紅茶をどうぞ
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[祭] 照れる (君がそんなこと言うから)
街全体に薄闇が広がり、北方らしい肌寒い風が吹く午後九時過ぎ。
真夏の夜に浮かび上がる壮厳なエディンバラ城は美しくライトアップされ、広場の特設会場には数多くの人々が集まって来ていた。
あちらこちらから小さな楽器の音が漏れ聞こえ、篝火にちらちらと映る人影は吹き抜ける風に揺れている。
徐々に夜が深まりゆくその中、イギリスは滅多に着ない自国の軍服に身を包んだ姿で集団の中央にいた。肩から下げたアサルトライフルを脇で締めながら、美しく掲げられたユニオンジャックとイングランド旗を背に凛とした表情で笑みを浮かべている。
「アーサー様、開幕の準備は整いました」
「そうか」
鷹揚に頷いて各員持ち場につくよう促すと、彼の言に一糸乱れぬ動きで兵達は移動を始めた。
この日の為に選び抜かれた精鋭ぞろいである。おのおの鋭く目を光らせて自分たちの出番を待ち望んでいた。
「イギリス、久し振りなのである」
ふいに声を掛けられて首を振り向かせれば、赤字に白抜きの大きな十字の旗が見えた。その下には漆黒のコートを羽織り、白い羽飾りのついた黒い帽子をかぶった人物がいる。すぐに誰なのかを認めてイギリスは姿勢を正して歩みを進めた。
「スイスか。よく来たな」
「今年も宜しく頼む」
「ああ、こちらこそ宜しくな。お、今回も相変わらずスティックで戦うのか?」
スイス楽団のスティック捌きは世界的に有名だ。揶揄するように言うと、にやりと唇の端を吊り上げて彼はイギリスの持つライフルを見遣った。
「イギリスの銃剣好きには負けるのである。が、プルバックとはまた珍しいものを使うのだな」
「回しにくいのが難だけど見栄えはいいだろ?」
「いやそうではなくてだな……まぁ良い。そろそろ時間だ」
「ああ」
じゃあまた後で、そう言い置いてイギリスは隊列に戻って行った。
視線を周囲に向ければ参加国のそれぞれが緊張を帯びた顔つきで並んでいるのが見える。今年もそれぞれが国の伝統と文化を背景にこうやってイギリスの地に集結しているのだ。
篝火が更に強く燃え上がり、人々の熱気が肌で感じられる。
すうっと息を大きく吸い込むと、イギリスは自分を取り囲む兵たちにむかって口を開いた。
「さぁ、Edinburgh Military Tattooのはじまりだ!」
大きく張り上げたその言葉と共に花火が上がり、夏の夜空を明るく染め上げた。
毎年英国エディンバラで開催される夏の祭典、エディンバラミリタリータトゥーは、「RIAT」と並んで世界中の注目を浴びる大規模な軍事祝典である。
国内外の軍楽隊が集まりそのドラムマーチを披露するのが目的だ。イベント自体は50年以上の歴史を持ち、毎年数多くの観光客でにぎわう。
祝典にあわせてエディンバラでは芸術祭を含めたフェスティバルが開催されるため、とにかく8月のこの地は異様な熱気に包まれる。ヨーロッパは勿論のこと、他地域からの来客も多く、プロムス開催期間でもあるため夏の間はイギリス中あちらこちらで文字通りのお祭り騒ぎだ。
「EMT」の中心となるのはスコットランドであり、スコティッシュ連隊が演奏するバグパイプの音色は聞く者を感動の渦に叩きこむと言っても過言ではないだろう。
軍事パレードと言っても基本的には楽しむことをメインに据えた音楽祭であり、堅苦しいことは抜きにして各軍コミカルな演技が主流だった。
イギリスは基本的にこの地では兄に全てを任せて、『国』ではなく個人として英空軍の指揮下に入る。兄弟仲が悪いことは知れ渡っているし、余計な軋轢を避けるための措置でもあったが、基本的には本人も面白がって参加しているため女王をはじめ上司たちから何か言われる心配もなかった。
ファンファーレが鳴り響き、ドラムマーチが始まるとイギリスは主賓席に立ち寄ってから楽隊の良く見える位置に腰を落ち着けた。すでに用意された席には遊びに来ていたアメリカをはじめ、フランスや日本の姿もある。
それぞれに挨拶をすると渡された紅茶を手に眼下を見下ろす。一糸乱れぬ行進とともにスイスをはじめとした欧州各国、それにアジアからは珍しく台湾の楽隊も参加してそれぞれがパフォーマンスを披露していった。
演目を眺めているとふいに照明が落とされ開場が暗くなる。しばらく待てば一条の光が広場中央を照らし出し、勇壮な音楽と共にひときわ目を引く集団が出て来た。
「次はロシアさんみたいですね」
日本がそう囁くのに合わせて頷けば、指揮者に先導された一団が整然と前へ進み、綺麗に中央に並ぶ。
それから曲調をがらりと変えてドラムマーチのはじまりだ。
『ソビエト連邦』の名残を感じさせつつも、民主主義国家へと変貌を遂げた『ロシア』として、明るく闊達なリズムがスタッカートも高らかに流れ出す。
時折かすめるどこか哀愁を帯びたロシアメロディ。その合間合間に挟まれる軽快なダンス。はじめは戸惑いと奇妙さを感じたものだが、イギリスは口元をほころばせて不慣れな、けれども楽しく弾けた動きを目で追った。
ふいに会場がわっと湧く。なにごとだろうかと目を見張っていると、なんと熊の着ぐるみが突如現れ、ぱたぱたと楽団員たちの間をすり抜けて走り回っていった。
軍楽祭には珍しい、だが面白い演出に日本が「かわいいですね!」と口調を弾ませる。イギリスも大きく頷きながら、伝統にのっとった始終かっちりとした自軍とはまた別の赴きに興味を惹かれ、目線が釘づけになってしまった。
会場中からは歓声が上がり、場も一気に盛り上がったような気がする。
「なんだかこういうふざけた感じ、ロシアらしくないね」
「そうか?」
アメリカがぼそりと呟いた言葉に肩を竦めながら、演目に注視しつつイギリスが続ける。
「あいつ、あれでいてすっげーノリいいぞ? ああいう着ぐるみ大好きだしな」
「ふーん」
「あ、それ分かります。以前中国さんの家でパンダの着ぐるみ着ていましたから」
興味なさげなアメリカと違って日本はいたって楽しそうだ。相手がロシアだろうがそうでなかろうが可愛いものは可愛いということだろうか。確か以前、「萌え」という特殊な感情は何事をも優先してしまうと聞かされたことがあったのだが、あいにくとイギリスには難しすぎて理解しきれなかった。
ただ、それ以来「日本文化は難解だ」という印象が心に刻み込まれている。まさしく東洋の神秘というやつだろうか。
そうこう思いを巡らせているうちにロシアの演技が終了して、再び整然とした隊列を組んで軍楽隊は退場していった。
「ロシアの皆さん、なんだかはにかんだ様子が可愛らしかったですよね」
「まだまだ笑顔が引き攣ってたけどな」
日本の言葉にフランスが面白そうにまぜっ返す。
イギリスが苦笑を浮かべて何も言わずにいると、アメリカが軽く息をついて「慣れないのに無理をするからだよ」と鼻先で笑う。けれどそこには悪意は微塵もなく、純粋に楽しんでいる響きがうかがえた。
つねに不穏な空気に包まれていた往年のロシアの姿を知る者としては、今の穏やかな安定した彼の方がずっと付き合い易い事を知っている。国が情勢によってさまざまに変化を遂げるのは不思議なことではなく、必然だと分かっていてもこの平穏さの永続を願ってやまない。
「そう言えば肝心のロシアさんはどこへ行かれたのでしょう」
「はじまる前にちょっと挨拶したきり姿が見えないな」
首を巡らせてもそれらしい姿は見えない。いったいどこへ消えたのだろうか。
招待者としてイギリスは参加国の動向には目を配っていたつもりなので、少々困惑気に眉をひそめた。せっかく特等席を用意していたというのに、という不満もあってかついつい不機嫌な表情になりがちで、日本に小さく笑われる。
「もしかすると様子を見るのに下に行かれたのかもしれませんね」
気遣うようにそう言って、彼は用意したポットから再び温かい紅茶を注いでくれた。受け取りながら軽く頷いて、目線を会場へと戻す。
次は確か英連邦の出番だったはずだ。
「あ、ニュージーランド君だね」
ふいに頭上から声が落ちて来たので視線を上げると、にゅっと茶色の手が顔のすぐ横に伸ばされてくる。ぎょっとして思わず身を引きかけ、慌てて後ろを振り向けばそこには先ほどドラムマーチ中に走り回っていた熊の姿があった。
「え? え?」
驚いて目を丸くすれば、おもむろに熊の着ぐるみは頭部を外して、その素顔をさらした。
中から現われたのは見慣れた薄い色の金髪と紫の目を持つ男。
「へへー。可愛いでしょ?」
「ロシア!?」
「うん」
大きく頷いてからぽん、と近くのイスに熊の頭を置くと、ロシアは驚くイギリス達を前に、器用に背中のファスナーを下ろして本体から「よいしょ」と出てくる。
咄嗟にアメリカが「芋虫の脱皮かい?」と言って日本にものすごく嫌な顔をされていたが、綺麗に無視した。
「ふー…」
一息ついて、着ぐるみを脱ぎ終わったロシアの姿はイギリスと同じでかっちりとした軍服姿だった。
落ち着いたモスグリーンのそれはすっきりとまとまっていて、金色のモールと焦げ茶のネクタイともども長身の彼に良く似合う。乱れた髪を手で撫でつけながら、照れくさそうな表情を浮かべるその顔は先ほどの軍楽団の面々とそっくりで、何故か初々しさすら感じさせる。
本当に随分と変わったものだと思う。雰囲気も態度もソ連時代とはまるで違っていて心地良い。ああいいな、と素直に思った。
それにしてもいくら夕方から涼しくなって来たとは言え、暑くはなかったのだろうか。
「あの熊、お前だったのか!」
「うん。せっかくだから混ぜてもらったんだ」
「そうか」
にこりと笑ったロシアの顔に思わずつられてこちらも表情を綻ばせる。最近一緒にいることが多いせいか、皆が皆、ロシアに対して昔ほど警戒心がない。なんだかんだでこうやって同じ場にいる時は和やかに過ごしたいものだ。
しかしアメリカはそうは思わなかったらしい。彼は眉間に皺を刻んで、イギリスの肩に気安く手を置いているロシアを下から睨み上げると、不機嫌そうに言う。
「君さぁ……イギリスと仲悪いくせに、なんだかんだでいっつも来てるよね。なに、なんか弱みでも握られてるの? 助けてあげようか? 俺は世界のヒーローだからね、たとえ君でも困っている人は見捨てたりしないんだぞ!」
「ありがとうアメリカ君。でもそういうの、余計なお世話って言うんだよ、知ってた? ね、日本君?」
「え!? わ、私ですか? 急に話を振らないで下さい。もう年なんですから……まったく心臓に悪い」
「あーもう、お前ら相変わらずだなぁ」
刺々しい応酬に呆れたように溜息をつくフランスを無視して、ロシアはさっさとイギリスの隣りに腰を下ろすと眼下に繰り広げられるニュージーランド軍のドリルマーチを眺める。
映画音楽を交えたメドレーの演奏と、一糸乱れぬ隊列が実に見事だ。
「やっぱりいいよね、お祭って」
「お兄さんはイギリスんちの祭なんかこれっぽっちも興味ないけどな」
先ほどの続きなのか、フランスが横から嫌味ったらしく声を掛けてくる。
その言い方にカチンと来たイギリスは眉間に深い皺を刻んだ。
「じゃあなんで来るんだよこのワイン野郎」
「そりゃ、スコットランドに招待されれば断るわけないでしょ」
じろりと睨みつければ、へらへらと笑いながら彼は手にした封筒を掲げて見せた。その表面に見知った紋章を見て取ってイギリスは押し黙る。
フランスとスコットランドが仲が良いのは昔から周知の事実だ。ことあるごとになんだかんだで言葉を交わし、こうやって気軽に行き来もしている。弟であるイギリスよりもよっぽど会話の回数だって多いだろう。
うまくいかない兄弟仲に頭を悩ませているイギリスにしてみれば、兄と親しく接するフランスは甚だ面白くない存在だ。
思わずきゅっと唇を噛み締めると、ふいにロシアが口を挟んで来る。
「ちょっとフランス君。あまり盛り下がるようなこと言うのなら、花火の発射台に詰めちゃうよ?」
「ロシアが言うと冗談に聞こえないなぁ」
「うん、本気だもん」
にっこりとこれ以上はないほど楽しげな笑顔を向けられ、さしものフランスも引き攣りながら身体を仰け反らせた。まっすぐ見据えてくるロシアの瞳の奥には表現しがたい冷たさが沈み、本気で背筋が凍る思いがする。
比喩でもなんでもなく、氷を首筋に当てられたような悪寒がざっと走った。
「やめとけやめとけ。汚い花火なんざ誰も見たくねーよ」
イギリスが呆れたように言ってロシアを牽制すると、フランスの脛を勢いよく爪先で蹴り上げる。潰れたような声を上げてひっくり返る隣国など見向きもしないで、すぐに彼はロシアの方を振り返った。
そしてそっとその耳に囁くように言葉を紡ぐ。
「ありがとな」
「うん」
小さく頷いて嬉しそうに笑う頬に、イギリスは誰にも気付かれないように唇を落とした。
ちらりと横目で日本が目敏く見つけて、心の中のカメラで萌えシーン激写!と思っていたことも知らずに。
真夏の夜に浮かび上がる壮厳なエディンバラ城は美しくライトアップされ、広場の特設会場には数多くの人々が集まって来ていた。
あちらこちらから小さな楽器の音が漏れ聞こえ、篝火にちらちらと映る人影は吹き抜ける風に揺れている。
徐々に夜が深まりゆくその中、イギリスは滅多に着ない自国の軍服に身を包んだ姿で集団の中央にいた。肩から下げたアサルトライフルを脇で締めながら、美しく掲げられたユニオンジャックとイングランド旗を背に凛とした表情で笑みを浮かべている。
「アーサー様、開幕の準備は整いました」
「そうか」
鷹揚に頷いて各員持ち場につくよう促すと、彼の言に一糸乱れぬ動きで兵達は移動を始めた。
この日の為に選び抜かれた精鋭ぞろいである。おのおの鋭く目を光らせて自分たちの出番を待ち望んでいた。
「イギリス、久し振りなのである」
ふいに声を掛けられて首を振り向かせれば、赤字に白抜きの大きな十字の旗が見えた。その下には漆黒のコートを羽織り、白い羽飾りのついた黒い帽子をかぶった人物がいる。すぐに誰なのかを認めてイギリスは姿勢を正して歩みを進めた。
「スイスか。よく来たな」
「今年も宜しく頼む」
「ああ、こちらこそ宜しくな。お、今回も相変わらずスティックで戦うのか?」
スイス楽団のスティック捌きは世界的に有名だ。揶揄するように言うと、にやりと唇の端を吊り上げて彼はイギリスの持つライフルを見遣った。
「イギリスの銃剣好きには負けるのである。が、プルバックとはまた珍しいものを使うのだな」
「回しにくいのが難だけど見栄えはいいだろ?」
「いやそうではなくてだな……まぁ良い。そろそろ時間だ」
「ああ」
じゃあまた後で、そう言い置いてイギリスは隊列に戻って行った。
視線を周囲に向ければ参加国のそれぞれが緊張を帯びた顔つきで並んでいるのが見える。今年もそれぞれが国の伝統と文化を背景にこうやってイギリスの地に集結しているのだ。
篝火が更に強く燃え上がり、人々の熱気が肌で感じられる。
すうっと息を大きく吸い込むと、イギリスは自分を取り囲む兵たちにむかって口を開いた。
「さぁ、Edinburgh Military Tattooのはじまりだ!」
大きく張り上げたその言葉と共に花火が上がり、夏の夜空を明るく染め上げた。
* * * * * * * * * * * * * * *
毎年英国エディンバラで開催される夏の祭典、エディンバラミリタリータトゥーは、「RIAT」と並んで世界中の注目を浴びる大規模な軍事祝典である。
国内外の軍楽隊が集まりそのドラムマーチを披露するのが目的だ。イベント自体は50年以上の歴史を持ち、毎年数多くの観光客でにぎわう。
祝典にあわせてエディンバラでは芸術祭を含めたフェスティバルが開催されるため、とにかく8月のこの地は異様な熱気に包まれる。ヨーロッパは勿論のこと、他地域からの来客も多く、プロムス開催期間でもあるため夏の間はイギリス中あちらこちらで文字通りのお祭り騒ぎだ。
「EMT」の中心となるのはスコットランドであり、スコティッシュ連隊が演奏するバグパイプの音色は聞く者を感動の渦に叩きこむと言っても過言ではないだろう。
軍事パレードと言っても基本的には楽しむことをメインに据えた音楽祭であり、堅苦しいことは抜きにして各軍コミカルな演技が主流だった。
イギリスは基本的にこの地では兄に全てを任せて、『国』ではなく個人として英空軍の指揮下に入る。兄弟仲が悪いことは知れ渡っているし、余計な軋轢を避けるための措置でもあったが、基本的には本人も面白がって参加しているため女王をはじめ上司たちから何か言われる心配もなかった。
ファンファーレが鳴り響き、ドラムマーチが始まるとイギリスは主賓席に立ち寄ってから楽隊の良く見える位置に腰を落ち着けた。すでに用意された席には遊びに来ていたアメリカをはじめ、フランスや日本の姿もある。
それぞれに挨拶をすると渡された紅茶を手に眼下を見下ろす。一糸乱れぬ行進とともにスイスをはじめとした欧州各国、それにアジアからは珍しく台湾の楽隊も参加してそれぞれがパフォーマンスを披露していった。
演目を眺めているとふいに照明が落とされ開場が暗くなる。しばらく待てば一条の光が広場中央を照らし出し、勇壮な音楽と共にひときわ目を引く集団が出て来た。
「次はロシアさんみたいですね」
日本がそう囁くのに合わせて頷けば、指揮者に先導された一団が整然と前へ進み、綺麗に中央に並ぶ。
それから曲調をがらりと変えてドラムマーチのはじまりだ。
『ソビエト連邦』の名残を感じさせつつも、民主主義国家へと変貌を遂げた『ロシア』として、明るく闊達なリズムがスタッカートも高らかに流れ出す。
時折かすめるどこか哀愁を帯びたロシアメロディ。その合間合間に挟まれる軽快なダンス。はじめは戸惑いと奇妙さを感じたものだが、イギリスは口元をほころばせて不慣れな、けれども楽しく弾けた動きを目で追った。
ふいに会場がわっと湧く。なにごとだろうかと目を見張っていると、なんと熊の着ぐるみが突如現れ、ぱたぱたと楽団員たちの間をすり抜けて走り回っていった。
軍楽祭には珍しい、だが面白い演出に日本が「かわいいですね!」と口調を弾ませる。イギリスも大きく頷きながら、伝統にのっとった始終かっちりとした自軍とはまた別の赴きに興味を惹かれ、目線が釘づけになってしまった。
会場中からは歓声が上がり、場も一気に盛り上がったような気がする。
「なんだかこういうふざけた感じ、ロシアらしくないね」
「そうか?」
アメリカがぼそりと呟いた言葉に肩を竦めながら、演目に注視しつつイギリスが続ける。
「あいつ、あれでいてすっげーノリいいぞ? ああいう着ぐるみ大好きだしな」
「ふーん」
「あ、それ分かります。以前中国さんの家でパンダの着ぐるみ着ていましたから」
興味なさげなアメリカと違って日本はいたって楽しそうだ。相手がロシアだろうがそうでなかろうが可愛いものは可愛いということだろうか。確か以前、「萌え」という特殊な感情は何事をも優先してしまうと聞かされたことがあったのだが、あいにくとイギリスには難しすぎて理解しきれなかった。
ただ、それ以来「日本文化は難解だ」という印象が心に刻み込まれている。まさしく東洋の神秘というやつだろうか。
そうこう思いを巡らせているうちにロシアの演技が終了して、再び整然とした隊列を組んで軍楽隊は退場していった。
「ロシアの皆さん、なんだかはにかんだ様子が可愛らしかったですよね」
「まだまだ笑顔が引き攣ってたけどな」
日本の言葉にフランスが面白そうにまぜっ返す。
イギリスが苦笑を浮かべて何も言わずにいると、アメリカが軽く息をついて「慣れないのに無理をするからだよ」と鼻先で笑う。けれどそこには悪意は微塵もなく、純粋に楽しんでいる響きがうかがえた。
つねに不穏な空気に包まれていた往年のロシアの姿を知る者としては、今の穏やかな安定した彼の方がずっと付き合い易い事を知っている。国が情勢によってさまざまに変化を遂げるのは不思議なことではなく、必然だと分かっていてもこの平穏さの永続を願ってやまない。
「そう言えば肝心のロシアさんはどこへ行かれたのでしょう」
「はじまる前にちょっと挨拶したきり姿が見えないな」
首を巡らせてもそれらしい姿は見えない。いったいどこへ消えたのだろうか。
招待者としてイギリスは参加国の動向には目を配っていたつもりなので、少々困惑気に眉をひそめた。せっかく特等席を用意していたというのに、という不満もあってかついつい不機嫌な表情になりがちで、日本に小さく笑われる。
「もしかすると様子を見るのに下に行かれたのかもしれませんね」
気遣うようにそう言って、彼は用意したポットから再び温かい紅茶を注いでくれた。受け取りながら軽く頷いて、目線を会場へと戻す。
次は確か英連邦の出番だったはずだ。
「あ、ニュージーランド君だね」
ふいに頭上から声が落ちて来たので視線を上げると、にゅっと茶色の手が顔のすぐ横に伸ばされてくる。ぎょっとして思わず身を引きかけ、慌てて後ろを振り向けばそこには先ほどドラムマーチ中に走り回っていた熊の姿があった。
「え? え?」
驚いて目を丸くすれば、おもむろに熊の着ぐるみは頭部を外して、その素顔をさらした。
中から現われたのは見慣れた薄い色の金髪と紫の目を持つ男。
「へへー。可愛いでしょ?」
「ロシア!?」
「うん」
大きく頷いてからぽん、と近くのイスに熊の頭を置くと、ロシアは驚くイギリス達を前に、器用に背中のファスナーを下ろして本体から「よいしょ」と出てくる。
咄嗟にアメリカが「芋虫の脱皮かい?」と言って日本にものすごく嫌な顔をされていたが、綺麗に無視した。
「ふー…」
一息ついて、着ぐるみを脱ぎ終わったロシアの姿はイギリスと同じでかっちりとした軍服姿だった。
落ち着いたモスグリーンのそれはすっきりとまとまっていて、金色のモールと焦げ茶のネクタイともども長身の彼に良く似合う。乱れた髪を手で撫でつけながら、照れくさそうな表情を浮かべるその顔は先ほどの軍楽団の面々とそっくりで、何故か初々しさすら感じさせる。
本当に随分と変わったものだと思う。雰囲気も態度もソ連時代とはまるで違っていて心地良い。ああいいな、と素直に思った。
それにしてもいくら夕方から涼しくなって来たとは言え、暑くはなかったのだろうか。
「あの熊、お前だったのか!」
「うん。せっかくだから混ぜてもらったんだ」
「そうか」
にこりと笑ったロシアの顔に思わずつられてこちらも表情を綻ばせる。最近一緒にいることが多いせいか、皆が皆、ロシアに対して昔ほど警戒心がない。なんだかんだでこうやって同じ場にいる時は和やかに過ごしたいものだ。
しかしアメリカはそうは思わなかったらしい。彼は眉間に皺を刻んで、イギリスの肩に気安く手を置いているロシアを下から睨み上げると、不機嫌そうに言う。
「君さぁ……イギリスと仲悪いくせに、なんだかんだでいっつも来てるよね。なに、なんか弱みでも握られてるの? 助けてあげようか? 俺は世界のヒーローだからね、たとえ君でも困っている人は見捨てたりしないんだぞ!」
「ありがとうアメリカ君。でもそういうの、余計なお世話って言うんだよ、知ってた? ね、日本君?」
「え!? わ、私ですか? 急に話を振らないで下さい。もう年なんですから……まったく心臓に悪い」
「あーもう、お前ら相変わらずだなぁ」
刺々しい応酬に呆れたように溜息をつくフランスを無視して、ロシアはさっさとイギリスの隣りに腰を下ろすと眼下に繰り広げられるニュージーランド軍のドリルマーチを眺める。
映画音楽を交えたメドレーの演奏と、一糸乱れぬ隊列が実に見事だ。
「やっぱりいいよね、お祭って」
「お兄さんはイギリスんちの祭なんかこれっぽっちも興味ないけどな」
先ほどの続きなのか、フランスが横から嫌味ったらしく声を掛けてくる。
その言い方にカチンと来たイギリスは眉間に深い皺を刻んだ。
「じゃあなんで来るんだよこのワイン野郎」
「そりゃ、スコットランドに招待されれば断るわけないでしょ」
じろりと睨みつければ、へらへらと笑いながら彼は手にした封筒を掲げて見せた。その表面に見知った紋章を見て取ってイギリスは押し黙る。
フランスとスコットランドが仲が良いのは昔から周知の事実だ。ことあるごとになんだかんだで言葉を交わし、こうやって気軽に行き来もしている。弟であるイギリスよりもよっぽど会話の回数だって多いだろう。
うまくいかない兄弟仲に頭を悩ませているイギリスにしてみれば、兄と親しく接するフランスは甚だ面白くない存在だ。
思わずきゅっと唇を噛み締めると、ふいにロシアが口を挟んで来る。
「ちょっとフランス君。あまり盛り下がるようなこと言うのなら、花火の発射台に詰めちゃうよ?」
「ロシアが言うと冗談に聞こえないなぁ」
「うん、本気だもん」
にっこりとこれ以上はないほど楽しげな笑顔を向けられ、さしものフランスも引き攣りながら身体を仰け反らせた。まっすぐ見据えてくるロシアの瞳の奥には表現しがたい冷たさが沈み、本気で背筋が凍る思いがする。
比喩でもなんでもなく、氷を首筋に当てられたような悪寒がざっと走った。
「やめとけやめとけ。汚い花火なんざ誰も見たくねーよ」
イギリスが呆れたように言ってロシアを牽制すると、フランスの脛を勢いよく爪先で蹴り上げる。潰れたような声を上げてひっくり返る隣国など見向きもしないで、すぐに彼はロシアの方を振り返った。
そしてそっとその耳に囁くように言葉を紡ぐ。
「ありがとな」
「うん」
小さく頷いて嬉しそうに笑う頬に、イギリスは誰にも気付かれないように唇を落とした。
ちらりと横目で日本が目敏く見つけて、心の中のカメラで萌えシーン激写!と思っていたことも知らずに。
このたびは七夕企画短冊リクエストにご参加下さいまして、どうもありがとうございました!
「空を舞う翼」のような話をという事でしたので、「露英」「軍事もの」「いろんな国が集まる」「米露嫌味の応酬」など同じようなネタを盛り込んでみました。
ちょっと短めではありますが、少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。
もしかするとのちほど時間が取れましたらこの続きを書くかもしれません。とりあえず今はここまで!ということでご了承下さいませ。
それでは、このたびは素敵なリクエストをどうもありがとうございました!
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