紅茶をどうぞ
[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「薔薇」続き 『写真』 前編
< in U.K. >
「ねぇ、イギリス君。写真を撮ろうよ」
食事を済ませてのんびりしている時、急にロシアがそんな事を言い出した。手には日本から貰ったという小型の一眼レフがある。
「写真?」
「君と僕が一緒にいるっていう記念に」
機嫌良さそうにニコニコと笑いながら、彼は怪訝そうなイギリスの腕を引っ張ってソファに並んで座ると、腕を伸ばしてカメラのレンズを自らの方へ向けた。
イギリスの顔に自分の顔を寄せて、「ほらほら笑ってー」と声を掛ける。
「な、なんだよ急に」
「いいじゃない。ね、撮ろうよ」
楽しげな言葉につられてついついカメラに目線を送る。
この角度ではどんな風に映るのか想像もつかなかったが、ロシアは器用に手振れもなくシャッターを切った。
カシャ、と乾いた音と共に自分達の姿がこの小さな機械に一瞬で記憶される。しかもそれは頬と頬が触れ合う距離、互いの体温が混ざり合うくらいの至近距離。
そんな二人の記録が残されて、イギリスは気恥ずかしくなってカメラを取り上げようとした。
「駄目だよイギリス君。これは僕の」
「や、でも……恥ずかしいだろ!」
「いいじゃない。だって僕達恋人同士でしょ?」
「こ、恋人……!」
ぽんと赤くなってイギリスは口ごもる。
慣れない関係をはじめに切り出したのは自分の方だったが、面と向かって告げられると羞恥心が臨界点に達してしまう。
あーとかうーとか唸りながらも、じわじわと込み上げて来るのは得も言われぬ幸福感。ぐるぐると渦巻く感情に混乱しながらも、とにかく恥ずかしすぎてたまらなかった。
思わず抱いていたクッションに顔を埋めながら、なかなか頭を上げられないイギリスの後頭部に、ロシアの手がぽんぽんと置かれる。年下の癖に子供扱いするなと怒鳴りたかったが、大きなそれがどうしようもなく心地良いことを学んでしまっている今は、拒むことなど出来はしなかった。
ロシアの手のひらは温かくもなければ、包み込むような優しさもなかった。けれど不器用ながらも触れて来る指先から自分に向けられる好意が伝わって来て、無性に照れながらも嬉しく思ってしまう。
傷つけられないと分かっている手は安心出来る。もちろん過去の関係を引っ張り出せばいつ不意打ちを食らわせられるか分かったものではなかったが、それを差し引いても余りあるほど、今のイギリスは現在のロシアを信じていた。
次に自分達が武器を向け合うのはまだまだ当分先の事だ。それにもしもそう言う状況に陥っても、イギリスは決して諦めることはしないだろう。
彼を受け入れると決めた時から、最後の日まで揺るがないと覚悟を固めた。どんな状況になっても決して引いたりはしない。相手に背を向けることはイギリスの忸怩が許さないし、何より自分の気持ちを偽るような真似は二度とするまいと強く心に誓ったからだ。
西欧諸国とも、アメリカとも、日本とも。一度は修復不可能とまで思われるほどの傷を互いに残しながらも、再び向き合うことが出来たのだ、ロシアとだけ叶わないわけでもあるまい。
彼らとは違う、もっと別の形で繋がった自分たちだからこそ余計に。
「イギリス君?」
黙りこんでしまったのを不審に思ったのか、ロシアが声を掛けて来る。イギリスはクッションからまだ熱を帯びる顔を上げて、間近に迫る紫色の瞳を見つめた。水晶みたいに透明なそこにはかつてのような狂気はない。
穏やかで静かな、月明かりを浴びる夜の湖面のような彩。
この先どんなに世界が変わってしまっても、この眼差しを覚えている限り自分は決して見失わないだろう。
一分一秒を刻みつけて、二度と離れないように。
「これからも……写真、たくさん撮ろうな」
< in Japan - Russia >
突然の来訪はいつものことだった。
アメリカほどではなかったが、アポイトメントなしに勝手にやって来る傍若無人ぶりはロシアも同じだ。
本格的に寒くなってしまう前に、倉庫の片づけを終わらせてしまおうと思っていた日本は、何の気配もなく唐突にぬっと入口に現れた巨大な人影をみとめて軽く悲鳴を上げかける。ぎょっとした表情で硬直したまま後ろにひっくり返らなかっただけでも自分を褒めてやりたかった。
「ロ、ロシアさん!」
「こんにんちは、日本くん」
「お願いですから気配を消さないで下さい! というかちゃんとアポを取ってから来て下さい!!」
「今日はあったかいねー」
思わず怒鳴りつけたにも関わらず、ぜんぜん人の話に耳を傾ける気がないようだ。
相変わらずの態度にむっとして眉を吊り上げるが、すぐに肩の力を抜いて諦めたように吐息する。もう数えきれないくらい同じことを言い続けて来たのだが、それでも改善されないというのならこれ以上注意しても無駄というものだ。
日本は大きな溜息を落とすとロシアの脇をすり抜けて裏庭を目指す。自然とロシアもその後ろについて来ることになった。
「何してるの?」
「掃除です。長く住んでいるとどうしてもいらない物が増えてしまって」
手にした箱には使わなくなった古い道具や書類が入っている。気軽にゴミに出せないものもあったので、ついつい溜めこんでしまったそれらを、今日は風がないので庭で燃やしてしまうつもりだった。
あらかじめ用意してあった細い枯れ枝を数本組み合わせ、新聞紙を細長く縒って火をつける。最近乾燥していた為かすぐに火は勢いを増し、鮮やかなオレンジ色に燃え上った。
しばらくしゃがみ込んで黙々と処分品を整理していれば、上から覗き込んでいたロシアがふいに尋ねてくる。
「これ、焚き火って言うんだよね?」
「ええそうです。秋なら落ち葉を集めて焼き芋をするんですよ。ほくほくしてとっても美味しいんです」
「へぇ。今度食べに来るね」
「ちゃんとあらかじめ連絡して下さいよ」
どれほどの効果があるかは分からないが一応釘を刺しておく。すると頭上で小さくくす、っと笑う気配がして、日本は自然と口元をゆるめた。
最近のロシアは随分と機嫌が良く、伝わる雰囲気はひどく穏やかなものが多い。
何を考えているのか分からない、不気味な空気を漂わせていた以前の彼とは違う、どこか親しみすら感じさせるそれを日本は事のほか気に入っていた。
それもこれも全てイギリスのおかげだろう。ロシアが彼と「付き合う」ようになってからというもの、実に世界は平和になった気がする。どちらの行く末も案じていた日本にしてみれば何よりの朗報だった。
このまま変わらずずっと……とはいかないかもしれないが、自分が出来ることがあれば協力は惜しまないつもりでいる。
「ねーねー日本君」
「はい?」
無邪気な声に振り仰いで見れば、彼は手にした紙袋を掲げてにこりと笑った。
「僕も燃やしていいかな」
「え? 何をです?」
「これ」
ロシアが大きな身体を屈めて日本の隣りに腰をおろした。並んで火の前に陣取りながら、彼は袋の中からかなりの量の束を取り出す。厚さにして20cmはありそうだ。
なんだろう?と首をかしげて見ていれば、輪ゴムをかけられたそれは。
「……写真?」
怪訝そうに眉をひそめる日本をよそに、ロシアは手にした数枚を無造作にバラっと火にくべた。ぱっと火の粉が散ってみるみる炎に包まれてゆくその写真に、一瞬だけイギリスの顔が見えた様な気がして日本は目を見開いた。
瞬間、ざっと背筋に悪寒が走る。
次々に投げ込まれる写真。息を呑んで見つめていれば、やはりそれにはイギリスが映っていた。しかもロシアと一緒のものばかりだ。
「ロ、ロシアさん! それ……!!」
「あぁ、これ? 君から貰ったカメラでいっぱい撮ったんだよ。楽しかったぁ」
「どうして……どうして燃やしてしまうんですか!?」
あまりに突拍子もない出来事に、わけが分からず思わず声が裏返ってしまう。
あっという間に青褪めてうろたえる日本に、けれどロシアはなんでもないことのように茫洋とした笑みを浮かべて、のんびりと言った。
「だってこの先戦争とかになったら邪魔になるでしょ。取引のネタにされても困るし。イギリス君だって嫌がると思うしね」
「そんな! それならば何故……こんなにたくさん撮ったのですか!?」
「えー。だって恋人同士みたいでいいじゃない」
はにかんだように白い頬をうっすら赤く染めながら、実に楽しそうにそう言ったロシアの明るい声が、余計薄気味悪く感じる。
意味が分からない。何故いきなりこのようなことをするのだろうか。
二人の仲は本人の言うように『恋人』であり、上手くいっているのではなかったのか ―――― 。
日本の動揺を知ってか知らずか、ロシアは手元から一枚の写真を抜いて見せてくれた。
「この間は二人で旅行に行って来たんだよ。ほらこれ」
「とても……楽しそうですね」
見せられた写真には美しい夜景を背景に仲良く二人で映っている姿がある。どちらも笑顔で幸せを満喫しているとしか思えないものだった。
右下の日付はつい一ヶ月ほど前のもので、日本もイギリスから現地の民芸品を土産に貰った記憶がある。
その時のことを思い出したのか、ロシアがますます嬉しそうに続けた。
「うん。とっても楽しくってね、イギリス君なんてはしゃぎすぎて疲れて先に寝ちゃったんだよ。一緒にカーニバル行く約束してたのに」
言いながらロシアはその写真を火に投げ入れた。あっと思う間もなくめらめらと燃えあがる炎が一瞬で画像を歪ませ、二人の笑顔が溶けていく。
日本は知らず知らず組み合わせた両手が震えるのを感じた。
「こっちはね、向日葵畑だよ。はじめてイギリス君が僕のことを抱きしめてくれた、あの時の向日葵畑にまた行って来たんだ。嬉しかったなぁ。すっごくあったかくて、誰かに触れてもらえるのって本当に嬉しいことなんだって、その時思ったんだ」
そうやって笑ったままロシアは止まることなく写真を火に投げ入れていく。
他にもソファで仲良く頭を寄せ合って、ちょっと無理のある態勢で映っている二人だったり。
紅茶を淹れたり花に水をやっているイギリスの姿もあれば、ロシアがジャムのスプーンをくわえているような無邪気なショットもある。
お互いカメラを向け合って、飾り気のないプライベートな時間を一枚一枚切り取っているかのような、そんな写真ばかりだった。
どれもこれもありふれているからこその大切さが窺える。中でもイギリスの表情は飛びぬけて明るく、日本でさえほとんど見たことがないようなものばかりだ。
ファインダーに向かうその目は、自分達の『今』を残そうとでもいうかのような期待に満ちている。
『過去』を大切にするイギリスのことだ、きっとこの写真全てを大事に取っておくつもりだったに違いない。まさかこんなところで灰になろうとは思いもしなかっただろう。
「はい、おしまい」
最後の一枚をハラリと火に落とすと、ロシアは満足そうに見送ってから立ち上がる。
あんなにもたくさんあった写真はすべて灰になってしまった。
どうして? 何故? 疑問符ばかりが脳裏に溢れ、日本は茫然として言葉も出ない。
……あんまりだ。こんなのはあんまりだ。
こんなことの為に自分はカメラをロシアにプレゼントしたのではない。
「あれ? 日本君? なになにどうしたの? なんでそんな暗い顔してるの?」
「あ、貴方はイギリスさんとの思い出が、いらないのですか?」
震える声で問いかければ、ロシアはすっと両目を細めてとても大切なものに触れる時のような顔で答えた。
「欲しいよ。たくさんの思い出、欲しいな」
「なら、何故」
「いつかイギリス君に忘れられちゃった時、哀しくならないように全部持って行くのはやめようって思ったんだ」
紫の瞳が、ここにはない雪の白を反射するかのように小さく光る。薄い唇には絶えず笑みが刻まれていた。
「二人でいたのに一人になっちゃったら、すごく寂しいでしょ? イギリス君と一緒にいるのが当たり前になっちゃったら、彼がいなくなった時すっごく哀しいから。寒くて苦しくて、泣いちゃうから」
―――― でも『国』は泣いてちゃ駄目だから。
「貴方自身はどうなのですか? それでいいんですか?」
日本はぎゅっと胸元を握り締めると苦し気に問い掛ける。
けれどロシアは飄々とした態度を崩すことなく続けた。
「やだなぁ、日本君。僕たちは『国』だよ。それ以上でもなければそれ以下でもない。だからみんなバラバラになるんだよ。アメリカ君がイギリス君から独立したのも、君が中国君から離れたのも、バルトの子達が僕を置いていったのも、みんなみんな『国』だからでしょ。イギリス君だっていつかは僕を捨てていっちゃうんだよ」
だから思い出はひとつもいらない。
全部全部、持って行かない。
二人で撮った写真、切り抜いた幸せな時間。それらを燃やすことによって全てをなかったことにしていくのだ。思い出を灰にして、いつだって空っぽのままで過ごす。
その方がずっとずっと楽だから。
「それに」
続くロシアの言葉を、日本はぼんやりとした表情で聞いてから、小さく喉を鳴らして俯いた。
きっと何を言っても通じない。自分には彼を納得させられる言葉はひとつも持たない。
どんなに深く想いを募らせても、彼と同じ痛みを共有することは出来なかった。日本にはその全てを理解することは不可能だったし、ロシアもそんなことは望んでいないだろう。
けれど彼はここへ、日本の地へ思い出を捨てに来たのだ。
今となっては自分に写真を託すつもりだったのかどうかは分からなかったが、燃やされた想いの亡骸は今、日本の大地へと沈められたのだ。
躊躇うように息を吐いて静かに立ち上がる。
ゆっくりと伸ばした腕、差し伸べた指先でロシアの細い髪の毛をそっと優しく撫でれば、彼は今にも泣き出しそうな子供の表情で、それでもやっぱり小さく笑った。
「ねぇ、イギリス君。写真を撮ろうよ」
食事を済ませてのんびりしている時、急にロシアがそんな事を言い出した。手には日本から貰ったという小型の一眼レフがある。
「写真?」
「君と僕が一緒にいるっていう記念に」
機嫌良さそうにニコニコと笑いながら、彼は怪訝そうなイギリスの腕を引っ張ってソファに並んで座ると、腕を伸ばしてカメラのレンズを自らの方へ向けた。
イギリスの顔に自分の顔を寄せて、「ほらほら笑ってー」と声を掛ける。
「な、なんだよ急に」
「いいじゃない。ね、撮ろうよ」
楽しげな言葉につられてついついカメラに目線を送る。
この角度ではどんな風に映るのか想像もつかなかったが、ロシアは器用に手振れもなくシャッターを切った。
カシャ、と乾いた音と共に自分達の姿がこの小さな機械に一瞬で記憶される。しかもそれは頬と頬が触れ合う距離、互いの体温が混ざり合うくらいの至近距離。
そんな二人の記録が残されて、イギリスは気恥ずかしくなってカメラを取り上げようとした。
「駄目だよイギリス君。これは僕の」
「や、でも……恥ずかしいだろ!」
「いいじゃない。だって僕達恋人同士でしょ?」
「こ、恋人……!」
ぽんと赤くなってイギリスは口ごもる。
慣れない関係をはじめに切り出したのは自分の方だったが、面と向かって告げられると羞恥心が臨界点に達してしまう。
あーとかうーとか唸りながらも、じわじわと込み上げて来るのは得も言われぬ幸福感。ぐるぐると渦巻く感情に混乱しながらも、とにかく恥ずかしすぎてたまらなかった。
思わず抱いていたクッションに顔を埋めながら、なかなか頭を上げられないイギリスの後頭部に、ロシアの手がぽんぽんと置かれる。年下の癖に子供扱いするなと怒鳴りたかったが、大きなそれがどうしようもなく心地良いことを学んでしまっている今は、拒むことなど出来はしなかった。
ロシアの手のひらは温かくもなければ、包み込むような優しさもなかった。けれど不器用ながらも触れて来る指先から自分に向けられる好意が伝わって来て、無性に照れながらも嬉しく思ってしまう。
傷つけられないと分かっている手は安心出来る。もちろん過去の関係を引っ張り出せばいつ不意打ちを食らわせられるか分かったものではなかったが、それを差し引いても余りあるほど、今のイギリスは現在のロシアを信じていた。
次に自分達が武器を向け合うのはまだまだ当分先の事だ。それにもしもそう言う状況に陥っても、イギリスは決して諦めることはしないだろう。
彼を受け入れると決めた時から、最後の日まで揺るがないと覚悟を固めた。どんな状況になっても決して引いたりはしない。相手に背を向けることはイギリスの忸怩が許さないし、何より自分の気持ちを偽るような真似は二度とするまいと強く心に誓ったからだ。
西欧諸国とも、アメリカとも、日本とも。一度は修復不可能とまで思われるほどの傷を互いに残しながらも、再び向き合うことが出来たのだ、ロシアとだけ叶わないわけでもあるまい。
彼らとは違う、もっと別の形で繋がった自分たちだからこそ余計に。
「イギリス君?」
黙りこんでしまったのを不審に思ったのか、ロシアが声を掛けて来る。イギリスはクッションからまだ熱を帯びる顔を上げて、間近に迫る紫色の瞳を見つめた。水晶みたいに透明なそこにはかつてのような狂気はない。
穏やかで静かな、月明かりを浴びる夜の湖面のような彩。
この先どんなに世界が変わってしまっても、この眼差しを覚えている限り自分は決して見失わないだろう。
一分一秒を刻みつけて、二度と離れないように。
「これからも……写真、たくさん撮ろうな」
< in Japan - Russia >
突然の来訪はいつものことだった。
アメリカほどではなかったが、アポイトメントなしに勝手にやって来る傍若無人ぶりはロシアも同じだ。
本格的に寒くなってしまう前に、倉庫の片づけを終わらせてしまおうと思っていた日本は、何の気配もなく唐突にぬっと入口に現れた巨大な人影をみとめて軽く悲鳴を上げかける。ぎょっとした表情で硬直したまま後ろにひっくり返らなかっただけでも自分を褒めてやりたかった。
「ロ、ロシアさん!」
「こんにんちは、日本くん」
「お願いですから気配を消さないで下さい! というかちゃんとアポを取ってから来て下さい!!」
「今日はあったかいねー」
思わず怒鳴りつけたにも関わらず、ぜんぜん人の話に耳を傾ける気がないようだ。
相変わらずの態度にむっとして眉を吊り上げるが、すぐに肩の力を抜いて諦めたように吐息する。もう数えきれないくらい同じことを言い続けて来たのだが、それでも改善されないというのならこれ以上注意しても無駄というものだ。
日本は大きな溜息を落とすとロシアの脇をすり抜けて裏庭を目指す。自然とロシアもその後ろについて来ることになった。
「何してるの?」
「掃除です。長く住んでいるとどうしてもいらない物が増えてしまって」
手にした箱には使わなくなった古い道具や書類が入っている。気軽にゴミに出せないものもあったので、ついつい溜めこんでしまったそれらを、今日は風がないので庭で燃やしてしまうつもりだった。
あらかじめ用意してあった細い枯れ枝を数本組み合わせ、新聞紙を細長く縒って火をつける。最近乾燥していた為かすぐに火は勢いを増し、鮮やかなオレンジ色に燃え上った。
しばらくしゃがみ込んで黙々と処分品を整理していれば、上から覗き込んでいたロシアがふいに尋ねてくる。
「これ、焚き火って言うんだよね?」
「ええそうです。秋なら落ち葉を集めて焼き芋をするんですよ。ほくほくしてとっても美味しいんです」
「へぇ。今度食べに来るね」
「ちゃんとあらかじめ連絡して下さいよ」
どれほどの効果があるかは分からないが一応釘を刺しておく。すると頭上で小さくくす、っと笑う気配がして、日本は自然と口元をゆるめた。
最近のロシアは随分と機嫌が良く、伝わる雰囲気はひどく穏やかなものが多い。
何を考えているのか分からない、不気味な空気を漂わせていた以前の彼とは違う、どこか親しみすら感じさせるそれを日本は事のほか気に入っていた。
それもこれも全てイギリスのおかげだろう。ロシアが彼と「付き合う」ようになってからというもの、実に世界は平和になった気がする。どちらの行く末も案じていた日本にしてみれば何よりの朗報だった。
このまま変わらずずっと……とはいかないかもしれないが、自分が出来ることがあれば協力は惜しまないつもりでいる。
「ねーねー日本君」
「はい?」
無邪気な声に振り仰いで見れば、彼は手にした紙袋を掲げてにこりと笑った。
「僕も燃やしていいかな」
「え? 何をです?」
「これ」
ロシアが大きな身体を屈めて日本の隣りに腰をおろした。並んで火の前に陣取りながら、彼は袋の中からかなりの量の束を取り出す。厚さにして20cmはありそうだ。
なんだろう?と首をかしげて見ていれば、輪ゴムをかけられたそれは。
「……写真?」
怪訝そうに眉をひそめる日本をよそに、ロシアは手にした数枚を無造作にバラっと火にくべた。ぱっと火の粉が散ってみるみる炎に包まれてゆくその写真に、一瞬だけイギリスの顔が見えた様な気がして日本は目を見開いた。
瞬間、ざっと背筋に悪寒が走る。
次々に投げ込まれる写真。息を呑んで見つめていれば、やはりそれにはイギリスが映っていた。しかもロシアと一緒のものばかりだ。
「ロ、ロシアさん! それ……!!」
「あぁ、これ? 君から貰ったカメラでいっぱい撮ったんだよ。楽しかったぁ」
「どうして……どうして燃やしてしまうんですか!?」
あまりに突拍子もない出来事に、わけが分からず思わず声が裏返ってしまう。
あっという間に青褪めてうろたえる日本に、けれどロシアはなんでもないことのように茫洋とした笑みを浮かべて、のんびりと言った。
「だってこの先戦争とかになったら邪魔になるでしょ。取引のネタにされても困るし。イギリス君だって嫌がると思うしね」
「そんな! それならば何故……こんなにたくさん撮ったのですか!?」
「えー。だって恋人同士みたいでいいじゃない」
はにかんだように白い頬をうっすら赤く染めながら、実に楽しそうにそう言ったロシアの明るい声が、余計薄気味悪く感じる。
意味が分からない。何故いきなりこのようなことをするのだろうか。
二人の仲は本人の言うように『恋人』であり、上手くいっているのではなかったのか ―――― 。
日本の動揺を知ってか知らずか、ロシアは手元から一枚の写真を抜いて見せてくれた。
「この間は二人で旅行に行って来たんだよ。ほらこれ」
「とても……楽しそうですね」
見せられた写真には美しい夜景を背景に仲良く二人で映っている姿がある。どちらも笑顔で幸せを満喫しているとしか思えないものだった。
右下の日付はつい一ヶ月ほど前のもので、日本もイギリスから現地の民芸品を土産に貰った記憶がある。
その時のことを思い出したのか、ロシアがますます嬉しそうに続けた。
「うん。とっても楽しくってね、イギリス君なんてはしゃぎすぎて疲れて先に寝ちゃったんだよ。一緒にカーニバル行く約束してたのに」
言いながらロシアはその写真を火に投げ入れた。あっと思う間もなくめらめらと燃えあがる炎が一瞬で画像を歪ませ、二人の笑顔が溶けていく。
日本は知らず知らず組み合わせた両手が震えるのを感じた。
「こっちはね、向日葵畑だよ。はじめてイギリス君が僕のことを抱きしめてくれた、あの時の向日葵畑にまた行って来たんだ。嬉しかったなぁ。すっごくあったかくて、誰かに触れてもらえるのって本当に嬉しいことなんだって、その時思ったんだ」
そうやって笑ったままロシアは止まることなく写真を火に投げ入れていく。
他にもソファで仲良く頭を寄せ合って、ちょっと無理のある態勢で映っている二人だったり。
紅茶を淹れたり花に水をやっているイギリスの姿もあれば、ロシアがジャムのスプーンをくわえているような無邪気なショットもある。
お互いカメラを向け合って、飾り気のないプライベートな時間を一枚一枚切り取っているかのような、そんな写真ばかりだった。
どれもこれもありふれているからこその大切さが窺える。中でもイギリスの表情は飛びぬけて明るく、日本でさえほとんど見たことがないようなものばかりだ。
ファインダーに向かうその目は、自分達の『今』を残そうとでもいうかのような期待に満ちている。
『過去』を大切にするイギリスのことだ、きっとこの写真全てを大事に取っておくつもりだったに違いない。まさかこんなところで灰になろうとは思いもしなかっただろう。
「はい、おしまい」
最後の一枚をハラリと火に落とすと、ロシアは満足そうに見送ってから立ち上がる。
あんなにもたくさんあった写真はすべて灰になってしまった。
どうして? 何故? 疑問符ばかりが脳裏に溢れ、日本は茫然として言葉も出ない。
……あんまりだ。こんなのはあんまりだ。
こんなことの為に自分はカメラをロシアにプレゼントしたのではない。
「あれ? 日本君? なになにどうしたの? なんでそんな暗い顔してるの?」
「あ、貴方はイギリスさんとの思い出が、いらないのですか?」
震える声で問いかければ、ロシアはすっと両目を細めてとても大切なものに触れる時のような顔で答えた。
「欲しいよ。たくさんの思い出、欲しいな」
「なら、何故」
「いつかイギリス君に忘れられちゃった時、哀しくならないように全部持って行くのはやめようって思ったんだ」
紫の瞳が、ここにはない雪の白を反射するかのように小さく光る。薄い唇には絶えず笑みが刻まれていた。
「二人でいたのに一人になっちゃったら、すごく寂しいでしょ? イギリス君と一緒にいるのが当たり前になっちゃったら、彼がいなくなった時すっごく哀しいから。寒くて苦しくて、泣いちゃうから」
―――― でも『国』は泣いてちゃ駄目だから。
「貴方自身はどうなのですか? それでいいんですか?」
日本はぎゅっと胸元を握り締めると苦し気に問い掛ける。
けれどロシアは飄々とした態度を崩すことなく続けた。
「やだなぁ、日本君。僕たちは『国』だよ。それ以上でもなければそれ以下でもない。だからみんなバラバラになるんだよ。アメリカ君がイギリス君から独立したのも、君が中国君から離れたのも、バルトの子達が僕を置いていったのも、みんなみんな『国』だからでしょ。イギリス君だっていつかは僕を捨てていっちゃうんだよ」
だから思い出はひとつもいらない。
全部全部、持って行かない。
二人で撮った写真、切り抜いた幸せな時間。それらを燃やすことによって全てをなかったことにしていくのだ。思い出を灰にして、いつだって空っぽのままで過ごす。
その方がずっとずっと楽だから。
「それに」
続くロシアの言葉を、日本はぼんやりとした表情で聞いてから、小さく喉を鳴らして俯いた。
きっと何を言っても通じない。自分には彼を納得させられる言葉はひとつも持たない。
どんなに深く想いを募らせても、彼と同じ痛みを共有することは出来なかった。日本にはその全てを理解することは不可能だったし、ロシアもそんなことは望んでいないだろう。
けれど彼はここへ、日本の地へ思い出を捨てに来たのだ。
今となっては自分に写真を託すつもりだったのかどうかは分からなかったが、燃やされた想いの亡骸は今、日本の大地へと沈められたのだ。
躊躇うように息を吐いて静かに立ち上がる。
ゆっくりと伸ばした腕、差し伸べた指先でロシアの細い髪の毛をそっと優しく撫でれば、彼は今にも泣き出しそうな子供の表情で、それでもやっぱり小さく笑った。
PR