって、君が僕のことを? やめてよそんな笑えない冗談」
「冗談かどうかは一晩掛けてじっくり教えてあげるね、ロシア」

 そうしてにこりといい笑顔を見せたアメリカは、ロシアの手を握ると有無を言わさぬ態度で引き摺りはじめた。なんだかんだで腕力では世界の超大国の意地が伺える。

「アメリカ君」
「反論は許さないぞ」
「僕、君のこと嫌いだよ」

 分かりきったことを分かりきった声でロシアが告げれば、アメリカはにやりと笑って足を早める。その歩みに引っ張られて、気付けばだんだん彼と歩調が合わさってしまう。
 自然とその背中について行きそうになってしまって、ロシアは目の前がぐらぐらと揺れるのを感じた。

 どこへ行くのだろう、どこへ向かうのだろう。
 このまま自分達二人は、どこを目指していくのだろう。
 こんないびつな関係のまま一体何を求めると言うのだろうか。

「アメリカ君」
「なんだいロシア?」
「君も僕のこと、嫌いだよね?」
「好きだよ」
「嫌いだよね?」
「好きだって言ってるだろ? ロシアは疑り深いなぁ」
「君は僕のこと大嫌いに決ってる。嫌って嫌って嫌いまくってるよ」
「いいや違うよ。大好きだ」
「……それは、困るよ!」

 不毛な遣り取りに思わず怒鳴れば、一瞬だけアメリカは歩みを緩めて、それでも止まることはなく足を進めながら少しだけ俯いてしまった。
 珍しいこともあるものだとロシアが怪訝そうに後方から伺えば、なんとも意外な光景を目にすることになる。
 眼鏡のフレームをかけた、金色の髪の隙間から垣間見える彼の耳が、寒さのせいばかりではなく真っ赤になっているのが見えたのだ。まるで、自分の言った言葉に自分で照れているかのような。

 確かに冷静に考えれば、今自分達が繰り広げた会話のなんと恥ずかしいことだろう。けれどそんなことはおくびにも出さないのがアメリカではなかったのか。

 ―――― ああもう、これはなんという不意打ち。

「アメリカ君ってほんと馬鹿」
「馬鹿ってなんだい、馬鹿って!」
「だって馬鹿じゃない」

 長年敵対して来た国のことが好きだなんて、大馬鹿以外の何者でもない。そんなことが本気で許されるとでも思っているのだろうか。赦されると本当に信じているのだろうか。
 言われたロシアも、言ったアメリカもきっとそんなことは最初から分かりきっていることだった。まるで笑い話にもならない、茶番でしかない。
 それなのに。それなのに今自分達はこうして二人で歩き続けている。
 目指す場所もゴールもまるで見えない道だというのに。

「だから僕は君のことが嫌いなんだ」

 ぽつりともらしたロシアの呟きに、アメリカは振り向いて極彩色にも似た笑みを浮かべてから、「残念だったね」と言った。
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