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 紅茶をどうぞ
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[祭] 泣く (溢れた涙、伝う頬) 3
 雨が降っている。
 雨は嫌いだ、あの日のことを思い出してしまうから。
 なすすべもなく泥の上に膝をついたあの時のことを思い出してしまうから。
 雨は大嫌いだ。

 同じように泣き顔も苦手だ。
 寂しかった幼い頃の自分と、心細くて怖いと泣いたかつての愛し子の顔が重なるから。
 だから涙も嫌いだ。



 それなのにあとからあとから涙の雨が降って来る。
 泣き続けて、泣き続けて、出口が見えない迷路に迷い込んだ子供みたいに泣きやまない彼の顔はひどく幼かった。
 真っ白な肌がうっすらと赤く染まってしまうくらい、温度のない声が掠れて熱を帯びるくらい、ロシアはずっと泣いていた。

 イギリスはソファに押し倒されたまま自分の腹の上に跨る男を見上げて、その指の間からこぼれ落ちる涙を浴びて濡れながら、宙に浮いたまま行き場のない自分の左手を見つめた。
 さらさらと揺れる髪の毛に指を通して、その頭をそっと抱き締めて、もう泣くなと言えばこの涙は止まるのだろうか。血のにじんだ指先が掴み損ねたあらゆるものを、未だ諦めきれずにいるこの可哀相な子供を、自分が慰めることは出来るのだろうか。
 果たしてそんな馬鹿なことが、望まれているのだろうか。

「ロ、シア……」

 恐る恐る声を掛けても、水の膜を張った瞳は虚ろに滲んでいるだけだった。
 何も映さなくなったその眼はしかし、濁りのない綺麗で透明なものだ。どこまでもどこまでも深くて静かで、狂気に満ちている。

「イギリスくんなんてだいきらい。きらいきらいだいっきらい」

 いつものように嘲笑を浮かべ人を馬鹿にしたような口調で言うのとは違う、舌っ足らずなその声音はイギリスの中で小さな破片となって疼いた。罵倒されても捨て台詞を吐き捨てられても動揺したことなど一度だってなかったと言うのに、こんな単純であけすけな単語ひとつ繰り返されただけでどうして胸中がざわめくのか。
 横っ面を張り飛ばして自分の上から蹴り落とし、煩いと言って殴りつけてもなんら不思議ではない関係を、これまで自分たちは築いて来たはずだ。ここぞとばかりに弱みを握って今後の外交に役立てればいい。
 相手が弱っている時こそチャンスだ。
 どんなに友好的に振る舞っていても、隙あらば足元をすくってやろうと虎視眈々と狙い、時には甘い言葉や態度で惑わすのは外交戦略の一つにすぎない。いつの時代もそうだ、それくらいロシアにだって分かっているだろう。
 この先も、どんなに時代が変わっても自分たちは飽くまで敵対するに違いない。それは変えようのない未来といっても過言ではなかった。

 ―――― それなのに、今自分は何をしよとしているのか。

「……っ、あぁもう、泣くな!」

 雨も涙も大嫌いだ、鬱陶しい。何より迷うなどあまりに自分らしくないだろう。
 イギリスは彷徨っていた腕を伸ばすと思いきりロシアの首に巻きつけた。そしてびくっと震える大きな身体を、背を浮かせてそのままの勢いで抱き締める。
 上体を倒す彼の触り心地の良い髪に指を差し入れて、泣き顔を自分の胸に押しつければ濡れた感触が薄いシャツ越しに伝わって来た。
 驚いて硬直したままロシアが息を詰めるのを感じる。それでもボロボロと溢れ出る涙は止まらないのか、イギリスの胸に生温い染みが広がっていく。
 そのぬくもりが心地よいと感じてしまった瞬間、負けを覚悟した。
 甘い顔を見せれば不利になることなど分かっているのに、相手はあのロシアだというのに、手を差し伸べたことを後で悔やむことになるかもしれないというのに。
 この先に待ち受けるであろうあらゆる葛藤を振り切って、イギリスはロシアを抱きしめてその背を優しく撫でた。

「バラバラになると言っても国が崩壊するわけじゃない。お前の傍にはまだ他にも小さな国がいて、みんなお前を頼りにしているんじゃないのか」
「…………」
「今は調子が悪いから不安定なだけで、すぐに元に戻る。政治や経済の混乱がおさまればお前の目だって見えるようになるから」

 だからもう泣くな。
 そう言って幼子をあやすように軽く背中を叩いてやれば、ロシアはひくりと喉を鳴らして嗚咽を噛み殺すと小さく小さく頷いた。
 今は恐らく世情に合わせて情緒不安定になっているだけだろう。潜り込ませたスパイの情報に頼らずとも、ロシア国内が惨憺たる状況に陥っていることは分かっている。国民はみな酷い有様で、一説では大戦中よりも貧困を極めているらしい。そのため飢え死にや凍死よりも自殺者の方が多いと聞く。
 大勢の民が自ら命を絶つような中で、国であるロシアが無事でいられるわけがない。しかも社会主義が崩壊して今後どうなるのか分からないような状況なら、身体の内側全てが作り変えられるような痛みと恐怖に襲われてもおかしくはなかった。
 こうやって抱き締めていると、彼は見た目に反してひどく痩せているのが分かるし、恐らく衣服の下には生々しい傷がいくつも刻まれているはずだ。
 自業自得と一笑に付してしまうのはたやすい。けれどそうしてしまうには余りに目の前の存在は哀しすぎた。

「戻りたくないならしばらくここにいればいい。雪を見たくないならカーテンは閉め切ったままでいいし、寒いと言うならもっと暖房を強めればいい」

 だからもう泣かなくていいんだと、そう耳元で囁いてやる。
 偽善?同情?それとも画策? そんな言葉が脳裏を掠めるが、イギリスは苦しくない程度の強さでロシアを抱き締め続けた。
 触れ合った身体が心底冷え切っているのが分かって、なんとかしてやりたいと思ってしまう。こんな下らない気持ちはきっと当事者は勿論のこと、世界中のどの国も納得しないに違いない。

「ロシア」

 名前を呼べば怖がるように首を竦めて、恐る恐るしがみついてくる。狭いソファの上で大人の男が二人、抱き合って一体何をやっているんだろう。馬鹿みたいだ。
 でかい図体を丸めて泣きながらすがりつくロシアも、その背を撫でて宥めてやるイギリスも、二人とも馬鹿だ。大馬鹿だ。
 



* * * * *




 かすかな物音を感じて目を覚ます。
 見慣れた寝室の天井をぼんやりと見つめながら、イギリスは急速に覚醒していく意識の中で隣にいたはずの気配が失せていることに気付いた。
 昨夜は体力を消耗して疲労しきって前後の区別もつかなくなっているロシアを、とにかく寝室まで運んで寝かしつけた。ゲストルームの用意もしていなかったし、相変わらず冷たい身体は何をしても温まらなかったので仕方なく添い寝をしてやる羽目になったのは、もう忘れたい記憶だ。
 ゆっくりと起き上がれば毛布がずり落ちそうになり慌てて押さえる。一枚なくなっているようだが恐らく持ち出されたに違いない。
 人の気配がまったくない静かな室内で一人、眉をひそめて周囲を見回した。
 ロシアはどこへ行ったのだろう。正気に戻って居たたまれなくなって出て行ったのだろうか。そんな可愛らしい性格をしているとも思えなかったが、少なくともイギリスと大人しく一緒のベッドで寝ていられるほどいかれてはいなかった、それだけなのかもしれない。
 立ち上がってカーテンを開ければ外は一面の銀世界。真っ白な雪が鈍く陽光を反射しているが、どうせ午後からはまた降ってくるに違いない。
 シンと底冷えのする空気に一瞬だけ身体を震わせてから、ガウンを身にまといイギリスは部屋を横切り廊下へと出た。階段を下りながらリビングに向かって行けば、わずかに小さな物音が聞こえて人の気配が感じられる。
 今さらロシアが何か仕出かすとも思えなかったが、一応警戒しながらドアをそうっと開けて室内へと立ち入れば、薄暗い室内に暖炉の明かりだけがちろちろと揺らめいているのが見えた。

「ロシア?」

 うずくまる黒い影に歩み寄る。炎の優しい光に照らされた青白い頬が、やはり昨日と同じように血の気を失って浮かび上がっていた。
 毛布にくるまり、まるで何かから身を守るようにして身体を丸めて横たわっている姿は、どこからどう見ても動物だ。

「寒いのか?」

 声を掛けながらしゃがみこんで、手を伸ばしてそっと髪を撫でればすー…という小さな寝息が聞こえる。どうやらすっかり熟睡してしまっているようだ。
 パチンと弾ける薪の音だけが聞こえる。
 人肌よりも暖炉の方を取るところがいかにもロシアらしいと思った。恐らく他人の気配が傍にあるのが苦手なのだろう。そういう感覚はイギリスにも覚えがあった。
 幼いアメリカと初めて同じベッドで眠った夜、寄せられる暖かな体温になんとも落ち着かないそわそわとした気分を味わった時のことを思い出す。穏やかな雰囲気に包まれて、誰かと身を寄せ合って眠ることなどほとんどなかった過去の自分。警戒心だけは人一倍強くて、そのくせ泣き虫で寂しがり屋だった。
 まるで目の前の男そっくりだ。
 そんなことをつらつらと思い浮かべていけば知らず口元に笑みが浮ぶ。

「しょーがねーな」

 これだけでは寒いだろうに。
 そう思って毛布をもう一枚取りに行こうと立ち上がりかけたところで、くん、とガウンの裾が引かれた。
 目線を落とせばロシアの手がイギリスの足元に伸ばされている。ぎゅっとガウンを握る指先は昨日あのまま放っておいたせいで、火傷の痕がはっきりと残っていた。それが少し痛々しい。
 彷徨うようにぼんやりと光のない瞳がこちらを見上げて来て、怪訝そうにイギリスは眉を寄せた。

「ロシア?」
「イ、ギリス君……?」
「あぁ。寒いんだろ? 今毛布持って来るから」
「雪、やんだ?」

 そろそろと起き上がりかけた身体があまりにも重そうだったので、仕方なく手を伸ばす。するとロシアはどこか悪戯っぽい表情で小さく笑うと、膝を突いたイギリスの腰に腕を伸ばしてきた。
 え?と思う間もなく抱き寄せられる。

「お、おい!」
「雪の気配がする……ここも寒いね」
「当たり前だろ。俺んちはお前んちと緯度あんま変わんねーし」

 本来イギリスも寒冷な土地だ。ただ位置的に西ヨーロッパは暖流が流れ込む時期があるため、大陸ほど寒気に見舞われないだけだ。寒い時は寒いし、雪だって降る。
 ロンドンの下層階級の人間であれば凍死することも珍しくない。それを国である自分達は止めることは出来ないし、どんなに望んでも南の楽園にはなれないのだ。
 ロシアが南下を望む気持ちは分かる。イギリスだって暖かい国であれば良かったと何度願ったか知れない。温暖な気候で作物も豊かに実り、凍らない海と広がる青空の下でのびのびと過ごす。そういう土地に憧れるのは北国ならばどこだってあるだろう。

「お前はほんと、雪が嫌いなんだな」
「イギリス君よりも大嫌い」
「あーそーかよ」

 雪より立場が上だと分かっても少しも嬉しくはない。
 イギリスは重く溜息を落とすと、腹部に顔を押し当てるロシアの後頭部にそっと手を置いて柔らかな髪を撫でた。
 はるか昔、小さなアメリカもよくこうして抱きついて来たよなぁという、そういう記憶から来るほとんど無意識の行為だったが、ロシアは猫のように気持ち良さそうに表情を弛めて気にしたふうもなく大人しくしている。
 こうしていれば本当に無邪気な子供みたいで可愛いかもしれない。そう思ってハタと気付いてイギリスは思い切り首を振った。待て待て冗談じゃない。

「おい、離れろよ」
「なんで?」
「なんでって……お前俺のこと大嫌いなんだろ!?」
「うん」
「じゃあ抱きついてんじゃねーよ!」
「だってあったかいし、寂しくないから」
「……っ」

 そんなことを言って篭絡しようとしても無駄だと、思い切り突っ張れない自分が本当に悲しい。
 イギリスは何か言いかけて結局押し黙ってしまった。ロシアがあまりにも素直だからどう対応していいのか分からなくなってしまう。こんな風に手離しで甘えられてしまうと……困る。

「イギリス君は嫌いだけど、暖かいのは好き」
「……そうかよ」
「君の貧相な身体もそんなに抱き心地悪くないし」
「俺はぬいぐるみじゃねーよ!」
「そうだね、人形はいくら抱き締めてもあったかくはならないよ」

 ロシアの言葉にイギリスは眉をひそめ、それから擦り寄る頭をぎゅうっと抱き締めた。頬にふわりと髪があたってくすぐったい。
 昨日も思ったがロシアの髪の毛は柔らかく、ぼさぼさのわりに手触りが良かった。まるで子犬を抱き締めているかのような気分になる。

「どうしたの?」

 問い掛けの声にそっと腕の力をゆるめて、イギリスは秀でたロシアの額に触れるか触れないかのキスを落とした。……すぐに身体を引き離して勢いよく立ち上がる。
 ゴン、と音がしたが気にしない。落ちたロシアが恨みがましく急に何!?と叫んだが、イギリスはそんな彼を真っ赤な顔で見下ろして両手で口を押さえた。

 今、今、自分は何をした?

「イギリス君?」
「こ、紅茶! 紅茶淹れてくるな!」
「でも僕は」
「味が分かんなくても熱いもん飲めば少しはあったまるだろ!」

 そう言い置いてリビングから飛び出す。
 キッチンへと駆け込みながらイギリスは混乱した頭で床に座り込んだ。そして信じられない自分の行動にどう説明をつけようか、悩む。

 おかしい、絶対におかしい。
 これではまるで。
 
「イギリスくーん?」
「ああもう煩い、黙って待ってろ!」
 

 ―――― 世界が変わる音がした。





このたびは七夕企画短冊リクエストにご参加下さいまして、どうもありがとうございました! お待たせしてしまって済みません。
随分と時間がかかってしまったうえ、微妙に中途半端っぽい終わり方ですが、少しでもお気に召していただけたら嬉しく思います。
このあと二人がどうなるかはお好きにご想像していただければ(笑)

ソ連崩壊時のロシアの混乱は目を覆うばかりで、きっと国である『ロシア』はWW2時の『イギリス』くらい大変だっただろうなぁと思います。
けれど弱気な露さまもオイル景気を迎えるにつれ、また元気になっていくんですよね。まぁ最近はちょっと経済傾いてしまって大変そうですが。

実はこの話とは別に「最初から露英の二人ができている話」も考えていました。ソ連崩壊に立ち会うイギリス、っていうのも書いてみたかったというか。
いつか機会があったらチャレンジして見ようと思います。

なにはともあれ、このたびは素敵なリクエストをどうもありがとうございましたv

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