紅茶をどうぞ
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[祭] 見抜く (君のことなら、わかっちゃうんだ)
そこは小さな駅だった。
閑散としたところで、周囲に繁華街も無ければ大型ホテルなどもない。
駅員もいないしもちろん改札なんかもなく、一日に二本くらいしか電車も来ないので人気はまったくと言って良いほどなかった。
澄み渡った空を一羽の鳥が舞い上がる。長閑な鳴き声をぼんやりと聞いていると、思わず眠気を誘われてしまいそうだ。
古い傷んだ木のベンチに二人で腰掛けて、会話も無く、思い思い勝手に頭の中に絵を描いて、柔らかく降り注ぐ日の光を浴び続ける。
平和だなぁ、と思った。
「……昔、この辺にはなーんにもなかったよねぇ……」
アメリカが珍しくぼけっとした顔で呟いた。
背もたれにもたれたままだらしなく座るその姿を見ずに、イギリスもまた相槌を打つ。
「そうだな」
広い空と広い大地。
はるか昔にイギリスがこの地を訪れた頃よりほとんど変化のないここは、アメリカ自身も滅多に訪れない場所なのだろう。
こうしてただ時間だけが過ぎていくような、こんな時は懐かしい記憶ばかりが思い浮かび、自然と感傷的な気分になってしまう。
「そう言えば、お前が小さい頃はよくピクニックに行ったよなぁ」
呟いた声に隣のアメリカがわずかに溜息を落とすのが分かった。どうせまた「昔のことかい?」と思っているに違いない。まったく、自分が先に言い出したことだと言うのに困ったものだ。
別に過去を思い出すことは悪いことではない。過去は過去、今は今なのだ。時間が過ぎればたとえ一瞬前だって過去と言えることに若いアメリカは気付かないのかも知れない。ようするにまだまだ子供なのだろう。
いや、子供というには流石に無理があるか。今や世界一の大国となった国に対してそれはあまりに失礼というものだ。
イギリスは苦笑しながら高く青い空を眺めた。
あの頃と同じ、白い雲が溶けるような澄んだきれいな青を。
今日は少し遠出をしよう。
そう言って二人で出掛ける用意をした。
お弁当は? 持った!
着替えは? 持った!
帽子は? かぶった!
そんなふうにひとつひとつ確認しながら、昼前のまだ静かな時間帯に、イギリスはアメリカの小さな手を引いて海岸線の見える丘へと歩き始めた。
馬車を用意することも出来たが、せっかく良い天気を迎えた休日なのだし、のんびり歩きながら目的地を目指すのもいいのではないかと思った結果だ。
普段会えない時間をお互い埋めるかのように、アメリカの話をたくさん聞きながら二人きりで並んで歩く。ただそれだけのことが日々の喧騒から離れたイギリスにとっては安らぎへと繋がっていくのだった。
アメリカは成長が早い。
出会ってからまだ1年半しか経っていないと言うのに、みるみるうちに大きくなって、当初は3歳程度の外見だったが今では6歳児くらいにまで成長を遂げていた。
ヨーロッパの国々には見られないハイスピードさに、イギリスは勿論のことフランスやスペインなども驚いて目を丸くしていたが、健康状態も良好でとくに問題はなく、いたって元気いっぱいであったので、そのうち「こういう国もあるのだろう」と納得していった。
まだまだ未成熟ではあったが、アメリカには希望を詰め込んだような底抜けの明るさがあり、潜在能力は他のどの国をも凌いでいる。いっそ恐ろしいほどの力を秘めているのだが、そのことにイギリスが気付くのはもっとずっと後のことであった。
「イギリス、今日はどこへ行くんだい?」
青々とした丘陵を眺めやりながら、繋いだ手に嬉しそうに力を込めながらアメリカが問い掛けて来た。
子供の足取りに合わせて歩幅小さく歩くイギリスは、早起きして作ったサンドイッチの入ったバスケットをもう片方の手に提げながら、そうだなぁとのんびり呟く。
「アメリカはどこへ行きたい?」
「イギリスと一緒ならどこだっていいぞ!」
「可愛いこと言ってくれるなぁ、お前は」
だらしなく顔を弛めてイギリスは笑った。こんなところを隣国などに見られでもしたら向こう100年間はからかわれるに違いない。それくらい溶けそうな表情だった。
アメリカと過ごす時間はこんなにも自分を幸福にしてくれる。満たしてくれる。イギリスはいつもそれを新しい気持ちと共に感じていた。
アメリカがいれば実に簡単に、あっという間にイギリスは幸せになってしまう。そして不思議なことに、生れてこの方感じたことのない暖かな繋がりは、楽しくて仕方がない時でさえ何故か泣きたくなるような気持ちを抱かせるのだ。
こんな気持ち、知らない。
「俺もアメリカと一緒ならどこにだって行けるぞ」
「ほんとう?」
「あぁ」
「やった!」
頷きながらイギリスは丘の裾野からなだらかに続く道の向こうを見た。荷馬車が揺れながら近付いてくる。この先にある町へ買出しに出掛けた村人だろうか。
道の脇に二人して移動して馬車を避けた。通り過ぎる時、荷台に乗った女性が優しい笑顔で「弟さんにどうぞ」と言って真っ赤に熟れた林檎を投げて寄越したので、素早く空中でキャッチをすると遠ざかる彼女に礼を言った。
アメリカも一緒に「ありがとう!」と声を張り上げた。
「弟さん、だって!」
嬉しそうに破顔しながらアメリカは繋いだ手をぶんぶんと大きく振るう。今にもスキップしそうなくらい楽しげだ。
空いたもう片方の手には林檎を大事そうに握り、つややかな表面に鼻を寄せては甘酸っぱい香りをかいでいる。
上機嫌な彼の声が謡うように続けられた。
「ねぇイギリスー」
「んー?」
「俺とイギリスは兄弟?」
「まぁそうなるだろうな」
「じゃあさ、やっぱりお兄ちゃんって呼んでいい?」
大きな丸い空色の瞳が少しばかりの期待を込めてじっとこちらを見上げてくる。しかしイギリスは戸惑ったようにまばたきを繰り返し、そのまま言葉を詰まらせて黙り込んでしまった。
何か気の利いた一言でも言えれば良かったのだろうが、アメリカの問い掛けに対する上手い返事が思い浮かばない。
イギリスにとって「兄」とはトラウマでしかなかった。その為、はじめてアメリカに「お兄ちゃん」と呼ばれた時はどうしようもない居心地の悪さを感じ、つい「イギリスでいい」と答えてしまったのだ。
「兄」とは「敵」だ。自分がアメリカの「兄」になれば、いつか「弟」に弓矢を放つ「敵」としてアメリカの前に立つことになってしまうかもしれない……傷つけて泣かせてしまうかもしれない。そう思って無意識に拒否してしまったのだろう。それくらいイギリスにとって「兄」という存在は悪夢でしかないのだ。
「イギリス?」
「あ、あぁ悪い。俺はな、アメリカ」
「うん」
「お前からはちゃんと名前で呼ばれたい。お前がイギリスと呼んでくれることが何より嬉しい。だから」
「分かったよイギリス。俺もイギリスが俺の名前を呼んでくれるのが一番好きだぞ!」
「そうか」
笑いかければ笑い返してくれるアメリカの笑顔は、青空のように眩しかった。
―― きっと大丈夫。自分達ならうまくやっていける。
―― 間違ったりはしない。
イギリスはそう思って無意識に繋いだ指先に力を込めた。
なだらかな坂を上り海を一望できる丘の頂上まで来ると、二人は持参して来た飲み物と食料を並べ、柔らかな草の上に腰を下ろした。
太陽の光をいっぱいに浴びて、遠くキラキラと輝く水面を眺めながらイギリスお手製のサンドイッチをかじる。パサパサとしたものやびちょびちょとしたそれらは実に奇妙な味がしたが、アメリカは始終明るかった。
美味しいご飯を食べるよりも、今はイギリスといられることの方が大事だとでも言うように、彼は一生懸命できるだけ多くの言葉を紡ごうとする。
いつでも気軽に会えるわけではない。遠く離れた二人の距離は、時には何ヶ月もの別離を強要して来たため、こうやって久々に会えば話したいことは山積みだった。
一分一秒を惜しむかのように、あれもこれもと矢継ぎ早に話し出す子供を見つめて、イギリスもまたその行儀の悪さを咎めるよりもついつい嬉しくて耳を傾けてしまう。
「でね、でね、イギリス!」
「こぼしてるぞ」
「あ、ごめん。それでね、イギリス!」
語られる内容は大人からすれば下らないことかもしれない。ありきたりな日常の、本当にささいなことだったりするのだが、子供にとっては何もかもが珍しく、初めて体験することばかりなのだろう。
嬉しそうに楽しそうに報告してくるその姿を見下ろして、イギリスは手の平でアメリカの柔らかな金髪を優しく撫でてやった。
ふふふ、と笑って目を細めた子供の顔が、ふいにぱっと上って不思議そうに小首をかしげる。突拍子もないのはいつものことだ。
「そう言えばイギリス」
「なんだ?」
「イギリスの子供の頃の話って、俺聞いたことなかったよね?」
「あぁ、そうだな。でもつまらないから気にしなくていいぞ」
「どうして? イギリスにはお兄ちゃんがいるんだろ?」
ふいの言葉に一瞬大きくイギリスは目を見開いた。
一体誰から聞いたのだろう……フランスか? それとも上司にだろうか。
なんにしても余計なことを吹き込んでくれたものだと、苦々しい思いが胸中を埋め尽くした。
「イギリスのお兄ちゃんだったらきっと、すっごく優しいんだろうなぁ。ね、どんな人なんだい?」
好奇心に満ち溢れたアメリカの眼差しに一瞬たじろぎ、イギリスは口元に引き攣ったような笑みを刻みながらゆっくりと視線を逸らした。そのまま海を見つめてどこかぼんやりとした表情で瞬きをする。
脳裏に浮かぶのは生れてこの方まともに話したこともない兄たちの姿。弓矢を射るその顔は自分と似ていたが、深い瞳の奥には一欠けらの感情すら見出すことは出来なかった。
いつだって彼らは無表情にイギリスを迫害する。昔も、今も。
「イギリス?」
「優しい……人たちだ」
けれど口から告いでたのはまったくの嘘。
正反対の言葉がすらすらと、まるで真実のように流れ出ていく。
「いつも優しくて、温かくて、会えばキスをしてくれるし、大きな手でそっと頭も撫でてくれるんだ。それから眠る時は抱きしめてくれるし、綺麗な子守唄も歌ってくれる」
「わぁ。イギリスとおんなじだね!」
「寂しい時は手を握っていてくれるし、退屈な時は素敵なおとぎ話をたくさん聞かせてくれた。会うたびに美味しいスープを作ってくれたし、手作りのスコーンだっていっぱい作ってくれるんだ。それから、それから」
それから。
酷い罵りの言葉を吐きかけられ、手にした弓矢で逃げる背中を撃ち抜かれ、泥まみれになって転がり落ちる身体を笑いながら見下ろされたり。
冷たい雨に打たれて泣きながら一人ぼっちで震えて、空腹のあまり目の前がかすんだり。痛みと寒さで気を失ったり。
―― そんな惨めな過去、アメリカにだけは知られたくない。
「たくさん愛された?」
「あぁ」
「そっか。あ! 俺も、俺も愛しているよイギリス!」
「ありがとう、アメリカ。俺もお前を愛しているよ」
額にキスを、頬にキスを。
抱き締めて、抱き締められて、そうして伝わる柔らかな体温に心奪われて。
―― 大丈夫、ちゃんと愛せる、愛してあげられる。
この先もきっとずっと変わらずにイギリスはアメリカを愛していけるはずだ。たとえ道をたがえても、すれ違ってしまっても、どんなに遠く離れてしまっても。
迷わずにこの想いは彼にちゃんと届けられると信じている。
この空と海の青が変わらない限り、永遠に。
ベンチにだらしなく座ったまま、アメリカは缶コーヒーのプルタブを開けると一気に飲み出す。同じように隣でぼうっとしながら、イギリスはちらりと仰向いた横顔を見遣った。
「あー……電車来ねーなぁ」
「のんびり待つさ」
くすっと笑ってアメリカが空になった缶を近くのゴミ箱へと投げ入れた。
のどかな空気を一瞬だけ震わせるように金属音が鳴り響く。
「たまにはいいじゃないか、こういうのも」
「まぁな」
「そうだ、ピクニックって言えばさ、イギリス」
「なんだ?」
「君、俺に嘘をついたよね」
唐突な言葉に怪訝そうにイギリスは首をかしげた。昔からアメリカの言動は突拍子もないものばかりで、長い付き合いになるが正直その意図を計り兼ねることが多かった。
今度は何を言い出すものかと仏頂面で隣を睨みつけてみれば、アメリカは底抜けに明るい表情で空を仰いで言葉を続けた。
「たぶん君は知らないと思うけど、俺ね、君が嘘をつくと直ぐ分かっちゃうんだ」
「はぁ? 何言ってんだお前。しょっちゅう外交で騙されてるくせに」
「……そんなにいつも騙しているのかい?」
「あ! い、いや、ほら、これはその、言葉のあやって奴で」
「ふーん」
思わずじたばたと両手を動かして動揺すれば、ひょいと肩を竦めて溜息混じりにアメリカは笑った。
その仕草がやけに大人びて見えて一瞬どきりとする。
「とにかく、俺は君の嘘はすぐ見破れるんだよ」
「な、なんだよ、やけに自信満々だなおい」
「うん、だって」
俺、君のこと昔から愛しているからね。
さらりと言われたその言葉に、ぽかんと間抜けな顔をしたイギリスは、続いて音が出そうなほどの勢いで真っ赤になった。
「いきなり何を言い出すんだお前は!」と照れ隠しに怒鳴りつければ、「君、茹でたロブスターみたいだぞ」とからかいながら思い切り笑ってアメリカは大きく両手を空にかかげた。
うるさく鳴り響く心音をなんとかおさえながらイギリスもつられたようにその先を見上げる。
手の血管が透けて見えるほどに光り輝く太陽と、いつまでもいつまでも変わらない、あの日と同じ綺麗で透明な空。
―― なんて眩しい。
幼い頃、自分が彼についた嘘はとても哀しくてとても寂しいものだった。それをあの子供が本当に気付いていたかどうかは分からない。
けれど今のアメリカを見ていると、なんとなく見透かされてしまっていたような気がしないでもなかった。
愛されたことがなかった。
愛し方を知らなかった。
それでも不器用ながら懸命に愛した。
その気持ちが少しでもアメリカに届いていたというのなら。
「なぁアメリカ。今度またあの丘に行きたいな」
「海の見える、あの丘?」
「ああ」
何度だって繰り返し伝えたい。
色褪せることのないその言葉を。
閑散としたところで、周囲に繁華街も無ければ大型ホテルなどもない。
駅員もいないしもちろん改札なんかもなく、一日に二本くらいしか電車も来ないので人気はまったくと言って良いほどなかった。
澄み渡った空を一羽の鳥が舞い上がる。長閑な鳴き声をぼんやりと聞いていると、思わず眠気を誘われてしまいそうだ。
古い傷んだ木のベンチに二人で腰掛けて、会話も無く、思い思い勝手に頭の中に絵を描いて、柔らかく降り注ぐ日の光を浴び続ける。
平和だなぁ、と思った。
「……昔、この辺にはなーんにもなかったよねぇ……」
アメリカが珍しくぼけっとした顔で呟いた。
背もたれにもたれたままだらしなく座るその姿を見ずに、イギリスもまた相槌を打つ。
「そうだな」
広い空と広い大地。
はるか昔にイギリスがこの地を訪れた頃よりほとんど変化のないここは、アメリカ自身も滅多に訪れない場所なのだろう。
こうしてただ時間だけが過ぎていくような、こんな時は懐かしい記憶ばかりが思い浮かび、自然と感傷的な気分になってしまう。
「そう言えば、お前が小さい頃はよくピクニックに行ったよなぁ」
呟いた声に隣のアメリカがわずかに溜息を落とすのが分かった。どうせまた「昔のことかい?」と思っているに違いない。まったく、自分が先に言い出したことだと言うのに困ったものだ。
別に過去を思い出すことは悪いことではない。過去は過去、今は今なのだ。時間が過ぎればたとえ一瞬前だって過去と言えることに若いアメリカは気付かないのかも知れない。ようするにまだまだ子供なのだろう。
いや、子供というには流石に無理があるか。今や世界一の大国となった国に対してそれはあまりに失礼というものだ。
イギリスは苦笑しながら高く青い空を眺めた。
あの頃と同じ、白い雲が溶けるような澄んだきれいな青を。
* * * * * * * * * * * * * * *
今日は少し遠出をしよう。
そう言って二人で出掛ける用意をした。
お弁当は? 持った!
着替えは? 持った!
帽子は? かぶった!
そんなふうにひとつひとつ確認しながら、昼前のまだ静かな時間帯に、イギリスはアメリカの小さな手を引いて海岸線の見える丘へと歩き始めた。
馬車を用意することも出来たが、せっかく良い天気を迎えた休日なのだし、のんびり歩きながら目的地を目指すのもいいのではないかと思った結果だ。
普段会えない時間をお互い埋めるかのように、アメリカの話をたくさん聞きながら二人きりで並んで歩く。ただそれだけのことが日々の喧騒から離れたイギリスにとっては安らぎへと繋がっていくのだった。
アメリカは成長が早い。
出会ってからまだ1年半しか経っていないと言うのに、みるみるうちに大きくなって、当初は3歳程度の外見だったが今では6歳児くらいにまで成長を遂げていた。
ヨーロッパの国々には見られないハイスピードさに、イギリスは勿論のことフランスやスペインなども驚いて目を丸くしていたが、健康状態も良好でとくに問題はなく、いたって元気いっぱいであったので、そのうち「こういう国もあるのだろう」と納得していった。
まだまだ未成熟ではあったが、アメリカには希望を詰め込んだような底抜けの明るさがあり、潜在能力は他のどの国をも凌いでいる。いっそ恐ろしいほどの力を秘めているのだが、そのことにイギリスが気付くのはもっとずっと後のことであった。
「イギリス、今日はどこへ行くんだい?」
青々とした丘陵を眺めやりながら、繋いだ手に嬉しそうに力を込めながらアメリカが問い掛けて来た。
子供の足取りに合わせて歩幅小さく歩くイギリスは、早起きして作ったサンドイッチの入ったバスケットをもう片方の手に提げながら、そうだなぁとのんびり呟く。
「アメリカはどこへ行きたい?」
「イギリスと一緒ならどこだっていいぞ!」
「可愛いこと言ってくれるなぁ、お前は」
だらしなく顔を弛めてイギリスは笑った。こんなところを隣国などに見られでもしたら向こう100年間はからかわれるに違いない。それくらい溶けそうな表情だった。
アメリカと過ごす時間はこんなにも自分を幸福にしてくれる。満たしてくれる。イギリスはいつもそれを新しい気持ちと共に感じていた。
アメリカがいれば実に簡単に、あっという間にイギリスは幸せになってしまう。そして不思議なことに、生れてこの方感じたことのない暖かな繋がりは、楽しくて仕方がない時でさえ何故か泣きたくなるような気持ちを抱かせるのだ。
こんな気持ち、知らない。
「俺もアメリカと一緒ならどこにだって行けるぞ」
「ほんとう?」
「あぁ」
「やった!」
頷きながらイギリスは丘の裾野からなだらかに続く道の向こうを見た。荷馬車が揺れながら近付いてくる。この先にある町へ買出しに出掛けた村人だろうか。
道の脇に二人して移動して馬車を避けた。通り過ぎる時、荷台に乗った女性が優しい笑顔で「弟さんにどうぞ」と言って真っ赤に熟れた林檎を投げて寄越したので、素早く空中でキャッチをすると遠ざかる彼女に礼を言った。
アメリカも一緒に「ありがとう!」と声を張り上げた。
「弟さん、だって!」
嬉しそうに破顔しながらアメリカは繋いだ手をぶんぶんと大きく振るう。今にもスキップしそうなくらい楽しげだ。
空いたもう片方の手には林檎を大事そうに握り、つややかな表面に鼻を寄せては甘酸っぱい香りをかいでいる。
上機嫌な彼の声が謡うように続けられた。
「ねぇイギリスー」
「んー?」
「俺とイギリスは兄弟?」
「まぁそうなるだろうな」
「じゃあさ、やっぱりお兄ちゃんって呼んでいい?」
大きな丸い空色の瞳が少しばかりの期待を込めてじっとこちらを見上げてくる。しかしイギリスは戸惑ったようにまばたきを繰り返し、そのまま言葉を詰まらせて黙り込んでしまった。
何か気の利いた一言でも言えれば良かったのだろうが、アメリカの問い掛けに対する上手い返事が思い浮かばない。
イギリスにとって「兄」とはトラウマでしかなかった。その為、はじめてアメリカに「お兄ちゃん」と呼ばれた時はどうしようもない居心地の悪さを感じ、つい「イギリスでいい」と答えてしまったのだ。
「兄」とは「敵」だ。自分がアメリカの「兄」になれば、いつか「弟」に弓矢を放つ「敵」としてアメリカの前に立つことになってしまうかもしれない……傷つけて泣かせてしまうかもしれない。そう思って無意識に拒否してしまったのだろう。それくらいイギリスにとって「兄」という存在は悪夢でしかないのだ。
「イギリス?」
「あ、あぁ悪い。俺はな、アメリカ」
「うん」
「お前からはちゃんと名前で呼ばれたい。お前がイギリスと呼んでくれることが何より嬉しい。だから」
「分かったよイギリス。俺もイギリスが俺の名前を呼んでくれるのが一番好きだぞ!」
「そうか」
笑いかければ笑い返してくれるアメリカの笑顔は、青空のように眩しかった。
―― きっと大丈夫。自分達ならうまくやっていける。
―― 間違ったりはしない。
イギリスはそう思って無意識に繋いだ指先に力を込めた。
なだらかな坂を上り海を一望できる丘の頂上まで来ると、二人は持参して来た飲み物と食料を並べ、柔らかな草の上に腰を下ろした。
太陽の光をいっぱいに浴びて、遠くキラキラと輝く水面を眺めながらイギリスお手製のサンドイッチをかじる。パサパサとしたものやびちょびちょとしたそれらは実に奇妙な味がしたが、アメリカは始終明るかった。
美味しいご飯を食べるよりも、今はイギリスといられることの方が大事だとでも言うように、彼は一生懸命できるだけ多くの言葉を紡ごうとする。
いつでも気軽に会えるわけではない。遠く離れた二人の距離は、時には何ヶ月もの別離を強要して来たため、こうやって久々に会えば話したいことは山積みだった。
一分一秒を惜しむかのように、あれもこれもと矢継ぎ早に話し出す子供を見つめて、イギリスもまたその行儀の悪さを咎めるよりもついつい嬉しくて耳を傾けてしまう。
「でね、でね、イギリス!」
「こぼしてるぞ」
「あ、ごめん。それでね、イギリス!」
語られる内容は大人からすれば下らないことかもしれない。ありきたりな日常の、本当にささいなことだったりするのだが、子供にとっては何もかもが珍しく、初めて体験することばかりなのだろう。
嬉しそうに楽しそうに報告してくるその姿を見下ろして、イギリスは手の平でアメリカの柔らかな金髪を優しく撫でてやった。
ふふふ、と笑って目を細めた子供の顔が、ふいにぱっと上って不思議そうに小首をかしげる。突拍子もないのはいつものことだ。
「そう言えばイギリス」
「なんだ?」
「イギリスの子供の頃の話って、俺聞いたことなかったよね?」
「あぁ、そうだな。でもつまらないから気にしなくていいぞ」
「どうして? イギリスにはお兄ちゃんがいるんだろ?」
ふいの言葉に一瞬大きくイギリスは目を見開いた。
一体誰から聞いたのだろう……フランスか? それとも上司にだろうか。
なんにしても余計なことを吹き込んでくれたものだと、苦々しい思いが胸中を埋め尽くした。
「イギリスのお兄ちゃんだったらきっと、すっごく優しいんだろうなぁ。ね、どんな人なんだい?」
好奇心に満ち溢れたアメリカの眼差しに一瞬たじろぎ、イギリスは口元に引き攣ったような笑みを刻みながらゆっくりと視線を逸らした。そのまま海を見つめてどこかぼんやりとした表情で瞬きをする。
脳裏に浮かぶのは生れてこの方まともに話したこともない兄たちの姿。弓矢を射るその顔は自分と似ていたが、深い瞳の奥には一欠けらの感情すら見出すことは出来なかった。
いつだって彼らは無表情にイギリスを迫害する。昔も、今も。
「イギリス?」
「優しい……人たちだ」
けれど口から告いでたのはまったくの嘘。
正反対の言葉がすらすらと、まるで真実のように流れ出ていく。
「いつも優しくて、温かくて、会えばキスをしてくれるし、大きな手でそっと頭も撫でてくれるんだ。それから眠る時は抱きしめてくれるし、綺麗な子守唄も歌ってくれる」
「わぁ。イギリスとおんなじだね!」
「寂しい時は手を握っていてくれるし、退屈な時は素敵なおとぎ話をたくさん聞かせてくれた。会うたびに美味しいスープを作ってくれたし、手作りのスコーンだっていっぱい作ってくれるんだ。それから、それから」
それから。
酷い罵りの言葉を吐きかけられ、手にした弓矢で逃げる背中を撃ち抜かれ、泥まみれになって転がり落ちる身体を笑いながら見下ろされたり。
冷たい雨に打たれて泣きながら一人ぼっちで震えて、空腹のあまり目の前がかすんだり。痛みと寒さで気を失ったり。
―― そんな惨めな過去、アメリカにだけは知られたくない。
「たくさん愛された?」
「あぁ」
「そっか。あ! 俺も、俺も愛しているよイギリス!」
「ありがとう、アメリカ。俺もお前を愛しているよ」
額にキスを、頬にキスを。
抱き締めて、抱き締められて、そうして伝わる柔らかな体温に心奪われて。
―― 大丈夫、ちゃんと愛せる、愛してあげられる。
この先もきっとずっと変わらずにイギリスはアメリカを愛していけるはずだ。たとえ道をたがえても、すれ違ってしまっても、どんなに遠く離れてしまっても。
迷わずにこの想いは彼にちゃんと届けられると信じている。
この空と海の青が変わらない限り、永遠に。
* * * * * * * * * * * * * * *
ベンチにだらしなく座ったまま、アメリカは缶コーヒーのプルタブを開けると一気に飲み出す。同じように隣でぼうっとしながら、イギリスはちらりと仰向いた横顔を見遣った。
「あー……電車来ねーなぁ」
「のんびり待つさ」
くすっと笑ってアメリカが空になった缶を近くのゴミ箱へと投げ入れた。
のどかな空気を一瞬だけ震わせるように金属音が鳴り響く。
「たまにはいいじゃないか、こういうのも」
「まぁな」
「そうだ、ピクニックって言えばさ、イギリス」
「なんだ?」
「君、俺に嘘をついたよね」
唐突な言葉に怪訝そうにイギリスは首をかしげた。昔からアメリカの言動は突拍子もないものばかりで、長い付き合いになるが正直その意図を計り兼ねることが多かった。
今度は何を言い出すものかと仏頂面で隣を睨みつけてみれば、アメリカは底抜けに明るい表情で空を仰いで言葉を続けた。
「たぶん君は知らないと思うけど、俺ね、君が嘘をつくと直ぐ分かっちゃうんだ」
「はぁ? 何言ってんだお前。しょっちゅう外交で騙されてるくせに」
「……そんなにいつも騙しているのかい?」
「あ! い、いや、ほら、これはその、言葉のあやって奴で」
「ふーん」
思わずじたばたと両手を動かして動揺すれば、ひょいと肩を竦めて溜息混じりにアメリカは笑った。
その仕草がやけに大人びて見えて一瞬どきりとする。
「とにかく、俺は君の嘘はすぐ見破れるんだよ」
「な、なんだよ、やけに自信満々だなおい」
「うん、だって」
俺、君のこと昔から愛しているからね。
さらりと言われたその言葉に、ぽかんと間抜けな顔をしたイギリスは、続いて音が出そうなほどの勢いで真っ赤になった。
「いきなり何を言い出すんだお前は!」と照れ隠しに怒鳴りつければ、「君、茹でたロブスターみたいだぞ」とからかいながら思い切り笑ってアメリカは大きく両手を空にかかげた。
うるさく鳴り響く心音をなんとかおさえながらイギリスもつられたようにその先を見上げる。
手の血管が透けて見えるほどに光り輝く太陽と、いつまでもいつまでも変わらない、あの日と同じ綺麗で透明な空。
―― なんて眩しい。
幼い頃、自分が彼についた嘘はとても哀しくてとても寂しいものだった。それをあの子供が本当に気付いていたかどうかは分からない。
けれど今のアメリカを見ていると、なんとなく見透かされてしまっていたような気がしないでもなかった。
愛されたことがなかった。
愛し方を知らなかった。
それでも不器用ながら懸命に愛した。
その気持ちが少しでもアメリカに届いていたというのなら。
「なぁアメリカ。今度またあの丘に行きたいな」
「海の見える、あの丘?」
「ああ」
何度だって繰り返し伝えたい。
色褪せることのないその言葉を。
このたびは七夕企画短冊リクエストにご参加下さいまして、どうもありがとうございました!
どちらを書こうか迷った末に、子メリカとイギリスのお話を書かせて頂きました。でもいつかブリ天やちびりす話も書いてみたいと思っています!
今回はなんとも恥ずかしい内容になってしまいましたが、私はもともと両思いのすっごく甘いお話が大好きなものでして。
ご本家でも最近なにかと米英の仲良しさんっぷりが拝見出来るせいか、どうしてもベタベタな話を書いてしまいたくなるんですよね(笑)
糖分過多でしたが少しでも楽しんでいただければ幸いです。
素敵なリクエストをどうもありがとうございました!
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